幼女、正気を失う
「死ねばいいのに…じゃあダメよね?殺しちゃおっか」
「死ねとか殺すとか…君達は本気で言ってるのかい?」
「当然でしょう偽善者。お前の行いのせいで侮辱された者や苦しんだ者、更には泣かされた者がいるのよ…よりによってこの私の身内に」
しかしまぁ…ユキが殺すのは難しいと言わしめた男だ…簡単には殺せまい
「…例えそれが本当だとしてもだ、同じ人間だ…簡単に殺すなんて言っちゃいけない…恨み辛み、言いたい事は甘んじて受けるよ」
「人間じゃなきゃ殺していいっての?ここの鬼達みたいに」
「う…それはだね…」
「そんなだから人間には敵が多いのよ」
そもそも学園での教えが悪いんだ…亜人は格下、悪魔は敵、人間にとって都合の良い存在は友好的に…
何故か世界で一番上にくる種族と思ってる節がある。一番なのは数だけだってのに…
「この私が殺る気出してんだからあなた達も気合い入れなさいよ」
「もちろんです…と言いたい所ですがお待ち下さい」
「…なぁに?まさか身内に水を差されるとは思わなかったわ」
「いえ…あの男とエルフはともかく、他の冒険者達までやってしまうと牢屋行きになるかと」
そういう事も考えられるな…牢屋行きで済まされればまだマシな方だ
「皆殺しにすれば問題無しよ、目撃者がいなけりゃ何とでもなるわ」
「お姉様…この場にどれだけの冒険者が居ると思いますか?」
いち…に…さん…じゅう……
「いっぱい」
「えぇ沢山ですね、すぐに数えるの諦めましたね」
「どうでもいいわよ…で?サヨは何が言いたいの?」
「職に就けなかったクズ共とはいえ、魔物の脅威から町を守ってるのも事実…
これだけの数の冒険者が死んだら魔物によって被害を受ける町も増えるかもしれませんよ」
「五丁目なんて冒険者の質がアレなので襲われたらとんでもない被害が…」
「わかった…わーったわよ、向こうの冒険者達をこちら側に引き込めばいいんでしょ」
だが説得しても敵対したままならもう容赦は無用だろ
「おっぱじめる前に私からも慈悲を与えるわ。後ろに控えた情けない冒険者共、今私達の方に付くというのなら許してあげるわ」
「今は鬼共と戦ってる最中だぞ!」
「知ったこっちゃない…向かってくる奴は全て殺せばいいのよ」
「お、おおお愚か者共めっ!」
「はっ…愚か者、大いに結構!かかってきなさい!」
「お待ち下さい。作戦タイムです」
何なの!?何度邪魔すれば気が済むんだ!いくらユキとは言え、次また邪魔したら大人しく従ってられんぞ
「今の説得はアウトです…あれではただの煽りですよ」
「そのつもりだったわ」
「ダメです。ここはお母さんの可愛さを全面に出しましょう、そうすれば冒険者達も必ずこちらに付きます」
「…貴女が見たいだけじゃない?」
「……そんな事は」
…即答しなかったって事はそういう事だろう…大体可愛さを全面に出すってのが難しい
まぁやってみるけどさー…ユキに降ろしてもらい、右手を天に向けて指差す
「私の味方に付く人このゆびとーまれっ」
………
……
…
…何もかもが虚しい
「とまったよ?」
「私もとまったー」
「皆でとまっちゃえ」
「…全然関係ない妖精達じゃない」
何処から来たか不明だが、元気を取り戻した妖精達が指に止まってきた…数が多すぎて止まりきれてないが。というかお呼びでないわ
あ、いや待てよ…今回は妖精達の依頼…頼み事だった…という事は妖精達が味方してる私達は別に罪に問われないのでは?
「僕達も君達の方に付くよ」
「あらジェイコブ…」
「まだ覚えてくれないんだね…もういいよ…」
「諦めちゃダメよファルクス!」
どこかに居るとは思ってたが、よもや偽善野郎と共に行動してたとは…
「なに?妖精達がこっちに付いたからって寝返り?」
「う…そう思われるのも仕方ないけど、僕達だって戦闘ばかり優先する彼等には疑問を感じてたんだよ?」
「そうそう、途中で捕まった妖精達も居たのに放置しちゃうし」
「それは後でこっそり抜け出して救出するつもりだったけど……」
「……ま、そういう事にしておいてあげましょう」
嘘じゃなさそうだ。あの男じゃなくてジェイコブ達が指揮してればもっとマシな展開になってたと思う
ジェイコブも甘ちゃん気質なところが有りそうだから、同じく敵に情けをかけていたかもしれないが…
「オラも嬢ちゃんに付く!」
「俺も俺も!」
意外だ…何故か冒険者達がちらほらとこちらに付くと言って向かってくる
「オラは将来農家を継ぐ…妖精に剣は向けられねぇ…」
「俺もだ…金さえ稼げば冒険者稼業は終わりだ。妖精に好かれてる嬢ちゃんが嫁に来てくれたら王国一の農家になるのも夢じゃないな」
「全くだ…あと数年経ったら求婚しよう」
自然に愛されし者=農家にモテる。何て要らない加護だ。精霊に好かれるぐらいにとどめておいてくれ
「…私もそっちに付くよ」
「え!?…正気かフェル?」
「うん」
おや…これは予想外…まさかの裏切り発言だ。何を考えてるんだこのエルフ…
「フェル…エルフがよく使う偽名です。もしかしたら真名を教えるほど深い仲では無いのかもしれませんね」
「フェル…フエル、エルフ……実に安直な偽名だわ」
「どうするんですか?お母さん…まさか本当に山と処刑場を破壊した元凶を許すのですか?」
「いいえ…でも殺すのはやめてあげましょう」
隣で偽善野郎が必死に説得しているが、エルフは我関せずと言った感じでこちらに来る
「よろしくね」
「えぇ、よろしく。モブオ…腰の剣をコイツに貸しなさい」
「何でだ?」
「コイツも偽善者同様に私達が許せない相手だからよ。私達の許しが欲しければその剣で自分を貫きなさい」
「美女を刺すなんてとんでもない」
「黙れ」
「何言ってるんだ君はっ!フェルその子の言う事なんか聞く必要ない!戻って来るんだっ!」
「…無理だよ。私はこの娘に敵対したらダメなの…絶対に……」
エルフを連れ戻そうとぎゃーぎゃー騒いでる奴がいるが、ユキとサヨがこちらに来ない様に牽制しているため安心だ
しかし敵対出来ないときたか…精霊頼りのエルフとしては、自然に愛されてるらしい私を攻撃出来ないって事か?
エルフだって自然の加護持ちだろうに…その辺不明だな
「…本当に刺したら許してくれる?」
「嘘は言わない」
「でも、死んじゃうし…」
「傷は治してあげるわ」
「わかった…」
「おいっ!?やめるんだっ!!」
必死だな…よほどエルフが大事なのか…それとも惚れてるのか
面白い事になりそうだから早いとこエルフをやっちまおう。ユキに降ろしてもらいエルフに近付く
「ほらほら、さっさとやっちゃいなさいよ。何?やっぱり自分じゃ躊躇しちゃうの?根性無しね!だったら代わりに私が刺してあげるわ、えいやっ」
「かふっ……!」
「お…おおおおおぉぉぉぉぉっっ!!?貴様あああぁぁぁぁ!!」
早口でまくし立て、エルフから強引に剣を奪ってさっくり腹部を刺してやった
剣は重いので、少しよろけて腹のど真ん中からズレてしまったが、まぁいい…
それにしても良い表情になったぞ偽善者…聞き分けのない子供に言い聞かせるかの様な舐めた態度から憎い相手を見る目になった
「ぐりぐりー」
「い、いぎぃぃぃっ……いたい痛いっ!」
「痛くしてんのよ」
「やめろって言ってるだろっ!」
「何でお前の命令なんか聞かなきゃいけないのよ」
うはははははっ!少しは気がはれてきた…が、まだまだ満足しないなぁ
とりあえずエルフはこの辺にしといてやるか…
剣を引っこ抜き、倒れたエルフの頭を何となく踏んづける。偽善者の表情が更に険しくなった
後ろにいる冒険者達はドン引きしてるけど
「ユニクスの血でもかけてやりなさい」
「勿体無い…ですがわかりました」
「返すわ。あなたの大好きな美女の血付きよ、舐めれば?」
「む…なんとも魅力的な案だな…だが人前では恥ずかしいから後でこっそりするわ」
「舐めるんかい」
モブオの変態性を侮っていたか…エルフの血なんて腹壊すかもしれないぞ…
嬉々とするモブオにサヨが近寄りあっさり剣を奪った。サヨは魔法で剣についた血を瓶に入れているようだ
「よいしょ…これでよし」
「おいおい!晩飯に混ぜようと思ってたのに何て事すんだ!」
「エルフの血とか何かに使えそうなので…せっかくだから治す前にもう少し集めておきましょう。というか晩飯にはやめておきなさい」
サヨが血液採取兼、エルフの治療をするので頭から足をどかしてやる
エルフを見下ろすと怯えた表情で私を見てきた…いい表情だなー
「ひっ…!?」
「おっと…貴女がいい表情するもんだから思わずニヤついちゃった」
ま、私はさっきので許すと言ってしまったからもう手は出さない…しかし……
「マオ」
「……」
「あなたは…どうする?何もしなくていいの?」
「…いいです……わたしは、何も…何をしてもまだ許せそうに無いので…だから何もしません…」
「そ…」
やれやれ…この様子では本調子に戻るのに時間がかかりそうだ…せっかく良い日になりそうだったのに…
「世の中上手くいかないものね」
「そうですねー」
「…重い」
初めて会った時みたいに、またしてもいつの間にかリディアが近くに居た。というか背中にのし掛かってきた
「えーっと…ロナだっけ?あなた何処に居たのよ」
「お荷物の醜女が居たので安全な場所に置いてきたんですよ、一応白馬と私の従者達に護衛を任せてます」
「おぉ…幼女が幼女と戯れている…!」
「なんとロリロリしい…もとい神々しい…」
「殺伐とした戦場にオアシス降臨!」
外野が興奮し出したのでリディアを引き離す、顔を見れば何が楽しいのかニコニコしている
そして何か思い出したのか、そういえば…と両手を合わせて思い出しましたポーズを取り、マオの方に顔を向けた
「そうそう悪魔さん、その辺にあった小屋に置いてあった数体の亡骸は運んでおきました」
「………………え?」
「いえ、埋葬する為に穴まで掘ってたので大事な鬼なのかなー……って」
「ほ、ほほほほほんちょうですかっ!?」
「ほんちょうです」
「……よ、よかった…です…ありがとう、ございます…」
「いいえー」
穴掘りは無駄じゃ無かったんだなー…リディアが察しの良い魔女で良かった
「でもまた借りが出来ちゃったな…」
「んふふー、大きな貸しを作ってその内返してもらいますよ」
「ほどほどにね」
無事だった鬼達の遺体はどこか荒らされない様な場所に埋葬しようか
なにはともあれ良かった…途中でウザい事になったが、終わり良ければ全て良し、だな
あの男にはまだやり足りないが、邪魔しかしなかったとギルドに告げ口でもしとこう
「じゃ、帰りましょっか」
「まてまてまてっ!!これだけ場を乱しておいて何を普通に去ろうとしているか!!」
「何だ、偽善者に媚を売る乞食じゃない」
「黙れ小娘っ!まさかこのままで済むとは思ってないな!?」
「思ってる」
「済むか!…シリウス殿っ!フェル殿にあの様な仕打ちをした小娘をどうしてくれましょう?」
「それよりもフェルの救出が先だ…」
「ああ、この女?返しましょうか?」
もう用は無いし…怪我させたのは山を壊した罰って事で一件落着。と、思っていたらエルフに左手を捕まれた
「待って…ひどいよ…あなたが言うから痛い思いもしたのに…!」
「ええ、あれで貴女を許したの。だから後はお好きにどうぞ?」
「そんな……」
「あの男なら寝返った貴女を変わらず可愛がってくれるわよ、だから離せ!」
捕まれた手を振りほどく、何故か捨てられた仔犬の様な目をされた。お前など拾った覚えはないわ
「ユキ、サヨ…牽制はもういいから帰るわよ」
「わかりました」
「…偽善者、死なずに済んでよかったですね」
「だから待てと言っておろうが!…おいっ!冒険者共!何をボケッとしとるか!コイツらを捕らえよ!」
「……何でコイツに命令されなきゃいかんのだ?」
「こいつはゴーランって言ってな?その年で未だに上級者止まりで焦ってんだよ」
「うわ…上級者とかヘボ…それで偉そうにされてもなー」
弱い奴ほどよく吠える……まさにその通りだな、もはや呆れるしかないわ
「はぁ…しょうもない。さっさと夕飯よ夕飯」
「お姉様…!後ろっ!」
「くそ!逃がすかクソガキ!」
ビリイイィィィィッ!
……サヨの叫びを聞いたあと、背中を引っ張られたと思ったら何か破れる音がした
ちなみに狼藉を働いた口達者はすぐにサヨに蹴り飛ばされた
「あ…お母さんの…」
「……あ」
「まぁ…ペドちゃんの服が破れて全裸に…」
「なってないなってない」
だが念のため自分の服を確認する。破れてはいない様だ…仮に公衆の面前で羞恥をさらしたら目撃者を皆殺しにするところだったわ
「でも何が破れたの?」
「え……?何も問題は…」
「お姉ちゃん、リュックのウサギさんの耳むーっ!」
「何であなたは余計な事をっ……!」
耳……?
リュックを外して目の前に持ってくる
確かに……片方の耳が無い…無くなってしまった。私の血で赤になった顔には、鬼の長による刺し傷も見える
ボロボロになるまで使うと言ったが、あまりにも早すぎじゃないか?私に使われてお前も散々な目にあってるなー…
流石に早すぎなのでユキに修復してもらわないと…まずは耳を返して貰おう…返して貰わないと…
誰に?
あの生きたゴミに…
「かえして?」
★★★★★★★★★★
「かえして?」
お母さんの雰囲気が急に変わった…何というか、また別人になったかのよう
この私に寒気を感じさせるとは…我が母ながら恐ろしい。もしかしてまた何者かに乗っ取られてたりして…
「姉さん、お母さんは今どんな状態ですか?」
「どんなと言われましても…特に問題無いです。至って正常でしょう」
「という事は…ただ怒ってるだけ…」
「心底怒ったら精神が幼くなるんでしょうか?もしくはあのリュックに何かしら思い入れが…」
いつの間にか持ってたとは聞いたけど…苛めにあってたらしいし、本人が記憶を消し去るほどのトラウマがあのリュック絡みであったとか…
ないか、だってお母さんだし
「ぐぅ…クソっ…いてぇな!カスのくせにこの俺を足蹴にしおってぇ…!」
「かえして」
「あぁん!?……かえしてってこのゴミかぁ?……ふん、こんなもん…!」
「……あ」
……あのクズ、お母さんの大事なウサギリュックの耳を引き千切ったどころか、千切った耳をあろう事か踏みつけた…しかも執拗に
しかし再び姉さんに蹴飛ばされた。今度は気絶するほど強めに蹴ったみたいだ…もう殺してもよかったと思う
それにしても失敗した…さっさと代わりに取り返しておくべきだった
「私としたことが…あの様な愚行を止められ無かったなんて…!」
「それは私もです。今のお姉様に気を取られてしまいましたね…」
「たいへん…こわされちゃった…ウサギのおみみがなくなっちゃった…おみみのないウサギはモルモットになっちゃう」
「ほぅ……面白い発想をなさいますね」
「なに感心してるんですか姉さんは…」
お母さんはうーんうーんと悩み、何か思い付いたのか歩き出した…あのエルフに向かって
「…な、なに?あれだけ言っておいてまた何かしようっての?」
「ながいおみみ……ねえ?ほんとのすがたになってよ…エルフなんでしょ?」
「な、なに?バレてた…?……っ…やだ!ごめん無理!」
「なんで?」
「なんでもっ!い、いくら頼まれても無理だから!」
「こまったー。んー……」
「…せいれいまほうなんて、つかえなくなればいいのに」
「え?……あ、あれ…!?なんで!!?」
奇跡ぱわーでも使われたのか…精霊魔法で姿を変えていたエルフの本当の姿が現れだした
しかし…これは一体…?
エルフの髪が漆黒に染まり、背中からはマオさん達悪魔とは違う黒い翼が出てきた…天使の羽が 黒くなった感じだろうか
「何ですか…あれは…彼女はエルフでは無かったと?」
「姿はあんなですが恐らくエルフでしょう…混血かもしれませんが」
突然変貌した彼女に皆動揺している…もちろんあの男もだ。あの驚き様だと彼女の正体を見たこと無かったと分かる
「ああああっ!なんで!?なんで精霊との契約が無くなったの?……あなた何したの!?返して!私から精霊魔法を取らないで!!」
「やった、おみみながい」
彼女はお母さんにすがり付くが…当のお母さんは…お母さんだけは、今のエルフの姿なんて全く気にしていない
「お願いっ!私には…こんな私には精霊魔法しかないの!それだけがエルフである証なのっ!!」
「訳ありなエルフとかお姉様が言う所のイベントっぽいですが、台無しになりそうですね」
「私としては今の精神が幼くなったお母さんの方が重大な事件です」
「あなたはそうでしょうね」
「けんで…きれるかな?」
「ねえ聞いて!?…ああっ…なんで…」
まさか…おみみおみみ言ってらしたが…エルフの耳を…?いやいや、いくら何でも…確かに長いけど
「おみみ げっちゅ」
「え?……ぃ、ひぎゃああああああああぁぁぁぁぁぁっっ!ああああ痛い痛い痛いいたいいたいぃぃぃっ!!!!」
「お…おぉぉ…何とお姉様…」
「ペドちゃんったら…猟奇的…!」
そのまさかが目の前で起こった…お母さんはエルフの懇願などかけらも聞いておらず、いつの間にか拾った剣でエルフの片耳を斬り捨てた
エルフの耳を入手したお母さんはウキウキした表情でこちらに向かって……横を見ると姉さんはいつの間にか居なくなっていた。逆を見るとリディアさんとマオさんも居なくなっていた
リディアさん達はともかく、何と薄情な姉なんだろう…今のお母さんの相手を私一人でしろと言うのか…
「ユキちゃん」
「はい…」
「なおして?」
と言ってリュックとエルフの耳を差し出される……これらを渡されてどうしろと言うのだ。ウサギの耳の代わりにエルフの耳を縫い付けろと…?
それにしても血でこんなに汚してしまわれて…袖まで真っ赤になってしまっている
「お母さん…残念ながらこれでは修復出来ません」
「なんで?」
「ええと、そのリュックのウサギには不適切だからです」
「ふぅん…ユキちゃんのおみみは?」
……聞き間違いだろうか…私の耳をお使いになると
………
「私のも無理です。あちらのモブオ様とかがよろしいかと」
「わかったー」
「えええええぇぇぇっ!?待ってくれよユキさん!そりゃねぇだろっ!?」
お母さんは剣をズルズル引きずりながら冒険者達の元へ向かう…当然逃げられる
「今の内にウサギの耳を取り返しましょうか」
「…逃げ足の速さに定評がある姉さんじゃないですか」
「……悪かったと思ってますよ」
取り返すと言っても、あのクズのおかげで無惨な姿になってしまった。あれを復元しようにも時間がかかる
「……みんなにげちゃった」
冒険者達に逃げられしょんぼりするお母さん…お可哀想に…とはいえ私も近寄れないから同罪だ
「つかまえたら…おみみ げっちゅ」
そうきたか…これから耳を賭けた恐怖の鬼ごっこが始まるのだ…私達は狙われてない様だが…
「身内で良かったです」
「私もそう思います」
「やっと追い付いたと思ったら…何をはしゃいでるんだアイン?」
「耳が惜しければ逃げろ!」
「逃げろったって…この死体重いんだぞ?」
「そもそも何から逃げてんだよ」
このタイミングで来るとは…何て運の無い冒険者達なんだろう…
訳も分からず首を傾げていた五丁目の冒険者達は、ウキウキとした表情で剣を引きずりながら近寄ってくるお母さんを確認すると、ようやく何から逃げればいいか悟ったようだ
「とりあえず死体は置いていこう」
「「「異議無し」」」
「「「「助けてえええぇぇぇっっ!?」」」」
どうやら逃げ足だけは優秀らしく、かなりの早さで逃げていく。あっという間に先に逃げていた集団に追い付いた
「ぁっ…!…ふぎゃっ!……い、いったぁ…どこ見て走ってんのよ!」
「す、すまねぇ…立てるか?」
「いっ…ダメ、足を捻ったかも」
逃げてる最中五丁目の冒険者の一人がファルクスさんのお仲間である…誰だっけ?お母さん曰く怒りんぼさんにぶつかってしまった。
どうも足を捻ってしまった様だが…早く逃げないと捕まってしまう…
「仕方ねぇ、背負って…!……済まない嬢ちゃん…」
「はぁ?済まないじゃなくて起こしな…」
「つーかまえたー」
「ひいぃぃぃぃぃぃぃっ!?」
哀れな…犠牲者は怒りんぼさんになってしまった。私に出来るのは見ないフリをする事と
「ゴーランでしたっけ?制裁を加えましょうか」
「ああ…私が蹴り飛ばしてから未だに気絶してますよ」
「…本当に雑魚なんですね」
敵の方を見やれば耳を斬り落とされた事と異様な姿を晒した事で半狂乱になっているエルフが
あの男、シリウスは呆然とエルフを眺めるばかり…何の行動も起こさないとは情けない男だ
そして敵対している冒険者達は指揮をしていた者があんな様子なので立ちすくむばかり
「何と張り合いの無い…」
「ねえねえ!ユキさん…でした?私もペドちゃんに負けじとあっちの敵を殺戮した方がいいですか!?いいですよねっ!」
「やめて下さい」
「えー」
リディアさんがお母さんに触発されたようだ。色々とお世話になったが、この場では自重してほしい
「待って!?助けてお願いっ!私の耳なんか役に立たないって!!」
「つかまったからあきらめて」
「嫌よっ!…ちょっとファルクスっ!あんた助けなさいよ!後ろの皆もおおぉぉぉぉっ!」
「…ミレーユ、僕は気付いたんだ…いざって時には自分の身を優先してしまう様な小さな奴なんだって…結局こんな僕じゃ騎士なんて無理な話だったんだ…」
「知るかぁっ!浸ってないで助けろぉぉ!」
「済まない…自分を見つめ直したい、しばらく一人にしてくれ…大丈夫、耳が無かろうと君は大事な仲間だよ」
「あんた覚えときなさいよおおおぉぉぉ!!」
…こっちはこっちで謎のドラマが始まりそうで始まらなかった。ファルクスさんも人の子らしい、我が身が可愛いそうだ
「聞いて!?私達ってもう三回も会ってるでしょ?これはもう友達と言っていいと思うのっ!」
「んー?」
ミレーユさんとやらが変な事を言い出した。かなりいっぱいいっぱいの様だ…
「その理屈でいくと何回も会ってる俺は恋人を通り越して人妻だな」
「それ寝取られてね?」
「アインは人妻モノが好きだからなぁ」
危機が去った五丁目の冒険者達はのんびり惨劇の様子を見物している。彼等には助けるという選択肢はなさそうだ
モブオさんが人妻好きとかどうでも良いことを記憶してしまったが、早く忘れる事にしよう
「ね?友達の耳を千切るとかおかしいでしょ?やめよっか?」
「おみみ げっちゅ」
「ちくしょおおおおぉぉぉぉ!!やられてたまるかあああぁぁぁぁぁぁぁ!!!」
耳を斬り落とす為に馬乗りになっていたお母さんは刃を下に向け垂直に剣を落とす。それを白刃取りの要領でミレーユさんは防いだ…
火事場の馬鹿力という奴か…よく防いだものだと感心する
「ぬうううっ!…幼女つよい…!?だめ…!もう無理いいぃぃぃぃっ!!!」
だがやはり無理だったらしく、力尽きたミレーユさんの片耳は無惨にも斬り捨てられ…
「ダメですよ?お姉ちゃん…」
「う?」
斬り捨てられる前にマオさんがお母さんを抱き上げる事によって阻止された…
マオさんはお母さんからまず剣を奪って捨てる。良い判断と思う
「正気に戻ってください…お姉ちゃんはそんな平然と人を傷付ける様な……事が出来る人でしたね…」
「うん」
「はぅ……で、でも!全く関係ない方を傷付ける事はしません!お姉ちゃんは外道だけど、優しくてカッコいい外道なんです!」
…言いたい事は何となく分かる…けど、優しい外道とは何なのだろうか…
「しらなーい。おみみ…ちょうだい?」
「……わかりました。わたしの耳ならあげます。そのかわり他の方…少なくとも味方の皆さんは傷付けちゃダメです」
「うん」
マオさんは自分の所持してたナイフをお母さんに渡す…
……正気、なんですよね
はぁ…娘として、マオさんばかりを犠牲にする訳にもいかない…か
覚悟を決めて二人の元へ行こうとしたら姉さんに止められた
「この場はマオさんに任せてみましょう」
「なぜ…?」
「マオさんなら大丈夫と思うからです」
そう、なんだろうか…しかし姉さんの言い方だと私達では大丈夫じゃないみたいに聞こえる
そうなのだとしたら娘として少々嫉妬してしまう
「…お姉ちゃん」
「んー?」
「正気に戻ってから…わたしの耳を斬った事を後悔しちゃダメですよ?」
「うん」
「ふふ、ならいいです…けど、お姉ちゃんは家族想いだから…やっぱり後悔しちゃうのかなぁ」
「おみみ」
「でも大丈夫です…わたしはいつもと変わらず振る舞って見せます…お姉ちゃんが気にしないように」
「げっちゅ」
サクッと、小さく軽い音がした…
場が静かになった…姉さんに言われた通り、黙って見届けたが…残念ながら結局無事で済む事は出来なかった……
「……お姉ちゃん?」
「いでぇ……起きてみれば手にナイフが刺さってるし……何なのよ」
「正気に戻って…?そ、それよりも怪我!ゆ、ユキさーーーーんっ!?」
……お呼びがかかった
結局お母さんはマオさんを傷付ける前に自分の手にナイフを刺す事で正気に戻ったようだ
意識はなくとも、家族を傷付ける事を拒絶したのだろう…仮にあの場に居たのが私でも、お母さんは同じ行動をとってくれただろうか……
そんな事を考えても仕方ない。今は早くお母さんの手当をしないと…私は少し悔しい気持ちで慌てふためくマオさん達の元へ向かった




