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百騎長ライザックの計画をきいたイスカは、ぽんと膝を叩いて同意した。
上からのクーデター。
トップダウンの改革。
それは、下からの変革などとは比較にならない。
たしかに実権は女王にはない。それは事実だろう。
だが逆にいえば、実権以外のすべてはアルテミシアが持っているのである。
彼女がAだといえば、内心はどうあれ全員がAと答えなくてはならない。
それが王権というもの。
「まさかライザック卿が陛下とコネクションをもっていたとはねえ」
「てっきり、それを知っていて近づいてきたのかと思ったよ。イスカは」
「んなわけねぇだろうが」
少しだけ傷ついた顔をする年長の僚友。
短く詫び、すぐに実務的な話に入るライザック。
事態は走り出した。
躊躇している時間はない。
まずはアルテミシアが言明したように、軍を掌握する。
現在、ルーン王国の常備軍は四部隊。
ひとつはむろんライザック麾下の部隊だ。青の軍という公称を持っている。
その他に、赤、白、黒。
色分けされているわけだが、べつにどの色がえらい、というものでもなし、抱える兵力はほとんど変わらない。
魔法騎士が百名、騎士が千名、兵士が一万名というのがベーシックな編成である。
「黒の掌握はイスカに任せて良いか?」
「おいおいライザック卿。俺は一介の騎士だぜ?」
「無理か?」
おどけてみせるイスカだったが、重ねて問われれば降参するしかない。
彼が騎士になり、黒の軍に配属されて三年。
もう下地は、充分にできている。
「お見通しってか。相変わらずライザック卿は可愛くないな」
「お前さんに可愛いとか言われたら、自決したくなるからやめてくれ」
「十日もらえるか?」
「七日」
「了解だ。黒の軍は俺がもらう」
「アテにしてるぞ。イスカ卿」
「アテにされましょう」
にやりと笑って右手を差し出す。
力強く、ライザックが握り返した。
そして七日。
黒の軍の隊長だった魔法騎士が、突如として辞意を表明した。
軍務省は驚倒したが、彼が後任として推した人物の名が伝わると、驚倒どころか大混乱の縁に叩き落とされた。
騎士イスカ・ホルン。
姓すら持たなかった平民あがりの一介の騎士。
そんな者が、王国を支える四翼の一枚を任せられる。
ありえざる暴挙だ。
だが、もちろん王国軍幹部の人事は、国王の裁可を必要とする。
ようするに国王が許可しなければ良いだけの話。そしてルーンにおいて国王とは大臣たちが作成した報告に頷くだけの人形だ。
「……とういう次第です。新たな黒の軍の隊長としては、アドリス・サザール侯爵が相応しいかと」
一日、謁見の間にて国務大臣が提案した。
提案という形式をとってはいても、それは決定事項である。
王が否定することはない。
これまでは。
「何故か?」
良く通る声で玉座にある女性が問う。
「は?」
思わず間の抜けた声を返す国務大臣。
アルテミシアは、一度目は咎めなかった。
「前任者の意向を無視してまで新しい人物をもってくる理由は何か、と、訊いてるのよ。大臣」
「理由、でございますか……」
「自らの地位を譲るというのだから、そのイスカ卿の方が自分よりできる、または劣らないって判断したってことでしょ。で、大臣が推薦するアドリス卿とやらは、それより当然上なのよね?」
「も、もちろんでございます……」
「どのような点が?」
問いつめてゆく。だがそれは、まともに考えれば当然の問いだろう。
ルーン王国を守る四つの軍の隊長人事だ。
そちに任せる、というわけにはいかないのである。
「……アドリス卿は侯爵家の当主であり、我が国を支える有力貴族でもあらせられます。また、幼少の頃より俊秀の……」
だらだらと駄弁を並べ始める大臣。
しなやかな右手を挙げてアルテミシアが制した。
「地位や血統が最初に長所として挙がるようじゃ、そのアドリス卿とやらの能力は推して知るべしね。もう良いわ」
「もう良いとおっしゃられましても……」
「貴族の談合で決まった人事なんて聞きたくもない。きちんと人選をおこなって、まともな報告を聞かせて。期限は二日」
そのまま右手を振って追い払おうとする。
「陛下!? 気でも触れられましたかっ!?」
あまりの仕打ちに、大臣が大声をあげて女王を見た。
見てしまった。
咲き狂う毒花のような、禍々しく美しい嘲笑に彩られたアルテミシアの顔を。
「私を狂人呼ばわりしたあげく、直視の無礼とか。一回目の反問は流してあげたけど、ここまで続くとちょっと遇する術がないわね」
歌うように告げる。
大臣の罪を。
ここにあるのは至尊の冠を戴く人物だ。
本来であれば、質問に質問を返すなど許されない。むろん、直接顔を見ることも。まして狂気を疑うなど、不敬罪というカテゴリにすら収まらないだろう。
「ば……ばかな……」
片膝を突いていた姿勢から立ちあがる大臣。
最悪である。
「バカと言って立ちあがるとか。それ反逆よ? その程度のことも言わなくちゃ判らない?」
薄く笑ったアルテミシアが肩をすくめる。
同時に近衛騎士たちが腕をかざした。
四方八方から伸びた魔力光に貫かれ、断末魔を残すことすらなく国務大臣が絶命する。
滑稽なほど軽い音を立てて床に転がる元大臣の肉体。
一滴の血も流れない。
玉座の間を汚さぬために、傷口はすべて炭化させられたのだ。
「ご苦労さま。続けてで悪いけど黒の軍の隊長候補を呼び出してちょうだい。あと、国務大臣の後任も決めないといけないわね」
一仕事を終えた近衛騎士たちに微笑みかけるアルテミシア。
敬礼を残し、騎士が走り去る。
そこからはもう、蜂の巣をつついたような騒ぎだった。
現国王による権力奪取。
これまで国政を壟断してきた貴族たちは、ほとんど為すところなく次々と捕縛され、武力を持って逆らおうとしたわずかな連中も、ライザック率いる青の軍の速攻に対応できず、あえなく武装解除されていった。
三日。
わずか三日で王宮内の勢力図が書き変わる。
名実ともにアルテミシア女王が政権を握った。
立役者となったのは、ライザック率いる青の軍とイスカ率いる黒の軍。
国軍の半分が初動から協力していたため、不満分子など顔を出す余地もなかった。
そして残り半分も、ほどなくしてアルテミシアに膝を折る。
女王が、次々と綱紀をただしていったからだ。
もともとが単純で剛直な人生を歩んできた武人たちだ。主君が立派な人物であって嘆くことなどありえない。
「ライザック卿、イスカ卿、ヒューゴ卿、ウズベル卿」
玉座の前に居並ぶ将帥たちを睥睨する女王。
国務大臣の誅殺から四日目の朝だ。
『は!』
名を呼ばれ頭を垂れる百騎長たち。
青の軍隊長、ライザック・アンキラ。
黒の軍隊長、イスカ・ホルン。
赤の軍隊長、ヒューゴ・バルトファー。
白の軍隊長、ウズベル・オルロー。
「赤の軍は官僚たちの人事刷新。頭は潰しちゃって良いわ。どのみち役人なんて、仕事をしているのは下の方だけだもの。給料泥棒はルーンにいらないから」
「は!」
ヒューゴと呼ばれた赤毛の騎士。体格雄偉で、いかにも武人という体だ。
「白の軍は市井からの人材登用。足で稼いで。寒門出身でかまわない。それが門閥への牽制になるから」
「御心のままに」
ウズベルは、ヒューゴとは対照的に優男だ。
あまり騎士という雰囲気ではなく、竪琴でも持たせた方が映えそうである。
精悍な顔つきのライザック。飄々としてつかみどころのないイスカ。
これが、王国の四翼。
アルテミシアが微笑を浮かべる。
「三百年分の膿を出し切るわよ。きついとは思うけど、馬車馬のように働いてちょうだい」
『御意っ!』
ひどい命令に、喜色を浮かべて頷く男どもであった。




