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ガゾールト軍は、総大将たるガゾールト伯爵の戦死によって崩壊した。
もともと兵士たちにしてみれば、好きこのんで従軍していたわけでもない。
処罰する人間がまとめて地上から退場してしまえば、降伏勧告に頷くのを躊躇う理由などないのである。
結局ガゾールト軍の死者は八百名を超え、アトルワ軍のそれの二十倍にも達したが、大敗という割には少なかった。
これは、アトルワが士官を狙って攻撃したということであり、そうするだけの余裕があったという事実である。
「このままガゾールト伯爵領に進軍する? 本気か? アリーシア姫。どうぞ」
『捕虜は四千名を超えるそうですね。いまのアトルワに、それだけの数を養う余裕はありません。本国に帰還させるのが一番ですわ。どうぞ』
勝敗が決した直後の、シズリスとアリーシアの通信。
ガゾールト軍の将兵をこのまま解放するというのはまずい。
素直に本国に帰還したとしても、糧食も乏しく指揮統率する者もいないからだ。
野盗化されたら最悪である。
それがガゾールト領内の事だったとしても、隣接する地域が荒れて、アトルワに良いことは何ひとつない。
であれば、不本意極まるがアトルワ軍がきちんと保護して、ガゾールトの郡都ナウスまで送り届けた方がマシである。
ただし、それはとりもなおさず、ガゾールト伯爵領を支配下に置くというのと同義だ。
「わかった。アリーシア姫が決めたのなら、俺に否やはない。総督の人選をしてくれ。どうぞ」
盟主はアリーシア。地位の高い者ほど、彼女の決定を遵守しなくては組織の基が立たなくなる。
身分や差別のない世界を歌う新生アトルワだからこそ、職制上の上下関係には忠実であらねばならないのだ。
『ホクトしかいないと思いますが。どうぞ』
返ってきた言葉に、シズリスは頷いた。
もちろんそれはアリーシアには見えなかったが。
元々のアトルワ領はアリーシアが、アキリウ領はマルコーが、バドス領はシズリスが治めている。
領主の経験者はこれですべて。
アリーシアだって、領主としてはまだまだ駆け出しで、老練という域にはほど遠いのである。
もしガゾールト伯爵がすんなりと膝を折って、かつ新生アトルワの理想に賛同するのであれば、彼にそのままガゾールト領を任せるのが一番良かった。
しかしガゾールト伯爵は、どちらの道も選ぶことなく退場してしまった。
となれば、アトルワ陣営の中からガゾールト領を統治する人間を選ばなくてはならない。
年齢や経験という点を考慮すれば、ドバとかセラフィンとかいう選択肢もあるのだが、さすがに獣人や亜人が総督職というのは、現段階ではいささかならず悪手である。
まして伯爵領というのは広大だ。
アキリウとアトルワを足したより広い地域には、いまだ獣人や亜人に対する根強い差別が残っているだろう。
本来であれば、アリーシア自らが居城をアトルーからナウスに移して然るべき事態といっても良い。
しかし、それは不可能である。
アトルワの領地経営だって軌道に乗り始めたばかり。
ここでアリーシアの手腕を欠くことはできない。
しかも、バドスのように積極的にアトルワに与した場所ではないし、王都コーヴからの距離もだいぶ近いのである。
間に挟まるのは、シザン男爵領とミズルア公爵領。そして直轄領が二つだけ。
最短距離で走れば五日とかからない。
そんなところに盟主がいるのは幾重にもまずい。
今後のアトルワ政戦両略に大きく関わる重要な場所であるだけに、総督人事には気を配らなくてはならないのだ。聖賢の姫君に次ぐ名声があり、能力的にも比肩する人物。
すなわち、ルーンの聖騎士の後継者にして、魔法使い殺し。聖剣の姫君の腹心中の腹心である騎士、ホクト・アカバネ。
彼しかいない。
「賛成だ。本人は嫌がりそうだがな。どうぞ」
『嫌がったら、お風呂で釣ってください。ホクトは大のお風呂好きですからね。ナウスに好きなだけ浴場を作って良いとか、てきとうに上手いことを言って。どうぞ』
『おーまーえーらー!』
突如として第三者の声が風話に割り込んだ。
北斗である。
風話に守秘回線など存在しない。
アイテムを持つ者なら、いつでも誰でも会話に参加することができるのだ。
盗み聞きし放題のシステムであるが、本質的に信頼できる者しか持っていないので、さほど問題はない。
ただまあ、北斗にしてみれば堂々と密談されているようなものなので、けっこう微妙な気分である。
『巡察使の仕事はどーすんだよっ どうぞっ』
『そこはなんとでもなりますわ。というより、総督を決めない方がよほど問題ですわね。どうぞ』
『ラインでもニアでもいいだろうがっ どうぞっ!』
「ダメですわっ あのふたりは妾のそばにいて支えてくれないとっ どうぞっ』
『ラインは戦場に出てるよなっ 今現在もっ どうぞっ!!』
『それはそれっ これはこれですわっ どうぞっ』
十七歳の少年と十六歳の少女が風話越しにヒートアップしている。
幹部全員に聞こえているというのに。
あちこちで苦笑している様が目に浮かぶようで、シズリスは大きくため息を吐いた。
「おちつけ。お前ら。以上」
一方的に言い放って風話を終了させる。
なんだって戦勝直後に恥をさらさなくてはいけないのか。
しかも全軍に。
国王執務室に参集した王国軍の指揮官たちは、国務大臣より説明を受けて声を失った。
軍事の専門家である彼らには、アトルワの非常識さが理解できる。
できるがゆえ、事態の深刻さもよく判るのだ。
「ライザック卿。卿ならガゾールトを半刻で破ることが可能ではないか?」
「半数の兵力でという条件を付けられたら三日はかかる。ヒューゴ卿」
「負けると思わぬあたりが卿らしいが、それでも三日か」
腕を組む赤のヒューゴ。
真なるルーンの聖騎士は、自らの能力を語るのに一片の虚飾すら必要としない。
ライザックが三日というなら、他の誰がやってもそれ以上の時間短縮はできないだろう。
既存の方法を用いては。
「…………」
深沈と考え込むのは黒のイスカだ。
「どうしたの? あなたにしては珍しく、なにか思い屈しているように見えるけど」
その様子に、アルテミシアが小首をかしげる。
歯に衣を着せず、上司だろうが主君だろうが皮肉を飛ばす男にしては、たしかに珍しい。
「いえね……俺がタイモールに潜入していたとき、こんなことがあったんですわ」
モンスターの集団を叩きのめした後のことだ。
ホクトの元に客があった。
人間とエルフの二人連れである。
当然のようにアトルワの幹部だろう。
そのエルフ娘から何かを受け取った魔法使い殺しは、小躍りして喜んだ。
超テクノロジーだとかなんとかいって。
「あるいはそれが、今回の種なんじゃないかと思いましてね。根拠も何もない。ただの勘なんですがね……」
「なんとも雲を掴むような話だね。イスカ卿」
白のウズベルが両手を広げてみせる。
「根拠はないけどそう思ったのね? どうして?」
「俺は説明を受けたわけじゃないし、それがなんだったのか、しかとは判りません。が」
「が?」
「似たようなものを、冒険者時代に見た記憶があります」
「それは?」
「風話の魔道具」
イスカの言葉に、アルテミシアの眉が跳ね上がった。
女王だけでなく他の男たちの表情も動いた。
この場に、黒の隊長の言葉の意味を理解できない者の列席は許されていない。
「指揮官の意志を即時伝達させる、か」
「それだけじゃねえ。隔絶した軍の連携を可となさしめるってことだ」
ライザックとヒューゴが呻く。
そのふたつがどれほど困難であり、それが可能なら、どれほどの作戦が展開できるか知っているから。
「……歴史が変わりますよ?」
ウズベルが懐から手布を取り出し、流れてもいない汗を拭った。




