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地軸を揺るがすような勢いで突撃してくるバドス・アトルワ軍。
一瞬の自失後、アキリウ軍は盾を並べて防ごうとする。
しかし、すでに盾はハリネズミとなっており使用に耐えない。慌てて打ち捨て抜剣する。
そのときには、もう互いの距離は指呼の間まで接近していた。
激突。
およそ人間同士がぶつかったとは思えない音が戦場に響く。
槍がかわされる音。剣が交えられる音。馬と馬がぶつかる音。鎧と鎧がぶつかる音。
悲鳴。絶叫。怒号。
ありとあらゆる大音響が鼓膜を叩き、一時的に聴覚を麻痺させる。
斬り飛ばされた首や腕が血を撒き散らしながら舞う。
「うおおおおおっ!!」
まったく意味のない、だが勇猛な雄叫びをあげて突進する北斗。
灼けつくように伸ばされる右腕。
片手突き。
握りしめた長剣が敵兵の喉を貫く。
笛のような音を立てながら倒れてゆく敵を、北斗は見てもいなかった。
次の獲物に襲いかかっている。
振り下ろされた剣を弾いての抜き胴。
上下ふたつに分かたれた敵兵が、血と臓物を撒き散らしながら地面に落ちる。
まさに一刀両断。
見たこともないような剣術によって次々とアキリウ兵たちが屠られてゆく。
鋭い踏み込みと舞のような剣の冴え。
だが、五人目の敵兵を斬り殺したとき、酷使に耐えかねたように北斗の剣が乾いた音を立てて折れ飛んだ。
「ち」
小さな舌打ち。
この機を逃すまいと突き込まれた槍先を前方に一転して回避。
転がりながら倒した雑兵の剣を拾う。
なかなかの動きだが隙だらけだ。
無防備な北斗に集中する攻撃。
だがそれは音高く弾かれる。
何処からともかく現れたナナの、剣のように伸びた爪によって。
「言ってから行動しなさいよ!」
怒鳴り声とともに。
「言わなくても、ナナなら判ると思ったからな」
にやりと笑って立ちあがった北斗。
背中合わせになる。
「勝手なことを!」
「アテにしてるぜ相棒」
「あとで百叩きだからねっ!」
「三十回に負けてくれっ! 疲れるからっ!」
「五十回!」
「じゃあそれで!」
ごく短い謎会話の後、ふたたび離れる二人。
まだまだ敵は、一山いくらで売れるほどいるのだ。
アトルワ軍から見た場合、アキリウ軍は正面と右側から圧迫されて、一気に戦線が崩壊した。
これはアトルワの戦術が優れていたというより、アキリウ子爵マルコーが策を弄んでしまった結果である。
バドス軍を抱き込む必要など最初からなかったのだ。
アトルワ攻めに参加しようがしまいが、放っておけばよかった。
計算外の要素を無理に計算して利用しようとしたため、かえって隙を作る結果になってしまった。
開戦直後の寝返り。
バドス男爵も人間であり、打算もあればプライドもある、という点を失念していたアキリウ子爵の完全な失態である。
多くの味方を得て、志気の上がったアトルワ軍に対して、アキリウ軍は動揺から戦端を開かなくてはならなかった。
これでは数の差など活かせるはずがない。
加えて、ドバ隊の横撃である。
「姫さん。もうすぐ敵はくずれるよ」
「そうなのですか? ニア」
アトルワの本陣。
じっと戦況を見つめるアリーシアに、騎士ニアが話しかけた。
「ああ。この状態で踏みとどまれる奴なんて滅多にいない」
味方が次々と打ち減らされてゆく厳しい状態。
一瞬ごとに攻勢は激しさを増してゆく。
その一方でまだ完全に負けたわけではない、という思いもあるだろう。
となれば、いったん軍を引いて兵力を再編成する。
「軍を引く……」
「そうだね。この場の勝利を諦めちゃったなら後ろに。まだ諦めてないなら右にってところじゃないかな」
攻撃のない方向だ。
軽く頷くアリーシア。
彼女自身は軍を指揮した経験もないし、実戦自体も今日が初めてだ。
しかし、軍学書の類はそれなりに読んで勉強している。
「撤退するなら、無理に追いかける必要はありませんわ。そうでない選択をしたときの対応を考えましょう」
戦場を見据えながら作戦を構築してゆく。
きかぬ気の妹でも見るように、年少の主君を見つめる女騎士であった。
アキリウ軍が崩れる。
中央本隊と右翼部隊のみで移動を開始したのだ。
ドバ隊と戦う左翼部隊と、バドス軍・北斗隊と激戦を繰り広げる前衛部隊をそのままにして。
非情だが正しい判断である。
それぞれの部隊に後詰めを送るのは兵力の逐次投入となり、無秩序な乱戦を拡大するだけ。
「まだ勝ったわけではないぞ。シズリスの青二才が」
吐き捨てるように呟いたアキリウ子爵。
前衛部隊と左翼部隊には、現有戦力をもって敵を足止めさせる。
その間に陣形を錐型に再編して、バドス軍の横っ腹を貫く。
それができるだけの兵力差があるし、なによりもアキリウ子爵軍は魔法使いをまだ前線に投入していない。
勝機は充分にある。
バドスとアトルワは、最初の小細工で優位に立っただけだ。
一撃でひっくり返せる。
ぎらぎらとした目で戦場を睨みながら、内心に言い聞かせる。
さすがに口には出さない。
敵の優位を認めるなど、できるわけがない。
整然と移動を始めたアキリウ子爵軍だったが、突如として停止する。
「何事だ!!」
「前方に敵! 数およそ六百!!」
「ばかな……包囲されているだと……」
索敵士官の報告に子爵が呻く。
ありえる話ではない。寡兵のバドス・アトルワ連合軍が、どうやって包囲陣を敷くというのだ。
六百もの戦力をどこからもってくる?
「どこからって、最初からいたんだけどな」
鞍上、魔法騎士ラインがうす茶色の髪をかき上げた。
もちろん彼には、アキリウ子爵の呟きなど聞こえない。
包囲陣を完成させたのは、アトルワ軍の左右両翼部隊である。
彼らは前衛部隊の突進を弓で援護した後、そのままの陣形で時計回りに移動しアキリウ軍の右側に位置取ったのだ。
これがアリーシアの立てた作戦である。
陣形を変えないことで再編の時間を節約し、高速移動によってあたかもとっておきの予備兵力のように見せる。
じつのところ、この部隊を動かしたことによってアリーシアの本陣と、最前線の間には、まったくただの一兵も存在しないことになった。
万が一にでも北斗隊とバドス軍が突破されれば、完全に詰みである。
「もっとも、そんなことにはならないけどな」
さっとラインの右手が挙がり、
「水平射撃。敵の出鼻を挫け」
命令とともに振り下ろされる。
ありえない密度の射撃に晒され、瞬く間にアキリウ子爵軍が打ち減らされてゆく。
水平射撃。ゼロ距離射撃ともいわれる攻撃だ。
本来の山なり軌道ではなく真っ直ぐに敵を射抜く。しかも左右両翼から一点を目指して矢が飛んでくる。
凸型陣の両翼だけを使った布陣だからだ。
左右から撃たれる矢に、為すすべもなく倒されてゆくアキリウ兵たち。
もしこの様を北斗が見ていたら、十字砲火だと評したことだろう。
彼のいた地球世界。第一次世界大戦あたりで登場した戦法である。
あちらは機関銃などの火器を用いた戦術であるが、じつは平成になっても十字砲火というのは突破攻略困難な防御戦法なのだ。
なんとアリーシアは、そこに独力でたどり着いてしまった。火器ではなく弓矢を用いたものだが。
「なんだこれは! なんだこの戦法は!!」
喚き散らすアキリウ子爵。
もちろん部下たちは答えられない。
はじめて目にする戦法の攻略法など、すぐに出てくるものではないのだ。
右翼からの射撃に備えようとすれば左翼から撃たれる。
左翼からの攻撃に盾を構えれば右翼ががら空きになる。
では、と、防御を固めてしまえば、一歩も進めなくなる。
かといって守らずに進むのはただの自殺だ。
血走った目できょろきょろと周囲を見渡す子爵。
前衛はもういくらも保たない。
左翼部隊も、結び目がほどけていくように崩壊しつつある。
このままでは、完全に包囲されてしまうだろう。
さまよっていた視線が一点に固定される。
後方だ。
すなわち、退路である。
無言のまま、アキリウ子爵マルコーが馬首を巡らせた。




