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コーヴに存在する冒険者同業組合は六つ。
そのうちのひとつを、北斗たちは訪れていた。
受付で係員に紹介状を手渡し、責任者に取り次いでもらう。
こういう事務手続きは、田舎だろうと都会だろうと変わらない。
一階のホールで待たされること暫し。
身なりのしっかりとした壮年の男性が近づいてくる。
「情報を買いたいとのことだったが」
挨拶もなしに、いきなり本題だ。
歓迎されていないのか、無駄を嫌う為人なのか、にわかには判断が付かない。
「ここ一、二ヶ月のコーヴの動向。できるだけ詳細に」
気にした風もなくリキが要望を伝える。
もともと冒険者なので、北斗よりもずっとこういう場での折衝になれているのだ。
「五日後。またここに来い。代金はそのときで良い」
「判った」
ひとつ頷き、報酬額などの細かい条件を詰めてゆく。
長時間にはおよばない。
そんな交渉で大丈夫なのか、と、北斗などは不安を感じたほどだ。
男が奥へと引っ込み、リキが仲間たちを促して外へ出る。
「さってと、逃げる算段でもしますかね」
笑ってみせる巡察副使。
「なにいって……」
「歩きながら話すさ」
疑問を浮かべる北斗の肩を叩く。
ギルドの男は、彼らに警告を与えたのである。
書簡をしたためたルマへの義理立てとして。
「そうなのか?」
「そりゃそうさ。だいたいホクト、たった五日でどんな情報が集められるってんだよ」
「なぁる……」
裏の取れない情報は酒場で流れる噂話と変わらない。そんなものに値段が付くはずがないので、ギルドで売り買いされる情報というのは、それなりの根拠や確実性がある。
で、それを五日やそこらで集められるか、という話だ。
訪れたギルドがどれほどの組織力を持っているか判らないが、噂を集め、スクリーニングし、前後矛盾する情報をはじき出し、整合性を合わせてゆく。
その作業だけでけっこうな時間がかかる。
「じゃあ、あいつが切った五日の期限ってなに?」
小首をかしげるのはナナだ。
ギルドの男は、五日後にまた来い的なことを言っていた。
情報を集められないのに呼びつけてどうするつもりなのか。
「どうするって訊かれたら、捕まえるって回答になるだろうな」
苦笑しながらリキが話を続ける。
また来い、というのは、来たら捕縛するのでもうくるなという意味である。
五日という期限は、その間は軍への通報はおこなわない、という意味だ。
そしてあの言葉自体が、冒険者ギルドのアリバイ作りでもある。
ルーン軍に問い質されたとき、情報をネタに呼び出して捕縛するつもりだった、と主張するための。
「つまり?」
「アトルワの密偵がコーヴに入っていることは、すでにルーン軍に掴まれている。なんとか五日くらいは稼いでやるから、とっとと逃げろ。ってのがあの男が喋ってたことの裏の意味だよ」
「判りづらいよっ」
きしゃーと怒るナナ。
とはいえ、判りやすかったら隠語にならない。
冒険者ギルドに限らず、どんな同業組合だって国家権力には逆らえない。吹けば飛ぶような存在だ。
国家の力というのは、けっして侮れるようなものではないのである。
その中で、彼は最大限の便宜を計らってくれた。
せっかくもらった厚意を活かして、さっさと逃げ出してしまおうとリキは主張する。
到着してから丸一日も経過していないが、こちらの正体がバレた状態での逗留は危険すぎる。
だが、北斗は首を振った。
「五日も時間があるなら、今逃げる必要なんかないさ。四日で情報を集めて一日で逃げようぜ」
にやりと笑ってみせる。
身の安全を図ることは大切だが、ここまできて一本の麦も収穫できないというのは、いささか情けなさすぎる。
ギルドで情報を買うという、最も確実な方法は封じられてしまったが、この際は酒場の噂話程度のものでも持ち帰ろう。
玉石混淆でもないよりはマシ。
とにかく数を集めれば、アリーシアやシズリスの戦略決定の一助となるだろう。
「あいかわらず肝の太いことだな。ホクト。のんびりやっている間に、包囲の鉄環は狭まっているかもしれないぞ」
セラフィンがからかう。
敵地において孤立した四人。
しかも正体が知れている。
普通であれば、一刻も早く逃げ出したいところだろう。
「捕縛するつもりなら、コーヴに入った時点で捕まえてるだろうよ。ここまで何もなかったってことは、泳がせるつもりなのかもしれねえ。過大な期待は禁物だけどな」
「その割り切りを、肝が太いといっているのだがな」
黒髪の少年の言い分に、エルフの姫君がはっきりと苦笑を浮かべた。
アルテミシアは、むろん北斗の心情を知る立場にはない。
仮に知ったとしても、眉すら動かさなかっただろう。
彼女にとって、黒髪の魔法使い殺しという存在は未だ小さい。
北方辺境地域の動乱で、女王に名なり異称なりを記憶してもらっているのは、聖賢の姫君ことアリーシアくらいのもので、他の面々は残念ながらその他大勢という扱いである。
「かくいう私も通称とかないから、彼らに記憶されているとは思えないんだけどね」
くすくすと笑うアルテミシア。
「自国の王を通称で憶える人間は、ちょっと稀だと思いますよ。陛下」
呆れ顔で書類を差し出すのは国務大臣のシルヴァだ。
大臣になったのに、まとっているのは相変わらず下級官吏の官服である。
べつに閣僚に服装規定があるわけではないので、アルテミシアも咎めない。
絹の服などで着飾るより、機能性重視の官服の方が好ましいくらいである。
今後のルーンにとっても。
「文武百官、前庭に顔を揃えております」
「わかったわ」
執務机から立ちあがるアルテミシア。
在位五年を数える彼女か就任演説、というのも奇妙な話だが、女王の所信を表明しておくことも必要だろう、と四翼から提案があったのだ。
いまさら感はあるものの女王は了承した。
彼女の意志を語る機会というのは、多いほど良い。
ただ、この時期にぶつけたのは、せっかくだからアトルワの密偵たちにも聞かせてやろうという悪戯心である。
そのため王宮の前庭を開放し、一般人の入来も許した。
もちろん、警護の兵は必要充分なだけ配置されているし、そのあたりの指揮を執った青の百騎長ライザックの手腕を、アルテミシアは露ほども疑っていない。
やがて、女王の姿がバルコニーに現れると、前庭は歓声に包まれた。
軽く手を振って応える若き君主。
ゆっくりと臣民たちを見まわしてゆく。
自らの意志で彼らの前に立つのは久しぶりだ、と、奇妙な感慨を抱きながら。
「ルーンの民よ。我が民たちよ。予は諸君に詫びねばならない」
アルテミシアの言葉は、謝罪から始まった。
幾代にも渡って、大貴族と一部の高級官僚たちに国政を壟断されていたことを。
それによって民の生活は逼迫し、多くの者が路頭に迷ったことを。
失業率の増加、景気の低迷、世情の不安を招いていたことを。
王が王として君臨してこなかったから。
民草の暮らしに目を向けてこなかったから。
「だが諸君。今日を境にルーンは変わる。この予が変える。まずは予からの詫びとして、むこう五年間、租税を無条件で三割軽減する」
あからさまな人気取りだと思った者も多かったろう。
しかし、アルテミシアの言葉はまだ終わらない。
「これで諸君らは少しらくになると思う。その上で、少しだけ予の頼みを聞いてはもらえぬだろうか。商家の諸君、その浮いた金でルーンの人間を雇用してはくれまいか。国民諸君、その浮いた金でルーンの人間が作った品物を買ってはくれまいか」
一度、言葉を切って民衆を見渡す。
理解が広がり、歓声が爆発した。
女王は言っているのである。ルーンの民のことを最優先で考えてくれ、と。
内需の拡大。
それこそが民の生活を安定させるもの。
「今、北部辺境地帯では獣人や亜人の解放を謳って動乱が起きていると聞く。主導しているのは聖賢の姫君と呼ばれる人だそうだ。立派な志だ。尊い志だ。だが、予はそれに倣うことはできぬ。なぜなら」
話題の転換に静まりかえる民衆。
睥睨しながらアルテミシアが続けた。
「なぜなら、予は獣人の王でも亜人の王でもなく、諸君らルーンの民の王だからだ。予にとって民とは、諸君らのことだからだ」
一瞬の後、歓声は大爆発した。
女王は、ルーンの民のために政治を執り行う。
諸外国のためではない。
獣人や亜人のためでもない。
「ルーンの民よ。我が民よ。もう一度この国を蘇らせよう。予に力を貸してくれ!」
高々と右手を振り上げるアルテミシア。
詰めかけた民も、兵も、騎士も、役人も、腕を振り上げる。
『ルーン王国ばんざい!!』
『救世の女王アルテミシアに栄光あれっ!!!』
北部で理想を掲げる聖賢の姫君アリーシア。
それに対するアルテミシアの異称は、このときに奉られた。
救世の女王。
理想ではなく、夢ではなく、人を救う王として。




