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春霞・記憶の中の男・『優しい』

 全ての出会いを避けられるとしたら、オレはここに居なかった。多分、生きてさえもいなかった。けれど、そうだとしても出会いは悲しみを伴う。出会いがあれば別れがあり、命を持てば死が付き纏う。全ての現象は真逆の現象と紙一重でしかない。『死ねば良かったのに』と『生まれてこなければ良かったのに』が類似しているように・・・。



 夜の商店街の裏通りは俗に娼婦街と呼ばれている。オレはマスターの護衛以外でここに来た事がない。今日もマスターはいつもの店に入る。看板にはネオンで『succubus's mansion』と煌びやかに光っている。

 オレは店の入り口で待っている。いつもの事だ。

 「・・・・・・ここで待っていろ。」

 「了解。」

 だいたい二時間。それでマスターは店から出てくる。それまでオレは、店の入り口の前の扉を少しわきにずれたところの壁にもたれてじっと待っている。コートのポケットに手を突っ込んで、いつ呼ばれても良いように護身用ナイフを握る。

 以前、マスターはオレにも店に入るよう勧めたが遠慮させたもらった。

 「いつも俺の護衛ばかりで退屈だろう。おまえもどうだ?」

 「いえ・・・結構です。」

 「女に興味がないのか?もしかしておまえ、男が趣味なのか?」

 「いえ・・・どちらにも興味はないです。仕事中ですから。」

 「おまえの年頃にしちゃ不健全だな。そんなにいつも気を張ってなくていいんだぞ。」

 「ここで、待たせてもらいます。」

 オレは頑なに断った。女は嫌いじゃない。本当に興味がないだけなんだ。

 そんな会話を交わした後から、マスターがオレを誘う事はなくなった。ただ、「待っていろ。」という言葉の前に少しの間が生まれた。

 娼館の前に立って待っているだけによく女に、殊に娼婦に声をかけられた。一時間過ぎた頃には二人の女に声を駆けられていた。しかし、そのどちらも軽くあしらったら興味が失せたのかすぐにオレから離れていった。三人目がオレに声をかけてきたのはそれから約十分後。

 「ねぇお兄さん。こんなトコで何してんの?」

 その女はオレよりも若く、まだ少女の顔をしていた。

 「あたし、ここの店で住み込みで働いてんだ。入らない?その為にきたんだろ?」

 「生憎だがまだ仕事中なんだ。他を当たってくれ。それに、オレは娼婦に興味無い。」

 オレがそう言うと女はじっとオレの顔を覗きこんできた。まるで始めてみた物を頭で認識しようとしているような。

 「あなたって、なんか忠犬ハチ公みたいね。ご主人様が帰って来るまでじっとただ待っているの。犬っぽいのね。」

 よくしゃべる女だ。煩いわけじゃないが、よく喋る女はどんなにあしらったところで自分本意なのでいみがない。面倒くさいな。

 「お兄さん、誰を待ってるの?こんなとこで待ってるくらいだから女の人じゃないのはわかるけど。」

 「オレの雇い主だ。名前は教えてもらっていないから知らないが、オレはその人のことをマスターと呼んでいる。」

 「マスター・・・?そう。」

 彼女はオレの隣に、オレと同じように壁にもたれた。

 「お兄さんの名前は?」

 「質問するのが好きなのか?」

 「そうじゃないけど、会話がないと落ちつかないのよ。静かなのって好きじゃないの。お兄さんが無口なのがいけないのよ。」

 彼女はオレのことを指差してそう言った。そんな事を言われても興味がないのに話しなんかしても会話が続かない。だったら、最初から相手にしないほうが自分にとっても、相手にしてみても楽なんじゃないのかと考えたからだ。

 「紹介がまだだったわね。あたしは春霞。これで良いでしょ?お兄さんは?」

 彼女はニコッと微笑み、オレに聞いてきた。仕方なくオレは、

 「紅蓉。」

 とだけ答えた。

 「コウヨウ?珍しい名前ね。外人さんなの?」

 「・・・・・・さぁ。」

 「生まれはドコ?」

 「知らない。覚えていないんだ。」

 その後も十分くらい一方的な質問は続いた。年はいくつ?とかドコに住んでるの?とか比較的当たり障りのない質問ばかりだった。煙草は吸うの?という質問にオレは、吸わない、と答え、お酒は飲むの?という質問にオレは、飲めることは飲めるが強い方じゃない、と答えた。春霞は「あたしはまだ飲んじゃいけないの。年齢的にね。だから、あたしがここで飲めるのは烏龍茶と時々アルコールの入っていないカクテルだけなの。」と言った。

 「・・・・・・」

 急に、質問を繰り出し続けていた口が止まった。

 「どうした?」

 「な・・・何が!?」

 急に声を掛けられて驚いたのか、裏返った声が帰ってきた。

 「急に質問しなくなったから・・・ネタ切れか?」

 「そうじゃないわ。話しのネタだったらまだたくさんあるわよ。っもっと下世話な話とかもね。」

 「じゃあ話せば良いじゃないか。」

 「・・・・・・・・そうなんだけどね。」

 また、しばらく沈黙が流れて行く。その歩みはとてもゆっくりで、かなりの時間がかかっていた。

 オレは腕時計を見た。マスターが店に入ってから、一時間と三十分が経過していた。

 「あと三十分位したら、マスターが店から出てくる。あと一つだけ質問していいよ。オレのプライベートのことでも、仕事の事でも。ちょっとした頼みなら聞いてやってもいいけど?」

 「本当になんでもいいの?」

 春霞は壁にもたれていた体を起し、真っ直ぐにオレを睨むように真摯な目で見た。

 「なんでもいいよ。」

 オレは春霞の事を見ずにそう答えた。

 「あたし、人を捜しているの。」

 「それで?」

 そして、春霞は話し始めた。

 「今から十年前。あたしがまだ小学校に上がったばっかりの頃だったわ。あたしの家は自営業で工芸品を扱っている店をやっていたの。でも、父が趣味としてやっていたものだから数も少なかったし、お客も多くはなかったわ。でも、一日一日が平和だった。今思えばとても幸せだったわ。」

 春霞は幸せだった過去を懐かしそうに、幸せそうに話した。

 「でも、あたしは一人ぼっちになっちゃった。」

 春霞はまた壁にもたれ、俯きながら続けた。

 「あの日も、いつもと同じ。私と姉は小学校に、弟は幼稚園に、母は仕事にそれぞれ出掛け、父は工房で趣味みたいな仕事に一生懸命没頭していた。いつもの朝をいつものように済ませて家を出たの。そしてそれが、最後の朝。」

 春霞は遠く、空を仰いだ。仰いだ空には闇だけが広がっていて、そこに見える物は何もなかった。

 そして、ゆっくりと口を開いた。

 「殺されたのよ。父さんも母さんもお姉ちゃんも弟も・・・みんな、たった一人の男に殺されたのよ。」

 「春霞だけが生き残ったのか。」

 オレは確定事項のように言い放った。

 「生き残った、って言えば同情する人もいたわ。でも実際そんな生易しいものじゃないの。」

 「生易しい・・・・・・って、じゃあ・・・」

 春霞は一度深く深呼吸すると、なお震えた声で言った。

 「生かされているのよ。」

 「生かされた・・・」

 オレはただその言葉を言ってみた。意味も知らない鸚鵡のように、ただ繰り返すだけ。だが、なんとなくは知っていた。多分それは、人によっては死ぬより辛いことだ。

 「あたしだって一度は殺されそうになったわ。今でもはっきり思い出すことが出来る。銃を突き付けられた時の感覚。全身から汗が噴出すような感覚。それはまるで蛇に睨まれた蛙。ぞっとしたわ。本当に殺されると思った。そいつの後ろには父さんや母さんが倒れているの。」

 春霞は声を震わせながら話しを続けた。

 「そしたら男が言ったのよ。」

 『俺が憎いか?』って。

 「男はあたしから銃を離してこう続けたのよ。」

 『俺が憎いか?家族を殺した俺が憎いだろう・・・?』

 そして、男はあたしと同じ目線になるように、あたしの前にしゃがんだの。あたしはそいつの顔を見てやろうと思ったんだけど、泣いていたのとそいつがサングラスを掛けていたのとで顔は全然見えなかった。でも、とにかく思いっきり睨みつけてやったわ。

 『良い目をしているな。・・・他の奴ぁ殺しちまったが、お前だけは生かしてやる。』

 それでも、しっかりと覚えていることがあるの。思い出す度に憎しみしか沸いてこない。それは・・・

 『いつか、俺を殺しに来い・・・。それまで、ちゃんと覚えとけ。お前は生かされている身だと。』

 って言った後、そいつ、笑ってたのよ。口の端だけで笑うようにニヤッって・・・・・・。

 春霞は言い終わったのか、またしばらく沈黙がオレたちの周りを流れていた。それ以外の空間では街の賑やかさが溢れかえっていた。

 春霞から聞いた話はとても暗く、その時の春霞の気持ちや今こうして生きているのがどんな気分なのかはオレにはとうてい分からないだろう。だけど、不思議と親近感が沸いた。その気持ちを今のオレが覚えていなくても、昔のオレは体験・経験した事があったのかも知れない。しかし、結局『今』のオレにとってはどっかの誰かの記憶にすぎない。オレ自身の話しではない。

 暗い、暗い沈黙を破ったのは、やはり春霞だった。

 「ご、ごめんね。なんか暗い雰囲気にしちゃって。」

 「・・・探しているって言っていた、その男。何か特徴みたいなのないの?」

 「え?あぁ、いいよ。ただ話し聞いて欲しかっただけだし。」

 「オレに出来る範囲でいいなら、捜してみるよ。」

 「本当に・・・?」

 オレは小さく頷く。

 自分でもなんでこんな事をしているのか分からなかった。ただ、なんとなく春霞の力になれれば、と。少し、そう思ったんだ。

 「たぶん少ししか力になれないと思うけど・・・」

 「紅蓉って、優しいのね。」

 初めて聞くような言葉だった。『やさしい』それは、オレがオレになってから見て聞いて理解した世界には、微塵も存在していなかった。その四つの音は、確かに世界に存在してはいるが、それが連続した言葉は存在していない。現時点では。

 「ありがとう。」

 そういうと、春霞は突然オレの首に抱きついてきた。オレは驚いて、急いで春霞の肩を掴んで引き離した。

 「どうしたの?」

 「・・・・・・なんでもない。それよりその男の特徴とかないの?じゃないと結構捜しにくい。」

 「そうよね。確かに、あの男も私に特徴みたいなのを言っていたわ。それが手がかりだったのね。」

 春霞は今頃気がついたかのように、コロコロと笑った。 「よく今まで気付かなかったな。」

 「あたしってドンカンだから。」

 「で?」

 オレは急いで話しを戻した。春霞と話していると時間が経つのが早いのか、もう、あと十分ほどでマスターが出てきてしまうかもしれない。

 「そうそう。一つ目は名前ね。確か、ソウガって言ってたかしら。もう一つは瞳の色。」

 「瞳の色?」

 「そう、瞳の色。左右の瞳の色が違うの。正面から見て、右は青いの。西洋の人達みたいに綺麗な、澄んだ空色。だけど、反対の目は赤かったの。充血してるとかそんなんじゃないの。瞳だけが真っ赤なの。まるで血の色みたいな深いふかい紅。」

 名前と、瞳の色・・・か。両方とも随分な特徴だな。

 名前なんて簡単に偽れるものだし、同じ名前の奴が居る可能性だってある。それに、瞳の色だってサングラスをしていたらよくは見えない。かなり捜しにくいな・・・。

 「手がかりはそんなもんね。・・・ここまで言っといてなんだけど、別にいいのよ。捜してくれなくたって。」

 「なんで?」

 「なんでって。おかしいでしょ。そんなところで働いているような女が話しなんかしてきたら、勧誘だと思うでしょ?」

 「そうなのか?」

 「違うわよ。でも世間一般ではそう思う人が多いって事!」

 「じゃあオレは、世間一般より少しずれてるって事じゃないのか?春霞が怒る事じゃないだろ?」

 「それは、そうだけど。・・・同情とかだったら嫌なの。そういうのってやってる方は自己満足できるかもしれないけど、されてる方は結構イライラするのよ?紅蓉には分からないかも知れないけど。」

 オレがしている事は、同情なのか?・・・・・・違う。同情とは、ちょっと違う。

 オレは春霞の頭をそっと撫でる。

 「違うよ。時間があったら、捜してみる。」

 「お願いね。」

 ちょうどその時、マスターが満足そうな顔で店から出てきた。

 「ん?お前、その女どうしたんだ?」

 「また来てくださいね。」

 春霞は店から出てきたマスターに向かってニッコリと微笑んだ。

 「なんでもありません。少し、話しをしていただけです。」

 オレは春霞から手を離し、マスターの方に向き直した。

 「話していただけ・・・・ね」

 春霞の顔をちらと見た後マスターはニヤニヤと笑って、お前も男なんだな、とだけオレに言った。

 オレにはその意味がよく分からなかった。

 「嬢ちゃん、また、いつかね。」

 「えぇ、また。」

 マスターが歩き始め、少し離れたのを確認してから春霞に、明日の昼間、またここに来る。とだけ言って、その場を後にした。



 全ての出会いを避けてしまっていたら、オレはここに居なかった。多分、生きてさえいなかった。人との出会いと、また今度、という約束がオレをここに留めている。求めれば差し延べてくれる手があるからなのかもしれない。名前があるからなのかもしれない。しかし、差し延べてくれるてがどんなに暖かくても、名前を呼ぶ声がどんなに優しくても、血が流れる事は怖くない。それが例え自分でも、他人でも、怖いとは思えない。全ての囁き声や叫びが、ただの騒音に聞こえる。

アナタノ声以外ガ・・・全テ騒音ニ聞コエル

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