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身なりの良い女性が街路を歩く。
若い。
まだ少女と称して良い年代だ。アップにしたくすんだ金髪が歩調に合わせて律動的に揺れる。
アリーシア・アトルワ。
姓が示すとおり、アトルワ男爵家の一員である。
男爵位を継承する資格も有しているが、序列としてはまったく高くない。八位とか九位とか、そのくらいだ。
順当に事態が推移していたなら、数年の内に他家へと嫁ぐか、功績のある重臣に嫁がされるか、どちらかであっただろう。
だが、状況が変わった。
父が暗殺された。
長兄も殺されたらしい。
前者の犯人は不明だが、後者の方は判明している。というより犯人の側から宣言があった。
蛮族たちの村を襲い、返り討ちにされたのである。
最悪だ。
領民に無体を働いたという一事だけでも、政府から調査官が送り込まれるような事態である。
領地にいる民は領主のもの。それは事実ではあるのだが、無意味に虐待して良いという意味ではない。
領主たる資格なし、とルーン王国の上層部が判断した場合、お取り潰しだってありえるのだ。
実例だってある。
まして、ここ二十年くらい王国は地方領主の力を削ぐ事を主眼においたような政策を採っている。
些細な失点が、男爵家の命運を左右する可能性だって低くない。
「そんなことすら判らない跡継ぎ。愚兄って言葉すらもったいないですわ」
口中に呟く。
長子で、しかも男児であったから後継者に立てられただけ。
それがアリーシアの兄に対する人物評である。
「父上も父上ですわ。こんな時期に暗殺されるなんて。どうせ死ぬなら、事態を解決してから死ねばいいのに」
実の父へ評価もひどいものだ。もちろん内心でのことではあるが。
「みえてきました。あの宿です」
半歩さがって歩きつつ案内をしていた女が告げる。
正規兵ではない。
アリーシアが個人的に懇意にしている冒険者だ。
鮮やかな赤毛が印象的な女性である。どうして胡散臭い職業の者と男爵令嬢が一緒にいるかといえば、彼女自身は一兵をも指揮する立場にはないから。
家内での立ち位置が良く判る。
女児な上に末子。しかも正嫡ではない。
護衛など最低限だ。
ごく幼少の頃から、男爵家にアリーシアの味方などほとんどいなかった。
ゆえに彼女は、力を外部に求めるようになっていった。
幸いなことに自由になる幾ばくかの金はあった。
市井の冒険者同業組合などと交流を持ち、便宜をはからう。ようするにコネクションづくりである。
そんな中で、幾人かの知己もできた。
いまアリーシアを案内している女冒険者もそのひとりだ。
そして彼女が、ある情報をもたらしてくれた。
他領の貴族が城下町に滞在しているらしい、と。
あきらかに貴人と判る女性が入店すると、水面に波紋が広がるようにざわめきが静まってゆく。
戦前の緊張感にも似た静寂。
打ち破るかのように席を立つ少年がひとり。
北斗である。
横に控えるのはナナだ。
アリーシアの人名録に存在しない顔。
「はじめましてだな。お姫様」
「……なるほど。いっぱい食わされたようですね」
美しい顔に苦笑が刻まれる。
「何者か、という問いに答えるつもりはありますか?」
「ドバ村の北斗だ。見ての通り、貴族じゃねえ」
強気の態度を崩さない。
ここはもうホーム戦だからだ。
店内にいる者で、男爵の陣営に属するものはただのひとりもいない。アリーシアを除いて。
状況によっては男爵令嬢を殺して口を封じる、という覚悟で全員が臨んでいる。
「アリーシア・アトルワ。男爵家に名を連ねる者ですわ。座ってもよろしくて?」
「ああ。もちろん」
粗末なテーブルを挟んで対面に座する。
十七歳の少年と十六歳の少女だ。
天下国家を語るには、若すぎるふたり。
「あんたのことをニアからきいて、会ってみたいと思った。それで一芝居うってもらった。騙して悪かったな」
「彼女の情報がなければ、他領の貴族の噂をきいた誰かが、貴方と面会したことでしょう。それが妾であったことを、幸運と考えることにしますわ」
男爵令嬢の口ぶりに、北斗が薄い笑みを浮かべる。
噂に違わぬ賢い娘だ。
騙されたことより、叛乱勢力の代表者らしき者と言葉を交わす機会を得たことを是とする。
名より実を取る姿勢。
市井の冒険者などと親しく交わったことにより、偏狭な貴族の価値観にとらわれない人物となった、とニアは話していた。
どうしてどうして、貴族の価値観どころか、政戦両略に鋭い感性をお持ちの御仁のようである。
さりげない一言で主導権を主張するなど、十六歳の令嬢のやることではない。
彼女は、自分が男爵家側のチャンネルになっても良いと言っているのである。
それはもちろん無償ではない。
「して、いつ攻め込むつもりですか?」
「……怖ろしいことを言うお姫様だぜ」
「準備がありますので」
「迎撃の?」
「権力掌握の」
今度はアリーシアが笑みを浮かべる。咲き狂う毒花のような危険な笑みだ。
ドバ村が進撃するタイミングを教えろというのは、迎撃のために軍の大半を出撃させて、その隙に空城をアリーシアが奪うため。
もし北斗たちがあっさりと敗北すれば、凱旋した男爵軍によってアリーシアは殺されてしまうだろう。
性質の悪い賭博だ。
「俺のまわりは、ギャンブラーだらけだな」
「妾のは主にニアのせいですわ。何度か賭場に連れて行ってもらいましたので」
「賭けるのは、金じゃなくて命だぜ?」
「ホクトといいましたね。妾はべつに貴族制度を憎んでいるわけではありません。憎むとすれば、妾が後継者となれなかった。その一点ですわ」
「当たり前の話だな」
男爵令嬢は、すでに金も力も持っている。生活面での苦労もない。ナナやニア、ドバ村の人々とは違うのだ。
圧政や差別に対する不満、などという理由で戦うわけがない。
より高みを目指そうとしているだけ。
そして、むしろそういう人間の方が信用できる。
虐げられている蛮族たちが可哀想、なんて動機の甘ちゃんに闘争は無理だ。同情や憐憫で長く苦しい戦いを続けることはできないから。
たとえば日本に置き換えてもよく判る。
発展途上国の窮状は誰もか知っている。だが、彼らを救うために全財産を投じて、命を賭けてでも戦おうとする人間はいない。否、まったくいないとはいわないが、かなりの少数派であろう。
他方、自分自身の野心のためなら、家族でも友人でも利用する者は数多い。
誰だって他人より自分が大事。
当たり前のことで、責めるべき筋はない。
だからこそ、他人のために何かしようとする人々は、それだけで賞賛される価値があるのである。
アリーシアもまた、べつに他人のために戦うわけではない。
自分が男爵となるため、あるいはさらに上を目指すため、この擾乱を最大限に利用するだけだ。
「あんたが男爵になったとして、俺たちにどういう利得がある? ここが肝だぜ」
ぐっと踏み込む北斗。
頭のすげ替えが行われるだけでは、彼らの叛乱は無意味である。
「叛乱の罪を不問に付す。足りませんか?」
「ぜんぜん足りねえな」
「では、政治への参画を。代表者会議の設置、これでどうです?」
男爵令嬢がにやりと笑う。
ようするに議会を作り、住民たちの声を政治に反映させるという意味である。
民意を取り込む政治。
それは、失政の責任を為政者に押しつけられない。
自分たちで決めたことだからだ。
「……すげえな。あんた」
北斗が目を細める。
なんとこの小娘は、専制政治が何百年も続いているこの国で、独力によって民主主義の尻尾を捕まえた。
「まあ、妾が君主になったら、などというのを幼少の頃から妄想してまして。なるべく仕事をしない方法はないかと考えた結果ですわ」
くすりと笑うアリーシア。
韜晦なのか、本音なのか。
「OKだ。その条件で手を打とう」
椅子から腰を浮かせ、少年が右手を差し出す。
少女の手が、それを力強く握りかえした。