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冬は戦争の季節。
収穫期が終わり、翌年の種まき時期までが、農民たちをもっとも徴兵しやすいからだ。
ただ、ルーン王国にしてもアトルワ陣営にしても、軍事行動を起こす余裕がない。
当たり前の話だが、好きこのんで戦争をする為政者など存在するはずもなく、余力もないのに戦端を開くことはできないのである。
この冬はどちらも内政に専念する。
一度の言葉も一通の書簡も交わした事のないアルテミシアとアリーシアの、暗黙の了解だ。
むろん、矛を交えないからといって、放置しているわけではない。
さかんな情報戦と読み合いがおこなわれる。
ましてルーンとアトルワの間に外交チャンネルは存在しないから、互いに相手が見えない状態での化かし合いだ。
一手どころか、五手先六手先を読み、謀略の糸を操る。
戦いたくないのはアリーシアもアルテミシアも同じ。
だが同時に、いつかは雌雄を決しなくてはならないことを充分に承知している。
だからこそ、いつかくる決戦のときに備えて、少しでも有利なポジションを占めようとするのだ。
軍事力だけに留まらず、民からの人気などもそのひとつである。
現在、ルーン王国は多くのルーン人の支持を集めることに成功している。しかしその結果として、獣人や亜人、あるいは奴隷といった被差別階級を切り捨てることとなった。
それらの支持はアトルワに集中しているが、もちろん救世の女王としては承知の上である。
非常にどぎつい言い方になるが、ルーンを支えるのは奴隷階級でなく、中産階級。
「日本でいうところの中流世帯ってやつさ。こいつが一番数が多いんだ」
街道を歩みながら北斗が説明する。
相手はもちろんナナだ。
女王の宣言以来、キャットピープルの少女は状況の急変になかなか付いていくことができず、けっこうフラストレーションを溜めている。
謀略戦など、ソードダンサーの得意分野ではないのだ。
北斗としては、相棒がストレスで暴発しないようけっこう気を使わなくてはならない。
毎晩のように変な遊びに付き合わされたくないから。
こうして巡察に出るのも、もちろん仕事ではあるがナナの気分転換を兼ねていたりする。
「つまりルーンは、わたしたちはいらないってこと?」
「いらないと思わせることで、国民を団結させたってとこだな」
「ふーん」
「国でも組織でもいいんだけどな。団結するにゃあ目標があった方がいいのさ。で、一番判りやすい目標が、敵ってやつだ」
「敵だと戦争になるんじゃない?」
「そこが女王の怖ろしいとこだなぁ。戦にはならないぎりぎりのラインを突いてくる」
肩をすくめながら女王の所信表明演説を思い出す。
救世の女王は、べつに獣人や亜人を排斥しようとは言っていないのだ。
奴隷はいらない、などとも言っていないのだ。
ただルーン人たちに、ルーン人としての誇りを持てと促しただけ。
「いずれ排斥運動は起きる。けどそれは今じゃない。俺たちはそれに備えておかないといけないってことさ」
「だいぶ判りやすくはなったけど、具体的には何をしたらいいの?」
「俺たちの仕事は、民の声を聞いてそれを姫さんに届けること。判断は姫さんやドバの仕事だぜ」
「つまり?」
「タイモールの温泉でのんびりしたい」
という名目で、旧バドス男爵領にある保養地の巡察である。
「本音とタテマエが逆になってるよ。ホクト」
くすくすとナナが笑う。
「しまった。姫さんには内緒にしてくれよ」
何が哀しくて、
「温泉に浸かってんだろうね。俺は」
イスカが呟いた。
どっぷりと肩までお湯につかり、両手両足をでろーんと伸ばしている。
とてもではないが、冒険者あがりの平民から成り上がった黒の百騎長には見えない。
もちろんそれで正解。
保養地タイモールを訪れるに際して、イスカは本名など名乗っていない。
旅の冒険者カイ。
孤剣を携えた一匹狼の剣士、という事になっている。
旧バドス男爵領に隊長自らが潜入というのもすごい話だが、やはり敵地を一度は自分の目で見ておきたかった。
奴隷解放、万民平等を謳うアトルワの空気を味わってみたかった。
もちろん、イスカの目的はそれだけではない。
アトルワにとって新しい領地である旧バドス領に楔を打ち込む。
対等合併などといったところで、バドスの人々にとってみれば、吸収されたのと同じこと。
面白い道理がない。
騒動の種でも仕込んで、隣接するガゾールト伯爵領が攻めやすい状況でも演出してやろうと思っていた。
「んだがなぁ」
なんとまあ、旧バドスの人間たちは、ふつうに太平を楽しんでいやがった。
タイモールも街並みは清潔で、行き交う子供たちにも笑顔が絶えない。
聖賢の姫君の威光が、隅々まで届いている証拠である。
「そうなると気が気でないのはガゾールト伯爵ってわけだ」
手拭いで顔をふきながらひとりごちる。
ガゾールトという人物は、べつに悪逆無道というわけではない。とりたてて可もなく不可もなく、ごく普通の王国貴族だ。
ただ、比べられる対象が悪すぎる。
聖賢の姫君に救世の女王。
彼女らを政策面で超えないと、悪評に晒されてしまうだろう。
まともに考えたらやっていられない。
「俺だったら、とっとと領主の座なんて捨てるね」
この時期に領主などやらなくてはならない不運を嘆きながら、王国に領地を返上し、年金でももらって王都でのんびりと過ごす。
覇気のないことではあるが、ルーンとアトルワの挟まれて神経をすり減らすよりはよほど良い。
「まー それができないのが貴族の貴族たる所以だろうがね」
平民の冒険者出身であるイスカには実感がないが、貴族という階級にはつねに責任がついてまわるのだ。領地持ちともなればなおのこと。領民の生活や財産を守らなくてはならない。
そのための軍事力であるし、そのための税である。
威張り散らしたくて貴族をやっている連中など、ごくごく少数だ。
借金をしてでも領民を守る、という貴族の方がずっと多いのである。
「で、貴族の帰属意識は、だんだん王国ではなく自分の領地へと向かっていく、と」
王都を発つ前、ライザックからレクチャーされたことを反芻する。
ルーン三百年の歴史の中で貴族の意識は変わっていった。
当初は王国を支え、王国のために、国王の代理人として領地を治めていた彼らだが、最優先は国ではなく自領になってゆく。
珍しい心理ではない。
たとえば日本だって、日本人であるという意識のもとに生活している者がどれほどいるだろうか。
江戸っ子とか道産子とかいうように、やはり最優先の帰属意識というのは自分の暮らしている土地になるのだ。
「その意味じゃあ、バドスとアキリウが簡単に併呑されちまったのは意外なんだよな……」
バドス男爵やアキリウ子爵が、生きたまま降ったという事情はあるにせよ。
それだけの人間的魅力が聖賢の姫君にあるということなのか。
だとすれば、アルテミシア女王にとって、最終的に立ちはだかるのは大貴族どもではない。
「解放者と改革者の戦いになるのか……」
それはあまりにも救いがないのではないか。
理想を掲げ、民を思い、民に愛されるふたり。
両雄並び立たず、となるのか。
融和の道を探れるのか。
目を閉じ、無作為な思考の海へと沈んでゆくイスカ。
お湯が気持ちいい。
「その湯衣薄すぎないか? 濡れたら透けそうだぞ?」
「ばっかホクト。それがいいんじゃない」
「どれが良いのかがさっぱりわかんねぇよ。俺には」
「ちらちら見られたい。じろじろ見られたい」
「さいですか……」
お馬鹿な会話が耳道に滑り込む。恋人だろうか。
死ね、とか思いながらイスカが薄目を開けた。
次の瞬間。
ざぶりと潜水する。
まったく意味のない、まるで馬鹿みたいな行動であった。あとマナー違反である。
そもそもこの状況で湯舟に潜ってどうするというのか。
まあ、百戦錬磨の黒の百騎長だって混乱することがある、というところである。
「がぼがぼ……」
お湯の中で呟く。
恋人たちは、王都に潜入していた密偵であった。




