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アルテミシア・フウザー。
ルーン王国の十五代目の国王であり、初の女王だ。
そして、なんの実権も持っていないことを、王宮に住む者ならスズメやネズミでも知っている。
お飾りの国王。
彼女は各省庁からあがってくる報告書に決済印すら捺させてもらえない。
王の居室において、大臣からの簡単な報告を聞くだけ。
まさに聞くだけである。
意見を言っても、かしこまりましたという言葉が返ってくるだけで、べつにそれが政治に反映されることもない。
詳しい報告を求めても、陛下がお気に止めるほどの案件ではございませんとたしなめられる。
もう何代も前から、ルーンにとって国王は必要なくなっていた。
形式として以上は。
アルテミシアの仕事とは、行事のときに挨拶をして、国民に手を振ってみせるだけ。
たったそれだけで、王者の生活ができる。
何も考えなければこれほど安楽な地位はないだろう。
事実、歴代の国王の半分くらいは気楽な身分を楽しんできた。
近い例では彼女の祖父もそうだったらしい。
享楽の限りを尽くし、一晩に幾人もの美姫を抱き、美酒と美食に溺れて、四十代の半ばで亡くなったとか。
もちろんアルテミシアが生まれるより何年も前の話である。
そのせいもあったのか、彼女の父である前王は真面目で禁欲的な人であった。
愛妾を持つこともなく、正妻たるアルテミシアの母を慈しみ、娘にも大きな愛を注いでくれた。
あいかわらず国政には口を出させてはもらえなかったが、家庭的にはまず幸福といってよかった。
ただ、あまり子宝には恵まれなかった。
正妻との間にもうけたのは、女児であるアルテミシアただひとり。
それもけっこう遅くなってから生まれた一粒種である。
男児でなかったことを、両親はとくに悲しまなかったし、アルテミシアもたいそう可愛がってもらったという記憶がある。
その父も六十になる前に死去した。
この時代、べつに早すぎる死ではないが、気性の穏やかで真面目な王の死に、多くの国民は悲しんだ。
そして、アルテミシアは十二歳で至尊の冠を戴くことになる。
以来五年、金色の髪と青い瞳を持つ美しき女王は、無為徒食に甘んじている。
飼い殺し、という表現そのままに。
ただ、女王には頭痛の種があった。
婿選びだ。
当たり前の話だが、一国の女王がどこかに嫁ぐわけにはいかない。
どこかから婿を取らなくてはならないのだが、それがなかなかに問題なのである。
有力な貴族の子弟というのが無難なラインではあるが、どこの貴族もわりと出し渋っているのである。
王に実権がないことを知っているから。
女王の婿となるのに次男三男というわけにはいかない、家督を継げる長男が入り婿するべきだ。
しかし、どこの貴族だって手塩にかけた後継者を差し出したくなどない。
国婿になったところで実権が手に入らないのではなんの意味もないのである。
得られるのが名誉だけで、政治の第一線から遠ざけられると判っているところに、わざわざ大切な後継者を送り込みたい貴族はいない。
「このままじゃ確実に婚期を逃がすわね。どうでもいいけど」
私室で茶などを楽しみながらひとりごちる。
侍女に淹れさせたのではなく、自分で用意したものだ。
幼少期に家庭教師をしてくれていた騎士のおかげで、この程度のことは面倒とは思わなくなった。
むしろ、基本的に暇なので多少の面倒は望むところである。
自分の将来なのに、どうでもいいとか言っちゃっている。
が、こればかりは彼女の意志でどうこうできる問題ではないのだ
女王として、いずれは国母とならなくてはならない。
それ自体は仕方がないことだし、好きな相手と結婚できるわけではないことも、血統を残すのも王族の勤めであることは理解しているが、いかんせん一人で子作りなどできようはずもない。
これまで女王という存在がいなかったため、有力貴族たちも戸惑っているのだろう。
娘をあてがい、外戚として権力を振るう、という手が使えなくなってしまったから。
「もし私が有力貴族なら、あえて嫡子を送り込むんだけどね。で、内側からルーンを乗っ取る。実権がなくたって看板があるんだから、どんな手だって正当化できるのに。なんでそのくらい判らないのかしら」
国婿となってしまえば、他の貴族から頭ひとつ抜け出ることになる。
実権がないなら取り戻せばいい。
有力貴族……たとえば公爵クラスならそれができるだけの武力的な背景があるし、権力と武力が結びつけば、たいていのことはできる。
「……あいかわらず、おっかないことを考えるお姫様だ」
突如として声が響く。
思わず腰を浮かしかけたアルテミシアだったが、苦笑とともに座り直した。
転移魔法封じの結界が張り巡らされている王の私室に正面から以外で入る方法は存在しない。
ある特殊なケースを除いて。
「久しぶりね。ライザック。五年ぶりかしら。えらく疎遠な『腹心の友』もいたもんだわ」
「仕方がないだろう。お姫様はもう女王陛下で、俺はしがない騎士隊長。ほいほいと会えるわけがない」
アルテミシアが手振りで椅子を促し、軽く頷いてライザックが腰掛ける。
急速に高まってゆく親和力。
失った時間を埋めるかのように。
かつて、彼はアルテミシアの家庭教師のひとりだった。
門閥の後ろ盾もない一介の魔法騎士だが、まさにその点が良かったのだろう。
教師たちの中では比較的年齢も近かったこともあり、彼女はライザックによく懐いた。
そして腹心の友たる誓いを立てた。
けっして裏切らず、けっして忘れず、つねに相手のことを思いやる、と。
その証として二人は転移魔法陣を描いた。
互いの血を用いた、彼ら以外には絶対に使えない転移門である。
どちらかに危急のことあらば、必ず、何をおいても駆けつけようと。
当時十代の若き騎士だったライザックにとっては、命を賭けて守るべき誓約となった。
七歳のアルテミシアが、どのような思いを込めて魔法陣を指輪に封じたかは、今の彼女にも判らない。
淡い初恋だったのでは、と思うこともあるが。
「それで、いまをときめく百騎長さんが、しがない女王になんの用よ?」
皮肉の針を含んだ言葉だが、目が完全に笑っているのでライザックは恐れ入ったりはしなかった。
「北方の辺境領域で政変があったことを知っているか?」
「初耳ね」
「……そうか」
この国のトップにいるはずの人間が、情報上の島流しになっている。
それがルーン王国の現実だ。
大きく息を吐くライザック。
その間に、アルテミシアが新たなお茶をカップに注いだ。
ふたつ。
軽く礼を言って受け取る。
「その反乱が、五年ぶりに姿を見せた理由?」
「ああ。たぶんお姫様の危急だと判断した」
「判ったわ。長い話になりそうね」
カップを口元に運んだ女王。
一口だけ唇をしめらす。
青い瞳には、興味の光が灯っていた。
王国が動かない。
アキリウの併呑から百日以上が経過しても、まったくなんの動きもない。
「この状況は想定にはありませんでしたわ」
アリーシアがため息を吐く。
アトルワ、バドス、アキリウをまとめ上げるため、新たな郡都となったアトルーである。
統治自体は着々と進んでいる。
開明政策も、まず順調な滑り出しといって良いだろう。
もちろんトラブルの種など、一山いくらで売れそうなほどあるが。
「だねぇ。アキリウを平らげるか、その直前に王国軍が動くだろうと私も思っていたよ」
頷くのはドバ。
獣人族の代表を務める一人で、叛乱の最初の狼煙をあげた人物だ。
ルーン王国からみれば、まさにアリーシアの共犯者である。
「なのに、まったく動く気配すらありませんわ。それ自体はありがたいことなのですが」
王国の使者を追い返してから数えたら、すでに二百日近くが過ぎようとしている。
その間、新生アトルワ領はどんどん安定に向かっているのだ。
戦などない方が良いので、アリーシアがいうとおり歓迎すべき事態ではある。
「思惑が不気味ではあるけどね」
「……ホクトたちが戻ったら、また会議ですわね……」
一応の安定をみた旧アキリウ領を代官に任せたホクトやシズリスがアトルーに帰還するのは三日後の予定である。




