5
もちろん北斗に何か素晴らしい考えがある、などということはない。
長旅から帰還し、その足で参加した意志決定会議でも、彼はこれといった意見を口にしなかった。
無い袖は振れないのである。
そもそも、収穫期を迎えつつある現在は、軍事行動を起こすのには適さない。
農民たちを兵士として徴収できないから。
であれば、収穫期が終わり、農閑期に入ってから動くつもりなのか。
誰しもそう考えるが、各地に放っている間諜からの報告でも、そのような気配はないという。
「今年上納される金が少なければ、王国だって困るだろうにな」
深沈と腕を組むシズリス。
アトルワ、バドス、アキリウの三家からの上納が、今年はゼロということである。
笑って見過ごせるほど、ルーンの財政には余裕がないはずだ。
そもそも地方領の叛乱を見逃してしまったら、国が鼎の軽重を問われる。
「ん? どういうこと?」
ナナが小首をかしげた。
税収的な部分で考えれば、けっして小さい額ではないだろうが、それだけでルーンの屋台骨が傾くということはありえない。
大小の貴族領を合算したら、かるく百はあるのだ。
そのうち三つが背いたところで、たったの百分の三である。
「けど、俺らを見逃しちまったら、他の連中も背くかもしれねえだろ?」
「え? なんで? 他の貴族も身分制度の廃止とか目指すってこと?」
「や。そーじゃねえよ」
がりがりと北斗が頭を掻く。
素直なナナには理解できないかもしれないが、大望があって上に逆らう者ばかりではない、という話である。
アトルワが処罰されないなら自分たちも、という感じで尻馬に乗る連中は必ずいる。
目的があるわけではない。
ただ単に上納金を払いたくないだけだ。
そもそも、上納金だろうが税金だろうが、そんなものを払いたい人間はいないのである。
しらばっくれても罰がないなら、払うヤツなんか誰もいない。
ルーンだろうと日本だろうと同じだ。
ではどうして払うのかといえば、仕返しが怖いからである。
日本であれば、法によって裁かれる。
ルーンであれば、軍事力によって叩きのめされる、というわけだ。
「判ったような、判らないような」
キャットピープルの少女の頭上で疑問符がラインダンスを踊る。
「簡単にいうと、仕返しをしてこないチンピラなんか、怖くないってことさ」
おもいきり噛み砕いて説明する北斗。
噛み砕きすぎである。
ともあれ、舐められたら終わりなのは、ヤクザだろうが国家権力だろうが同じだ。
愛される支配者、などというものは笑い話にもならない。
「むう……じゃあ、なんでルーンは攻めてこないの?」
そこで最初の疑問に戻ってしまう。
判らないから不気味なのだ。
アトルワを放置する理由は、たぶん地平線の彼方まで探したって存在しない。
ルーン王国にきちんとした武力があるのだからなおさらだ。
装備も練度も、貴族の私兵とは比較にならないのである。
常備軍だけで四万。
戦を生業とする職業的な武人たちだ。
農民や遊牧民を徴兵したような連中とは全然違う。
「私なら収穫期をめがけて襲いかかるね」
けっこう辛辣なことをいってドバが肩をすくめた。
事実、その時期に攻められるのが一番きつい。収穫前の田畑を荒らされたら、ぶっちゃけ彼らは冬を越せないのだ。
現実のものとなっていたら、不利を承知の上で国境防衛戦を展開しなくてはならなかっただろう。
仮に勝てたとしてもかなりの犠牲が出たであろうこと、万に一つも疑いない。
「でも王国政府はそうしなかった。どういうことなのでしょうか」
明敏なアリーシアですら、この状況の答えを持ち合わせない。
どの方向から考えてもルーンが動かない正当な理由が見あたらないのだ。
「……探ってみるしかねえだろうな」
北斗が言う。
総括するように。
考えて判らないなら、現地に行って確認するしかない。
「まあ、俺たちがいってくるさ」
笑いながら。
巡察使のトリオなら決まった部署での仕事というわけでもないし、容儀は軽い。
旅の冒険者とでもしておけば、獣人が混じっていても、さほどおかしくはないだろう。
「そういうことであれば、私もともに行こう」
セラフィンが名乗りを上げた。
危険だからと止めようとする北斗やナナを、手を振って制する。
「三百年近くも森に引きこもっていたからな。だいぶ人間の常識も変わっただろう。今のうちに合わせておかなくては、後々問題になるかもしれないからな」
もっともらしい理由だった。
たぶん多くの者が納得するような。
だから、
「セラ姐さんは王都に行きたいだけなんじゃ……?」
という言葉を、リキは賢明にも呑み込んだ。
ルーン王国が動かない理由。
それは、端的にいえば、それどころではなかったからである。
北方の辺境地域のことなどかまっていられないほど、王国中枢部に位置する者たちは多忙だった。
政変が起きたからである。
より正確にいえば、政変など起きていない。
王が王たるの職務を果たすようになっただけだ。
もともと至尊の冠を戴く人物が、最高責任者として手腕を振るうのは、べつに妙でも珍でもないだろう。
しかし、この事態を政変と呼ぶことに違和感をおぼえる人間は少ない。
ルーンの中枢に関わる者であればなおさらだ。
事態は少し昔、北斗たちが無血占領したリューズの治安回復に尽力していたころに遡る。
「……このままではルーンは滅ぶだろうよ」
アトルワ男爵領の取り潰しに端を発した動乱について説明したライザックが、そのような言葉で締めくくった。
もちろん彼は、男爵公子がドバ村にちょっかいを出したことがきっかけだとは知らない。
中心人物のひとりに異世界からの漂流者がいることなど、想像にもしていないだろう。
だが、表面に現れた事象をアルテミシアは過不足なく理解した。
「私は最初の女王で、最後の王というわけね。心楽しい未来だわ」
十七歳の女王が微笑する。
普段の彼女しか知らない者が見たら、あまりの毒々しさと禍々しさに鼻白むような、そんな危険な笑顔だ。
「で、ライザックは、私に起てというのね? 破滅を回避するために」
「ああ。雌伏は終わりだ。お姫様」
彼は女王の笑みに驚かなかった。
知っているから。
十も年少の少女が、その内心に獅子を飼っていることを。
アルテミシアは凡庸な王などではない。
ごく幼少のうちから、大人顔負けのシャープな政治感覚を持ち、識見は深く視野は広かった。
だからこそ、前王は娘の才能を隠した。
有力貴族や高級官僚どもに目をつけられないよう。彼らの支配に亀裂を入れる危険分子として暗殺などされぬよう。
アルテミシア以外に子を成さなかったのは、彼女しか玉座を継ぐ者がいないという状況を守るためだ。
「私としては、このまま無為徒食で、芸もなく人生を終えるつもりだったのだけれどね。それが両親の願いでもあったわけだし」
「だが、時代は才ある者に惰眠を許さぬらしいぞ」
「格好いい言い回しをしたって、私に苦労しろって言ってる事実は変わらないわよ」
一度言葉を切る。
「けど、貴方は腹心の友だからね。貴方が起てというなら私は起つわよ。もちろん支えてくれるのでしょう?」
にこりと笑う。
花が咲きほころぶように。
椅子から降り、ライザックはアルテミシアの前に跪く。
「無能非才なる身の全力を挙げて」
「まずは軍を掌握するわ。大掃除を始めるわよ」
アルテミシアもまた立ち上がり、髪をかき上げた。
ウェーブを描く豊かな金髪。
ぐいとひとまとめにして縛る。
ここから先は、見た目など気にしていられない。
動きやすさが最優先だ。
「御意」
深く深く、ライザックが一礼する。




