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「うぉぉぉぉぉ!!!」
喚声をあげて突進する。
正面から。
破壊衝動の赴くままに、家屋を壊し、家畜を殺し、女を犯している豚鬼どもを見たとき、冷静でいることができなかった。
知っていた。
ここは日本ではない。
平和な世界などではまったくない。
暴力が支配し、弱者が踏みにじられる場所。
だから彼はドバやナナたちとともに起った。虐げられる獣人たちのため。
多くの人を殺した。
覚悟していたつもりだった。
「ふざけんなよっ!!!」
長剣一閃。
オークの首が飛ぶ。
絶叫とともに。
たったいま自分が殺した怪物を、北斗は見てもいなかった。
鋭く踏み込む。
物憂げな陽光を浴び、双竜剣がきらめく。
一閃で一匹。二閃で二匹。
少年の進んだ先にはモンスターの死骸が転がった。
人が人を殺し、モンスターが人間を蹂躙し、人間がモンスターを討伐する。
なんと残酷な世界。
これが正しいありようだというのか。
「だらぁぁぁぁぁっ!!!!」
意味のない雄叫び。
絶倫の技量に名剣が応える。
粗末な防具や掲げた棍棒ごと胴薙ぎして、刃こぼれのひとつもおこさない。
チーズやバターでも切るように、肉を腱を骨を断つ。
「ち。ホクトの野郎。かかりすぎだ」
後続のカイが小さく舌打ちした。
彼らのリーダーは明らかに突出しすぎている。あまりの勇猛さにモンスターどもはパニックを起こしているが、じきに落ち着きを取り戻すだろう。
そうなったら包囲されて袋だたきになるだけだ。
「あいつもしかして今日処女きったのか」
下品な言い回し。
もちろん北斗は男性である。ここでいう処女とは性的な意味ではなく、初めてモンスターを殺した、というほどの意味だ。
それはとりもなおさず、モンスターの蛮行を目撃するのも初めて、ということである。
冷静さを失うのも無理はないが、このままではまずい。
怪物どもの方がずっと数が多いのだ。
首根っこを掴まえてでも後退させなくては。
と、そこまで考えてカイは苦笑した。
どうしてアトルワの幹部の心配をしているのだ。将来的に、間違いなく敵として立ちはだかるであろう魔法使い殺し。ここで大暴れしたあげく死んだとして、ルーンはまったく損をしない。
むしろありがたいくらいだ。
だが、カイは駆け出す足を止めようとはしなかった。
アトルワはルーンの一部だし、そこに巣くうモンスターを退治するのに躊躇う理由はない。そしてこいつらを撃滅するには、北斗の戦闘力は必要になる。
「……俺もまだ青臭い。なんとかして自分の行動に意味を作ろうとするなんてな」
内心で湧き上がった言葉だ。
そんなに複雑な話ではない。
彼は、北斗という若造が気に入ってしまった。
危険な仕事を率先して引き受け、民の苦しみに怒り、自ら剣をとって救いに行く。
死なせるには惜しい男だと思ってしまった。
ただそれだけのこと。
「バカホクト! ひとりで突っ込むんじゃねぇ!!」
怒鳴るカイの横を、身を低くしたナナが追い抜いてゆく。
速い。
全速の冒険者を軽く追い越し、さらに加速する。
まさに疾風。
両手の爪がショートソードのように伸びる。
跳躍からの一転。
北斗の背後に忍び寄っていた小鬼が二匹、まとめて切り裂かれた。
「すまねえナナ!」
「振り向かない。ホクトは前だけ向いて」
礼を言う相棒を叱咤する。
背中合わせになった二人。
死という音符を奏でながら円舞する。
息のあったコンビプレイに、次々と怪物が屠られてゆく。
「後ろのことは気にしなくて良いよ」
「すまねえな!」
「女房だからね」
「相棒じゃないのかよっ」
「どっちでもたいして変わんないでしょ」
「すげーちがうよっ!?」
夫婦漫才の間に追いついたカイたち。
北斗を後退させるという当初目的を変更して突入してゆく。
おもろい夫婦が十匹以上を倒したからだ。
モンスターどもは落ち着くどころか、混乱に拍車がかかっている。
絶好の好機である。
「やっちまいなぁ!!」
『応とも!!』
総崩れに近い状態のモンスター。
ぎらぎらと目を輝かせた冒険者どもが得物を手に襲いかかった。
とてもとても微妙な理由でモンスター討伐の任を受けたライザックは、十日という短期間で編成を終えて王都を進発することとなった。
わりと洒落にならない頻度で、地方領からの救援要請が相次いだからである。
金でも物資でも出すから助けてくれ、というわけだ。
動員されるのは、青の軍。
魔法騎士百名、騎士千名、兵士一万名である。
これはルーン王国軍の四分の一であり、ひとくちにいって大兵力だ。
どのくらいの軍勢かといえば、たとえば新生アトルワの動員限界総兵力が五千程度であるというのが比較として判りやすいだろうか。
「ともあれ、気をつけてね。ライザック。無理だけはしないように」
王宮の前庭。
出陣式に立ち会ったアルテミシアが声をかける。
「にやにや笑いながら言うのでなければ、すごく励みになったと思うぞ。お姫様」
一方のライザックは苦虫をまとめて噛み潰したような顔だ。
一番格好いいから、という理由で選抜されてしまったので、そりゃあご機嫌にはなれないだろう。
「心配はしてないからね。あなたがモンスター程度に負けるはずがないもの」
「それは過信というものだ。いくら俺でもドラゴンだのグリフォンだのには」
「勝つわ」
遮っていうアルテミシア。
「子供の頃、私が憧れた騎士さまだもの。魔王くらいは片手で軽く捻らないと」
「ひどい話だな。その論法だと、俺は誰にも負けられないぞ」
困ったような笑みを浮かべて片膝を付き、敬愛する救世の女王の手の甲に口づけする。
そして、ひらりと愛馬に飛び乗った。
金髪が風になびく。
陽光を照り返すスカイブルーの胸甲。同色の軍旗が翻る。
つめかけた民衆が、ほうと息を呑んだ。
制服の宰相シルヴァが指摘するまでもなく、見栄えのする美丈夫だ。
ルーンの聖騎士の称号は、むしろこの男にこそ相応しい。
「全軍進発! 目標、シトレ侯爵領!!」
良く通る声が冬晴れの空に木霊した。
モンスターどもとの死闘は長時間には及ばなかった。
陣形を組んで戦うような会戦ではない。
略奪と暴行に熱中していたモンスターどもは、完全に混乱から立ち直る暇を与えられずに敗北する。
ただ一匹の逃走も許されず、七十八匹いたオークとゴブリンは文字通り全滅した。
もちろん人間側にも損害は出た。
突撃を敢行した冒険者二十名のうち、死者は三名、重傷者は四名である。
農場関係者はもっとひどい状態で、襲撃当時に農場にいた三十二名のうち、生き残ったのは、わずか六名という惨状だった。
街に急を知らせた一名を合わせれば七名だが、ほぼ皆殺しだったという事実は動かない。
ちなみに生き残った六名はすべて妙齢の女性で、豚鬼に陵辱されていたため殺されずに済んだ。もちろん、それを幸運として喜んだ者は誰もいなかった。
現着した代官たちに負傷者を委ね、北斗は大きく息を吐いた。
救えなかった。
彼らが農場に殴り込んだときには、すでに男たちは殺された後だった。子供たちは食われた後だった。
女たちも、これは救ったとはいえない状態だ。
敗北である。
判っていたことだ。
事が起こってから動いても間に合わない。
「わかっては、いたんだよ……」
呟く。
彼はナナたちを助けることができた。アトルワを解放することができた。アキリウを平定することができた。
慢心だ。
自分が駆けつければ、事態を変えることができるかもしれない、と、心のどこかで思っていた。
「何とか勝ったな。ホクト」
歩み寄ってきたカイが、やや疲れた笑みを見せた。
事実、彼らを含めた冒険者たちは疲労困憊している。
北斗やナナ、カイの三人で、なんと半数近いモンスターを斬ったのだ。
「勝った、のかな?」
「胸を張れや。お前さんはこれ以上の被害が出るのを防いだんだ」
はっとして見上げると、背の高い中年の顔があった。
もし北斗たちが敗北していたら、被害は農場に留まらない。
モンスターたちは欲望のままに、近隣の村を襲い、旅商を襲っただろう。
討伐されるその瞬間まで。
「俺たちはヒーローじゃねえ。すべてを救うなんてできるわけねえんだ。手前の手の届く範囲のことを何とかする。それだって完璧にゃあほど遠い」
「その通りだな」
ぐっと前を向く少年。
胸を張る。
決めたから。
貫くと。
あのとき、ナナの手を取ったときに。
「良いツラになったな。凱旋だ」
「ああ!」
カイがかざした右手に、北斗が勢いよく自分のそれをぶつけた。




