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北斗たちの入った宿は、格式が高くも低くもない一般的な酒場兼宿屋である。
無難な選択だ。
わざわざ安宿に泊まるのは自らトラブルを呼び込むようなものだし、上流階級しかいないような宿では市井の情報は得られない。
「そもそも高級店なんて、わたしたち入れてもらえないしね」
旅装を解きながらナナが笑う。
彼女のような獣人やセラフィンような亜人は、あまり格式張った場所では歓迎されない。
部屋を貸してくれる宿というのは、当然のように限定されるのだ。
「しかし、さすがはコーヴだ。数こそ少ないがいるな」
鬱陶しそうにローブを脱ぐセラフィン。
解放された長い耳がぴくぴくと動く。
エルフでござい、キャットピープルでござい、とわざわざ触れ回るような話ではないので、二人は基本的にフードの付いたローブをまとっている。
普段はフードで耳を隠している感じだ。
ただまあ、これは彼女らだけに限った話ではなく、旅をする女性は顔をさらさない。
女性であると知れて得をすることなど、まったくないからだ。
「良く気付いたな。俺はまったく判らなかった」
北斗が肩をすくめる。
セラフィンがいるといったのは、獣人や亜人のことだ。
多くは奴隷だろうが、彼女の優れた視力は幾人かの存在を確認している。
「同胞が虐待されてたからって助けようとしねぇでくれよ。セラ姐さん」
念のため釘を刺しておくリキ。
非情なようだが、こればかりは仕方がない。
敵地なのだ。
無用なトラブルは避けなくてはいけないし、仮に助けたとしても、アトルワまで連れて逃げる算段が立たない。
「判っている。どうしてリキは私を子供扱いするのだ。こう見えて、お前より五百歳近く年長なのだぞ」
「それは知ってるけど、どうも姐さんは危なっかしくてなぁ」
リキが北斗を見た。
同意を求めるように。
「こっちみんな。同意を求めんな」
頼もしい僚友であった。
ちなみに、彼ら四人は全員が同室である。
男女で部屋を分けるという意見は男性陣から出されたのだが、女性陣が気遣い無用と切り捨てた。
野宿のときには、互いに背を預けて眠る仲間である。
わざわざ寝床を分けるのは経費の無駄だし、万が一襲撃などがあった場合、合流という防御プロセスがひとつ増えることになってしまう。
着替えや沐浴の際には目を背けてもらえば良いだけの話なので、四人部屋で何の問題もない。
というのが女性たちの主張だった。
冒険者生活の長いリキはともかくとして、十七歳の北斗としてはけっこう精神的な忍耐を強要されるパーティーなのである。
「ともあれ、準備ができたら冒険者ギルドに行ってみるか。おやっさんから紹介状も預かってるし」
北斗が荷物から取り出したのは、アリーシアの補佐役であるルマがしたためた書簡であった。
王国軍に動きがないことを不審に思ったアトルワが密偵を放つ。
それは最初から予想されていたことである。
「攻め込んでくるだろうって時期に攻めてこないんだから当然よね」
カップを片手にアルテミシアが笑う。
単純ならざる笑みだ。
ルーンは攻めなかったのではない。攻める余裕がなかったのだ。
アルテミシアが王宮の掌握を開始したのは、時間的にアトルワがアキリウ郡都のリューズを無血占領した日から二十六日後にあたる。
そして掌握したからすぐに軍を動かせるかといえば、残念ながらそんな簡単なものではない。
新たな人事、各種法政の見直し、新秩序の構築、大貴族への牽制、その他諸々と、やるべき事は山積しており、とてもではないが北部辺境域に力を割く余裕はなかった。
「今でも余裕は無いんだけどね」
「事実なだけに、泣きたくなってきますなぁ」
「中年男の泣き顔とか、べつに見たくないわよ」
「ひどい主君ですなぁ」
くだらないことを言って笑い合う女王と百騎長。
密偵が王都に入り込んだのに余裕たっぷりである。
イスカが視線で判断を仰ぐ。
現状、アトルワにかまってやる余裕はない。それは事実だ。
かといって放置しておいて、こちらの手に負えないほどの勢力に成長されるのも大いに困る。
「泳がせるわ」
「了解です。情報収集が目的でしょうしね」
「破壊活動が目的だった場合のみ、適正に対応して」
「そちらも御意に」
方針だけ示せば、イスカほどの男に具体的な指示は必要ない。
探りたいというなら、好きなだけ探らせてやる。
いままさに生まれ変わろうとしているルーンを。
「機会があれば会ってみたいんだけどね」
「アトルワの密偵にですか?」
「私の読みでは、たんなるスパイじゃなくて、かなりの幹部が出張ってきてると思うわよ。少なくともアリーシア姫の飛耳長目となれるくらいの人物ね」
「なぁる……」
報告書を眺めるイスカ。
四人組の内訳は、黒髪の少年と頬に傷のある男。あとはフードで顔を隠した女が二人。
文面から重要人物ぶりは伺えない。
あるいは、顔を隠した女というのがアリーシア姫という線もあるか。
「いや、ないだろ」
自分の考えに落第点をつけた。
物語などではあるまいし、盟主が敵地に乗り込むとか、馬鹿馬鹿しすぎる。
「彼らの存念に触れたいけど無理ね」
残念そうなアルテミシアの声で、イスカが無作為な思考を中断した。
「ひとつにはあのありさまだし」
執務机を指し示す女王。
書類の塔がそびえ立っている。
「秘書を雇い入れては?」
「ウズベルに探してもらってはいるわよ? そんなに多くは求めてないんだけど、なかなか見つからないそうよ」
「条件が厳しいんじゃないですか? 美人で気配りができてスタイルが良くて十五歳以下、とか条件を出したら見つかりませんよ? 陛下」
「私をなんだと思ってるのよ。イスカは」
「いやぁ」
「あなた達四人が私の翼。シルヴァが右腕。だから、私の左腕になれるような人材を求めてるんだけどね」
「……俺が挙げた条件より厳しいですて、それ」
イスカが肩をすくめた。
女王アルテミシアの判断力も識見も政治感覚も、十七歳の少女のものではありえない。
こんなのの補佐ができる人材となれば、イスカですらちょっと思い当たらないほどで、ウズベル卿の苦労がしのばれる。
「とにかく、何でもかんでも私が決めなきゃいけないってのはちょっとね。ある程度まで選別できたらいいんだけど」
「ですなぁ」
専制君主だって人間である。
ミスもすれば誤認もする。
だからこそ優秀なスタッフは多いほど良い。
「俺の方でも少し当たってみますかね……」
イスカは冒険者出身という異色の経歴を持つ騎士である。
張り巡らされたコネクションの網は、既存の人材登用という枠に収まらない。
商家や技術者などに当たっているウズベルとは、また違った切り口で探すことができるだろう。
「助かるわ」
「ただ、多少の金はかかるかもしれませんがね」
「ふむ……」
考える素振りをするアルテミシア。
金で買える程度の人材に、果たして王国中枢部の仕事が勤まるだろうか。
王国への忠誠心、アルテミシアへの忠誠心、ひいては国民への忠誠心が無くては、国を腐らせるだけになってしまう。
商家なら自家の利益を考えるだけでいいだろうが、国というのはそういうわけにいかない。
国民の生活を守らなくてはいけない。
貴族の体面も立ててやらなくてはならない。
他国とも上手く付き合わなくてはならない。
なかなかに、金だけでできる仕事ではないだろう。
「やめておきますかい?」
「いいえ。すすめてちょうだい」
確認するイスカに、はっきりと答える。
数瞬の間に女王の脳細胞は検算を終えたようだ。
「そのこころは?」
興味深げに黒の百騎長が問う。
「みんなで一丸となって、心をひとつにして、同じ目的に向かうってのは美しいけどね。それだと間違うときには全員で間違っちゃうから」
判りづらい言い回しをするアルテミシア。
だがイスカは深々と頭を垂れた。
「ご賢察、恐れ入ります」




