事前練習と体力テスト
昨日とは違って遅刻する心配は無いが、ユリとの話が長くなったために、予定よりも少し遅く家を出てしまったので、渓太は普段より少し速いスピードで学校に向かっていた。
学校へ向かっていると、スーパーに向かうための分かれ道が渓太の前に現れた。通学路ではないので学校に向かうときに通らないが、スーパーの先には昨日、シャドウと戦った道に続いている。
昨日は事の原因が自分だと周囲にバレないように、すぐに逃げてきたが、今はどうなっているか渓太は気になった。
時間の事はあったがそれ以上に昨日の場所が気になり、スーパーの方へ向かった。
スーパーを過ぎて、渓太がシャドウから逃げていた通りに進んでいく。もう少しで渓太がシャドウを倒した場所に着くという所で、それ以上進むことができなくなっていた。
細い通りには人が通らないようにトラテープが何重にも貼られていた。道の中央には「この先、関係者以外通行禁止」と、書かれた看板が立っている。
目的の場所は曲がり角の先で、その場からは見ることが出来なかった。
誰かが発見して、警察に報告してこうなったのだろうか、と渓太は思った。
渓太自身は関係者なので、説明すれば入ること入ることが出来るだろうが、うまく説明することはできるわけもなく、中に入ることは諦めた。
無理矢理侵入するという選択肢は始めから渓太の中には無い。
何もわからないことがわかったことで、渓太は来た道を少し引き返し学校に向かった。
学校に着くと渓太は真っ直ぐ教室に向かう。教室には誰もいなかった。
昨日は自分以外全員いたのに、今日は自分しか教室にいない。極端すぎないかと渓太はしみじみ思う。
自分の席に向かうと鞄は机の横の金具に引っかけ、体操服をもって男子更衣室へ向かった。
男子更衣室で体操服の上にジャージという姿に着替えた渓太はグラウンドへ向かう。
学校の中心にあるグラウンドはとても広く、陸上部 野球部、サッカー部が一斉に練習をしても少し窮屈に感じるだけだ。硬式のボールが当たったり、大事な練習を飛んで来たボールによって中断されては面倒だという時もあるので、部活動の時間はグラウンドを使用する部活動が時間と場所を区切って部活をしている。
今は野球部が朝練をしているのか、時おり甲高い音や大きなこえが渓太の耳に届いた。
渓太はできるだけ、人目につかないところに移動する。
今から行うのは身体能力の調査。
昨日の夜、ふと渓太は思った。身体能力が上がっているのではないかと。
昨日の戦闘を振り返って思ったのが三点。
戦っている間に疲れることがなかった事と最後の剣を投げたとき普通じゃあり得ない位高く投げたこと。もしかしたらやり投げの世界記録をとれるかもしれないレベルで。
そして、相手の行動を見たことある行動に限り、未来の場所がわかる能力。これは何が条件で使えるのか判らないため、現実で使えるかどうかの判断がしづらい。
体力については、最初逃げているときは疲れていたことを覚えている。だが、戦っている間は疲労で呼吸が荒くなることはなかった。
やり投げについては、明らかにおかしいと感じた。
あの空間でのユリがイメージが大事と言ったように、もしかしたら、無意識のうちにそのようなイメージが体にかかっていたかもしれない。
今となっては確認する手段が無いので、せめて、今の状態がどうなっているか知ろうと渓太は思ったのだ。
人目につかないところでやるというのも、もし異次元の身体能力だったときに、バレないようにするためである。
バレてしまえば、国の研究機関に連れていかれて解剖とかされてしまうんじゃないかと渓太は考えていた。
そして、今やらなければもしもの時、体力テストでその異常な身体能力が発揮されてしまう畏れがあった。
渓太が選んだ場所はプールの前、朝練をしている野球部とは反対側に位置していて、校舎とも離れているので生徒や先生と会う確率は低い。
時間も少ないので渓太は準備を開始した。
持ってきたハンドボールとストップウォッチを地面に置いて、最大長さが50メートルの巻き尺をどんどん出していく。
出し終わったら、巻き尺を手にして移動をして外に出ている五十メートルの帯を引きずりながら真っ直ぐに
伸ばしていく。
帯がある程度真っ直ぐになったら、巻き尺をその場に置いてもとの場所に戻った。
屈伸や、アキレス腱を伸ばすなど準備運動を軽く行った後、ストップウォッチを手に取り、帯で0メートルを示している所に立ってスタンディングスタートの構えを取る。
スタートと心のなかで呟き、右手にあるストップウォッチのスタートボタンをおす。そして、全力で走る。
思いっきり手を振り、思いっきり足を前に出す。
同じ動作を繰り返していると、巻き尺を通りすぎた。
ストップウォッチを止めてゆっくりと減速する。
走り終えた後、ストップウォッチの時間を確認すると、とてつもなく早いわけでも遅いわけでもなく、平均的なタイムだった。去年の記録と近いタイムである。
もしかしたら、たまたま普通のタイムが出たのかもしれないと反対側から同じように走り出す。
二回目のタイムを確認すると、一回目より少し早くなっていた。
走るスピードはいつもと変わらないことが確認できた。体力に関しても二本走った時点で、はあはあと息をしていることから変わっていないことがわかった。
渓太はストップウォッチを置いて代わりにハンドボールを手に取った。
一本目走ったときと同じ場所に立つ。
「おりゃっ!」
声を出して、ハンドボールを思いっきり投げる。
いい感じの角度で投げられたハンドボールは宙を舞い、直ぐに地面へと落ちて跳ねる。渓太の見た感じだと、25メートル位の所だった。
遠くに転がって言ったハンドボールを回収してまた同じ所から投げる。今回も同じようなところに落ちた。
また回収しに行く。試しにハンドボールを投げたときにハンドボールに対して現象を発動させようとしたが、なにも起きなかった。
結果としては何も変わっていなかった。だからあの空間がおかしくなる原因なんだと結論をつけて、渓太は片付けをする。
そして、制服に着替えるために男子更衣室に向かう。
野球部の方を見ると、もうすぐ練習が終わるのか監督の元へと部員が集まっていた。
◇◇◇
男子更衣室で制服に着替えた後、渓太は教室に向かう。
教室には人がたくさんいて、それぞれが各自のグループの中で会話をしていた。
渓太は自分の席の方を見ると、そこには夏帆と駿が楽しそうに話していた。そこに近づいていく。
夏帆達は渓太が帰ってきたことに気付いて、渓太に手を振った。
「「渓太、おはよう」」
「二人ともおはよう」
渓太は自分の席の鞄と反対側の金具に体操服の入った袋をかける。
「二人は楽しそうに何を話してたの?」
「渓太が練習してたのをここから見てたの」
「今日の朝だけ練習しても、早々変わらんぞ」
どうやら、渓太が身体能力を調査していたのを見ていだという。渓太は窓から外を見ると遠くにあるプールがギリギリ目に入った。
出来るだけ目立たない所を選んだつもりだったけど甘かったか、と反省する。
「あちゃー、見られちゃったか。恥ずかしいな」
とあくまで体力テストでよい成績を残すために練習していたと思わせるためにおどけて見せる。
「それで結果はどうだったの?」
「それは、本番でのお楽しみだよ」
「私は違うグループになる可能性が高いから、渓太が測定している所を見れないじゃない」
「後でちゃんと教えるって」
「高崎の分まで俺が見ておくよ」
出席番号が前後のため集団行動で必ずと言っていいほど同じ班になる駿が夏帆になだめるように言う。
「50メートル走とか、一緒に走るのにどうやって俺を見るのさ?」
「そりゃ、後ろ向いて見るよ」
「駿はもっと真面目に走ろう?」
バイトをしている事もあって、駿の体は引き締まっていて身体能力も高い。なんなら、後ろを見ながら走っても、渓太では追い付けない。それでも、駿に本気で走ってもらおうと渓太は簡単な一言を伝える。
「それにほら、良い結果が残れば、涼子さんも喜ぶよ!」
簡単な話、涼子さんという単語を出すだけで、駿は本気になる。
駿は襟足を手ですいた。
「仕方ないなぁ、差が開きすぎて泣いても知らんぞ」
「はは、そんなことにはならないから大丈夫」
お互いに宣戦布告をするように宣言する。
そんな光景を夏帆は微笑ましそうに見ていたが、あっと何かを思い出したように制服のポケットからスマートフォンを取り出した。
「ねえ、これ知ってる?」
夏帆の問いかけに二人とも夏帆の方に向く。
夏帆はスマートフォンを弄りながら何かを探していて、見つけるとそれを二人に見せた。
それは渓太には見覚えのある画像だった。
細い道路の中心にはコンクリートが抉られて土が見えていて、その奥にはトラテープで侵入出来ないようになっている。
写真に写っている電柱は渓太の記憶とは違っていて、電柱と地面の間に補強するための何かがおかれていて締結されている。電柱として機能面では元通りになっていた。
その写真は今日見ることの出来なかった、シャドウと戦った場所だった。
写真の明るさから、今日の朝に撮られたものだと分かる。
誰かが面白半分に侵入して撮ったのだろう。
とりあえず、その人と鉢合わせしなくて良かったと渓太は安堵した。
「ああ、それ俺もついったーで見たわ。それが写っているところが、スーバーひらじょのすぐ近くなんだそとさ」
「昨日までは無かったのに急にこうなってたんだって。不思議だね」
自分が原因なんです。と渓太は言えるわけもなく、
「地震でも起きたのかな?でも、地震なんて無かったよね。じゃあ、原因はなんだろ?」
と、ごまかした。
因みについったーと言うのは、短い文章や画像、動画等を投稿できるお手軽なSNSである。
「最初は作り物かなって思ったんだけど、動画も残していたから、多分本物なんだよね」
「宇宙人の仕業だったりしてな」
「宇宙人だったらあってみたいなぁ」
もしかしたらシャドウも宇宙人なのではないか、と渓太は思う。本当の事を伝えると二人が危険にさらされるかもしないこの状況で、嘘ではないはず言葉は渓太の罪悪感を減らしてくれた。
「本当に宇宙人だったらどうする?」
「とりあえず、交流してみるかな」
「それは危ないよ。だってコンクリートが壊れてるんだよ」
「もしかしたら壊す意思は無くて、着地の衝撃でそうなってしまったかもしれないし」
「まあ、実際にあってみるまでどうかなんてわからないからな」
「そうだね」
会ったことの無い宇宙人についてのトークに花を咲かせていると、先生が教室に入ってきて、もうすぐホームルームの時間だと言うことを知らせる。
教室にいた全員が自分の席に座ってから少しすると、ホームルームの開始を知らせるチャイムがなった。
委員長の号令で挨拶をした後、先生は今日の流れや注意事項を淡々と話していった。
「じゃあ最後に、SNSに写真が載せられていたので、知っている人はいると思うが学校近くの道路で地面が陥没しているのが発見された。原因は不明だ。くれぐれもSNSに写真を投稿した奴のようにその場所には近づかないようにな。立ち入り禁止のテープが貼られているから不法侵入になるぞ」
先生は生徒にその事を守ってもらうために注意深く言った。
先生は原因は不明だと言った。学校も原因がシャドウだという事を知らないだろう。自分しかこの事は知らないのではないかと渓太は思う。
他に知っている人を見つけなければ、解決方も見つけられない。どうにかして、同じような人を探さないとと自分一人では解決できないだろう。
また、あの空間が起こらないかもしれないが、起こりそうな気はしていた。
それから、すぐにホームルームは終わり、それぞれが準備のために移動する。
渓太も駿と一緒に男子更衣室に向かった。
◇◇◇
「ふぅ、疲れた」
体力テストを全て終えた渓太は、がしゃんとフェンスに背中を預け息ををはく。
フェンスから返ってくる衝撃はジャージのお陰で少しばかり和らいだ。
体力テストでは身長体重視力等の身体測定と、50メートル走、ハンドボール投げ、反復横飛び等の体力測定が、全校生徒で行われる。一グループ10人で各場所を回り、内容をこなしていく。午前中に終わらなければ、放課後に補修となるため、全員が真面目に素早く取りかかっていた。
渓太はまだ終わっていないグループが50メートル走をしているを眺めていると、頬に冷たい感覚がした。
「つめたっ」
「お疲れ」
声の方を向くと、駿が紙パックのオレンジジュースをほれ、という風に差し出していた。それを遠慮なく受けとる。
「ありがとう、後でお金を返すよ」
「奢りでいいぞ」
「それはダメって。ちゃんと返すよ」
「だってこれ、貰い物だし」
渓太は駿をにらんだ。全校生徒全員に用意されたものだという。
ストローを取り出し、差し込み口に指す。口をつけて吸い上げると、口のなかに冷たい液体とみかんの味が広がった。
「それにしても駿、去年より記録が伸びたんじゃない?」
「ああ、伸びたぞ。これといって何かをしてる訳じゃないけどな」
「やっぱり駿は凄いね」
「渓太も凄いぞ、去年とあまり変わっていないし」
「それは凄いの?」
渓太の今年の記録は去年とあまり変わらなかった。
記録が伸びないのは良いことなのか?と渓太は考える。
「現状維持は凄いと思うぞ。上がりきったら下がるしか道が無くなる。だから、上がりきる前を下がることなく維持出来るならそれは凄いことだ」
「…それって、上がりきった所を維持できるのが一番いいんじゃないの?」
「まあ、それは、ほら、今の記録が上がりきった所なんじゃないか」
「また、適当なことを……」
確かに今の記録が自分が出せる最大なのかもしれない。これ以上どこまで上があるのかも判らない以上、記録が下がらなかったというのは良いことなのだろうと渓太は納得した。
それから会話はなく、時おりジュースを吸い上げる音が二人の間に響いていく。
渓太がグラウンドで行われている競技をボーッと眺めていると、50メートル走の場所で一人を複数の人が囲んでいるのが目に入った。
「……お、陸上部のお眼鏡に叶ったのかな?」
その中心にいる人は、青色の体操服を来ていて、周りを囲んでいるのは、緑や赤の体操服を来ている。
この高校の体操服は学年別に色が分けられていて、一年生は青、二年生は緑、三年生は赤というようになっている。ジャージの色分けも同じだ。
そして、恐らくだが中心の一年生は、記録が良かったのか、フォームが良かったのか、上級生の陸上部員に伸び代があると判断されて、勧誘を受けているのだろうと渓太は思った。
今、行われている午前中の四時限を使った体力テストは、ただ体力の測定を行うだけでなく、別の思惑も混ざっている。
一つは全校生徒の交流。
新入生が入ってきて約二週間が経過した今、一年生は学校にも少しずつ慣れてきて、同学年の中でも交流が深まっている頃である。
なので、次は別学年で交流を取ろうというものである。
しかし、現在できているグループで満足なのか、新入生が在校生に交流をしに行くというのはあまり無く、在校生が話しかけに行くことが多い。
もう一つは、運動部が有能な新人を獲得するためによい結果を残している人を見つける場となっている。
新入生の中で既に何かしらの部活に入っている人は少ない。高校からは別の部活を始めようと思っていたり、渓太のように部活に入る気が無い人もいる。
今日の午後には部活動勧誘が行われるが、それまでに欲しい人を見つけるための体力テストというのも含んでいる。
身長が高くて成績のいい人がいれば、バレー部やバスケ部が勧誘しに行ったり、渓太が見ていたように足が速い人がいれば、陸上部が勧誘したりしている。
「そういえば駿も女の子に声をかけられていたよね?何かの勧誘?」
ふと、握力測定の待ち時間の時に駿が女の子に話しかけられてたことを渓太は思い出す。その時は声は聞こえなかったし、することがあったので後回しにしていたが、もう一度駿の方を見るとその女の子はもういなくなっていた。
少しの間、二人の間が静かになった。
渓太が駿の方を向くと、駿は何か悩んでいる風な顔をしていたが、駿は渓太の方を向き、少し笑顔で笑った。
「ああ、あれか。一年の女子に話しかけられたんだよ。名前は何て言うんですか?って」
「駿、カッコいいもんね」
「よせよ。照れるじゃねぇか」
駿の話した内容に渓太が同意をすると、二人ともニヤリと笑顔になる。
「二人でなにニヤついてるの?」
そんな二人の元に夏帆が近づいてくる。
「夏帆も終わったんだね。お疲れ」
「お疲れ。で、なんでニヤついてたの?」
「駿がね、一年生の女の子に名前を聞かれたんだって。それで駿はカッコいいからって言ったら、駿が恥ずかしがったんだよ」
「で、渓太もつられてニヤついたと……」
「うん。そんな感じ」
はぁ、なにやってんだこの人たちという風に夏帆はため息をつく。
「まあ、福永くんは身長が高くて、イケメンだしね。そりゃ知らない人が見たら寄ってくるでしょ」
「そんな夜のコンビニにある蛍光灯のような言い方は止めてくれ」
「……それで、渓太は誰かに声をかけられたの?」
夏帆は渓太の方みて、聞きたいけど聞いてはいけないというような葛藤をしていそうな顔でそう言う。
「いや、俺は誰にも声はかけられなかったよ」
「そうなんだ。……良かった」
夏帆はほっとしたような表情をして最初は普通の声で後半は小さく呟く。
「なにか良かったの?」
渓太には最後まで聞こえていたようで、夏帆になんで?と問いかける。
「え?いや、深い意味は無いんだよ。ほら……」
取り繕うように早口になってしまう夏帆。だんだんと声が小さくなっていく。
「……だって、渓太はかっこ「お姉さまぁ~!」」
夏帆が勇気を振り絞って最後まで言おうとした時にその声に割り込む声が聞こえてくる。
三人が声のする方を向くと、そこには青いジャージを着た女の子が二人。片方がこちらに向かって片腕を上に伸ばして降っている。
「お姉さまぁ~!」
声の主は相澤美歌である。声の向かう先にいる夏帆は苦笑いをしながら美歌に手を振りかえす。
美歌は手を降られたことが嬉しくてなのか、もともとそのつもりだったのか、夏帆を目掛けて走ってきた。一緒にいた女の子もあわてて美歌を追いかける。
美歌は夏帆のともにやって来ると、そのまま夏帆に抱きついた。夏帆の胸の辺りで自身の頬をすりすりして愉悦に浸っている。
「お姉さまぁ~」
「ちょっと美香、皆に見られてるって恥ずかしいよ」
「お姉さまは美しいのですから、誰も彼もがお姉さまに注目するのは当たり前なのです!」
同然なのですと夏帆に断言する。
実際に大きな声とその後の行動が、まだ測定を行っている人やたまたま近くにいた人たちの注目を集めていた。
その間も美香は頬をすりすりしていた。夏帆は強引に振りほどくことも出来ずにされるがままになっている。
「美歌ちゃん待ってよ」
美歌といっしょにいた少女が遅れてやってくる。
少女は、はぁはぁと呼吸をしている。呼吸をする度に肩まで伸びていて真っ直ぐな黒髪が揺れていた。
「よっちゃんもう少し待って。今美歌の中のお姉さまを充電してるところだから」
美歌はよっちゃんと呼んだ少女の方を向かずに返事をすると、よっちゃんと呼ばれた少女ははぁとため息をつき、二人を微笑ましく見守っていた渓太と駿の方に向かった。
二人の目の前に来ると、少女は綺麗なお辞儀をした。
顔をあげるとスラッとした瞳が渓太たちを見る。
「初めまして、美歌の友達の周防芳野と言います。深海先輩に、福永先輩ですよね。美歌から色々と聞いてます」
「周防さんね、深海渓太です。よろしくね」
「福永駿だ。よろしく」
それぞれが自己紹介をすませると、渓太は気になっていたことかあった。
「周防さん。相澤さんから色々聞いてるってどんなこと?」
その質問を聞いた芳野は、一度美歌へ視線を向けてすぐに戻す。そして少し疲れたような笑顔をうかべた。
「……それがですね。夏帆さんは、私にとってかけがえのないお姉さまであるとか、お姉さまに会うために存在しているとか、そして、お姉さまの友達である深海先輩と福永先輩もとても良い人だと言うことを事あるごとに私に言ってきました」
「……そうなんだ」
夏帆が関係したときの美歌の姿を知っている渓太は苦笑いを浮かべた。
少し離れたところでは、美歌が夏帆に抱きついたままでいた。
「充電完了です。お姉さまありがとうございました」
「私はなにもしてないけどね」
美歌はようやく夏帆を解放した。そして、両手で夏帆の両手首を持ち、胸元に近づける。その勢いで夏帆の体も美歌に近づいた。
美歌は怒ったような表情をして、小さな声で夏帆に伝える。
「お姉さま!美歌はお姉さまで美しいから視線を向けられるのは仕方の無い事だと言いましたが、別の男子を近づけるのは感心しませんよ」
夏帆はその言葉を聞いて、バッと首を横に向けて渓太の方を見る。
渓太は駿と、美歌と一緒にいた少女と話をしていた。
今の美歌の言葉が聞かれていなくて安堵する。
そして、美歌の方に視線を戻した。
「……見てたの?」
ちょっと怒りを込めて美歌に問いかける。
「たまたまですよ。偶然お姉さまが見えたので少し近づいたら知らない男子と話してるのが見えたんです」
美歌はあわててその時のことを説明する。
夏帆は怒りを収め、代わりに悲しい表情をする。
「……ちゃんと断ったよ」
「告白だったのですね。……美歌ははいつまでもお姉さまの味方ですからね。もしダメだったときは美歌は胸に飛び込んでくればいいのです」
「……ありがとうね、美歌」
夏帆は困ったような笑顔を美歌に向けた。
芳野は下を向いて、話を続けた。
「どんなときでも、お姉さまはこうだとか、お姉さまならどう思うかとか私に話をするんですよ。もう少し私自身の事も見て欲しいなって思っちゃうんですよね」
その言葉は誰に伝えたかった訳でもなく勝手に口から出た言葉だった。
芳野はハッとして顔をあげる。
「すみません。今のは聞かなかったことにしてください」
渓太も駿も気をつかってか、何も言わなかった。
少しの間静かになってしまった空気を切り裂くように、放送のチャイムが鳴った。
放送の内容は、全てのグループが測定を終えたので全員グラウンドに集まって下さいというものだった。
渓太は時計を見ると、もう少しでお昼休みが始まる時間だった。
「それでは、私は失礼します」
芳野が美歌の元に向かうと、それではお姉さま~と言って、二人とも一年生の集合場所に向かった。
「俺たちも行くか」
駿の一言で、三人も目的地へと向かった。