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仏頂面の北斗。
彼の生きていた一九七〇年代というのは、まさに科学の万能が信じられていた時代である。
月面調査のアポロ計画は最終段階に入り、次は他の惑星だとばかりに惑星探査機パイオニアが打ち上げられたのも、一九七二年だ。
田中角栄首相の日本列島改造論でも、これからの発電は火力ではなく原子力であると高らかに提唱された。
科学とは進歩であり、進歩とはチカラだと、誰もが信じて疑わなかった。
「月に人類がいけるようになった時代に、魔法とか馬鹿馬鹿しすぎるだろ」
「月って、空に浮かんでる、あの月?」
ナナが目を見張る。
「ああ」
ふふんと北斗が鼻をならすが、べつに彼が威張るような事ではない。
宇宙は専門的なテクノクラートのものであって、一般人の手が届くようなところにはない。
それは彼の時代から四十年以上を経ても、まったく変わっていないのだ。
すべての分野にいえることである。
北斗が信じるほどに、科学技術は身近には存在せず、あくまでも専門家の専有物で、人々は恩恵を享受しているにすぎない。
それを自分の功績のように語るのは、片腹痛いというべきだろう。
ただ、日本人の多くはその滑稽さに気付いておらず、家電製品を便利に使い、自動車を乗り回し、科学万能と声高に叫んでいた。
自然主義や神秘主義など、物笑いの種でしかなかった。
北斗もまた例外ではないというだけだ。
「でも、最初わたしたちに会ってびっくりして目を回してなかった?」
「俺はオカルトが嫌いなんだよ」
「……もしかして怖いの? おばけとか」
「怖くない。嫌いなだけだ」
まためんどくさいことを言っている。
大きく息を吐く獣人の少女。
「ナナ。横道に逸れているぞ」
桶にお湯を張ったドバが苦笑した。
若者たちの話は聞いていて飽きないが、いつまでも楽しんでるというわけにもいかない。
「いけない。そうだった」
自分の頭を軽く叩くナナ。
「私が話を聞くから、お前は体を拭いてきなさい」
「はあい」
父親から桶を受け取り、奥の部屋へと消えてゆく。
「私はここで失礼するよ。ホクト」
濡らした手拭いでドバが血を落とし始める。
「ああ。魔法の話だったな。あんなものはインチキさ。だからちょっと揺さぶってやったら、すぐに消えちまった」
「そんな馬鹿な」
苦笑。
魔法とは、その名の通り、理の外側にあるチカラである。
ゆえに、魔法による攻撃は通常の防具で防ぐことはできない。
ちょっと揺さぶった程度で無効化できるなら、魔法を使うものたちが貴族として君臨することなど、できるわけがないだろう。
「けど事実だぜ。可燃物もないのに火が燃えるわけないだろっていったら、火が消えたしな」
ぽりぽりと北斗が頬を掻く。
「魔法というのは、そういうものではないのだがな……」
戦闘中だったので、しかと目にしたわけではない。
だが、北斗が何らかのチカラを用いたことは疑いのない事実だ。
どういう種類のチカラなのかは、それこそ魔法使いでもなければ判らないだろうが。
「ようするに、屁理屈で魔法をねじ伏せたってことね」
頭を布きれで拭きながら、ナナが戻ってくる。
着替えたのか、血の付いた服ではないが、あいかわらずつぎはぎだらけのボロ布だ。
「屁理屈いうな」
目をそらしながら反論する北斗。
先ほどの服装に比較して、露出度が高すぎる。
七〇年代少年は、平成日本の若者ほど性に親しんではいないのである。
北斗の主張など屁理屈にすぎない。
可燃物がなくては火は燃えない。それはたしかに事実ではあるが、この世界の大気組成を彼は熟知しているわけではないし、分析する術も持っていないのだ。
あるいは、あの火焔球自体がなにがしかの内燃機関を有していた可能性だって、ゼロではないのである。
にもかかわらず、北斗は地球の常識を押し通し、魔法を消滅させた。
普通に考えれば、こちらの方がずっと非常識である。
そもそも理論など、現象に対する考察に過ぎない。
たとえば万有引力。アイザック・ニュートンがリンゴが木から落ちるのを見て重力を発見したと誤解されているが、重力という考え方はそれよりずっと以前からあった。
彼は、落ちるリンゴに働いている力が、衛星や惑星などにも作用しているのではないかと着想して、万有引力の法則にたどりついた。
地上にものが落ちるのは、べつに彼が見つけなくても太古の昔から、当たり前の話だった。
理由付けなどしなくても、事実は事実として存在する。
ちなみにアリストテレスは、ものが地上に落ちるのは、そのなかに四大元素のひとつである土の元素が含まれており、それが本来あるべき場所である大地へと戻ろうとしているのだと考えた。
重いものほど早く落ちるのは、土の元素が多いからなのだと。
なかなかにロマンチックでメルヘンな考え方である。
だが、西暦の十二世紀くらいまでは、この考えが主流だった。
実際に起きている現象を、どうしてそれが起きるのが考えるのが科学である。それが世の不思議を解き明かし、オカルトや神秘主義を白日の下に晒してきた。
ゆえに、オカルトを非科学的だと切り捨てることこそが非科学的であり、非科学的な事柄に科学的な考察を加えて解き明かしていくことこそを、科学というのだ。
現実に存在している火焔球を否定した北斗は、最大限好意的に評価しても、エセ科学というべきものだろう。
もちろんナナはそこまで考えて発言したわけではない。
「魔法を打ち消す屁理屈バリア。それがホクトの力ってことでしょ」
くすくすと獣人の少女が笑う。
聞いたこともないような能力だが、そもそも他の世界から訪れた人間などというものが聞いたこともない。
なにか変な能力を持っていたところで、べつに不思議はないだろう。
「格好悪りぃよっ! なんだその名前っ」
猛然と反論する北斗。
言うに事欠いて、屁理屈バリア。
意味不明すぎる。
「ともかく」
じゃれあっている少年少女に呆れたように見つめながら、ドバが遮った。
遊んでいる場合ではない。
貴族を殺した。
隠蔽するにしても限界がある。公子が居城に戻らなければ、男爵はすぐに捜索隊を出すだろう。
そうなれば、この村が割り出されるのは時間の問題だ。
討伐の兵が出る。
「早ければ、数日のうちに」
「どうするの? お父さん」
「ことここに至っては、私たちの取れる選択肢は多くはないだろうね。座して死を待つか、戦うか、逃げるか」
いずれにしても村を捨てる覚悟は必要になるだろう。
「じゃあ……」
「準備はまったく整っていないが、やるしかあるまい」
「了解。みんなに報せてくるわ」
踵を返そうとするナナを北斗が押しとどめる。
「話が見えないんだが」
「あいつら、年貢をごまかしたって言ったでしょ?」
「ああ」
「それは本当。わたしたちにはお金が必要だったの。どうしてか判る?」
贅沢をするため、ではないだろう。
そんなものはナナやドバの服装を見ればすぐにわかる。
ならばなんのために。
知らず、北斗が生唾を呑み込んだ。
予感がある。
オカルトが嫌いな彼にもはっきりと判る、厄介事の予感だ。
「武器を買うお金よ」
不敵に笑ったナナが、戸口から飛び出していった。
「武装蜂起……本気かよ……」
消えてゆく背中に呟く。
「本気だ。ホクト」
応えたのはドバである。
日本でも、世界を見ても、いくらでもあった話。
圧政に耐えかねた者たちが武器を手に立ちあがる。それが大きなうねりとなり、たとえばフランスやロシアなどでは革命を成功させた。
だが現実はそんなに甘くはない。
フランス革命もロシア革命も、成功したから歴史に名を残したのだ。
多くの場合は、瞬く間に鎮圧されてしまう。
「どうする? いまならまだ君だけは逃げることができるぞ?」
ドバの心配顔に、ふ、と笑みを漏らす北斗。
「何度も言わせんな。男は、一度出した財布は引っ込めねえよ」