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お題小説

花で報せる

作者: 水泡歌

そろそろ切りに行くべきだろうか。


風呂上り。


ドライヤーで髪をかわかしながらそんなことを思った。


全体的に量が増えてもさもさしているし、前髪は目を覆い隠すほど長い。


ここまで我慢してきたけどもう限界か。


溜め息をつきながらパソコンを取り出し、近所の美容院を調べてみる。


いくつか出てくるが中々決まらない。


引っ越すたびにこの繰り返しだ。


散髪嫌いはいくつになっても治らない。


左のこめかみをさわりながら検索ワードを入力する。


「美容院 お兄ちゃん 花」


私はバカだ。


表示されるのはいらない情報ばかりで。


いつまでその思い出を大切にするつもりかと自分を責めてしまう。



髪を切りに行くのが嫌いだった。


生まれつき左のこめかみにある3センチほどの赤いあざ。


それを見られるのが嫌で嫌で嫌で。


ぎりぎりまで髪を伸ばしてはひきずられるようにして母に近所の散髪屋に連れていかれた。


でも、小学6年生の時。


いつものように半泣きの状態で連れていかれた近所の散髪屋。


順番を待っている私のもとにお兄ちゃんがやってきて言ったのだ。


「お兄ちゃんに髪を切らせてくれないか」


散髪屋のおじさんの息子だった。


私は迷った。


お兄ちゃんにもあのあざが見られてしまう。


でも、私の頭をなでながらお兄ちゃんは言ってくれたから。


「ごめんね、嫌だったらもちろん断ってくれてもいいんだよ。でも、お兄ちゃんは君の髪を切りたいんだ」


その手と言葉があまりに温かかったから、私は自然とうなずいてしまったのだ。




鏡の前に座るとお兄ちゃんは髪を切りはじめた。


不器用でとても上手とは言えない手つきだった。


でも丁寧に本当に丁寧に切ってくれた。


緊張する私を少しでも和らげようとお話もしてくれた。


「お兄ちゃんはね。髪を切りにきた人を笑顔にする美容師になりたいんだ。ここに来て良かったと思ってもらえるような美容師に」


だから、私なのだと。


いつもいつも泣きそうな顔で髪を切られ帰っていく私に笑ってほしいのだとそう言った。


私は恥ずかしくて、でも嬉しかった。


だからこそ、鏡にうつるお兄ちゃんの顔を見たくなくてずっと下を向いていた。


私は知っていた。


私のあざを見た時、少しだけ他人の表情が変わることを。


優しい人ほどそれは色濃くて。


だから、怖かったのだ。


お兄ちゃんの優しい顔が変わってしまうのを見るのが。


前髪を切る時、左のこめかみが姿を現した。


私はぎゅっと目をつぶった。


「あれ?」


お兄ちゃんは言った。


「これ、お花みたいだね」


え?


私は目を開けた。


お兄ちゃんは優しい顔のまま微笑んでいた。


「君のここには赤いお花が咲いているんだね」


左のこめかみを指さしてそう言った。


気持ち悪いだとか可哀想だとかじゃなく、初めて綺麗なものに例えてくれた。


嬉しくて嬉しくて私は別の意味で顔を上げられなくなってしまった。



それから、私は1ヶ月ごとに髪を切りに行った。


散髪屋に行くと必ず言った。


「お兄ちゃん、おねがいします」


お兄ちゃんはニコニコしながら嬉しそうに切ってくれた。


でも。


春。


中学一年生の時。


「お兄ちゃん、おねがいします」


いつものように散髪屋に行ってそう言うとおじさんが申し訳なさそうに言った。


「ごめんね、あいつはもうここにはいないんだよ」


え?


驚く私におじさんは説明してくれた。


プロを目指すため、お兄ちゃんが東京の美容師の専門学校に行ってしまったのだと。


悲しくて悲しくて。


その日から私はまた散髪嫌いの女の子になってしまったのだ。



取りあえず、一番近くの美容院を予約してみた。


こじんまりとした、でも温かみのある美容院。


扉を開けると男性の美容師が迎えてくれた。


名前を告げると「こちらにどうぞ」と席へ案内される。


ケープを着せられ、カットの準備をされながら話しかけられる。


「今日はどのような感じに致しましょうか」


「そうですね。量を減らしてほしいのと、あと前髪が大分長くなってきたので短くしてください」


「かしこまりました」


髪がまとめられ、あげられていく。


左のこめかみが姿を現す。


「あれ?」


男性の美容師の手が止まる。


ほら、やっぱり。


私は悲しい気持ちになって顔を上げる。


でも、そこには優しく微笑む美容師さんがいて。


彼は言ったのだ。


「あなたのここには赤いお花が咲いているんですね」


懐かしそうに。


私は大きく目を見開いた。


そうして、ゆっくりとゆっくりと幼い子供のように満面の笑みを浮かべた。


「お願いします、お兄ちゃん」


お兄ちゃんはニッコリ笑って、あの時より上手な手つきで、でもあの時と変わらない丁寧さではさみを動かし始めた。


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