幼女、海の生物を欲する
アルカディアは海に近い。
そりゃ数ある国の中では近いのだろう。
だが距離にして30キロ程度は離れているのを果たして近いと言っていいのだろうか。
「近いでしょう。走ればすぐですよ」
「人間基準でモノを言ってほしいわ」
「はっはっは、ですがこの30キロ続く山々が身を削って暴風から我が国を守ってくれてるのですから。そもそもどうせ転移で移動してきたのですから文句言わないで下さい」
そりゃそうなんだが。
にしても精霊達が抑えてくれてるとはいえ押し寄せてくる波の凄いこと凄いこと。結界で防いでいる雨風もそうだが自然ってのは時に面倒な事をするもんだ。今回は災厄のせいだけど。
それより肝心のルリがビービー泣いて逃げるほどの凶悪な生き物はどこか……
ま、あんだけデカイならすぐ見つかるわな。
今は山の中腹より少し上の方で下を見下ろしているのだが、眼下の浜辺をのそのそと動く胴体の長い生物。
確かにルリの言う通り数キロはあるかもしれないが、それは胴体の長さであって高さはそれほどでもない。嘘は言ってなかったが私が期待してた巨大生物とは違う。
赤い図体で無数の足をうねうねさせながら蠢く生物……これは。
「ムカデですかね」
「何を馬鹿な。ハサミを持っているのですからサソリでしょう」
「それ、どっちも海にいるの?」
「何はともあれルリさんが泣いて逃げるくらいのキモさはありますね」
「いやいや、確かにキモいのもそうじゃが、あれにはアトロノモスの様に魔法が効かぬのじゃ!」
また攻撃が効かない奴が出てきたのか。最近多すぎじゃないかねぇ……
件の生物は浜辺を上がったはいいが初めての陸地でどうすればいいか分からんのか特に進もうとせずまごまごしている。
「リーダー、正直に言っていい?」
「どうぞ」
「あたしは巨大サメに期待してた」
「それな」
「沿岸付近は浅いんですから魚類は厳しいんじゃないですかね」
海の化け物なんだからヒレで陸上を歩く根性ぐらい見せろと言いたい。
何が悲しくてムカデとサソリが合体した様な生き物を眺めなきゃならんのか……む?
そういえば風の大精霊はコイツが上陸するのをみすみす見逃したのだろうか?
もしくはルリに丸投げしたのか……
怪しいな。あれ実際は何なのだろうか。
「マオっちもサメ見たかったでしょ?」
「私はイルカさんが見たかったです」
「でたでた、ここぞとばかりに可愛いアピールして好感度上げようとする奴ー」
「ち、違いますよ!?」
「マオさんは置いといて、あのムカリどうします?」
「勝手に名前つけんな」
分かりやすいが実に安直である。サカデじゃいかんのか?
しかしどうすると言ったってどうすりゃいいんだ。面倒になったら亜空間落としで済ませるつもりだけど。
とりあえず初の巨大海生物だしちょっと観察してみるか。
気になった点といえば足並みが揃ってない時があるって事か。
後は……ムカデってあんな見える位置に目があったっけ?何か妙につぶらな瞳だし……
ふむ、風の大精霊が見逃した生物、妙に揃わない足並み、海でハサミを持つ生き物と言えば。
「なるほど、あれは実に良いモノだわ」
「おや、お気に召しましたか」
「良く観察してみなさい。正体が分かればテンション上がるわ」
「……そうか!あの真っ赤なボディ……あれはすでに茹で上がっている!」
「ムカデ食べるつもりですか」
マリアの妙な返答はさておき、食べるという事については正解だ。
あれは食える。
「あれはカニでしょ。ああして連結して大きな生物に見せてるのでしょうね、小魚が群れるのと同じよ」
「カニ……あれがカニ!」
「これは胃袋が唸る」
「そうですねぇ……あれが連結したカニだとすると、一匹の大きさは20メートルくらいでしょうか」
「一匹だけでも地竜ばりなんですね」
カニ。
たった一言だけでこちらが捕食する側となった。
だが相手は魔法が効かない甲羅を持つカニだ。亜空間を使わないと厄介な相手だろう。
しかもカニの分際で前に進んでやがる。
図体が大きいからか、はたまた陸地に慣れてないからか動きは鈍い。
浜辺にいる今なら山に影響なくやれるだろう。
だが陸にあがっているのはほんの一部。今やってしまったら海中にいる奴らは逃げる筈だ。
「山を犠牲にして全てのカニを捕食するか、妥協して今いる分だけ捕るか……悩むわね」
「あんな馬鹿デカイの一匹だけでも十分でしょう。そもそもあんなに捕ってもお姉様は絶対に飽きると思います」
「それもそうね、なら今陸に上がってる奴だけ頂くとしましょう」
こうして一部が涎を垂らしている間にも奴が歩く度に陸地が無残な姿になっていってるので早めに何とかするとしよう。
一番効果的なのはやはり亜空間落とし穴だろうか?
「すでに上陸してしまってるので浜辺に落とし穴とか難しいのですが」
「なら普通に落とすか」
「あれに接近しろと」
そのくらい簡単だろう、人外なんだから。
実際のところは分からんが動きは遅い。アトロノモス同様デカイのは遅いの法則はコイツにも通用している。
仮に襲われても逃げられるんじゃないかと。
「念のためすばしっこい人に確認してきてもらいましょう」
「すばしっこい奴とか誰よ」
「マリアさんでは?」
「いい?あたしはすばしっこいんじゃない、素早いのよ!」
「似たようなもんでしょ」
すばしっこいだとキッチンに出てくるアレみたいだもんな。
結局ニボシが居ない中では確かに一番速そうなマリアに先行してもらう事になった。
相手がカニであるからか実はマリアもノリノリである。
山からカニに向かってマリアがすっ飛んでいく。
一応真正面に向かっていくなどと言う馬鹿な真似はしない様で死角である側面めがけて飛んでいくが……
デカイ図体のカニの分際でやたら素早く向きを変えるとマリアに向かって口から水を吐き出した。
マリアに向かって水を吐き出したという事は後ろには私達が居るという事だ。
「転移!」
だが咄嗟にユキが転移をしたおかげで私達は無事隣の山まで逃げきれた。
吐き出された水はどうなったかと言えば山にぶつかってそのまま貫通していった。
「水鉄砲の分際で山を貫通したんですけど!?」
「わたしはあれをウォーターレーザーと名付けました」
「名付けんでいい」
「誰もマリア様の心配をしないところが素敵でございます」
当たった気配無かったしどうせ死んでないだろ?
で、やっぱり当たってなかったのか目の前に空間が割れたかと思えばマリアが出てきた。
咄嗟に退避するのにも有能な能力だこと。
「く、カニの分際であたしのスピードについてこれたですって!?」
「こんだけ遠くから飛んでいけば気付くでしょ」
「連結してるのですから、後続がそれぞれ各方向を監視してるのでしょう」
つまり死角がないってことか。
風の大精霊の奴め、そんな奴をむざむざと見過ごしてこっちに寄越すとは何てゲスな野郎だ。
「この熱い手の平返し」
「見逃したんじゃなくて手に負えなかったとか?」
「別に倒さなくても強風とかでどっか別の方向に向かう様に仕向けるくらいは出来そうじゃない。わざわざ進めばウチに来る進路にする事に大して悪意を感じるわ」
「悪意……つまり災厄のせいって事ね!許せないわ」
関係なさそうで大体合ってる。この嵐はそもそも災厄のせいだしな。
しかし食材のくせに厄介だな。マリアという敵を認識した途端急にシャカシャカしだした。
デカイくせにシャカシャカ素早く動けるとか反則だろう。
マリアの襲撃のおかげか相手も警戒してるようだ。
こっちもそうだがあっちも初めて戦う人間が相手という事で油断はしまい。
「む、噂をすれば風の大精霊が来たようじゃぞ」
「ほう、文句の一つでも言ってやりましょうか」
来たようじゃぞと言われても誰か来た様子はない。
しかしちょっと待っていると急にさわやかなそよ風が結界を無視して吹いた。魔力だけは人外を上回るだけはある。
風がやむといつの間にやら緑の布切れを纏った黄色い髪をした女性がいる。
「風の精霊って言うと緑色を想像するけど何故か髪は黄色ってイメージよね。想像通りで何よりだわ」
「文句の一つはどうなったのですか」
そうだった。地上に落ちた魚が生臭くなりそうな件と併せて謝罪と慰謝料を要求するとしよう。
だがこちらが口を開く前にあっちが先手を打ってきた。
「か」
「蚊?」
「勘違いしないでよねっ!全部あなたの為にやったんだからねっ!!」
「ほぅ」
「ツンデレ風と思わせといてただのデレデレ、新しいですね」
デレデレだろうが謝罪と慰謝料は頂くがな。
もしくは――
「あなたがアレを何とかしてくれるなら逆に感謝の意を表明するわ」
「謎の上から目線」
「もちろん出来るわっ!」
え?マジで?
風の大精霊はカニの方を向くと……何もしなかった。
ただ向いただけじゃねぇか。
白い目を向けているとカニの方に変化が出だした。ただ向いてるだけじゃなかったらしい。
「……おや、苦しみだしましたね」
「慌てて海の方へ逃げていきますが」
「一匹くらい確保しようよ」
「あたしに任せなさい!苦しんでいる相手なら勝てるわ!」
「そこはかとなく情けない台詞ですよね」
まぁ確かに弱っている相手ならデカくて素早い奴でもいけるか。
だが一匹と言わず数匹は確保するように。
「ところで風の大精霊さんは何をやったので?」
「え?別に特別な事はしてないわよ。ただカニの周辺の酸素を無くしただけ」
「ほほう、ほとんどの生物に必要な酸素を無くしたと。敵に回したらとんだ化け物になりますね」
「何で私があなた達の敵にならなきゃならないのよ。というか風の大精霊なんて凄い存在に会ったんだからもっと感動してよー……」
知らんがな。
感動はともかく風だけじゃなくて酸素まで操れるとか風の大精霊やべぇな……
ルリがあらゆる液体を創造出来る事を考えたら妥当ではあるが。て事は風の大精霊はあらゆる気体を操れるのかも。
「つまり屁を操れる。警戒するのよ、マオ」
「なんでわたしにふるんです?」
「尻キャラの宿命ですね」
さて、こちらがくだらない事を言ってる間にもマリアは弱っている巨大カニをほいほい自分の空間に放り込んでいく。
ぶっちゃけ重いんだろうな。
誰も手伝うことなくマリアの乱獲を見守っているといつの間にやらえらくずぶ濡れになっているのに気付く。
邪魔になったのか魔力が切れたのか結界が無くなったらしい。
例によって便利な覗き魔法である遠見の魔法で表情を窺ってみるが、さぞかし嫌そうな顔をしてるかと思いきや当の本人はおもっきし楽しそうにカニを追い掛け回している。
「何という笑顔。姉さん、私はあれに混ざる」
「どうしたメルフィ」
「ふ、全ての呪縛から解放された今、これからの私は自分の意思で自由に生きる」
カッコよさげに言ってるが今からやる事は嵐の中浜辺を駆け回る事である。
まぁカニがあの状態な以上海に入らなければ危険な事にはなるまい。
だが一つだけ言わせてもらうとお前ら寒くないのかと。
「そろそろ3月。もはや春」
「海は夏に入るものよ」
「……常識を語る姉さんなんて姉さんじゃない!」
「どういう事!?……あ、こらてめぇ!」
こっちの文句も言わずに精霊魔法なのか飛行していった。
あの野郎め……どうやらマオだけでなくメルフィの頭もおかしくなっていたようだ。てか飛べたのかよ、羨ましい。
ちなみに頭おかしい一号のマオはすでにうずうずしてるので行きたきゃ行けと言ったら即断で山を駆け下りていった。奴は走って向かうつもりなのか……どんだけ時間かかると思っているのか。
「やれやれ、あれでは浜辺に着く頃には日が暮れてた、なんて事になるかもしれないので私が転移でマオさんをお運びする事にします。決して私も混ざりたいとか思ってる訳ではありません」
「あっそ」
「あー、結界を解除したら巫女服が暴風で肌蹴てー」
「見苦しいババシャツが見えるから帯を頑丈に締める事ね」
「くっ、相変わらず私に対しての辛辣さ……ではマオさんがこけない内に合流するとします」
何なんだろうか、嵐というのは外で走りたがるモノだっただろうか。
もうあんな状態だし遊びたい奴等はユキに頼んで送ってもらえばいいと思う。
奴隷連中は遠慮がちだったが好きに遊べといったら天狐のモモが我先にと手を上げる。ミニマム連中も遊びたそうだったが流石に危なそうなので止めとけと言った。
浜辺にはすっかり美が付くであろう少女達の遊び場に変化している。
カニ狩りの筈がいつの間にやら目的が変わってしまったな、だが何というか。
「不思議ですね、災厄だ嵐だと慌てていた私達が馬鹿みたいです」
「マイナスな言葉はどうしてもマイナスに受け取っちゃうからね。あの娘達みたいなポジティブな奴等ってのは貴重ね」
馬鹿なのは困るけど。体調崩す前に帰って来いよー。
はしゃぎ回る娘らを残った面子で見守っていると横にフルートがやってきた。
この状況だってのに真面目な顔をしてるって事はあまり良い報告ではなさそうだ。
「フィーリア様、災厄を監視させていた精霊からの報告ですが……」
「何?」
「目的は不明ですが、現在ワンス王国の五丁目に現れたとの事です」
五丁目……?
何でまたピンポイントで私の育った町に来たのか。
奴は妙に私達を、もしくは私を警戒してたとは思うが……家族を人質にでもするつもりだろうか?
それにしたって実家を突き止めるのが早すぎだとは思うが。
「五丁目は例の悪意の影響を受けてませんでした。それが気になってきたのではないでしょうか?」
「なるほど、そっちの方が濃厚ね」
「至急お戻りになられますか?」
「いえ、そのまま監視しといてちょーだい。奴が私の家族と接触してピンチになったら即効で帰って即効で消滅させる」
どうせ本体ではない。
攻撃が通用しないと言っても奇跡ぱわーの前には無力である。
「ナイン皇国では連続強姦魔として有名になってましたが、大丈夫でしょうか」
「アリスは赤ん坊でお母さんはオバサン、まぁスルーされるでしょ」
「セティ様は見た目は20代なので危険な気もしますが」
「私は見た目6歳児だがな」
「それは関係ないかと」
五丁目だってそれなりの広さはあるんだから遭遇する確率も低いだろう。
それにだ、何となくだが仮に遭遇しても無事に済む予感もしている。
こっちはこっちでのんびりとカニでも食ってればいい。
そういえば五丁目名物の馬鹿な冒険者達はちょっかい出して死にそうな気もするが……まぁいいか。




