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「あててて……なんなんだよ。ちくしょう……」
思い切り打ちつけてしまった左肘をさすりながら、北斗が身を起こす。
と、その鼻先に突きつけられる切っ先。
赤毛のニアと名乗った女冒険者の剣だ。
「あんたの詠唱が速いか、あたしの剣が速いか、試してみるかい?」
「…………」
あまりの事態に息を呑む北斗。
「お嬢ちゃん。あんたは逃げな」
他の冒険者たちも武器を手に取る。
魔法使いは強い。だが、機先は制してるし、人数で押せる。そう考えたのだろう。
何人かは殺されるかもしれない。
「けど、それでもあんたを逃がすことができたら、俺たちのくだらねぇ人生にも、少しは意味があったってことだからな」
なんか、悲壮な覚悟を固めている者もいる。
「待って待って。みんな落ち着いて。こいつは貴族じゃないから」
慌てて仲裁するナナ。
ニアをはじめとした冒険者たちが、きょとんとした。
「騙してごめんなさい。わたしたちはドバ村からきたの。わたしは村長の娘のナナ」
身振り手振りを交えて事情を説明する。
男爵家に動きがないため、斥候として城下町アトルーに潜入していること。貴族と奴隷風を装ったのは、そのほうが情報を集めやすいと思ったためであることなどだ。
理解が広がり、帯電していたような雰囲気が弛緩してゆく。
ぐっだぐだだ。
「……どうすんだよ……この空気……」
ぼそりと呟いたのは、悲壮な覚悟で格好いい台詞を吐いていた男である。
とてもやるせなさそうに。
どうしようもなかったし、北斗にもナナにもどうしてやることもできなかった。
ひたすら騙していたことを詫びるのみである。
「こいつは一杯食わされたな」
酒場のマスターが大きな腹を揺らして笑う。
冒険者や傭兵たちの間にも、弛緩した空気が流れていた。
刃傷沙汰にならなくて幸いである。
「じつは、男爵はもう死んでいる」
カウンター席に座った北斗が切り出した。
それは斬り込みにも似て。
息を呑む客とマスター。
ナナもまたじっと北斗を見ている。ここで踏み込んで良いのね、と瞳が語っている。
精悍な顔で少年が頷いた。
彼らが信用できるか否か、という水準の話ではない。
なりゆきにせよ貴族と戦う覚悟ができる者たちだ。味方にならないとしても、敵にとっての潜在的な敵である。
この際はそれで充分だ。
「俺たちが殺した。すぐに攻め込んでくるかと思ったけど、まったく動かないんで調べにきたってわけさ」
「なぁる……城の方が妙な雰囲気なのはそういう寸法か」
マスターが右手で下顎を撫でる。
城下町に確定した情報は降りてきていない。しかし、誰もがきな臭いものは感じていた。
「けどまあ、貴族を殺したとはねぇ」
感心するのは赤毛のニアである。
魔法使いはべつに不死身ではない。殺せば死ぬだろう。
ただ、殺すまでに味方が何人殺されるか。その収支計算が合わないから逆らえないのだ。
ひとりの魔法使いに対して十人で挑めば勝てるかもしれない。しかし、七人くらいは殺されるだろう。その七人の中に自分が入っていたら勝利を祝う気分にはなれない。そういうことである。
まして貴族は軍勢を召し抱えている。
一対十なんて局面は、そもそも作れない。
逆にいえば、たとえ自分の命と引き替えにしても貴族を倒さなくてはならない、というところまで追いつめられなくては、人は戦うことを選択できないのである。
「よっぽどの事があったんだね」
「わたしは男爵公子に、狩りの獲物になるよう言われたの。だからあいつを殺した」
淡々としたナナの言葉。
なんというか、被虐趣味がこうじて奴隷ごっこを楽しむ少女のものとは思えない。
北斗が苦笑するが、じつはこれ、彼はよく知らないだけなのである。
少年のいた時代より進んだ平成の日本でも誤解している人は多いが、SMというのはプレイの一環であり暴力や虐待とは違う。
SとM、双方の合意によって為されるものなのだ。
当然のようにファウルラインもあるし、どちらか一方でも望まない行為はしてもいけない。
それを理解していない自称Sというのは、単なる性格の悪い変質者であるに過ぎず、プレイヤーとしては下の下にすら達していないのである。
ものすごくどうでもいい話だが。
「それは、殺して当然だね」
ニアが頷いたのは、もちろんナナの性癖を理解した上での事ではない。
命の危険が迫れば、おとなしい草食獣だって必死の反撃をする。
当たり前のことだ。
その程度のことを理解していなかった男爵公子が愚かなだけである。
まあ、前後の事情はいろいろとあるのだが、そこまで懇切丁寧に説明するつもりは北斗にもナナにもない。
「だがあんたら、男爵の軍と戦って、勝算はあるのか?」
訊ねるのはマスターである。
「ない」
北斗の回答は率直だった。
地方貴族とはいえ、また爵位の中では最下位とはいえ、腐っても鯛。
アトルワ男爵家にはそれなりの規模の家臣団があるし、軍だって持っている。
たかが集落ひとつを滅ぼせないわけがない。
勝算を高めるために男爵を殺した北斗たちではあるが、一パーセントくらいだった勝算が、五パーセントほどにあがっただけだ。
まして彼らが男爵を暗殺したのだと知られれば、弔い合戦とばかりに士気を上げた軍勢が攻めてくるだろう。
そうなれば勝算など、ゼロを通り越してマイナスだ。
だからこそ、ドバも北斗も、男爵暗殺を公表していない。
せっかく頭を潰して統制を失わせたのに、またまた団結されてはたまったものではないのである。
「だから、俺たちが男爵を殺したことは、ここだけの話にしておいてくれるとありがたい」
に、と北斗が笑う。
「あたしらが秘密を漏らすわけないって顔でお願いされちゃね」
釣られるようにニアも笑った。
親和力が高まってゆく。
貴族を憎むという一点で、彼らは同志である。
「で、これからどうするつもりなんだい?」
「もう少し情報が欲しい」
「集めてどうする?」
「ケンカを売るのさ。決まってんだろ」
武装蜂起、という意味だ。
この期に及んで、降伏や逃亡という選択肢は存在しない。
北斗が欲しているのは、勝算を高めるための情報である。
「よし。その話、乗ったよ」
「俺もだ」
「俺も一口噛ませてもらおう」
ニアを皮切りに、男たちが次々と名乗りを上げる。
数百年にも及ぶ貴族制度に楔を打ち込もうという馬鹿げた戦いだ。これにベットしなくて、なにが冒険者か。
冒険しない人生が良いなら、どこかの大店にでも丁稚奉公して、波乱のない道を歩む。
剣と力と機転を武器に危険な人生行路を進み、ときに裏切り、ときに裏切られ今日まで生き延びてきたのは、安定や安全を求めてのことではない。
「とんでもねえバカどもだ。貴族とやりあって、薄紙一枚分でも勝ち目があると思ってんのかね」
苦笑するマスター。
「そういう貴方はどうするの? 分の悪い賭けだから降りる?」
ナナがやや冷たい目を向ける。
返答次第では、荒っぽい手を使わなくてはいけない。
「おっかない顔するんじゃねえよ。お嬢ちゃん。あんたにドバ村のことを教えたのは、どこのどちらさんだ?」
「あ……」
ナナの境遇に同情し、ドバの村へと逃げるように進め、さらに路銀まで握らせようとしてくれた。
ただの親切なおじさんではない。
覚悟をもっていなくては、そんな真似はできないのだ。
「そういうこった。俺の立ち位置は最初から決まってんだよ」
不器用なウインク。
キャットピープルたちは、はじめて北斗以外で人間の仲間を得た。
そしてそれは、ルーン王国全体へと広がる大混乱の、最初の炎となるのだが、この時点でそれを知る者は誰もいない。