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遊んでいる場合ではない。
陣容は整いつつあるが、まだ肝心の問題が片づいていないのである。
「肝心?」
「あなた達の結婚問題ではありませんよ? ホクト」
「いい加減その話題から離れろ」
ぎろりと睨む。
くすくすとアリーシアが笑った。
信じられるか? こいつ俺より一つ年下なんだぜ?
あさっての方向に慨嘆してみせる北斗であった。
ともあれ、肝心の問題とは、男爵位の継承についてである。
新男爵、と公称しているが、じつはアリーシアはまだ男爵ではない。ルーン王国政府から、男爵位継承を許可する旨の詔勅が降りていないからだ。
領主の座を空位にはしておけないため、継承権一位の彼女が執務を代行しているに過ぎない。
「本当は八位とか九位とか、そのくらいの妾がいきなり一位。王国が疑念を抱くのは当然ですわ」
「領内で何があったか、調査しているってところか」
「いいえ」
首を振るアリーシア。
本来、貴族の家の相続問題に王国は口を出さない。誰が跡目を継ごうと基本的にはノータッチだ。
継承順位など、ぶっちゃけどうでもいいのである。
ようするに国に上納する金が、きちんと納められているか否か。それだけ。
それこそ何らかの陳情でもあれば別であるが、そんなことをする貴族はいない。
王国に泣きついた時点で、その貴族の面目は丸つぶれだから。
「アトルワ男爵家は、きちんと貴族の義務を果たしてきましたわ。妾の爵位が認められないわけはないのですが」
「渋る理由がないのに渋ってる。たしかにおかしな話だな」
「使者を送って、もう二十日以上。なんの返答もないというのが、そこはかとなく不気味ですわね」
「いっそ探りを入れてみるとか。俺たちでいってくるが」
「藪蛇になるのが嫌ですわね。その手は」
深沈とアリーシアが考え込む。
現状、待ちの一手しかないというのが、若く鋭気に富んだ彼女にとってはけっこうしんどい。
「それなら……」
なにか言いかけた北斗をさえぎって、伝令兵が飛び込んでくる。
「姫さまっ!」
狼狽した様子だ。
「手を打つ前にことが起きてしまいましたわね。こういうときって」
「たいてい悪い方だよな」
何ともいえない顔を見合わせるアリーシアと北斗だった。
王宮から使者がやってきた。
ミルージ・ドリエル伯爵。爵位を持つ貴族である。しかもアトルワ男爵家よりふたつばかり位階が上だ。
これは、かなりめんどくさい事態である。
謁見の間から名を改められた陳情の間。その上座へと案内されるドリエル伯爵。
男爵公女アリーシア以下、その他の者たちは下座だ。
王国からの使者で、しかも位階が上なのだから仕方がない。
「上意である」
三十代半ばの男が、重々しく口を開いた。
一斉に頭を垂れる男爵家のものども。
さすがにドバやナナたちは同席していない。現時点で獣人たちとの協調路線を王国に悟らせるつもりはないからだ。
もちろん隠す理由だってないが、積極的に語るメリットもない。
「アトルワ男爵領は改易。アトルワ男爵家は除封とする」
ざわりと空気がうごめく。
いま、この使者はなんといった。
列席する者たちの耳が変調をきたしていないなら、領地を没収した上に、男爵の位をも剥奪すると聞こえた。
「……理由は?」
静かな声で問うアリーシア。
「上意である」
反応は冷淡を極めた。
説明の必要はない。上の決めたことだから従えという意味である。
「承服いたしかねますわ」
お前はクビだ。財産もすべてよこせ。
そんなことを言われて簡単に納得する人間などいない。
まして理由も説明せず、上の意志だから。
それで、はい喜んでと言えるようなら、その人は俗世で生きるより、仙人なり聖人なりになった方が良いだろう。
「ルーン王国の意志に逆らうという意味か? 男爵公女よ」
「それ以外に聞こえたとすれば、妾の言い方が悪かったのでしょうね」
すっとアリーシアが立ちあがる。
頭を垂れて聴く必要は、もうない。王国がアトルワを切り捨てるというなら、ここから先は上下関係などないのだ。
使者と正面から睨み合う。
「ドリエル卿といいましたね。いまはその命、預けておきます。王都に帰って飼い主にお伝えなさい。辺境の小娘と侮ったら大やけどするぞ、と」
「雑言は高く付くぞ?」
「そうですわね。今のルーンに買える値段であれば良いですけれど」
会談は終わりだ、とでもいうように手を振るアリーシア。
唇を歪め、大股で伯爵が立ち去ってゆく。
何日もかけて王都からやってきて、滞在したのは一時間足らず。
なかなかに損な役回りであるが、これも計算の内だろう。
騎士たちが剣に手をかけたまま見送る。
「姫さま。どうするんだい?」
使者の姿が見えなくなってから、ニアが訊ねた。
ふうとため息を吐く主君。
「姫さまではない、と、王国に宣言されてしまいましたが」
アトルワ男爵家は現時点をもって消滅した。
アリーシアは男爵就任どころか、男爵令嬢ですらなくなってしまった。
「姫さまは姫さまさ。王国の連中なんか知ったことか」
ニアがやや声を高める。
冗談ではない。
領内の改革も、開明政策も、自由都市の建設も、これからだ。
身分も出自も関係なく、ともに未来を目指せる場所。
まだ一歩目を刻んだばかりなのに、そんなところでつまづいていられない。
「あたしらが担ぐ御輿はあんただけだよ。誰かなんと言おうとな」
熱弁。
頬を染めるアリーシア。
ストレートな忠誠とかにあんまり慣れていないのだ。
「ありがとうニア。でも、ちょっと照れますわね」
場が笑いに包まれる。
ドリエルの言葉に揺らいだ人間は存在しなかった。
アリーシアを仰ぎ、自らの力でクーデターを成し遂げた者たちだ。
彼らに王の権威など必要ない。
「それにまあ、こうなるのはだいたい予想はついてたしな」
タイミング良く北斗が入室する。
使者が確実に城から退去するのを見届けていたのだ。
「そうなのかい? ホクト」
軽く首をかしげるニア。
「ええ。斜陽の王国が取りそうな手ですもの」
応えたのはアリーシアだった。
北斗が頷く。
地球の歴史を紐解いてみても、いくらでも前例のある話だ。
たとえば三百年の歴史をもつ徳川幕府だって、諸藩の力を削ぐことに腐心した。
地方勢力が中央政府のコントロールを受け付けなくなるほど増大する、というのは、どんな国の為政者にとっても最も忌避すべき事案なのである。
アトルワ男爵家に限らず、隙あれば減封や改易して直轄領にしたいのだ。
今回は、たまたまその機会に恵まれた、というだけ。
「たた、予想の内側だったとしても、それを喜んでいられる状況でないのはたしかですわ」
「まったくだな」
苦い顔で少年が腕を組む。
生きるために男爵を倒した。つぎは生きるために王国と戦わなくてはいけない。
知恵を絞って難敵を排除したと思ったら、もっと厄介な敵が出てくる。いささか馬鹿馬鹿しい話ではある。
とはいえ、世の中というのはえてしてそのようなものだ。
何をやったから勝利。万歳万歳大団円というほど簡単にはできていない。
ひとつ頭を振って陰性の思考を追い払う北斗。
「兵隊を集めるしかねえな」
「ですわね」
所領を明け渡さねば、どのみち王国軍は侵攻してくる。
直轄部隊が出張るか、近隣の貴族領を戦わせるか。おそらくは後者であろう。
自前の戦力は温存したいだろうし、金もかけたくないだろうから。
「アキリウ子爵かバドス男爵。隣接する貴族のうち、どちらかでしょう」
「どっちもって可能性もあるぜ」
「二正面作戦は避けたいところですわね。ホクトに任せても?」
「どっちをたらしこむ?」
「シズリス・バドス卿」
「理由は?」
「自分は先が見える男だと思いこんでいるバカですから」
「なぁる。そいつは落とし甲斐がありそうだ」
アリーシアの言葉に、北斗が唇を歪めた。




