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騎士イスカ。
平民出身で、叙勲されたのは三十代も中盤になってからという遅咲きの騎士だ。
しかも前身は市井の冒険者である。
経歴といい年齢といい、生粋の騎士階級である百騎長のライザックと肩を並べられるような人物ではない。
だが、ライザックはイスカと親しく交わった。
貴族や騎士にはない発想や価値観は、彼にとって非常に新鮮だったから。
「どうしたんだ? イスカ卿」
「北の叛乱を知ってるかい? ライザック卿」
「小耳に挟む程度なら」
僚友の質問に軽く頷く。
改易を命じられたアトルワ男爵が血迷って王国に反旗を翻したため、隣接するアキリウ子爵とバドス男爵に討伐の命が下った。
何の罪があってアトルワが取り潰しの憂き目にあったのかは判らない。
判らないが、結果については容易に想像がつく。
南北から挟撃されたアトルワに浮かぶ瀬はないだろう。
「とまあ、普通はそう予測するだろうな」
「健全な読みってやつだね」
「だが、わざわざイスカ卿が話を持ってきたということは、違うのだろう?」
「ご明察。アトルワはバドスと同盟してアキリウを平らげたよ」
「なんと……」
目を見張るライザックを、愉快そうに見つめながらイスカが続ける。
明らかになった事情は次のようなものであった。
アトルワは獣人や亜人も含めた全領民の平等を謳い、偏見や差別のない国作りを旗印に北部辺境地域を併呑しつつある。
手始めにバドス男爵と連合。
そしてアキリウ子爵を合戦で打ち破り、彼の地をも支配下に置いた。
にわかには信じられない話だ。
アトルワとバドスの同盟までは、まあ理解はできる。
弱小の地方領主同士が手を結んだ。ただそれだけのことだ。
問題はその後だろう。
男爵ふたりで子爵に対抗できるか、という点。
両家の総兵力を合すれば、数だけは子爵領の戦力に匹敵するかもしれない。だが、数で互角になることと勝利を掴むことの間には、かなり高く厚い壁がある。
しかも、戦って勝ったからといって、それだけで支配域を広げることなどできない。
「……誰か、求心力となる人物がいるのか」
「またまたご明察。アトルワ男爵を名乗るアリーシア公女は、聖賢の姫君なんて呼ばれてるってさ」
「大仰な……」
「もうちょっと大仰にしてやろうか? 彼女の周りに集うのは、ルーンの聖騎士の後継者、紅の獣神の末裔、そして深緑の風使い」
「は?」
思わず間の抜けた声を出すライザック。
いずれも建国伝承に登場する英雄の異称だ。
建国王オリフィック・フウザーの親友たち。ルーン建国に多大な功績を残しながら、ついには王を見限って野に下ったという。
王はこれを許し、見送った。
「あやつらを縛ることは、国を興すよりもずっと難しいだろう」
という言葉で。
どこまで本当か、もちろんライザックには判らない。
三百年も昔の話だ。
確かめる術とて存在しないのである。
しかし、その伝説を引きずるように、亜人や獣人への差別が広がっていったのはたしかな事実だ。
「ここにきて建国期の英雄を名乗る意味、か……しかも堕された英雄の名を……」
深沈と腕を組む。
「ただの与太話ではないか! 地方領の一つや二つのことで何を思い煩うか!」
横から口を挟んだのは軍務監であった。
「なんだあんた。まだいたのかよ」
汚物でも見るような目で見下げながら、イスカが口を開く。
たしかに地方領の一つや二つだ。勢力としては論ずるに値しない。
しかし、建国王だって、たった四人からスタートしたのだ。
比較すれば、スタートラインそのものがずっとずっと前に引かれているのである。
そんなことすら理解できないゴミが軍務を監督している。
ルーンの凋落も極まれりだ。
「ゴミは喋るな。とっとと巣に帰って貴族ごっこでもしてろ」
とんでもない雑言。
顔を真っ赤にした軍務監が、何か言いつのろうと口をぱくぱくしていたが、結局なにもいうことなく泡を吹いて倒れてしまう。
「イスカ卿……おまえなぁ……」
人が、怒りのあまりに失神するという場面を初めて目撃したライザックが、ため息混じりに呟いた。
アキリウ子爵の降伏を受け入れたからといって、それで万事めでたしめでたしというわけにはいかない。
降ったものたちの処遇を決めなくてはいけないし、所領の掌握だって急務だ。
戦勝気分に浸ってはいられないのである。
「で、アキリウ子爵はどうするって?」
郡都リューズ占領から三十日ほど。
さしあたり軟禁していた子爵の身柄について、ようやく話し合う余地が生まれる。
その間、北斗はナナやセラフィンを引き連れて街の中をまわり、人心を安定させるとともに、民衆たちの生の声を聴く作業に忙殺されていた。
あまりの多忙さにナナなどはストレスを溜め込み、解消のため夜な夜な様々な要求を北斗にしたものである。
ともあれ、占領政策そのものは順調だ。
亜人や獣人を味方にし、下層階級を抱き込み、これまでとは違うという印象を強く与えることに成功している。
もちろん、その違いが退歩になっては何の意味もないので、より開かれた政治を目指し、より平等で公平な施策を次々と打ち出す必要がある。
これに関しては、アトルーとリューズの間を日に何度も早馬が往復し、俊足を誇る獣人たちが伝令として走り、アリーシアとシズリスが苦心して新法の草案をまとめている。
それらの処置が一段落したため、アキリウ子爵の処遇について協議が進められることとなった。
「俺たちとともに歩くことを潔しとしない連中には、とっとと出て行ってもらった」
とは、シズリスの言葉だ。
アトルワ掌握のときとは事情が異なる。
租税を安くし、労役を減らし、商業の発展させてゆくことを旗印にしているのは最初から宣伝しているのだ。
賛同しないのは既得権をもつ豪商や権力に寄生する連中くらいで、むしろ出て行ってくれた方がありがたい。
「もちろん、受け入れ先があればの話だがな」
僚友に唇を歪めてみせる北斗。
同じルーン国内といっても、住民の移住は自由ではない。領民というのは貴族の財産である。領それぞれで税率は異なるため、税金の安い領地にほいほいと引っ越されても困るのだ。
ついでに、移住先にだって当然のように既得権を持つ人々がいる。
他領から流れてきた者たちを簡単に受け入れていたら、無用のトラブルに発展してしまう。
「実際のところ、領民にとっては支配者が誰だろうと関係なかろうな。他国に侵略されず、戦争にかり出されず、盗賊団などに怯えず平和に暮らせるのであれば、領主の固有名詞に興味など示さぬだろう」
妙に達観したことをいうセラフィンだった。
彼女は三百年近くも前に、政に飽いている。
今問題となっているのは、飽きてなどいない人物のことである。
マルコー・アキリウ子爵のことだ。
「王都への帰還を要求している、とかならラクなんだけどな」
「まさかだろ。男爵に負けてコーヴに逃げ込んだって、浮かぶ目なんてないさ」
北斗の希望的観測をシズリスが笑い飛ばす。
アキリウ子爵は、アトルワ・バドス連合に帰順し、その内部において手腕を振るうことを希望している。
「うわぁ……めんどくせぇ……」
「そうなの? 仲間になりたいってなら、使ってあげればいいじゃん。敵だったから受け入れないってこと?」
ナナが首をかしげた。
ドバ村の立場からみれば、北斗以外は最初は敵だった。
戦って勝つことで、味方を増やしていったのである。
いまさらアキリウだけは受け入れない、という選択肢もないだろう。
「アキリウだからダメだってことじゃねえんだよ。ナナ。姫さんよりもシズリスよりも格上だってのが問題なんだ」
腕を組み、ううむと唸る黒髪の少年だった。




