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異世界論破! ~魔法も奇跡も認めませんっ~  作者: 南野 雪花
第5章 ~解放者と改革者~
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「……やられたっ」

 呟いた北斗が街路樹に軽く拳をぶつけた。

 悔しげな表情と声。

 無念の(ほぞ)を噛むとは、まさにこのことである。

 コーヴ滞在三日目。

 女王アルテミシアの演説があると聞いて、王宮近くまで足を運んだが、結果は惨憺(さんたん)たるありさまだった。

 ルーン王国からの攻勢がない。

 とんでもない誤りだ。

 攻勢も攻勢、大攻勢を受けた。

 一兵を用いることすらせずに。

「ホクト。なかなかに厳しい事態になったな」

 ぽんと少年の肩に手を置くセラフィン。

 秀麗な顔には、やはり苦渋が滲み出ている。

 リキとナナが不安そうに見つめた。

「ともあれ、移動しようか。ここで暗い顔を並べているのは目立ちすぎる」

 エルフの美女が仲間たちを促し、王宮前の広場からそそくさと立ち去った。

 状況の説明は歩きながらでもできるから。

「完全にしてやられたな」

「なにが? 女王はアリーシアのこと褒めてたじゃん」

 ため息を吐くセラフィンに、やはり小首をかしげるのはナナである。

 言葉だけ捉えれば、まさにその通り。

 女王は、アトルワの行動を咎めるようなことをいっさい口にしなかった。

 むしろ崇高な理想だと褒め称えた。

「でもな、許すとも認めるとも言ってないんだよ。それこそただの一言もな」

 早足で歩く北斗が口を開き、仲間たちがアルテミシアの言葉を反芻する。

 崇高な理想だと言った。

 だが女王は、自分たちはその路線を取らないと明言した。

 生活の方が、現実の方が大切だと。

「あれ……ちょっとまてよ? それって……」

 何か心づいたのか、リキが右手を下顎にあてる。

「くそっ! そういうことか!」

「ああ。そういうことだ。女王の言葉は、私たち亜人や獣人の救済は、甘っちょろい理想主義だと切り捨てるものなのだよ。リキ」

 セラフィンが苦笑する。

 まさに苦い笑いだ。

 そんなことより現実に目を向けろ、と。

 亜人や獣人の救済などいう理想を掲げるのは良いが、国民の生活の方がずっと大切なのだ、と。

 アトルワの正義を否定するのではない。

 称揚することで、子供の駄々と同じであるという印象を与えた。

 すり替えである。

「女王は、なにひとつ明言していないんだよ。減税以外な。ルーンという国のありようを変えるとは言ってない、魔法使いの支配をやめるとも言ってない、獣人や亜人に対する差別をなくすとも言ってない、奴隷制度を廃止するとも言ってないんだ。なのに民衆の心はがっちり掴んだ」

 吐き捨て、罪もない地面を蹴りつける北斗。

 最初に減税というインパクトの強いエサを与える。

 そして、経済を回す具体的な方針を示す。

 最後に自分たちは現実を見ているという印象を植え付ける。

 これでは、アトルワは現実を見ることのできない夢想家の集団だと思われてしまう。

「それって最悪じゃない」

 やや声を高めるナナ。

 現実問題として、獣人も亜人も激しい差別に晒されている。

 救済は理想とか夢想とか、それ以前の問題だ。

「目をそらされた。見るが良いナナよ。あそこで快哉を叫んでいる連中のほとんどは、支配され、抑圧される平民階級だ」

 ちらりとセラフィンが振り返る。

 魔法使いたちに支配され、搾取されている平民たちが、魔法使いの王を称えて声を上げている。

 なんという矛盾(パラドックス)か。

「あの弁舌。危機(ピンチ)好機(チャンス)に変える知謀。たしかにオリーの子孫だな。むしろあのペテン師以上かもしれん」

「感心してばかりもいられねぇ。こうなった以上、コーヴに留まり続ける意味もないし、すぐにアトルワに戻って善後策を練らねえと」

 総括するように北斗が言い、仲間たちが頷いた。




「密偵どもはコーヴから退去したようだ。お姫様」

「決断が早い。なかなかやるわね」

 ライザックからの報告を受け、アルテミシアが微笑した。

 演説の翌日である。

 アトルワからの旅人たちは、女王の演説を聴いたその足で王都を後にしたらしい。

 事態の変化に即応する行動は、なかなかのものだ。

 コーヴに留まって状況を見守るというのは、この場合意味がない。

 むしろ時間をかければかけるほど、アトルワの立場は弱くなってゆく。現時点での最適解は、一刻も早く情報を持ち帰り、次の手を決めることだ。

 このままでは殴られっぱなし。

 なにか効果的な反論をしないと、正義すら主張できなくなる。

「聖賢の姫君には、ものの見える部下がいるみたいね。羨ましいわ。うちで引き抜けないかしら」

「そこまで読んでいるなら、逃がさない方が良かったのではないか?」

 苦笑するライザック。

 アトルワの密偵たちには、当然のように監視が付いている。

 一命あれば、すぐにでも捕縛に動ける体制で。

 アルテミシアは泳がせると言ったが、それは監視もしない手も出さないというのと同義ではない。

「いいのよ。彼らには、せいぜい派手に危機を触れ回ってもらった方が、結果としてこっちの利益になるんだから」

 愉快そうに笑い、カップを手に取るアルテミシア。

 相変わらず象牙の塔のように書類束が乱立する執務机である。

「敵の存在によって組織は団結する、か?」

「より正確には、コントロール可能な敵の存在ね」

「相変わらずおそろしいお姫様だ」

 ライザックもカップを持ったまま、器用に肩をすくめてみせた。

 貴族領が全部で百州ほど、王国直轄領が百州ほど、というのがこの国の内訳である。

 このうちアトルワの勢力は三州。

 ルーン全体からみれば、二百分の三に過ぎない。

 まともに戦った場合、勝敗の行方など論じる価値すらないだろう。

 なのに戦を仕掛けないのは、アルテミシアにとってアトルワというのはコントロール可能な敵だからだ。

 思想の上でも、戦力の上でも。

「人聞きが悪いわね。ライザック。私はそこまで悪辣じゃないわよ。彼らの理想は尊いと思っているもの」

「よく言う」

「本音だって。それに、アトルワにだけかまってる余裕はないのよ」

 どこまで本当か判らない笑みを浮かべたままの言葉。

 救世の女王(セイビアクイーン)としては、地方領の動乱にばかり心を割いてもいられない。

 彼女に反発する大貴族だってまだまだたくさんいるし、財政改革だって始まったばかりだ。

 ついでに、彼女の補佐をしてくれる秘書もまだ決まっていない。

「足元を固めましょ。来週のご飯の心配をするより、まずは今日の晩ご飯の準備をしないと」

「まあ、来週になれば、状況が動いているだろうしな」

 にやりと笑うライザック。

 ぼかした会話。

 来週というのは、そのまま何日か先という意味ではない。

 もっとずっと長いスパンの話だ。

 遠からず、王都に住まう獣人や亜人は行き場を失う。

 彼らは非常に安く使える労働力であるが、これまで通り使うことはできない。

 女王がお願い(・・・)しているからだ。

 ルーンの人間を雇って欲しい、と。

 ここはルーンなのだから、ルーン人で経済を回して欲しい、と。

 経営者としては賃金の高いルーン人を雇用するより、奴隷を使った方が安上がりだが、王が減税という譲歩までしているのである。

 これに応えなくては世論が許さないだろう。

 もちろんそうなるように、様々な政治宣伝がおこなわれる。

 そうやって失業問題に片が付けば、いままで使われていた奴隷階級は必要なくなってゆく。

 行き場を失った彼らはどうするか。

 人間の奴隷には、普通の労働者として身を立てる道が用意される予定である。

 ではそれ以外は?

「アトルワは膨張していくだろうな。量的に」

「質的には、どうかしらねぇ」

 行き場を失い、大量の獣人や亜人が流れ込むだろう。

 それは聖賢の姫君(セージプリンセス)の理想を、変質させてゆく。

 現実への対処に追われることになるだろう。

「ま、私ばっかり苦労するのも不公平だからね。アリーシア姫にも苦労してもらいましょ」

 くすくすと笑うアルテミシア。

 もう一度、青の百騎長が肩をすくめた。


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