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「それよ。我もそれが気にかかった故、こうして話しかけておる」
笑う。
チェシャ猫のように。
胡乱げに北斗が目を細めた。
こいつはいったいなんなのだ、と、表情が語っている。
「猫などいくらでも死んでおる。べつにこやつだけが特別だったわけではない。汝の科学的思考とやらは、如何な整合性をもってこの猫を救うことを是としたのか、それを知りたいと思うての」
「……わからない」
彼自身がその答えを知りたいくらいだ。
気付いたら飛び出していた。
見捨てるという選択肢など、最初からなかったかのように。
「ほう?」
「身体が勝手に動いた。そうとしか言いようがねえよ」
ふてくされたように応えてから、どっかりと胡座をかく。
「理屈っぽいくせに、感情で行動する。矛盾の塊じゃの」
「否定はしねえ。けど、後悔はしてねえよ?」
「いや。そこは後悔せよ。汝の行動は無駄じゃったのだから。理由を述べようかの?」
「……いや、いい」
野良猫が一匹、死のうが生きようが、人間にはほとんど関係がない。
彼が命をかけて救った猫だが、その後の幸福などまったく保証されていないのだ。
級友に飼われることとなる、というあたりが、最も幸運な未来だろうか。
あるいは自分の身代わりに両親が飼ってくれるとか。
どちらも望み薄だ。
親からすれば、息子を間接的に奪った相手である。愛情を注げるわけがない。
さらに、トラックの運転手も不幸だ。
どう考えても避けられないタイミングで飛び出してきた馬鹿をはねて殺したせいで、その後の人生がなくなってしまう。
たったひとつの小さな命を救ったせいで、多くの人々に迷惑をかけることとなった。
「考えてみなくても、軽はずみな行動だよな」
「そうじゃな。それでも後悔はないと?」
「見捨てていたら、俺は自分を許せなく思っただろうな」
凛として言い放つ。
後悔はある。だがそれは、猫を救ったことではない。
猫を救った上に、自分も助かる道を選択できなかったことだ。
もう一歩早く飛び出していれば、あるいは猫を後方にトスするのではなく、抱き込むかたちで、前方に転がっていれば。
「なるほどの。それが汝の生き様というわけか。相判った」
「納得してもらえて幸いだぜ。神か悪魔かしらねえけどな」
「こんな愛らしい悪魔がいるわけなかろう」
「猫の姿でいわれてもな」
互いにしゃらくさいことを言う。
一方は苦笑を、もう一方はにやにや笑いをたたえて。
「それでじゃ。北斗。もう一度生き直してみたくはないかの?」
「生き返らせてくれるってことか?」
「否じゃ。地球における汝の命数は尽きた。汝を呼ぶのは別の世界じゃな」
「なんだそりゃ?」
北斗が首をかしげる。
オカルトを通り越しておとぎ話だ。
「我と話していること自体、充分にオカルトじゃと思うがの。臨死体験というやつじゃ」
「臨死っていうか、完全に死んでるよな?」
「然り。放っておいても、汝の魂は根の国へと導かれるじゃろう。我はべつにどちらでもかまわぬがの」
取引というほどのものでもない、と、猫が付け加える。
単なる興味によって魂を引き留め、その有り様を訊いただけ。
わがままに付き合ってもらったささやかな報酬として、もう一度、生きる機会を用意した。
「ただし、汝にとって、それが幸福かどうかは我には判らぬ。故に選択の如何は汝次第じゃよ。北斗」
「なら生きるさ。ようするにあんたは高次元生命体とかで、死んだ俺をパラレルワールドで復元するってことなんだろ」
「なにがなんでも科学的な解釈にしたいようじゃな。ずいぶんとエセ科学じゃが」
「オカルトよりはSFの方がマシなんでね」
「頑固なことじゃ」
にやにやと笑う猫が発光する。
なにがしかの力が放たれているのだと、北斗は理性によらず悟った。
「彼の地との縁を結ぶ。今ひとたびの生、存分に謳歌するが良い」
次の瞬間。
少年の目の前から猫が消えた。
否、北斗の方が何処かへと飛ばされたのである。
だから、猫が妙齢の女性の変わったことも、その女性が巫女装束のようなものをまとっていたことも、彼は知らない。
もちろん、
「人というのはやはり面白いの。我も人の身に転生するのも一興やもしれん。いまから支度すれば思兼の二、三年後には転生できようか」
と、謎の言葉を吐いていたことも。
後頭部をぶつけ、気絶してしまった旅人。
村長のドバとその娘のナナは、なんともいえない表情で顔を見合わせた。
いきなり化け猫呼ばわりしたあげく気を失うとは。
失礼を通り越して驚愕である。
「えっと。どうする? お父さん」
「どうしよ……」
じつに頼もしい返答をしてくれる村長であった。
かれらは獣人。キャットピープルと呼ばれる種族である。
特徴は猫のような耳と長い尻尾。爪は刃物のように鋭利で、伸縮自在だ。
「しっかりしてよ。村長でしょ」
「押しつけられただけだし……お前と母さんに……」
「あぁん?」
「あ、いえ、すいません……がんばります……」
ごにょごにょと微弱な反論は、娘の一睨みで封殺された。
肉食獣の眼光は怖いのである。
「あんたも肉食獣でしょうがっ」
「ひぃぃぃっ」
父娘の力関係がはっきりと判る構図だった。
「とりあえず起こそう。人間みたいだけど、王国の連中じゃなさそうだし」
変わった服装をしているし、キャットピープルに驚いているし。
あるいは逃亡奴隷とかかもしれない。
爪先でがすがすと北斗の腹を蹴りながら、ナナが思考を巡らせる。
十回くらい蹴ったところで、少年が目を醒ました。
「うぅーん……」
「大丈夫? 旅人さん」
暴行を加えていたことなどおくびにもださず、猫族の女性が優しげな声をかける。
「う……頭と腹が痛い……」
「災難でしたね。頭をそこに打ったみたいですよ」
「……みてえだな……」
傷む後頭部と腹をさすりながら身を起こす。
腹が痛いのはなぜだろう?
ともかく、ちょっとばかりインパクトがありすぎだ。
別の世界に飛んで、最初のあったのが化け猫とか。
「妖怪の世界なのかよ……」
オカルトは大嫌いなのだ。日中だからまだマシだが、夜にこんなのと出会ったら、普通はちびる。
「失礼な人ね。誰が妖怪よ」
「いや、だって……なぁ?」
同意を求めたりして。
「わたしたちはキャットピープル。モンスターじゃないわ」
ため息を吐きながら、それでもねばり強くナナが相手をしてくれる。
父親の方はぼへーっと突っ立ったままだ。
「キャットピープルねぇ……って、言葉もちゃんとわかるな。どうなってんだこりゃ」
意思疎通ができている。
違う世界とか言っていたのに。
「言葉? 判るわよ? 綺麗な大陸公用語じゃない。なまりもないし」
「そ、そうなのか……」
ふむと腕を組む北斗。
どうやら、あの高次元生命体はテレポートをさせるときに、自動翻訳機能とか組み込んだらしい。
ゆえに標準語がインプットされている、ということなのだろう。
理論としてまったく成立していないようなことを考えて、納得する。
魔法的ななにかでなんとかなっちゃうもん、という、ほんわかした解釈はお気に召さないのだ。
オカルト嫌いだから。
「むしろ、わたしの方がなまりきついから、ちょっと恥ずかしいかも」
女性が笑う。
とてもチャーミングな笑顔だった。
猫の耳が付いているが。