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「貴様が勝ったら、この城に留まることを許してやろう」
胸を反らして言い放つ伯爵公子。
名をミシディアというらしい。
体格は平均的で、容姿の点で奇妙なところはひとつもない。
しかし言動は常軌を逸している。
ここまできて、アトルワが決闘などに応じなくてはならない理由などなにひとつないのだ。
すでに勝敗は決している。
ガゾールト伯爵は戦場の露と消え、ガゾールト軍はこぞって降伏した。
郡都ナウスの城門は開かれて、アトルワ軍は入城を完了し、民衆も受け入れた。
まさにいまさらである。
哀れな伯爵公子に許してもらわなくとも、アトルワは占領政策を実行できる。何の問題もなく。
そもそも、どうして許してもらわなくてはならないのかという話だ。
顔を見合わせるナナとリキ。
こんなことのために、伯爵の家族は城に居座っていたのだろうか。
とっとと荷物をまとめて逃げ出せば良いものを。
「なんだろ? 頭の中がお花畑なのかしら?」
「だなぁ」
ぼそぼそ会話を交わしたりして。
貴族の矜持的なものを、もちろんキャットピープルも元傭兵も理解ではない。
むしろ、プライドで腹はふくれないだろ、と思ってしまう。
普通に考えて、伯爵公子の行動は無意味だ。
万が一、アトルワ側が決闘を受け入れたとして、それに伯爵公子が勝利したとして、どんな約束が守られるというのか。
勝ったぞーと言った瞬間に、さくっと殺されておしまいだろう。
そして勝者はアトルワだと喧伝される。
「それ以前の問題として、俺らはもう勝ってんだぜ? なんでいまさら五分の条件で決闘なんぞせにゃならんのよ」
「だよねぇ」
バカの相手をしても疲れるだけ。
リキが剣を抜き、ナナの爪がしゅっと伸びる。
めんどくさいから、まとめて殺してしまおう。
女性も子供もいるが、こればかりは仕方がない。逃げる時間は充分にあったのだし、戦いに敗れた領主の家族がどうなるか、承知していないわけではないだろう。
「まあまあ、待てよふたりとも」
振り返った北斗が押し止める。
精悍な顔には、なぜか笑みが張り付いていた。
絶対ろくなこと考えていない顔だ。
けっこう長い付き合いで、夫婦だとかいわれているナナにはよく判る。
「ミシディアといったか。アンタが負けたら俺たちを支配者として認めると言ったな。じゃあ勝ったら何を要求する?」
笑いながら伯爵公子に話しかける北斗。
条件をきくというのは、それに乗る可能性を示唆するのと同じ。
「……ほらやっぱり」
ナナの呟きは、誰かの耳を射程に捉えるには小さすぎた。
黒髪の異邦人はこういう少年なのである。
「知れたこと。ガゾールト伯爵領より退去してもらう。むろんアトルワ全軍に」
「お話にならないな。貴様の頭には蛆でも湧いているのか?」
セラフィンが口をはさむ。
ここまで静観していたのだが、気の長い彼女でもさすがに呆れ果てたらしい。
「いいぜ」
『はぁ!?』
しかし、北斗の返答で、リキもセラフィンも奇声を発することとなった。
「おいホクト」
「本気で言っているのかっ」
詰め寄る。
ナナだけはそうしなかった。
「どうしてもそうするの? ホクト」
優しげな問い。
微笑すら浮かべて。
「ああ」
「そう。なら止めない」
「という次第だ。ミシディア。お前の挑戦を受けてやるよ」
言い放ち、伯爵家の縁者たちを退出させる。
一刻後、内院での決着を約して。
北斗たちも、大広間から移動した。
決闘の場である内院へと。
非難のこもった眼差しで、セラフィンとリキが僚友を見つめる。
「あいつさ。膝が震えてたの気付いたか?」
それを受け、少年が口を開いた。
双竜剣のグリップを確認しながら。
首を振る元傭兵とエルフの姫君。
ごくかすかなものだったから、正面に立っていた北斗しか気付かなくても無理はない。
「内心でびびってた。だけどあいつは、こうするしかなかった」
言葉を紡ぐ唇。
誰に語るでもなく。
ガゾールト伯爵が戦死し、郡都ナウスは陥落した。
誰が見たって決着が付いている。
その程度のことすら、貴族のぼんぼんは理解できないのか。
「んなわきゃねーんだよ。あいつは自分たちが負けたことをちゃんと理解している」
「じゃあどうして逃げなかったの?」
ナナの問い。
「逃げることは選べなかったのさ。あいつの後ろにぞろぞろいただろ。血族が」
伯爵夫人をはじめとした貴族たち。
生活力は皆無だろう。
十数人もの穀つぶしを連れて王都まで逃げることができるか。贅沢に慣れ、体力もない連中が財貨を抱えて旅をする。
ありえない。
それこそ野盗の餌食だ。
また、運良く王都コーヴに逃げこんだとして、その後に待っているものは何か。
女王アルテミシアは、ガゾールトの侵略行為を声高に非難しているのである。
手のひらを返して、落ちのびてきたガゾールト一族を歓迎するとは、少しばかり考えにくい。
「だから、あいつは起死回生の一撃に賭けるしかねーんだよ」
一か八かの大博打。
賭け台に乗せるのは自分の命。
勝ったとしてアトルワがいうことを聞くとは限らない。それでも、一パーセントでも可能性があるなら、それに賭ける。
「その意気に感じて、ホクトは挑戦を受けて立とうってわけ?」
北斗と背中合わせになり、ナナが言う。
戦場では、いつもこうしている。
少年にとって、最も信頼の置けるパートナー。
「いんにゃ。俺はそこまでロマンチストじゃねーさ。負けたら負けたでいいかなって思ってるだけだ」
肩越しに右腕を回し、少女の髪を撫でる。
もともとガゾールトの支配はアトルワの予定にはない。
決闘の結果、撤退することになってもじつはたいして困らないのだ。
供出した物資は丸損だが、どのみち支援がなくては民草が餓えてしまう。救民・護民を旗印とするアトルワにとって、他領だから見殺しにするという選択肢はない。
「ふーん?」
胡乱げなナナの声。
もちろん表情は見えない。
しかしにやにや笑っているのを、北斗は視覚以外のもので見た。
「なんだよ?」
「負けても良いやなんて思ってないくせに」
「…………」
「お見通しだよ。女房だからね」
肘で背中をつつく。
応えず、少年もまた肘で少女の背を押した。
対峙する二人。
北斗とミシディア。
前者は両手持ちした双竜剣を青眼に構え、後者は左腕にカイトシールドを装着して右手にはブロードソード捧げ持っている。
冬の終わりの風が、黒髪と金髪をそよがせる。
じりじりと、互いの距離が詰まってゆく。
必殺の間合いを探って。
見守る人々。
静寂が支配する内院。
ミシディアが動いた。まったく予備動作もなく。
左の盾をかざして突進する。
裂帛の気合い。
前に出された盾によって、身体が、右腕が隠れる。
どこから剣が出てくるか読めない。
北斗は下がらず、むしろ踏み込む。
双竜剣の切れ味は、生半可な盾などものともしない。
カイトシールドごとミシディアを切り裂くような強烈な面打ち。
大音響が木霊する。
残響のなか、互いに位置を入れ替える北斗とミシディア。
ふたりの中間地点。はぜ割れた盾が地面に落ちた。
「噂に違わぬ切れ味だな。ルーンナイト」
「盾がもたないと踏んで囮に使うとか、すごい勝負勘だな。あんた」
同時に言葉を発する。
たった一回の攻防で、少年と若者の額には汗が光っていた。
カイトシールドは双竜剣の斬撃に耐えられなかった。
一瞬で悟ったミシディアが半回転しながら剣を繰り出そうとした。
そうはさせじと北斗は押し込んだ。
相打ちになる。
と、ほぼ同じタイミングで感じた二人は飛び離れた。
ミシディアは盾を手放して。
それがいまの攻防である。
一般人にはなにが起こったかすらわからなかったかもしれない。
ぶつかった二人が位置を入れ替えて飛び離れ、中間地点に盾が落ちた、としか。
「……強いな。あいつ」
「ああ」
リキが呟き、セラフィンが頷く。
判る方のふたりである。
視線の先、ふたたび剣士たちが突進する。




