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その女性は美人ではなかった。
むろん美的感覚などは人それぞれだし、明確な基準があるわけでもない。
ただ、アルテミシアに比べて、横幅が倍近くあり、身長が二割近く低く、鉄灰色の髪も艶がなく、瞳は小さく、頬にはそばかすが目立つというだけである。
メイリー・ロウヌ。
騎士階級の子女だが、名門とはほど遠く、数代に渡って小隊長すら輩出していないていどの家柄の出身である。
年齢はアルテミシアよりひとつ上の十八歳。
とうに適齢期に達しているが、浮いた噂のひとつもないらしい。
善良ではあるが才走ったところもなく、美人でもなくスタイルもよくない普通の娘。
というあたりが、メイリーに対する最大限好意的な評価であったろう。
その彼女が、救世の女王アルテミシアに秘書として望まれた。
紹介したのは白の百騎長たるウズベルだ。
騎士というより吟遊詩人のような優男である。
一日、激務にかまけ食事すらまともに取っていないアルテミシアを見かね、その優男はメイリーを連れてきた。
「私の部下の娘でしてね。これといった特技はありませんが、彼女の作るメシはじつに美味い」
史上稀に見るひどい紹介である。
苦笑したアルテミシアであったが、メイリーの持参した軽食を一口食べて絶句した。
凝った料理ではない。
軽く炙ったパンに、香ばしく焼いた鶏肉と野菜をはさんだだけ。
ただ、使われているソースが絶品であった。
甘辛くどっしりとした黒いソースと、少しだけ酸味のある白いソース。
もしこの場に北斗がいたなら、鶏の照り焼きとマヨネーズだと叫んだことだろう。
もちろんアルテミシアにとっては未知の味だ。
無我夢中で食べきった女王は、
「メイリー。あなた、私と結婚しなさい」
という謎の言葉を発した。
ルーンでは同性の結婚は認められていなかったので、この命令は無効であった。
「陛下はお疲れと伺いましたので、栄養価の高い軽食を用意いたしました。健康な人がこんなものを食べ過ぎたら身体を壊してしまいますが」
くすくすとメイリーが笑う。
「あなたは何者? どうやってこんなものを作ったの?」
「黒いソースは、東方のダイズという豆を発酵させて作ったショウユという調味料に着想を得て作りました。白いソースは卵とビネガーを混ぜ合わせて作ったものです」
「東方……」
「コーヴには世界各地の食材が集いますので」
「多少説明を要しますね」
笑いながら、ウズベルが横から口をはさんだ。
このメイリーという娘、生まれついての食い道楽だった。
大国ルーンの王都であるコーヴには、陸から海から世界中の珍味が集まってくる。
ごく幼少の頃から、彼女はそれらを研究して、新しい味覚を生み出している。
料理研究家といったところだろうか。
そうして考案した料理を街の料理屋などに売り、ロウヌ家は一財産を築いた。
「じつは、陛下が普段お召し上がりになっている料理のいくつかは、このメイリーめが発明したものにございます」
「ふええええっ」
とても救世の女王とは思えない感嘆の声を出すアルテミシア。
普段なにげなく使っているものにも、かならずそれを作り出した人間が存在する。
そんな言葉が脳裏をよぎった。
「趣味がこうじて、こんな体型になってしまいましたわ」
笑うメイリー。
ころころと健康的に太い。
「食事というのは、すべての基本なのです。陛下。食べることと寝ること。どんな動物だって、これふたつを疎かにしては長寿を保ちえません。国もまた同じであるとわたくしは愚考いたしますわ」
「それは道理ね」
「ですから、陛下が食事をする暇すら惜しんで政務に精励しているとウズベル卿から聞き及び、無理を言って食事を届けさせていただきました」
「なるほど、心配をかけちゃったみたいね。ウズベル。メイリー」
「もったいないお言葉にございます」
一礼する百騎長と騎士の娘。
明敏な女王である。
このたびのことで食事の大切さを判ってくれるだろうと確信していた。
だから、
「メイリー。私の秘書になりなさい」
という言葉は想像の外側だった。
面食らうふたりにアルテミシアは執務室を示す。
散らかっていた。
とてもとても散らかっていた。
王権を取り戻したときから、散らかり度合いは進化を重ね、いまや応接セットすら四割方が書類に埋もれている。
「見ての通り、私は整理能力がない上に、没頭すると他のことが目に入らなくなるの」
「……ですなぁ」
肩をすくめるウズベル。
長く美しい髪を一本にひっつめ、腕には袖を汚さぬための腕カバー。美しい繊手はインク汚れが染みついている。
女王陛下というより下級官吏のようだ。
しかも、恋より家庭より仕事を優先するようなタイプの。
「ですが陛下。メイリーは政治のことなど、とんと判りませんよ」
「わかってるわよ。だから、私の私生活面を支えてちょうだい。具体的には掃除と料理と体調管理」
それは秘書というカテゴリで良いのだろうか。
むしろ家政婦とか、メイドとか、そっち方面のような気がする。
そう思ったが、ウズベルは口にしなかった。
アルテミシアは文字通りルーンの要である。
彼女が風邪を引くと、国全体がくしゃみをしてしまうのだ。
「そういうことでしたら、つつしんでお受けいたしますわ。陛下。王宮の食材、腕が鳴ります」
「いっとくけど、無限に予算があるわけじゃないからね? メイリー。お願いだから食費で国を傾けないでよ?」
「残念ですわ……」
「や、そこで残念がられても」
笑い合う妙齢の女性たち。
なかなか良いコンビだ。
同性同世代の友人がいないアルテミシアにとって、メイリーは癒しになるかもしれない。
そんなことを考え、軽く頷く白の百騎長だった。
ガゾールト伯爵領は、旧バドスの南側にある。
広さは新生アトルワ全域と同じくらい。
兵力はアキリウ子爵軍の五割増といったところだろうか。
現在のアトルワにとって、戦えない相手ではない。
総兵力ではやや劣るものの、アトルワには獣人部隊もいるし、エルフ隊もいる。それになりより、魔法使い殺しという切り札もあるのだから。
だからこそ、むしろ戦いたくないのはガゾールトの方だろう。
「と、姫さんが言ってた」
相棒の長い髪を結ってやりながら、北斗が説明する。
二人はまだタイモールを発っていない。
民たちの話を聞くという仕事が残っているし、何の目的もなくガゾールト領に入っても意味がないからである。
アトルワの密偵がうろうろして、かえって開戦を決意させる結果になってしまったら目も当てられない。
「よし。こんな感じかな」
「おおー けっこういいかもー」
北斗は女性のヘアアレンジなど判らないが、さすがに三つ編みくらいはできる。
アトルワに手紙を送ってアリーシアの指示を仰ぐあいだ、なぜかナナの髪をいじることになった。
凝ったものではない。
いわゆるおさげのように、うしろ一本でまとめただけである。
「これを鞭のようにして、ホクトを叩く?」
「謎すぎる」
どうして昨夜叩かなかったからといって、自分が叩かれなくてはならないのか。
「まあとにかく、姫さんの指示が来るまで仕事と温泉だな」
「なんでそんなに毎日温泉入りたいの? わたしもう飽きたよ?」
「日本人は、毎日風呂に入りたいんだよ」
そのあたりは文化の違いというヤツなのでしかたがない。
一日の仕事が終わったら、風呂でさっぱり。
なかなか理解されないようだ。
と、扉がノックされ、知った顔が覗く。
「ホクト、ナナ。まだここにいたか」
カイである。
どういうわけか、同じ宿屋に滞在している。
「どうした?」
「モンスターが出た」
やや緊張を含んだ声。
ルーンナイトの後継者と獣神キリの末裔が顔を見合わせた。




