石田三成が突然美少女すぎるアイドルになると関ヶ原が困る
佐和山城がなんかおかしい。
島左近清興がそのことに気づいたのは、つい最近のことだ。心なしか、城門に群がる人たちの数が多いのだ。それも何か不自然なくらい。
この佐和山城は、左近の主君、石田三成が隅から隅まで丹精を込めて築き上げた幻の名城だ。現地ではご当地ソングが子守唄としても親しまれ、曇の日には天守閣の鯱鉾が下から見えないと言うほどの巨大な城なのだ。
そんなわけで佐和山城には、全国のお城マニアやら熱狂的な三成ファン(これはなぜか女性が多い)が集まるのだが、最近その客層ががらっと様変わりしてきた。
何だかやたら男性ファンが多いのだ。それも背中に荷物を背負ってデジカメ片手にした、暑苦しい雰囲気の男たち。いわゆるオタ系の人たちだ。実際、アイドルのファングッズらしく目に痛い色のシャツを着ている。
大きな声では言えないがこの佐和山城、石高二十万石足らずの三成にしてはかなり無理して建てた。中堅子会社の社長が、自腹で自社ビルを建てちゃったようなものだ。
そのため、多少の観光客を迎えるのは仕方ないし三成も左近も出待ちのサイン位はOKしているのだが、何しろ客層が偏りすぎだ。確かにこの頃のアイドル流行りが地方にも波及してきた観はあるが、佐和山には別にご当地アイドルがいるわけでもない。
(ここにはわし始め、むさ苦しい武士しかおらんのになあ)
彼らの狙いはやはり城の中にあるようだ。関係者を完全にマークしているらしく、城の出入りにいちいち取り囲まれるのも迷惑だった。
「ねえねえ、あんた島左近さんでしょ?」
今日もそこにチェック柄のキャップ帽が立っていた。歴史マニアの女性ファンとなら一緒に写真も撮るし、それ以外でも普段はなるべく愛想よく応じる左近だったが、知らない男から出し抜けに自分の名前を呼ばれては、いい気分はしない。
「だっ、だから、どうしたと言うのだ」
「あんたなら知ってるでしょ!三成ったん、いつ会えるのよー!?」
「みったんだとおっ?無礼なっ!もう一度言ってみろ!」
我が主君を馴れ馴れしくたん付けされ、さすがの左近も色をなした。
「とぼけちゃって。ほらこれ」
目を剥いた左近に、キャップ帽はスマホを取り出して見せた。
「うんーこれ今、動画サイトで三百万回ダウンロードされてるみたいだよねー」
「みたいだよねじゃないですよ殿っ!…って殿じゃないだろ!あんた、誰だっ誰なんだ?」
「え?わたし三成だよー?」
嘘だ。嘘だ嘘だ。
三成に謁見を願い出て、左近は目を疑った。上座に座って手鏡で前髪やら睫毛やらこまめに整えているのは、どう考えても四十一歳の石田三成じゃない。
すらりとした長い手足に、さわやかな潤いをみせる大きな瞳。光輝く十代の潤い肌。ぽってりとした唇から悪戯げにのぞかせる八重歯。明るい栗色の髪をゆるふわに波打たせた、それはどうみても輝く新人アイドルな女の子だった。いや待て、これが我が主君三成か?断じて違うだろ。
「お帰り左近、大坂どうだったー?」
とかやたら親密そうに挨拶してくるのでここまでスルーしていたが、もう我慢できない。
「冗談もいい加減にして、三成殿を早く。今大変なときなんだから。おじさんはね、君みたいに暇じゃないんだよっ!」
すると自称三成の大きな瞳に、突然じわっと涙がにじんでくる。
「ひどい、わたし嘘言ってないのに…うええ、そんなに、大きい声出さなくても」
「わあっ泣くなっ…ああ、うん。分かったよ分かりました!おじさん譲歩しますよ!とりあえず今日は君が三成でいいよ。とにかくね、君はおじさんが話したことを後で三成殿に伝えてくれればいいからさ、そうしてくれるかな?」
「左近、長い付き合いなのにどうして分かってくれないの?わたし、三成だよ?」
「長い付き合いだから分かるんだよ!三成殿は確かに色白で童顔だけど、君みたいにかわいい女の子じゃないの!若づくりしてるけど、もういい加減おっさんなんだよ!」
そんな自称三成たんを見ていると、左近はさっきの投稿動画を思い出してしまう。
『目指せ反家康包囲網☆』
と言うタイトルの動画は三分くらいで、この三成たんが佐和山城をバックにして、宿敵徳川家康に反旗を翻す三成を応援してくれる諸大名を募集しているのだ。かつて、こんな方法で味方を募った戦国大名がいただろうか。しかも当たり前のことながらそれで別に味方は集まらず、佐和山城には全国のオタクさんたちが大挙して集まってしまった。
「どうするんですかっ、今や佐和山城は募兵どころか、デジカメにリュックサックのおっきいお友達でいっぱいですよ!まさか、あいつらに槍を持たせる気ですかっ!?」
「そんなこと言ったってえ…」
と、以前、三成らしい美少女は涙目だ。
「左近、言ったじゃない。わたしは人望ないから、今までにないことしないと、絶対だめだって。自分をあっと言わせる戦略を考えてみろって…」
言った。確かにそれは言った。正直言って左近は主君の三成に、思いきってダメ出しをしたのだ。今の戦略では到底、徳川家康を倒す同志たちは集まらないし、天下分け目の大いくさを果たせるだけの兵力も集まらないと。あなたの弱点は人望のなさです、と左近は心を鬼にしてきついダメ出しをしたのだ。鼻っ柱の強いあの三成が、思わずへこむくらい。いわゆる逆パワハラである。
「かの松永弾正を見なされい、武田信玄を見なされい。いずれも人の出来ぬと言う果断をあえて踏み切ったゆえに、名将でござった」
今いち頼りない三成の肩を揺すぶって、左近は言ったものだ。芋焼酎をロックであおりながら。
「太閤殿下亡き後の豊臣家は殿にかかっておるのですぞ!つーか人の出来ぬことをやりなされい!かの信長公もびっくりの、人が思いつかぬことをあえてやりなされい!さもなくば、百戦錬磨の徳川家康公に勝つことなど夢のまた夢ですぞ!」
その結果がこれか。いや確かにあのときは気合いが入っていた上、ちょっとお酒入っていた。だがこのままでやれとは誰も言っていない。三成は気まじめだ。気まじめすぎて空回りしているので説教したのだが、まさかここまでぶっ飛んだ空回りをするとは、左近も予測がつかなかった。
「た、確かにこの左近、人の真似の出来ぬことをしろと言った。言ったよ。だがね、これはちょっと違うと思うんだ、うん。あんな動画を投稿して、はしたない…いやいや、君がもし三成殿だとしても真面目にやってくれないと困るんだよ。おじさんたちはね、戦争してるんだ。戦国大名なんだよ!そこを理解してくれないと!」
「うえぇ…ごめんなさい。左近が駄目だって言うなら、あの動画は削除するから。…もう怖い顔しないでぇ。大好きだから、左近」
「うっ」
上目遣いでしなだれかかってくる自称三成に、左近は身体を強張らせた。しまった。今、不覚にもこの子がかわいいと思ってしまったじゃないか。
(こっ、これが萌えなるものか…)
なんたることだ。まさかこの鬼左近と言われたこの俺が。おのれの中の何かが音を立ててぐらついて、左近は思わず我に返った。いやいや、断じて俺は惑わされないぞ。もしかしてここに、もとの三成が帰ってきたらどうすると言うのだ。君側の奸、関東に居座る豊臣政権の災厄、徳川家康を除こうと、石田三成と言う男を見込んで心に誓いを立てたではないか。確かにあのときも大分飲んでいたが、あの熱い気持ちだけは確かだ。
「うおおおっ、君、あ、いや、い、一応、三成殿!この左近を見くびってもらっては困りますぞおっ!この程度ではまだまだ萌えぬ…もとい、気を引き締めて頂かねば困りまするぞ!明日はこの左近と大坂へ戻るのです!」
と、言いかけてから左近、自分でも頭を抱えた。これからこの三成たんと大坂に戻らなければならないのか。ちょっと小生意気なおっさんだが、今となっては頭脳明晰、論旨明快な石田三成が左近は恋しかった。
(こっ、この左近をもってしても判らぬ!これからどうすればいいんだ…)
左近は一人頭を抱えた。
次の日もやっぱり、三成はもとに戻らなかった。なんと一見美少女アイドルな三成たんのままだ。いっくら悪戯だったとしても、大事な大坂出張をあの三成がすっぽかすはずがない。つまりこれは、どうあってもこの女の子が三成と言うことで話を進めろってことだ。
(はあ…この二人連れで、大坂行くしかないのか)
前途は多難だった。まず、みったんは馬に乗れなかったのだ。
「きっ、君、いや三成殿、それでも戦国武将かっ!?」
「ひっ、怒ってる左近嫌い…後でちゃんと練習するからぁ。お願い!今日は、乗せてってよぉ」
「わあっ、こらわしの馬に勝手に乗るな!」
何と言う災難だ。お陰で、大坂に着く前に三度も職務質問にあった。条例があったら逮捕されてるところだ。
前途は多難だった。正直、これで大坂に行くのは失敗だと思ったほどだ。
「じ…治部少輔殿。謹慎中、何と言うか、変わられましたな。はっ華やかになられたような」
幼い秀頼の隣に座る淀殿の声が上ずり、顔がぴくぴく引き攣っていた。無理もない。おっさんの三成だと思って会ったら、アイドル美少女なのだ。自分より若いのだ。お肌とかつるつるなのだ。江北一の美人浅井市の娘、と言うプライドが思いっきり傷つけられたに違いない。淀殿がひっく、ひっく、言いながら話しているのでしゃっくりしてるのかと思ったら、ヒステリーで息が詰まりそうになっていた。
「とにかく、ひっ、秀頼のことくれぐれも頼みましたよっ!…でもまさかあの治部殿が女子になるとは。しかもわらわより若ぁいっ…ああっ、もう熱が出そうっ」
めまいがするのは左近の方だ。秀頼の後見人である淀殿に後ろ盾になってもらい、やっと大坂に登城して味方を集めようと言うこのときに、肝腎の三成がこれなのだ。こんな女の子では味方が集まるはずはない。来るのはおっきいお友達だけだ。西軍集まるのか。ああ、左近も熱が出そうだった。
さらに悪いことには松の間から帰ろうとすると、大廊下でがやがや大勢の集団と出くわしたのだ。先頭にいる真っ黒に日焼けした二人、福島正則と加藤清正だ。間の悪いことに豪傑を絵に描いたようなこいつらは、反三成派の急先鋒なのだ。
「おおう、そこを行くのはあの才槌頭(三成のこと)めのところの島左近じゃあにゃあか。久方ぶりに大坂へ戻ったかと思うたら、淀殿のご機嫌伺いか!忙しいことだわ!」
相変わらず声がでかい。頬にまで髭が生えている男性ホルモンむんむんの福島正則だ。しかもいつ会っても酒臭い。この男は、爆笑しているか激怒しているかと言う極端なテンションの人だ。
「この清正もまだ朝鮮役での返礼をば、しておらぬでなあ。あのときは三成めが粗茶の誘いを受けずにあい済まぬことをしたわ!」
聞えよがしに厭味を言うのは加藤清正だ。清正は正則に比べると話も分かるし酒癖も悪くないのだが、三成のせいで謹慎になったりしているので、不満たらたらなのだ。
「あの兵六玉が。今に見ておれ度肝を抜いてくれるなどと、らちもなき大言をこの正則が前で抜かしくさっておったが、今日も雲隠れかあっ」
「ひっ、左近この人顔怖い」
ささっと左近の後ろに隠れるみったん。だみだこりゃ。
「あん、誰かと思ったらその…こほん、おっ女子は誰だぎゃ」
まさかこれがあなたの仇敵、石田三成ですよとは言えない。しかし、言ってしまった。誰が?三成本人がだ。
「いっ、石田三成ですけどなにか?」
「みっ、三成だとぉ?嘘だでや!」
「嘘じゃないもん…て言うか、さっきからなんでそんなひどいこと言うのよ!?」
三成は泣き顔だ。こりゃあ駄目だと思った瞬間だ。
意外や意外だ。男衆が退きやがったのだ。
「ふ、福島殿。今のはないのでは?」
と、黒田長政が取り成し、細川忠興などは、憤慨する始末だ。
「左衛門太夫殿、いい武士が!女子相手にみっともないですぞ」
二人にドン退きされて、正則も立場がない。
「えっ、あっ…あの…今のっ、わしが悪いのかっ!?」
「正則、お前今、完全にいじめっ子だぞ…?お前が満足ならそれでも良かろうが…そもそもいいのか武士として、女子相手にそんな本気になって」
幼馴染の加藤清正までドン退きである。
「きっ、清正おのれまで!おのれだってさっきまで、三成の悪口さんざん言うておろうが!」
「いや、でもなあ…」
相手がおっさんの三成ならまだいいが、目の前の美少女が三成だと言うのでは、一応武士として男として、むきになってる方が、そりゃかっこ悪いに決まってる。正則はようやく自分が一番空気が読めないかわいそうな人だと気づいたのか、窒息死しそうな顔色になった。
「だっ!たっ!わしはあのっ!わしだって!そおゆうつもりでは!」
正則は、顔を真っ赤にして言い訳を始めたが、皆自分は他人、無関係だと言わんばかりにドン退きだ。
「ぐっ、くっ!とっ、とにかく覚えておれ…と、おっさんの方の三成によう言うておくとええでや!ほれ、皆、今のは忘れて飲み直そう!今日はわしが奢るから!なっ!?なっ!?わあっはっはっはあっ!」
こうして、正則自ら必死に三成から離れていこうとする珍風景が出現した。左近にとってみれば、これはまさに快挙であった。
(助かった)
それ以上に、衝撃だった。形はどうあれ、今のはおっさんの三成には出来ない、堂々たる戦果である。
「どうしたの左近」
(もしかして、これ使えるのでは…?)
ふと左近の戦略家魂に火が点いたのは、まさにそのときだった。
それから先は面白いほど、いや、怒涛の勢いで西軍が集まった。
哀しいが道理ではある。考えて見ればおっさんの三成がつまんなそうな顔でつーまんない正論を説くよりも、アイドル系な女の子が上目づかいでお願い☆に来た方が、どう考えても野郎には受け入れやすいのである。
「じゃっ、じゃっどん、おいたち島津勢はそのう、徳川どんに御恩がありもうして…」
島津義弘などは、九州征伐のとき三成に便宜を図ってもらった癖に東軍に味方しようとしていたのだが、アイドル三成の来訪で一気に西軍加勢へ傾いた。
「こいが三成たんかー、おいは初めて肉眼でアイドルをみたでごわす!」
「心ノ臓がア、心ノ臓がッ!破裂しそうでごわす!」
「殿さァ、迷うこつなか!我らじいさんの家康殿より、ぴっちぴちの三成殿に加勢したいでごわす!」
運動部の男子高校生(女子マネ抜き)を地で行く薩摩隼人たちは、目を血走らせて三成加勢を直談判した。義弘はいくさをするのには軍勢が足りないし、もっと空気とか時勢とか読みたかったのだが、美少女と言う人参を鼻先に釣られた押忍男子たちに、もはや理屈は通用しなかった。
西軍の大将にしようとしたら「ああありえないんですけどおー?」と、露骨に嫌な顔をした毛利輝元も、着信残しても折り返しないし、勝手にアドレス変えて教えてくれないなどの冷たい態度をとっていたが、三成が美少女になった途端、聞いてもいないLINEのグループアカウントなどを教えてきたり、執拗に飲み会やコンパの連絡をしてくるようになった。
一番驚いたのは、ことあるごとに三成の挙兵に反対していた大谷吉継である。普段は親友だと言ってる割に今いちノリが悪いと言うか、何かと言うと都合が悪い、体調が優れない、などの言い訳を繰り返し肝腎なときに連絡が取れなかった吉継であったが、三成が美少女になると嘘のようにレスポンスが良くなった。
どころか、味方集めにも積極的に協力してくれるようになったのである。
三成ったんは、ブレイクした。と言うか、神アイドルとして君臨した。
「うわはははっ、これで関ヶ原は無敵ですぞおっ!後は募兵だ!」
とりあえずネットで広告を出したら一般公募で五十万人の応募があった。徳川家康の用意した東軍の、およそ五倍以上の数である。
「当日は目にものみせてくれるわっ!東軍十万なぞ、三成ったんの西軍ライブイベントで押し潰してくれるわっ!」
天下分け目の大いくさが迫るはずの関ヶ原はまるで、夏フェスの会場みたくなっていた。
どこもかしこも来場者がごった返し、ところどころにご当地B級グルメの屋台が出ていた。ゆるキャライベントも頻繁に開かれていた。大名たちの本陣の馬印の下には休憩スペースやゴミ箱が設けられ、設営されたテントではカップルがいちゃつき、なんて言うか足の踏み場も居所もない状況だった。
中でも三成ったんが出演するメインステージは、億単位の金をかけて組み込まれた、巨大スクリーン付きの大スター仕様だ。来日スターでも滅多に立てないような巨大ステージに集まった十数万人の群衆は、手に手に三成ったん団扇をかざしている。このステージであらゆる人たちがアイドル三成ったんの登場を待っていたのだ。
日に日に増えるスポンサーとテレビの出演依頼、グラビア雑誌への露出で入場者数はまた、一気に増えた。先日ついにCDデビューを果たしたのだが、これに握手券をつけたところ、爆発的な売り上げを記録した。中には握手券ゲットのために一人でCDを何百枚も購入したファンも出たほどである。
(大成功だ、関ヶ原もらったッ)
左近はバックステージで会場を見回して一人快哉を上げていた。
今や島左近の名は、業界随一のアイドルプロデューサーの地位を確立しつつある。この関ヶ原イベントが成功に終われば左近は新人アイドルの発掘やプロデュースでこの秋はスケジュールはぱんぱんだし、三成ったん自身にも朝ドラの主人公や映画の話も来つつある。CMも今、最多十五社と契約しているし、まさに笑いが止まらない状況だ。
言うまでもないが、もちろん完全に当初の目的は、忘れていた。
(だがそれがどうしたッ、今さら東軍の連中に何が出来る)
徳川家康は泣いていると言う。三成ったんのブレイクのせいで、東軍からも続々脱退者がイベントに駆けつけているからだ。仕方がないのであわてて東軍もイベントを開催したが、主催者のセンスが古いせいか、出遅れの芸人や新人演歌歌手の営業ばかりでいかにも活気がなく、無惨にも閑古鳥が鳴いているらしい。
(ふふ、今に東軍からもイベントプロデュースの話が来るかもな)
万雷の三成ったんコールを左近は自分に浴びせられたかのように、ほくそ笑んだ。もはや、一流のプロデューサー気取りだ。最近ちょっと太ってきたし、気分で何だか丸い眼鏡もかけるようになった。
「さあ、三成ったん、スタンバイして」
左近が気取った声で楽屋に呼びかける。ここからだ。ここからが、更なるスターダムの幕開けだ。
しかしだ。ふわりと、のれんを押して入ってきた三成ったんは。
おっさんだった。
あれっ、元のおっさんだった。何度も見直したけど、やっぱりおっさんだった。
左近は目が点になった。どうもこうもない。自分が待っていたのは、アイドルのはずの石田三成なのだ。しかし目の前にいるのは、何十年も見慣れたはずのこまっしゃくれたおっさんの方の石田三成だったのだ。左近は驚愕のあまり、思わず敬語になった。
「石田…三成さんですよね?」
「そうだが?」
何を今さら、と言う顔で三成は顔をしかめた。
「みった…あれっ?何かの間違いじゃ?」
「我が顔を見忘れたか左近。どこからみても石田治部少輔三成ではないか。何か、おかしなところでもあるのか?」
「で、ですよねえ」
おかしなところはない。何一つない。いや、だがそのおかしなところの何ひとつないと言うのが、一番おかしいのだ。
万一の可能性を求めて左近は、楽屋を覗いた。まさかとは思ったが、アイドル美少女の方の石田三成は影も形もなかった。密室であった。左近は、膝が砕けて立てなくなった。その肩にぽんと置かれたおっさんの三成の手。
「苦労をかけたな。よく、これだけの西軍を集めてくれた。後は私が皆に、豊臣恩顧を訴えるだけじゃな」
「い、いやっ、あのっ…」
あんたステージに出る気?そんな無茶なっ、と思ったが左近はあごががくがくして、思う通りにしゃべれなかった。そんな中、空気が読めておらず事態も把握してない癖に、おっさん三成は左近を見て頼もしげに微笑んで見せた。
「案ずるな。私とて、やるときはやる男だ。しかと見ておけ。左近が集めた大軍、この三成の義の力を以て、とりまとめてみせるわ」
惨劇は目に見えていた。だがすでに左近にそれを止める力も、気力すらも残っていなかった。
おっさんの三成が会場に出た瞬間、万雷の歓声が死に絶え、同じ音量のブーイングが返ってきた。団扇やペットボトルがステージに投げ込まれ、暴徒化したおたくたちがステージを破壊した。三成はそれでもメガホンを持って西軍参加を呼びかけたが、もちろん誰も聞いていなかった。デモの鎮圧に駆り出されているみたいだった。
かくして西軍は崩壊した。その凋落っぷりはもう、笑うしかないレベルだった。
まず総大将に担ごうと思っていた毛利輝元は「あああありえないんですけどおお!?」と一方的な留守電を残して着信拒否、SNSのアカウントは勝手に変えられ、スパム報告までされていた。
やむなく左近は毛利勢の参戦を求めて南宮山まで行ったが、毛利家の吉川広家は、濃尾沿線駅弁食べ歩きの旅に出ていて不在で、フェイスブックに「長良川鉄道なう!松茸釜飯最高でした☆」の画像がアップされているだけだった。
「騙されたッ…大坂モンに騙されたでごわあああすッ!」
さらには島津義弘の陣に回ったが、そこは工事現場にあるような柵が設けられ、立ち入り禁止になっていた。なんとその中で押忍男子たちは泣きながら弁当を食べていて、異様な気配が漂っていた。彼らはただでさえ敗退した高校球児のようで痛々しかったのだが、なぜかおにぎりにざりざり砂をまぶして噛んでいて、こっちを無言で睨みつけてくるので怖くて仕方なく、左近は一言も話しかけられないまま、帰るしかなかった。
大谷吉継は「限界」と一言メールを残して入院した。
ツイッターに関ヶ原のステージに上がった三成の画像がアップされていた。「みったんいないおっさんやんww詐欺ワロタww」とキャプションがつけられていたが、ワロた人は一人もいなく、むしろ炎上しまくっていた。
事務所HPには苦情が殺到して封鎖された。プロデュースの話も、朝ドラも映画の話も蝋燭の火を吹いたように消えてなくなった。「みったん終了ww」のスレッドが立っていた。
東軍がかつてない勢いに乗って攻めてきた。怒りの群衆を巻き込んだ軍勢は、倍以上に膨れ上がっていた。先鋒の福島正則が大爆笑しながら槍で人を突き殺していた。
「もはや、これまでだな」
三成はがっくりと肩を落とした。
「笑ってくれ左近。ひとえに私の力不足だ」
その通りだよ馬鹿野郎、とは言えなかった。まさかあーんないいところでおっさんに戻ってしまうなんてどんだけ間が悪いんだ、とも言いたかったが、事態がよく分かっていない三成を今さら責めるのも酷だ。
「いや、わしがいけなかったのでござる…アドリブがきかない三成殿に、わしが無理をさせたばかりに!せめて、せめておっさんのまま、つーまんなくても正々堂々家康殿と雌雄を決せていたら。悪いのはわしです、三成殿。お許し下され」
二人は手を取って、変わらぬ友情を確かめ合った。左近も三成も目を潤ませていた。思えば二人は、やっと本来の関係に戻れたのだった。
「左近、逃げてくれ。ここは、佐和山にて再起せん」
「お逃げなさるのは、殿一人で。何せここは殿が要りましょう」
と言うと左近は朱槍をしごいた。
「死ぬのはわし一人で十分でござる。三成殿はここで果てる器にあらず。このいくさを糧に、まだまだ大きゅうなって下され」
(そうだ)
自分はこの三成に惚れたのだ。美少女アイドルじゃない。おっさんの三成に。
(だからこそ、天下分け目の合戦の夢、見てみたくなったんじゃないか)
何たる不覚。
「殿、鬼左近とまで言われた我としたことが、一時の萌えにうつつを抜かし、一期栄華、武士が夢を見たこと、忘れておりましたわ」
にたりと笑う左近はもはや、武士そのものの顔であった。
あの似合わない丸眼鏡は、もちろん棄てた。
九死に一生も拾う気はない。望むは、三成の再起ばかり。
「誰ぞ馬曳けえいっ!出るぞっ!」
すでに左近の咆哮は、死を覚悟した漢のもの、に他ならない。
「では、お達者で」
「待って!」
はっとした。思わず左近は背後を振り返った。
なんとそこに、三成ったんがいたのだ。おっさんの三成じゃなく。愛らしい大きな瞳を涙で濡らした三成ったんはブリーチした髪をはためかせて、鎧姿の左近に抱きついてきた。
「大好き、左近!」
(萌えた)
ついに萌えた。これが萌えなるものか。まさかこの鬼左近が。そのとき左近は思った。一期栄華、漢の夢もまあいいが、一時の萌えにうつつを抜かして果てるのも、それはそれで別にいいじゃないか。
この日、決死の島左近を打ち取ったのは、黒田長政率いる先鋒部隊である。
戦後、黒田兵が語った『古郷物語』にその鬼気迫る奮戦ぶりが、語り残されている。
「馬上、采を振る左近のかかれ、かかれ、と言う声が耳に残って」
今でも夢に見て身体が震えることがある、と言う。