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外伝2 ~夢の吹く頃~


 師父(しふ)が死んだ。

 出会ってから、二十三年の歳月が経過していた。

 五十六歳。

 早すぎる死というわけではない。

 激動の生涯を思えば、むしろ長命といっても良いだろう。

 一介の冒険者から身を立て、大陸南西部に一大王国を築いた男。

 オリフィック・フウザー。

 稀代の(レア)大魔法使い(ウィザード)

 いかな英傑でも、いかな賢者でも、時の呪縛から逃れることはできない。

「ですが先生……それじゃあんまり寂しいじゃないですか……」

 棺の前に(ひざまづ)いた大魔法使い(ウィザード)アルベルト・ロスカンドロスが呟く。

 先年、二十八歳という若さで大魔法使いの称号を得た俊秀だ。

 傍らに置かれた杖は、師父から譲られたもの。

 若き日より愛用してきたものだという。

 師父はこの星降り杖(スターライト)を携え、ルーンの聖騎士(ルーンナイト)ガドミール・カイトスや深緑の風使い(シュトルムウィンド)セラフィン、獣神(ダンサー)キリとともに幾多の冒険を繰り広げた。

 伝説に記されるような大冒険だ。

 友たちが彼に背き、去っていっても、この杖だけはずっと側にあった。

「私が生きているうちにアルが大魔法使い(ウィザード)に昇進して良かったよ。だめだったら、遺言(ゆいごん)に書こうと思っていたんだ」

 脳裏に蘇る師父の笑顔。

 昇進の報告に訪れたときのこと。

 冗談めかした言葉に、ロスカンドロスは苦虫を噛み潰したものであった。

「たしかに去年はだめでしたけど、僕だって何度もは落ちませんよ」

「わかっているさ。アルなら必ず大魔法使い(ウィザード)になれる。疑ったことなどない。ただ単純に私が自分の手で渡したかったというだけの話だよ」

 そう言って、いつも傍らに置いてある杖を渡してくれた。

 あのとき、フウザーの言葉の意味を吟味できなかった。

 彼はすでに死を予感していたのではないか。

 それと伺える言い回しをたしかにしていた。

 しかし、ロスカンドロスは気付かなかった。

 あまりの驚愕に。

 なにしろ、稀代の大魔法使いの分身とも呼べる杖を手渡されたのである。驚くなという方がどうかしている。

「先生……」

「私はもう歳だし、王としての仕事もあるからね。前線(フィールド)に出るなんてとてもとても。アルが使ってくれると嬉しいな」

「先生……」

「飾っておくだけじゃ、せっかくの魔法の杖(マジックスタッフ)も宝の持ち腐れだからね」

「ありがとう……ございます……」

「うん。これからは君たちの時代だ。よろしく頼むよ。アル」

 フウザーが微笑する。

 お痩せになられた、と、ロスカンドロスは思った。

 もともと肥満した人ではないが、最近はとくに痩せたような気がした。

 それだけ。

 本当にそれだけだった。

 あのとき思ったのは。

「なにが大魔法使い(ウィザード)だよ……先生の体調にも気付かないなんて……」

 両目からこぼれた雫が床に落ちる。

 いつかくる別れ。

 知らなかったわけではない。フウザーはロスカンドロスより二十七も年長だ。

 彼が師を送るのは当たり前のことなのだ。

「こんなところにいたのか」

 突然、背後から声がかかる。

 安置室へと入ってくる足音。

 小麦色の髪の大魔法使いは振り向きもしなかった。

「フウザー師と話をしていた。君こそこんなときに、どこをほっつき歩いているんだ。アラミス」

「国葬の準備に決まっているだろう」

 言葉とともに左肩を掴まれ、強制的に振り向かされる。

 目に飛び込む、師とよく似た容貌の男。

 王太子アラミス・フウザー。

 ロスカンドロスと同い年で、幼少の頃から兄弟同然に育ってきた。

「現実を見ろアル。父上は死んだ。死者と話すことなんてできない」

 師父と同じ蒼眸に灯る炎。

 まるで怒っているように。

「判っているさ。感傷だってことくらい」

「判っていない! ここで俺たちがしゃんとしていないと、国が割れるんだぞ!」

 肩を掴んで揺さぶる王子。

 建国王オリフィック・フウザーは英雄であった。

 喪われた衝撃が小さかろうはずもない。

 二代目の力量如何(いかん)では、ルーンは空中分解してしまう。

 涙の池に耽溺(たんでき)している時間など、一秒もないのだ。

「アラミス……」

「アル。いや、ロスカンドロス。君には宮廷魔術師になってもらう。それから俺のことは、これからきちんと陛下と呼べ」

 兄弟のように育ったとはいえ王と臣下。

 情実(じょうじつ)人事だと思われては舐められる。

 絶対的な権力を持った王が軽侮(けいぶ)されたら、国はおしまいだ。

「わかった……いえ、承知致しました。アラミス陛下」

 大きく息を吐いたロスカンドロスが言葉を紡ぐ。

「ここからが正念場だぞ。ロスカンドロス」

 国葬、人事の刷新、他国との調整、部族の長から貴族となった者たちとの調停。

 やるべき事はいくらでもある。

「準備を致します。怠りなく」

 涙に湿っていたロスカンドロスの瞳に強い光が宿ってゆく。

 消させない。

 尊敬する師父の遺したルーン王国(作品)だ。

 築いてやろう。

 千年王国(ミレニアム)を。

 そのくらいせずして、なんの手向(たむ)けか。

「頼むぞ」

「御意に」

 棺に一礼し、歩み去ってゆく大魔法使い。

 見送る第二代国王の視線は、単純ならざる光をたたえて僚友の左手に注がれていた。

 握りしめられた杖。

 嫡子の自分ではなく、愛弟子に授けられた星降りの杖(スターライト)に。




「平民への初等魔法教育の中止? 本気で言っているのですか? 陛下」

 御前会議の席上、ロスカンドロスが声を高める。

 爆弾が投げ込まれた。

 即位から三年と経過していないというのに。

 新王は、自らの手によってルーンの在り方を変えようとしている。

 それは建国王の理念とは真っ向から対立する発想。

 オリフィック・フウザーは、自らが寒門(かんもん)出身であったことも手伝い、平民の登用に意を用いた。

 教育を与え、知識を育ませることで、平民層というのは無限の人材畑となる。

 そうやって育て上げたのが、現在のルーンを支える官僚集団だ。

「当然だ。平民に武器を持たせるようなものだからな」

 下目使いにアラミス王が応える。

 知識、とりわけ魔法の知識は容易に武力となる。

 初級の攻撃魔法しか使えないような連中だって、百人千人と徒党を組めば、一個兵団に勝る攻撃力になるのだ。

 いつ背くか判らない平民どもにそんな力を持たせては、国の屋台骨が揺らぐ。

「……人材確保の問題はどうするのですか?」

 今現在出仕(しゅっし)している官僚たちだっていずれは老い、第一線では働けなくなる。

 そえなったとき、誰が国を切り盛りするのか。

「問題ない。貴族たちがいる」

 きっぱりと言い放つアラミス王。

 彼は王太子時代からお気に入りの者たちを集めては集団を形成していた。

 即位後、彼らの多くは貴族に叙された。

 それが部族の長や都市国家の長から貴族となったものたちとの間に軋轢(あつれき)を生じさせていることを、たとえばロスカンドロスは知っている。

「彼らに優先的に教育を与える、ということですか?」

「ああ。平民など登用しても一代限りのこと。貴族であれば世襲されるし、代々に渡って我がルーンに忠誠を誓うからな」

 この人は恐怖しているのだ、と、ロスカンドロスは察した。

 父王と比較されることを。

 だから、自分の子飼い以外の部下は使いたくない。 

 それはあるいは当然の心理だろう。

 誰だって父親などと比べられたくない。

 ロスカンドロスですら、魔術協会において稀代の大魔法使いとは常に比較されるのだ。

 しかし彼は、自分がオリフィック・フウザーに遠く及ばないことを自覚しているし、悔しいと思ったこともない。

 アラミス王はそういう心境にはなれなかったようだ。

 聖賢王ならば、というのは、これからいくらでも言われるだろうし、耐えなくてはならないのに。

「陛下。おそれながら申し上げます。自らを是とする者だけを頼んでは、組織は健全たり得ません」

 反対意見の存在は、国でも組織でも運営する上で絶対に不可欠なものだ。

 イエスマンだけで組織は回らない。

 かつて師父は言った。

 人間の集団が団結するには()が必要なのだと。

 意見を否定されるのは、そりゃあ面白くないだろう。

 なんでもいうことを聞く相手のほうが、そりゃあラクだろう。

 ロスカンドロスの意見は正鵠を射ている。

 だからこそ、アラミス王は腹を立てた。

「えらそうに講釈を垂れるなよ。ロスカンドロス。王は予だ。父ではないぞ」

「陛下……」

「貴様の悪行、予が気付かぬと思っていたか?」

 唐突に話題が変わる。

「何を言って……?」

「ロスカンドロス。貴様、禁術に手を出したな? 父の書庫から死霊魔術関係の書物を持ち出しただろう」

「……それは……」

「死者と交信する術などない。俺は前にもそういったな」

 一人称を変えての糾弾。

 事実であった。

 オリフィック・フウザーが魔術協会を設立したとき、いくつかの魔法が禁忌とされた。

 死霊魔術(ネクロマンシー)もそのひとつである。

「アラミス……僕は……」

 出来心、というほどのものでもなかった。

 あるいは師父の蔵書に、アラミス王が言ったようなことを可能とする方法がないか、探してみた。

 結果は、否だった。

 ただそれだけの話だ。

 しかし、禁忌に触れたという事実は動かない。

「残念だよ。アル。お前は終わりだ」

 侍従にもってこさせた紙筒を、王が投げつける。

「…………」

「魔術協会はお前の除名と追放、大魔法使いの称号剥奪を決定した」

 悪意に満ちた笑い。

 すでに充分な根回しは済んでいる、ということだ。

 絶望がロスカンドロスの顔を彩る。

 そこまでしてオリフィック・フウザーの色の付いた者を排除するか。

「アルベルト・ロスカンドロス。死霊魔術師よ。ルーンもまた貴様を追放する。本日中にコーヴから去れ」

「……死を(たまわ)りたい」

「断る。死霊魔術師の(けが)れた血で大ルーンの王都を汚すわけにはいかん。どこでなりとも野垂れ死ね」

 毒々しい嘲笑が、若い頃の師父によく似た顔に張り付いていた。




 とぼとぼと街道を歩く。

 御前会議の席上から叩き出され、着の身着のまま、その足で王都コーヴからも逐われた。

 荷物もない。

 金もない。

 持っているのは、いつものように星降り杖(スターライト)と……。

「なんでこんなものを持ってきてるんだ……」

 紙筒である。

 先ほどアラミス王より投げつけられた。

 魔術協会の処分が書かれているのだろう。

 こんなものを後生大事(ごしょうだいじ)に抱えて追放されるとか、どこまで間抜けなのだ。

 道ばたに投げ捨てようと手を振り上げたが、思い直して封を切る。

 どんな悪し様な文言(もんごん)が書かれているか、すこしだけ興味が湧いた。

 文面に目を落とす。

「…………」

 ほぼ白紙に近い。

 書かれていたのは、

『本当にすまない。イロウナトには話を付けてある。そこから俺を非難し続けてくれ』

 たったこれだけ。

 アラミスの筆跡で。

 彼は悟った。

 義兄弟の真意を。

 敵になってくれ、と。

 ルーンを滅びから救うための敵に。

「アラミス……君は……」

 声が詰まる。

 知っていたのだ。彼も。

 自分には父王のような求心力も政治的手腕もないことを。反対意見を内包してしまったら、御し得ないということを。

 だから外側から非難し続けて欲しい。

 糾弾し続けて欲しい。

 膝から崩れるロスカンドロス。

 恥じた。

 義兄弟の人格を疑ってしまった自分を。

 ぽたりぽたりと涙が落ちる。

 怪訝な顔をして旅人たちが行き過ぎてゆく。

 天下の往来で大の男が泣いていたら、普通はお近づきになりたくないだろう。

「ホント、いくつになってもアンタは泣き虫(・・・)アルだね」

 ひとりを除いて。

 降ってきた声に、涙と鼻水でぐちゃぐちゃになった顔を上げる。

 旅装を整えた女性が立っていた。

 ジェニファ・ロスカンドロス・イロウナト。

 彼の妻である。

 夫が追放されたのだから、彼女もまたコーヴに居場所などない。

 それは当然なのだが、きちんと旅装をしているということは……。

「全部……計画のうちなのか……」

「アラミスを恨むんじゃないよ。アイツも苦しい立場なんだ。聖賢王に認められた後継者が二人いちゃまずいだろ」

 愛妻が手を差しのべる。

 アラミスとロスカンドロス。

 派閥ができるのは国にとって最悪の毒だ。

「うちのオヤジとも話して決めたんだよ。あたしたちが敵になってやろうってね」

 握り返す夫。

「どうして教えてくれなかったんだよ……」

「魔法バカのアンタに腹芸なんか無理だからに決まってるだろ」

「…………」

 一言もなく黙り込む。

 事前に知っていたら、憎まれ役を買って出たアラミスを守ろうとしてしまったかもしれない。

 それでは計画が台無しだ。

 政治のアラミス。

 魔法のロスカンドロス。

 稀代の大魔法使いの後継者たちは、反目し合わなくてはならないのである。

「茨の道だよ? ジェニファ」

「は? 誰に言ってんのよ? 泣き虫アル。茨が怖くてイロウナトがつとまるかっての」

「……君には敵わないな」

「さあいくよ。大ルーンの敵がこんなとこでメソメソ泣いてたら、しまりがなさすぎるからね」

 夫の手を引いて歩き出す。


 ルーンの敵。

 人間の敵。

 三百年にも及ぶ執念の旅路。

 その一歩目を刻むように。


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