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ライザック率いる青の軍の快進撃は続いた。
シトレ侯爵領を皮切りに、ラザール子爵領、アボウス公爵領、ガイエル侯爵領、シザン男爵領。
連戦につぐ連戦。
連勝につぐ連勝。
二ヶ月に及ぶ遠征、大小二十回を超える戦いにすべて勝利し、人的な損失はなんとゼロ。
聞く者が耳を疑うような戦果だ。
ただの一人の戦死者も出すことなく、ルーン狭しと駆け巡るスカイブルーの兵団。
人々は熱狂し、写し絵などが飛ぶように売れた。
最強騎士団の異称が青の軍に奉られたのもこの時期である。
そして最強騎士団を率いるライザックは、真なるルーンの聖騎士と呼ばれるようになった。
「無事の帰還、嬉しく思うわ。ライザック」
「もったいないお言葉にございます。陛下」
王都コーヴの城門まで赴いて出迎えた女王と、白葦毛の愛馬から飛び降り、片膝を付いた騎士。
まるで伝説に描かれるような場面であった。
救世の女王と真なるルーンの聖騎士の姿を一目見ようと詰めかけた人々が歓声とも悲鳴ともつかないような絶叫をあげる。
歴史的な瞬間に立ち会っているのだ、という錯覚のもとに。
もちろんこの場面は演出されたものである。
それどころか、ライザックの異称も、青の軍の異称も、王国政府が意図的に流したものだ。
自然発生した流行など世の中にひとつもない、とは制服の宰相シルヴァの台詞である。
ごく自然なかたちで、民衆の間で最強やら真の騎士やらの単語が断片的にささやかれるようにする。
噂が噂を呼び、しばらくすると大仰なニックネームが流布しているという寸法だ。
ただ、この手の情報は青の軍が連戦連敗の負け続けだったら滑稽なだけである。
まずは常勝無敗の実績があって、はじめて成立する宣伝戦略だ。
「やっぱり私の騎士様は、モンスターごときに遅れを取ったりしなかったわね」
「豚鬼や小鬼、せいぜいが人食い鬼や一つ目鬼程度だったからな」
「後ろふたつは、せいぜいってカテゴリに入らないと思うわよ?」
くすくすと笑いながら右手を差し出すアルテミシア。
うやうやしく取ったライザックが、その甲に口づけした。
「……インクくさい。ずっと書類仕事か? お姫様」
「まあね。ライザックの分もたっぷり残してあるわよ」
「もう一回、遠征いってこようかな……」
「それでも良いけど、たまった書類が倍になっているだけよ?」
「……職務に精励します……」
「よろしい。でもその前にゆっくりと休んでね。青の軍全員に十日間の休暇を与えるから」
花が咲くように女王が笑う。
「兵たちが喜ぶだろう」
神妙に、真なる騎士が頷いた。
ルーン王国が、ルーンの聖騎士という令名に付加価値をつけて自分のものにしてしまおう、と、情報戦略を展開している頃。
べつにアトルワの面々は遊びほうけていたわけではない。
活発化するモンスターどもの襲撃は、当然のようにアトルワでも起こっている。
なにしろ連中は、人間が定めた境界線などまったく気にしないし、人間たちの暗黙の了解など知ったこっちゃないから。
新生アトルワ軍は、モンスター退治に忙殺されていた。
わずか三州とはいえ、彼らは自分たちで守らなくてはならない。
まさかルーンに救援を求めるなど、できるはずがないのである。
このため北斗たちは対応に逐われることとなった。まともに考えれば、それは至難であったろう。
新生アトルワの総兵力は五千に達しない。しかも全員が職業的な軍人というわけでもなく、有事の際に参集するような人々が七割を占める。
ルーンのように一万を超える軍勢で各地を回るなど、できようはずもない。
襲撃があり、救援要請があり、それに呼応して軍を編成し、補給の算段を付けてから駆けつける。
普通に考えれば、そのようなプロセスになる。
とてもではないが即応体制とはいえないだろう。
だが、モンスターの襲撃による人的な被害は、五十名に達しなかった。
理由がある。
立役者となったのは、セラフィンによってもたらされたマジックアイテムだ。
風話。
これを見たときの北斗の反応は、幹部たちが予想したとおり、
「イヤリング型通信機! すげえ! 超テクノロジーだ!!」
というものだった。
セラフィンは、当然のように精霊魔法がうんぬんなどとは説明せず、たんに使い方を教えただけ。
高度に発達した科学は魔法と見分けがつかない、というところであるが、残念ながらアーサー・チャールズ・クラークが、この法則を提唱したのは一九七三年。北斗が地球世界で死んだ翌年のことなので、彼はそんな言葉は露ほども知らない。
とはいえ、風話の有用性について、北斗は誰よりも理解したし、熱心に量産を推奨した。
早馬や狼煙、果ては矢文を使うのが当たり前の世界で、意志の即時伝達というものがどれほどの軍事的優位をもたらすか、彼は知っていたのである。
その意を受けたエルフの郷は、すぐに風話装置の増産に入った。
これもまた、北斗は与りしらぬことではあるが、風の下位魔法というのは易しい。天性の精霊使いであるエルフたちにとってみれば、子供だって風や水の下位精霊とは心を通わせることができる。
さすがに耳飾りに封じる、とかいうのは高等技術だが、もっと大きな、たとえば拳大の水晶球程度のものであれば、比較的簡単に作ることが可能であった。
こうして、瞬く間にアトルワ内の通信網が整備されてゆく。
凶事なり変事などが起きれば、それはほとんどタイムラグなしでアトルーに伝わるようになった。
そしてアトルワには、神速を誇る獣人部隊がいる。
馬などよりはるかに速く、しかも絶倫の戦闘力を持つ天性の狩人たちだ。
瞬発力に特化した猫人族、驚異的な持久力を誇る狼人族。
彼らが風の如く駆けつけ、モンスターの侵攻を阻む。
時間を稼いでいる間に、北斗やシズリスが率いる部隊が押し出す。
というシステムが構築されていった。
「もっとも、俺やホクトの出番は、ほとんどなかったがね」
そういって笑うのは、旧バドスの領主であるシズリスである。
なにしろキャットピープルもウルフェンも強い。
アトルワ軍本隊が到着する頃には、たいていの戦闘は終わっていた。
戦士シンに戦士ユウ。
狩人のエナに狼人の勇者たち。
いずれも一騎当千。
ゴブリンやオークごときに後れを取るようなものではない。
人々は熱狂した。
ルーンの民が青の軍に心酔したように、アトルワの民は獣人たちに惹かれていった。
疾風のシン。迅雷のユウ。などといった格好いいニックネームが奉られてゆく。
どこか獣人や亜人に隔意のあった人たちも、完全に彼らを受け入れた。
高い技術を持った心優しきエルフたちを。
勇猛果敢で献身的な獣人たちを。
友として、同胞として、仲間として認めるようになっていった。
「おおむね計算通りですわ」
シズリスの言葉に、微笑を返すのはアリーシアだ。
盟主が口でいくら獣人や亜人は友だ仲間だと言ったところで、それだけで長年に渡る差別や偏見が消え去るわけではない。
あいつらもやるじゃねえか、と、思わせなくては、融和などただの夢物語だ。
人々のために戦う姿を見せてこそ、人々もまた彼らのために戦ってくれる。
アルテミシアがとった宣伝政策と、双生児めいた符合をみせるアリーシアの政策だった。
ただ、もちろんそれは、目指すべき着地点が大きく異なる。
改革としての政策と、解放としての政策だからだ。
「ともあれ、これでやっとガゾールトに目を向けることができますわ。ホクト」
「きな臭い噂があるって報告してから二ヶ月だぜ? さすがに噂だけだったんじゃねーのか?」
少年が肩をすくめる。
モンスターの相手をしている間に季節は変わりつつあった。
もう一ヶ月もすれば、種まきのシーズンがやってくる。
軍事行動を起こすには、いささか時期を失しているだろう。
「いいえ。ホクト。むしろここからが本番ですわよ」
やや深刻そうに言った聖賢の姫君が、執務机に両肘をついた。




