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「真なる風よ! 愚者どもを切り刻め!!」
サイルゥの詠唱とともに無数の真空の刃が生み出される。
「ねえよ」
ゆっくりと立ちあがった北斗が否定した。
「もし大気中に真空が生まれたって、んなもん、すぐ消えるに決まってんだろ。周りに空気がいくらでもあるんだから」
黒い瞳の少年の言葉で、生み出されたカマイタチが消えてゆく。
大昔から日本でもカマイタチ現象はあった。
どこにも触れていない皮膚が、鎌で切られようにすっぱりと切れているというものだ。
大気中に何らかの原因で生まれた真空によって引き起こされる、と、考えている人も多いが、じつはまったくそんなことはない。
もし真空が生まれたとしても、それはすぐに消える。
北斗が言うように、周囲には空気がいくらでもあるからだ。
ついでに、真空が人間だけを選んで切るなどということもありえない。
服だって道だって動物だって自動車だって切れちゃうのである。
「そもそも、真空を生み出せるくらい気圧を変化させるとか、生身の人間にできるわけねーだろうが。このインチキ野郎」
「な、な、な……」
狼狽するサイルゥが、次の魔法を用意しようとする。
もちろん、獣人たちもニアも、そんなものを待ってやるほどお人好しではない。
風の魔法が消えた瞬間に飛び出している。
ナナの爪が、ニアの長剣が、造反者たちを切り裂いてゆく。
ただ二人を除いて。
サイルゥと、その同志である魔法騎士ライン。
同志であるはずの男が、後ろ手にサイルゥの右手をひねりあげ、床に引き倒した。
「きさまっ!? なにを!?」
「説明が必要か? ここまできて」
冷笑し、サイルゥの喉笛を掻き切る。
新領主を殺害するために用意された短刀で。
「ご苦労様でした。ライン卿」
「は」
死体から降りて一礼する魔法騎士。
彼はサイルゥの同志などではない。初期段階からアリーシアに忠誠を誓っていた数少ない騎士の一人である。
敬愛する主君の意を受けて造反者の動向を探っていた。というより、短兵急な行動を起こすよう様々な工作をおこなっていたのだ。
ようするにサイルゥの決起は、最初から最後までアリーシアの手のひらの上だった、というわけだ。
「我ながら業が深いとは思いますが」
ほろ苦い表情を称える女領主。
どうしてこんな手の込んだ事をしたかといえば、第一義には現段階での反対勢力のあぶり出しである。
本質的にそれがゼロになることはありえないが、まだ完全に領内を掌握したわけではないアリーシアにとっては、極力減らしておきたいのは事実なのだ。
もうひとつの理由は、犯人が必要だったから。
前男爵を殺害し、その事実を伏せ、領政を壟断していた、判りやすい犯人が。
高尚でもなんでもない話だが、民心の安定のためにもストレートな悪役というものが必要になる。
それに抜擢されたのがサイルゥというわけだ。
「まあ、仕方ないだろうね。どのみち敗戦の責任を取らされる立場だ。長らえても、たいして幸福な人生は待っていないだろうよ」
ドバが肩をすくめてみせる。
北斗は無言だった。彼の趣味に合う策略ではないが、必要な措置だったことは理解できる。
ごっこ遊びではない。
負ければすべてを失う、というのは、べつにサイルゥだけの話ではなく、彼ら自身にも当てはまるのである。
叛乱を企画するレベルの不平分子を抱え込んだまま船出、というわけにはいかないのだ。
ただ、頭では理解していても、感情面ではなかなか整理が付かなかったため、余計なことを言わなかった。
集まってきた守備兵たちが、黙々と死体を片づけるのをただ見ている。
「勝てるって決まってる戦いは、なんかつまんないね。ホクト」
寄り添ったナナの言葉。
「それは、どっちかっていうとギャンブラーの発想だぜ」
少しだけ心を軽くした北斗が苦笑する。
反逆者サイルゥとその一党の首は、罪状とともに晒され、彼らの所有していた財産はすべて没収された。
主君殺しと、さらには新男爵への反逆である。
一族郎党皆殺しでも、世人は不思議に思わなかっただろう。
ただ、アリーシアは妻子や妾、庶子などに一切の処罰を加えなかった。
「親の罪は子に及ばず。逆もまた然り」
という言葉が公式記録に残されている。
どのような罪であれ、それによって家族が責任を取らされるのは筋違いだ。これは、解明政策を推し進める新アトルワ男爵領としての根本的なルールの一つになってゆく。
ただ、罪に問われなかったとしても、サイルゥをはじめとした反逆者たちの家族には風聞がつきまとうし、それが火種となって新たな動乱に発展する可能性も否定できない。
「全員殺して後の禍根を断つ、というやり方が今までまかり通ってきたのも、判る気がしますわ」
数日後の執務室。
物憂げなため息をもらすアリーシアだった。
自らが殺した者の係累が生きている。案外怖いものである。
「の割には、いろいろ手を焼いてるくせに」
ニアが笑う。
「ん? どういうこと? ニア卿」
「それがさ。ライン卿。姫さまったら冒険者ギルドに頭さげてんの」
「わー! わー!! わー!!!」
解説しようとする女騎士を、奇声を発して止めようとする新領主。
残念ながら抵抗はむなしかった。
あっさりと捕縛され、頭を撫でられる。
「遺族たちの生活が立ちゆかなくならないように、何か仕事を世話してやってくれないかってね」
「ほほう」
にまにまと笑いながらラインが右手で下顎をさすった。
これあるかな我が主君。
じつにアリーシアらしい処置だ。遺族たちの身を案じる心。だが、ただ金銭を与えるのではなく、働く場を探してやるというある種の厳しさ。
貴族の子弟として何不自由のない生活を送ってきた連中に、雑用や事務仕事ができるかは判らない。
判らないが、チャンスはやる。
「ちがいますわっ! 庶民たちと一緒に働いて、苦労を思い知ればいいと思っただけですっ!!」
「うんうん。そうだねぇ。姫さまは厳しいねぇ」
あいかわらず、なでりなでりとアリーシアの頭を撫で回すニア。
なまあたたかい目のライン。
「なにやってんの? おまえら」
執務室に入ってきた北斗が、珍獣でも見つけたように呟いた。
さて、彼らはアリーシアをいじって遊んだり、反乱者の家族の行く末を案じてばかりいられるほど暇ではない。
処理を待つ案件は数多いのだ。
「獣人族の代表は、ドバともう一人。狼人の酋長がやるってよ」
男爵軍との戦いに戦士を貸してくれた狼人だ。やはり彼らにも政治に参加してもらいたい。
「あら? ホクトは?」
「俺はそういう堅苦しい場はちょっと」
「ダメですわ。そういう姿勢が退廃を招きますのよ」
会議とか委員会とか、できれば遠慮したい少年だったが、アリーシアは許してくれなかった。
まあ、幹部がそういうことを言い始めると政治が腐り始めるのは事実ではある。
王様が「そのような話、予はききとうない」などと言って、悪い報告をシャットダウンしてしまったら、国はどうなるかという話だ。
「ホクトは獣人と人間を繋ぐ橋のようなもの。知らぬ存ぜぬは通りませんわ」
「わーったよ……」
「あとナナも」
「なんでナナ?」
「夫婦でしょう? 一緒に参加なさいな」
「そうなの!?」
まって。ちょっと待って。
いつの間に自分はナナと結婚したのだろう。
脳裏に疑問符を踊らせながら素っ頓狂な声を出す北斗。
「いつも一緒ですし。宿も同じ部屋に寝ていたのでしょう?」
「いや……あれには事情があってだな……」
どう説明したものか。
唸り始める北斗だったが、タイミング良く、戸口からナナがひょいと顔を出す。
「呼んだー?」
「呼んでな……」
「ちょうど良かったですわ。ナナ。あなたとホクトって恋仲なのでしょう?」
北斗を遮り、どストレートにアリーシアが訊ねる。
お姫様として、もうすこし慎みとか持ってくれた方が良い。たぶん。
「んー? それでも良いよ」
にぱっとキャットピープルの少女が笑う。
「いいの!?」
意味不明すぎる。
頭をかきむしる少年であった。