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「……私たちが始めたことだ。最後に残った私が幕を引くのは、必然なのかもしれないな」
呟いたセラフィンが席を立ち、樫の木で作られたと思しき戸棚を開く。
中に鎮座していたのは武器だ。
一振りの剣と、一張りの弓。
剣の方を手に取り、北斗へと差し出す。
「夫の形見だ。君にあげよう」
「ルーンの聖騎士の剣……」
「双竜剣という」
躊躇いつつ受け取る北斗。
まるで彼のためにあつらえたかのようにグリップが手に馴染む。
ゆっくり鞘から抜くと、刀身には赤と黒、双竜の意匠が彫り込んであった。
「それ……知ってるぜ……」
かすれた声を出すのはリキである。
かつて、地上を荒らし回っていた暴虐のドラゴンがいた。
灼熱の火焔を操る赤竜と、極寒の冷気を操る黒竜。
彼らは一日に百人の人間を食らい、多くの街や村を滅ぼした。
恐怖の代名詞。
だがそれは、旅の勇者たちの手により終わりを告げる。
完膚無きまでに打ちのめされた暴竜どもは、敗北を認め竜族のもつ秘術によって自らを剣に変えたという。
勇者の帯剣として。
双竜の宿りし剣。
「伝説の魔剣だぞ……こんなところにあったのか……」
羨望の眼差しをリキが剣に向ける。
太古の遺跡を探索した経験のある冒険者でも、これほどのお宝を目にする機会はそうそうない。
「むしろ、あんたたちが伝説の勇者だったのか……」
感極まったような表情だ。
竜を狩る者というのは最高の称号である。
最強の魔獣を打ち倒した者だけが得られるものだから。
「ホクト。ちょっと俺にも触らせてくれ」
目を輝かせている。
彼は北斗より十歳ばかりも年長だが、まるで少年のようだった。
激情家なのだ。
奴隷だと思われていたナナを救うため、北斗と戦おうとしたほどの。
「おちつけ。盛り上がっているところ申し訳ないが、その伝説は嘘だぞ?」
あっさりとセラフィンが言った。
客たちの目が点になる。
すげー伝説まで語ってくれたリキの立場はどうなるんだって話である。
「そもそも考えてみたまえ。二頭のドラゴンが剣となったなら、剣だって二振りだろう。どうして一振りの剣になるのかね?」
「かねて……」
「ルーンの聖騎士たるガドの武器に何の伝説もないというのも寂しい話だったのでな。箔をつけるために捏造したのだ。私たちで」
「最悪だろっ それっ」
台無しである。
何もかも台無しである。
いきり立つリキであった。
「とはいえ、名剣なのは事実だぞ? ガドが国一番の刀鍛冶に細かく注文をつけて打たせ、オリーと私で魔法処理と霊法処理をおこなった。小さな屋敷なら使用人込みで買えるほどの金がかかっている」
それはそれですごい話ではある。
ただ、リキとしてはショックを隠せないようで、
「持ってみるか?」
北斗の気遣いにも、
「いらんっ」
と、そっぽを向く始末だった。
拗ねちゃったらしい。
北斗たちがバドス軍に合流したのは、郡都リューズ攻めを翌日に控えた頃合いだった。
「間に合わないかと思ったぞ」
迎えてくれたシズリスの言葉。
「すまんすまん。交渉自体はすぐに終わったんだけどな」
頭を掻きながら北斗が報告する。
腰には、かつてルーンの聖騎士が携えていたという、聖剣『双竜剣』。
北斗、ナナ、セラフィン、リキの四者談合の結果、伝説は伝説のままにしておこう、ということになった。
たぶんその方が万人にとって幸福だし、ついでに宣伝効果もある。
北斗こそ聖剣に認められた勇者、ルーンの聖騎士の後継者、というわけだ。
剣に認められるとか、いささか馬鹿馬鹿しい話ではあるが、こういう地道な宣伝が大切なのだ。
「それで、そちらの美しい女性は?」
はじめて会ったときから、シズリスの視線はセラフィンに釘付けである。
ぶっちゃけ、北斗の武器なんかどうでも良いくらいに。
男爵位にあるシズリスは、もちろんエルフを見たことがある。
物珍しさで、亜人や獣人を抱かせてくれる娼館で遊んだことだって、ないわけではない。
それでもセラフィンは違った。
群を抜いていたと言い換えても、そう過言ではないだろう。
透けるような白い肌も、プラチナブロンドの長い髪も、理知的な光をはなつ緑玉の瞳も。
まるでこの世のものとは思えない美しさだ。
「セラフィンという。エルフの郷の長をしている。よしなに。バドス男爵」
どちらかというと尊大な名乗りだが、シズリスはまったく気にしなかった。
美女の前に跪き、その手の甲に口づけする。
「どうかシズリスと呼んで欲しい。エルフの姫君よ」
「あいわかった。シズリス。私のことはセラで良い。親しい者はそう呼ぶのでな」
名前を呼ばれたときのシズリスの顔は、端で見ていてもとろける寸前といったところだった。
呆れ顔の北斗とナナ。
まあ、北斗だって初めてセラフィンと相対したときは、あまりの美しさに息を呑んでしまったので、たいしてえらそうなことはいえない。
「戦士たちを選抜するのに少しばかり時間がかかってしまった。許して欲しい」
ごく軽く頭を下げるエルフの長。
その後ろに控えるのは、エルフ族の戦士が六名。
いずれも弓の名手で、精霊と心を通わせることのできる者たちだ。
もちろんとびきりの美男美女である。
容姿も選考基準なのかと北斗などは思ったものだが、これはまあ十人並みの容姿しかもっていない少年のひがみだろう。
ともあれ、エルフ族の参加は大変に喜ばしい。
セラフィンを含めてたったの七名なので、実効戦力としては微々たるものだが、平等と公平を謳い文句とする彼らにとっては、異種族の参入というのはそれだけで大義となる。
「双竜剣をもったホクトが先頭に立てば、城門もかんたんに開くかもね」
「そんな簡単にいけば良いんだけどな」
慌ただしく自己紹介がおこなわれているなか、北斗とナナが会話を交わす。
アキリウ子爵軍の戦力は払底している。
野戦となった場合、もはや勝敗の帰趨は論じるに値しないだろう。
それだけに、死なばもろともの行動に出る可能性が高いのだ。
非常に言葉は悪いが、郡都リュースに暮らす人々が人質のようなものである。
「兵糧攻めがいちばん効率が良いかな」
提案するのはリキだ。
このまま包囲だけして、力攻めはおこなわない。
都市というのは、たいてい生産より消費に傾倒している。物資が入ってこなくなれば、たちまちのうちに干上がるだろう。
「十日も待てば、城門は内側から開くんじゃないか?」
けっこう辛辣なことを言う。
訓練された兵士ならともかくとして、ただの民衆は慣れていない。
包囲される恐怖にも、補給のない苦しさにも、籠城戦の厳しさにも。
沸点の低い連中がすぐに暴発するだろうし、それを制止しようとすればアキリウ軍こそが憎悪の対象となる。
内紛が起こり、結果として城門は開くだろう。
アトルワ・バドス連合軍としては、労せずして解放軍たる地位を手に入れることができるというわけだ。
「けど、それだと街が荒れちまうな」
慎重に応える北斗。
敵対した陣営の民なんかどうなっても良い、と割り切ることは彼にはできなかった。
感傷だけの問題ではない。
一度荒廃した街は、再建に時間と金がかかる。
そのどららも、北斗たちは持っていないのである。
できれば街を荒らすことなく、血も流すことなく、そっくりそのままリューズはいただきたい。
「欲張りだとは自分でも判ってるけどな」
「ふむ。そういうことであれば私にアイデアがある。上手くゆくかまでは保証の限りではないがな」
いつのまにか話に加わっていたセラフィンが笑った。
美しい、というより、悪戯小僧のような笑みであった。




