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コーヴから逃げ帰ってきた北斗たちを迎え、アトルワでは緊急の対策会議が開かれることとなった。
完全に先手を取られた。
これだったら、攻め込まれた方がまだマシである。
「どんなケンカだって、先に手を出した方が悪役になるって相場が決まってるからな」
席上、北斗が嘆く。
彼らがアトルワ男爵軍と戦ったときもそうだった、アキリウ子爵軍と戦ったときもそうだった。
自衛のための戦いだからこそ団結できたし、勝利をもぎ取ることができた。
流血が正当化されるとまではさすがにいわないが。
「……妾たちは先手を取られ、いまのところ取られっぱなしということですわね」
アリーシアが右手の指先を秀麗な頬に当てる。
ルーン王国の取った手は、まさに意表を突いたものだ。
誰もかもが驚き、その効果に慄然となる。
先見の明を持つものならなおさらだ。
ドバもシズリスも、報告を受けて黙り込んだほどである。
「ですが、そこに引っかかりを感じますわ」
テーブルに置かれた左手。
音もなく指がタップする。
聖賢の姫君の思考をトレースするように。
「意表を突く必要が、あったのかしら?」
やがて、桜色の唇が言葉を紡ぎ出した。
「軍事力を用いずに、私たちを封じ込むことができる」
応えるのはドバだ。
それは検算にも似て。
「軍事力を用いない理由とは?」
「ないね。普通に考えて」
アトルワの支配域はわずか三州。
本来ならこのような搦め手は必要ない。救世の女王は国の立て直しを謳ったが、そんなものはアトルワを滅ぼしてからだって着手できる。
しかもたいして手間になることでもない。
ルーンが誇る四つの軍団。
そのうちひとつを討伐に向かわせるだけで一定の効果は得られるのだから。
だが女王はそれを選択しなかった。
何故か。
理由はひとつしかない。
アトルワ方面に兵力を割く余裕がないのだ。
軍事力の行使以外でも、たとえば明確な経済制裁など加える余力がない。
「おそらく、ルーンはいま、足元を固めるだけで精一杯なのですわ」
アリーシアの読み。
それは、遠く離れたアルテミシアの思惑を正確に射抜く。
王国が策を弄した理由は、策を弄するしか方法がなかったのだと。
北斗、シズリス、ニア、セラフィン、ドバが一様に頷いた。
これあるかな聖賢の姫君、と。
「そういうことなら話は難しくないな。王国が動けない間に、俺たちは俺たちの政策を進めてしまえばいい」
不敵に笑うルーンナイトの後継者。
地盤固めを、すでにアトルワは終えている。
内政の充実という一点において、ルーンを一歩も二歩もリードしているのだ。
長期に渡って戦の可能性がないなら、いまこそが躍進の好機である。
「おそらくコーヴでは、獣人や亜人の排斥が始まるだろう。明言はしていないが、女王の演説は国粋主義を煽るものだったからな」
冷静な声でセラフィンが告げた。
「それがきっと、妾たちに対する嫌がらせの策ですわ」
アリーシアが軽く頷く。
行き場を失った獣人や亜人が大量にアトルワに流れ込む。
金もなく職もなく、生きる場所を奪われた連中だ。
新天地を求めて、といえば聞こえは良いが、現実はそうではない。
アトルワに来るのは、他に行く場所がないから。
希望に燃えてではない。むしろアトルワを憎んですらいるかもしれない。
アトルワが起たなければ、王都から彼らが逐われることも無かっただろうから。
もちろんそれは大きな間違いだ。アトルワのことがなくとも、救世の女王がルーンの立て直しを図る過程で、獣人や亜人を排斥する動きにはなるだろう。
しかし、いかにもアトルワに責任があるかのように情報が操作されること、万に一つも疑いない。
「妾たちを褒めつつ、扱いやすい敵として設定しようという腹でしょうからね」
流れ込んでくるのは、食い詰め者で、しかもアトルワに好意的でないときている。
なかなかに心楽しい未来図だ。
トラブルが一個連隊で押しかけてくるようなものである。
「どうするよ。姫さん」
「狙いが判っているのですから。逆手に取らせてもらいますわ」
「というと?」
「布告を打ちます。我がアトルワは、差別されている獣人や亜人を積極的に受け入れる、と」
花がほころぶように笑うアリーシアであった。
「なかなかやる!」
アトルワが放った宣言は、数日の時差をおいてコーヴに届いた。
内容を知って、アルテミシアが発した第一声がそれである。
亜人の排斥は起きる。それは既定の事実だ。
ではそれがいつ起きるのか、という点について、聖賢の姫君は仕掛けてきた。
救世の女王が設定した時期は、減税によって社会が活力を取り戻し、商家が積極的に人間を雇い入れることが可能になってから、というものであった。
いまの人間が余っているという状況から、獣人や亜人が余っているという状況に、ごく自然のうちに移行させる。
アトルワの策は、それよりずっと手前。
この時点で被差別階級に逃げ道を用意するというもの。
まだ商家も貴族も、奴隷を手放せない。
減税の恩恵が波及していないから。
ここで奴隷たちが次々と逃亡してしまったら、ルーンの経済そのものがまわらなくなる。
たとえていうなら、スタート直後の足元にロープを張られたようなものだ。
「聖賢なんていうから理想主義者なのかと思ったけど。どうしてどうして、厳しいところを突いてくるじゃない」
あるいは、よほど優秀なブレーンに恵まれているか。
「シルヴァ」
「は」
国務大臣シルヴァに視線を向ける。
政治面における補佐役だ。
庶民たちにつけられたあだ名は制服の宰相。位人臣を極めているのに、いまだ下級官吏の官服をまとっているゆえである。
内閣の首班があまりにみすぼらしいのでは国威に関わる、という声もあったが、本人も女王も一笑に付した。
官服はべつにみすぼらしくない。ルーン王国が定めた堂々たる制服だ。
大臣になったから豪華な絹服を着なくてはならない、などという法はどこにもないのである。
武官の軍服と同様、文官は官服をまとう。
べつに何の不都合もない。
このあたりに、名より実を取るアルテミシアの政策が良く出ている。
「対抗情報戦を開始して」
「御意。ネタはどうしましょうか」
「獣人、亜人を集めて、戦争準備をしているとか。そのへんで良いわ」
「えげつないですなぁ。アトルワ周辺の貴族が食いつく可能性がありますよ。それ」
「さしあたりはそれが狙いよ」
くすくすと笑うアルテミシア。
アトルワが戦の準備を整えつつある。
そんな噂が流れたら、まず戦々恐々となるのは周辺の貴族領だ。
彼らは、アトルワの攻撃を最初に受ける立場だから。
釣られるように迎撃準備を始めるだろう。
戦争というのは金がかかる。もちろん準備段階から。
つまり、アトルワ周辺にちょっとした特需が起きるわけだ。
「準備だけで終わっても、お金が動けば経済が回りますからね」
実際に武力衝突まで発展しなくても、人、物、金が動けばそこに経済のサイクルが生まれる。
それは貴族連中に貯め込んだ財貨を吐き出させる、という政策にも一致している。
仮に武力衝突となった場合は、それはそれで地方貴族の力を削ぐことができるだろう。
「いま時点でアトルワが負けちゃうと、じつは困るから、そのあたりが苦労のしどころかしら」
「ですな。彼らは王国を脅かさない程度の敵として、それなりに力をつけてもらうのが最も効率的です」
制服の宰相は簡単に言っているが、そのコントロールはかなり難しい。
アトルワにもアトルワの思惑があり、それに基づいて動いているのだから。
「黒をお借りしてよろしいですか?」
百騎長イスカの就任により、黒の軍は情報工作に秀でるようになった。
市井の冒険者などを多く登用し、戦闘以外の特技をもつ多彩な技能集団になりつつある。
「あ。悪いこと考えてる悪い顔だわ」
「そりゃあ、私は陛下の忠臣ですからね」
主君と部下が笑い合う。




