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生贄に差し出されたので、美味しく育てられてみた結果。

作者: イチカ
掲載日:2026/09/23

連載で投稿していたため、短編で再度投稿し直しました。

 もう、限界っと、心身共に疲れ果てベッドに横たわったところまでは覚えている。

 気絶に近いような速度で瞼が重くなっていく。

 何も考えたくない。なんならずっと、このまま眠っていたい……。

 そんな私のささやかな願いは、


「セフィリア・ノッガー。いつまで寝ているつもりだ」


 不機嫌そうな声と共に強制終了した。

 まだ眠たいの! と抗う私の葛藤とは裏腹に起きなければとばかりに身体がだんだんと感覚を取り戻していく。

 はぁ、また今日も一日が始まってしまった、とため息をついた私は、目を開くと同時に入ってきた光景に疑問符を掲げる。


「…………? 私の部屋じゃない?」


 私の指が触れているのはベッドではなく硬く冷たいコンクリートの床だし。

 私を捕えるのは積み上げられた書類の山ではなく強固な鉄格子。

 これは一体どういうことだ?


「呑気なものだな。生贄として牢に捉えられているというのに」


 気怠い身体を起こした私に再び声がかけられた。

 その声を辿ればその主は鉄格子の向こう側から私のことを睨みつけている。

 アイスブルーの髪とオリーブの瞳。眉間に刻まれた深い皺が非常に残念ではあるが、一度見たら忘れられないくらい整った顔をしている。

 どことなく見覚えのある顔立ちだが、生憎と覚えがない。


「……生贄?」


「ああ、そうだ。ノーレン・ディ・シュタインといえば聞き覚えはあるだろうか?」


 シュタインはこの国の王族の名。

 そしてその名は王太子妃教育の際何度も耳にした。私の婚約者であるクラウス王太子殿下の異母兄で第一王子。

 かつて王族にかけられた黒龍の呪いをその身に受け生まれた彼は、王領の何処かに幽閉されていると聞いていたけれど。

 

「本当に、ノーレン殿下……なのですか?」


「ああ」


 ノーレン様の短い答えに私は確信する。

 道理で見覚えがあるはずだ。髪や目の色の違いはあれど、顔を構成するパーツがクラウス様とそっくりなのだから。


「……つまり私はクラウス様に捨てられたのですね」


 あまりの腹立たしさにぎゅっと拳を握りしめ、ノーレン様を睨みつける。


「ああ、そうだ」


 肯定の言葉を聞いた私は鉄格子に手をかけ、


「好き嫌いで結婚選べる立場じゃないだろうが。あのボンクラ王太子がっーー!!」


 私は溜まりに溜まった不満を叫ぶ。

 クラウス様は息をするようにハニートラップに引っかかるチョロ過ぎる人で。

 鼻の下をデレデレ伸ばす彼に近づく女の子達は私が全部権力と実力でねじ伏せたし。

 嫌なことからすぐ逃げる彼が求める甘ったるい癒しの類は一切与えなかったのだから、私はさぞ鬱陶しい婚約者だったことだろう。

 だとしても、だ。


「人のこと散々こき使いやがった挙句、自分は浮気三昧! お前が構ってくれないからだとか、癒しが欲しかったとか意味不明だし、その上ヒトのこと生贄に差し出すって、なんなのあいつ!!」


 私が黒龍の"生贄"だというのなら、私はこの後伝承通り黒龍の呪いが国に降りかかるのを阻止するために呪いを受け継ぐノーレン様に殺されて食べられるのだろう。

 が、そんな恐怖よりも怒りの方が勝つ。

 どうせ死ぬのだ。

 不敬罪とかもうどうでもいい。

 確かに私達は仲の良い婚約者ではなかった。だけど、これだけ国に尽くした私への仕打ちが生贄だなんて、こんなのあんまりだ!


「分かりました、いいですよ! クラウス様にも王家にもほとほと愛想が尽きました。どうぞ、私をお食べ下さい」


「いや、俺は」


「さあ、どうぞ遠慮なく。ガブっといっちゃってください! もう二度と奴のために働かずに済むならせいせいしますわ!」


 と怒り狂っていたらぐぅーーっとお腹が鳴った。

 どんな時でもお腹は空くものらしい。

 気まずい沈黙の後。


「……腹、空いてるのか?」


 烈火の如く怒り狂っていた私に引き気味だったノーレン様にそう聞かれ、


「……ええ、食事を摂る暇もなかったですから」


 勢いを失くした私は小さくそう答える。

 お腹の音を盛大に鳴らすなんて、淑女失格と烙印を押しかけて、もう失うものなんてないじゃないと気づく。


「淑女たる私に二言はありません。でも、どうせなら美味しく育てて食べてください」


「はっ?」


「だって私は"生贄"で、要するに家畜のようなものでしょう?」


 自慢じゃないが、今の私は不健康そのものだ。

 食生活ボロボロだったし、常に寝不足。

 いくら若いとはいえ、とても美味しそうには見えない。


「家畜だって、酪農家の皆様が愛情を込めて飼料を工夫し、美味しく育てあげて食卓に上がるのですよ? どうせなら最高級に育てられ、感謝と共に食べられたいわ」


 開き直ってそう答えた私をじっと見たノーレン様は、


「確かに、貧相」


 ぼそっと感想を漏らした。


「どこ見て言ってるんですか!? ど突きますよ!!」


 やんのか、コラ!? とばかりに睨み返した私にため息をついたノーレン様は鉄格子の扉を開け近づいて来た。


「ちょ、何!? どうせなら育ててから食べてくださいよ!!」


 せめて最後に何か食べさせてよ! と抵抗する私を、


「暴れるな、じゃじゃ馬娘」


 軽くあしらい、品定めでもするかのようにオリーブの瞳でじっと見る。


「……馬肉は美味しいのですよ?」


「知ってる。そして確かにお前は不健康そうで不味そうだ」


「文句は差し出した王家に言ってください」


 キパッと言い返した私に、吹き出すように笑ったノーレン様は、


「そうだなぁ……120日ってとこか」


 突然謎の期間を提示する。


「えっ?」


「ヒトの血液が入れ替わるまでにかかる時間だ。今のお前はとっても不健康で不味そうだから、最低でもそれくらいは必要だな」


 とっても、の部分を強調してそう言ったノーレン様は、


「髪に艶はないし、肌色も悪い。不味いと分かっているものをわざわざ喰う趣味はない。それにお前が言ったのだろう。どうせなら"美味しく食べろ"と」


 先程の私の言葉を引用してそう告げる。


「???」


 ニヤリと笑い八重歯を覗かせたノーレン様は、


「喜べ。俺が美味しく育ててやるよ」


 改めて私にそう宣言した。


*


 それからというもの、私の毎日はノーレン様に管理されている。

 主に食事と運動面を。


「美味しく食べられたいなら怠惰を許すな」


 と、朝は問答無用で鶏の鳴き声と共に叩き起こされ、


「いや、別にめちゃくちゃ積極的に食べられたいわけでもないのですけれど」


 なんていう私のツッコミは綺麗にスルー。

 そのまま広大な敷地内の散歩という名の競歩に連れ出されるのは当たり前。


「痛っ! 痛いです、ノーレン様」


「身体硬過ぎるだろ」


「だってぇ、基本書類仕事ばっかりなんですもの!」


 しなやかな肉質のためにと施されるストレッチに続き、有酸素運動とばかりにダンスレッスンを組まれるのだけど。


「ふわっ、ちょっ……まっ」


 ノーレン様についていけず、足を思いっきり踏んでしまった。


「ダンスは淑女の嗜みじゃないのかよ」

 

 残念ながら、私は運動全般苦手なのだ。


「お前は今までどうしてたんだ」


「夜会で美女を侍らさずにきちんとエスコートしてくれる婚約者でもいれば今よりマシだったかもしれませんね?」


 どうせクラウス様は私をダンスに誘わないとサボっていたツケがここで来るとは思わなかった。

 だって、デビュタントの時ですらファーストダンスを踊ってくれず私は一生に一度の機会に哀れみと侮蔑の視線を浴びることになったのだ。


「……昔は、足の裏擦り切れるまで練習してただろ」


「なんで知ってるんですか、幽閉されてるくせに」


「地獄耳だからな」


 私の問いに答えずニヤリと笑ったノーレン様は、


「まあいい。120日もあったら踊れるだろ」


 そう言ってダンスレッスンを続ける。


「踊れたところで120日後にはあなたに食べられてますよ?」


 無駄じゃない? という私の訝しげな視線を綺麗に流してノーレン様は音階を口ずさむ。

 耳に心地よい低音に聞き惚れていたら、いつの間にか1曲踊り終わっていた。


「やはり品質を上げるには栄養バランスの取れた食事が基本だな」


 そう言ってノーレン様はテーブルに食事を並べる。

 本日のメインは蒸し鶏と採れたて野菜のサラダ。焼きたてパンとじゃがいものポタージュが添えられている。


「ふわぁー! 今日もめちゃくちゃ美味しそうですね、ノーレン様!!」


「当然だ」

 

 偉そうだけど、実際テーブルに並ぶごはんはどれも美味しい。シェフではなく、ノーレン様が自ら作っていると知ったときにはとても驚いたけれど、そんなことどうでもよくなるくらい美味しいので、良し。


「いっただきまーす」


「よく噛んで食べるように」


 差し出してくれるレモン水もとても飲みやすくてすっかり好きになってしまった。


「あ、ノーレン様。食事中に本を読むのはだめですよ! ながらは消化に悪いそうですし」


「別に食べられるのは俺じゃないんだからいいだろ」


「だめです。実際、食べた気が全然しませんでしたし」


 ちっ、と舌打ちする割に話も聞いてくれるノーレン様。

 伏せた本の背表紙に書かれてるタイトルが『美味しい家畜の育て方』なのはめちゃくちゃ気になるんだけど。

 生贄生活、悪くないかもしれない。

 なんて、旨みが凝縮されたポタージュを飲みながらそう思っていた。


**


 午前中はトレーニングが詰め込まれているが、午後は暇を持て余すことが多い。

 クラウス様の婚約者をしていた時は、学校に加えて王太子妃教育という名の王太子の公務代行を担っていたから、割と毎日ハードスケジュールだった。

 自分のためだけに使える時間なんて贅沢、楽しまなければと書庫の戸を開ければ先客がいた。

 声をかけようとして、息を呑む。窓から落ちてくる光がアイスブルーの髪を煌めかせ、じっと本を見つめ真剣な表情で紙をめくるその動作があまりに綺麗で。

 まるでいけないものでも見ている気になり落ち着かない。


「どうした? セフィリア」


 立ちすくんでいるとノーレン様から声がかかった。優しげなオリーブ色の瞳と目が合い、どきりと心臓が跳ねる。

 なんだこれは? とバクバクする心臓を押さえていると。


「別に今すぐとって喰ったりしない」


 ノーレン様がふっ、と表情を崩し揶揄うようにそう言った。


「申し訳ありません、お邪魔をしてしまいました」


「いや、別に」


「一体何をされているのですか?」


 手招きされたのでそばに寄ってみれば、国外の農業に関する専門書籍がいくつも広げてあった。


「地元の人間に知恵を貸す代わりに、農作物を分けてもらっていてな。今回相談された解を探していた」


「えっと、お知恵を貸すのは理解できるとして……農産物を分けて?」


 幽閉されているとはいえ、ノーレン様は王族だ。本来十分な生活費が与えられているはず。

 この宮に世話人が一人もいないことにも疑問を持っていたが、食べ物を地元の人間に分けてもらうなんてどういうことだ? と疑問符いっぱいの私に、


「自分の食い扶持くらい自分で稼げということだろう。穀潰しには違いないし、まぁ苦労はしていない」


 と、端的に事情を話してくれた。


「なんてことを……。陛下はコレをお許しになられたと!」


「父が健勝の時はそれなりの待遇だったから、王妃の差金だろ。多分」


 顔から血の気が引くのを感じ、私は口元を覆う。

 ノーレン様の母君は産後の経過が悪く命を落としたと聞いている。

 その後、クラウス様を身籠ったマデリーナ様が王妃の座についたけれど。

 確かにマデリーナ王妃が第一王子であるノーレン様を気にかけている様子を見たことがない。そして、マデリーナ様の生家がノーレン様の母君の生家より高位貴族であるが故に異議を唱える者はいなかった。

 勿論、私自身も。


「申し訳、ございません。私がもっといろんなことを気にかけていれば、ノーレン様がこんなご苦労を強いられることもなかったのに」


 王城で贅沢三昧をする王妃殿下やクラウス様に嫌悪を覚えると同時に私自身も同罪だと己の浅はかさに嫌気がする。

 王太子の公務を代行していたくせに、幽閉されたノーレン様がどのように過ごされているのか、疑問を持つことさえしなかった。

 

「セフィ……」


 私を呼びかけて、ノーレン様の手がピタリと止まる。

 空気がひやりと冷たくなったかと思うとパキンと音を立ててノーレン様の持っていた本が凍りついた。


「はぁ。相変わらず嫉妬深い龍だな、お前は」


 貴重な書物を、とぶつぶつと文句を言うノーレン様の手にはノーレン様の髪と同じ色をした鱗が数枚生えていて、オリーブ色の瞳はまるで爬虫類のように瞳孔が縦長になっている。


「怖いか?」


 なんて答えるのが正解なのか分からず、どう答えてもノーレン様を傷つけてしまいそうできゅっと唇を結んだ私に、


「そんな顔をするなよ。悪くないぞ? 本来なら王太子として山のような責務を果たさねばならなかったのに、龍の呪いと引き換えに悠々自適な自堕落生活」


 茶化すようにノーレン様はけろりと笑うけど。

 大丈夫だ、という彼の優しさに甘えている自分が情けなくて泣きそうになった。


「誰かを犠牲にしなくては成立しない国なんか、滅んでしまえばいいのに」


 何の力もない私には癇癪混じりの声で効果のない呪いの言葉を口にすることしかできない。


「そういうとこ全然変わんないな。で、過激発言するくせにクソ真面目に解決策探していっつも割食うもんなセフィリアは」


 お前もそう思うだろ、とノーレン様が手に生えた鱗を撫でる。


「呪われるって誰もやらない黒龍の石碑にも毎日花を添えて掃除してくれてたし」


「なんで、知って」


 私の疑問符なんていつも通り置いてけぼりで、


「そういう真っ直ぐなお前に俺は救われたんだ。だからセフィリアがいるなら国は大丈夫だろうと引いてやったのに」


 ノーレン様は、ニヤッと笑い私の髪をわしゃわしゃと撫でる。


「ちょ、なっ!! ぐっしゃぐしゃじゃないですか!!」


 何すんのー! と私が全力抗議をすれば。


「ふはっ、でっかい声だな。でも、セフィリアは元気な方がいい」


 私の抗議なんてガン無視で、ノーレン様はいい子いい子を繰り返す。

 でもその手つきも向けられる視線も嫌ではなくて。大人しくされるがままにしていれば、いつのまにかノーレン様の鱗は消え瞳も元に戻っていた。


「黒龍はもともと水と氷を司る美しい白銀の龍だった。寝床奪い取って勝手に国を建てたら、そりゃ怒るだろうよ。だから、コレは誰かが引き受けなくてはならないものだ」


 ノーレン様は真面目な顔で静かに言葉を紡ぐ。


「歴代の王族達もこうして龍を身に宿し共にあることでその怒りを鎮めてきた。今代はその役回りが俺だったというだけの話。そして、俺が死ねばこれは次に生まれる誰かが受け継がなくてはならない」


 だから死ねない、と真っ直ぐこちらを見るノーレン様は誰よりも国のことを考えていて。


「とはいえ、年々俺だけの力で抑えることが難しくなっているのも事実。気難しいんだ、コイツは」


 困ったな、と凍りついて読めなくなった辞書を指した。

 一瞬で、空気中の水分さえ凍らせてしまう呪い。

 一人で抑えられなくなってきたから、生贄が必要なのかと合点がいった。

 本当は今すぐにでも、私を食べてしまったほうが黒龍の怒りは収まるかもしれないけれど。


「……私、ここにある言語は全て習得しております。それに2人で考えたら最適解弾き出せるかもですよ」


 ノーレン様の役に立ちたくて、私は自分にできることを提示する。


「手伝ってくれるなら助かる」


 ノーレン様はふわっと笑って隣に座る。


「なぁ、これはどう訳せばいい?」


「レタ国での害獣対策の論文ですね。えーっと……」


 拒絶されなかったことにほっとしながら、示された内容を訳した私に、


「なるほど。これは応用が利きそうだな。セフィリアはどう思う?」


 意見を求めるノーレン様。


「んー作物の特徴と時期を踏まえると、こっちのアクラ国の事例の方が適応できるかと」


「おお! さすがセフィリア。博識だな」


「当然ですわ。さらにこちらの作物を一緒に育てると……」


 いくつもの書物を捲りながら、私達は何度も議論を交わす。その時間が楽しくて、昔こんな時間があったと唐突に思い出した。

 王城の一般書庫の片隅で、泣きながら必死に机に齧り付いていた時に限って現れる博識な男の子。

 議論をすれば考えが足りず、いつも打ち負かされていて。

 積み上げられた本の山に勝手に対抗意識を燃やしていたけれど、いつのまにかその子は書庫から姿を消した。


「だが、効率を考えればこっちじゃないか?」


 低く響く声に視線をあげれば、懐かしいオリーブ色の瞳と視線が絡む。


「どうした? セフィリア」


「……いいえ。何でもありませんわ」


 私は静かに首を振り、内心でふふっと笑う。

 変わらないのはあなたもじゃない、と。

 早くなった心音を聞きながら、髪を耳にかける。

 どうか、頬が赤くなっていませんようにと願いながら。


**


 あっという間に時間は過ぎていき、季節が一つ流れた。

 遥か遠くの灰色の空でゴロゴロと音が鳴り、時折青白い光をこぼす。


「どうした、セフィー?」


 外をぼんやり眺めていたら、ノーレン様が私に冷たいレモネードを差し出した。

 お礼を言ってそれを受け取れば、氷がグラスにぶつかりカランと涼しげな音をたてる。

 初めは戸惑うばかりの生贄生活だったけれど、ノーレン様と行うトレーニングも、ノーレン様お手製の様々な料理を堪能する日々にもすっかり慣れた。

 セフィリアは長いと、ノーレン様から愛称で呼ばれることにも。


「……少し、気になって」


「何が気になってる?」


 椅子に座る私と視線を合わせるように腰を折るノーレン様。

 口調とは裏腹に王族の生まれとは思えないほど腰が低く、ノーレン様はいつだって私の話を聞こうとしてくれる。

 そして、その度に思ってしまう。ノーレン様が王太子(婚約者)だったら良かったのに、と。

 捕食対象からそんな想いを持たれては食べづらいだろうから言わないけれど。


「言ってみろ」


 オリーブ色の瞳に再び促され、私は王都の方角を見つめ、


「雨期対策ちゃんとできたかなって、心配で」


 ぽつりとつぶやく。

 この時期この国では大雨が降り続く。きちんと備えておかなければ、大きな水害が起こるのだ。

 私が婚約者として王太子の公務を代行するようになって数年。あのボンクラがまともに仕事ができるとは思えない。

 王妃殿下が実権を握るようになってから城内では婚約者だった私以外にクラウス様に苦言を呈することができる者はいなかった。

 なのに、全部途中で置いてきてしまった。


「セフィーが気にすることか? お前を生贄に差し出す国のことなんて」


「確かにそうですね。でも……」


 ノーレン様と書庫で議論するうちに思い出した。

 私は王家のために尽くしていたのではない。ただこの国で生きる人たちに少しでも幸せになって欲しくて頑張っていたんだって。


「それはこの国で生きる民には関係のない話でしょう」


 クラウス様なんて最初から愛していなかった。

 それは、クラウス様にも伝わっていたことだろう。私が欲しかったのは"王太子妃"の肩書きだけだと。


「私も、大概酷い女ですね」


 私とクラウス様はずっと別の方向を見ていたのだから最初から上手く行くはずがなかったのだ。


「ノーレン様、私そろそろ食べ頃かと思います」


 約束の120日は過ぎ去った。

 宣言通りノーレン様自ら丹精込めてお世話されたので、パサついていたハニーブラウンの髪は艶やかで指通りもいいし、肌にはハリがあり、痩せすぎだった身体には程よく筋肉がついた。

 今の私はどう見ても健康で、食べ頃だろう。


「もう、限界なのでしょう?」


 一緒に暮らしているのだ。

 黒龍の呪いは確実にノーレン様の身体を蝕んでいて、夏だというのに長袖を着なくてはならないくらい鱗がたくさん生えてきていることや何かを凍り付かせる頻度が増していることにも、気づいていた。


「私、ノーレン様に食べられたいです」


 手を伸ばして鱗の生えた頬に触れれば、驚いたようにオリーブの瞳が大きくなり何度も瞬く。

 そんな仕草も可愛くて、クラウス様には感じたことのなかった感情が私を動かす。


「龍の力を制御するのに魔力が必要なのでしょう? 保有量は多い方ですわ。ヒトとしては、ですけど」


 そう言って私は胸を張る。

 私がクラウス様の婚約者に選ばれた理由。それはこの国の令嬢で一番魔力があったから。

 魔力保有者は王族と高位貴族に多い。そうなるように縁組みしてきたのだから当たり前だ。

 有事の際、王族として前線に立たされることだってあるというのに、努力が嫌いで魔力のコントロールが下手過ぎるクラウス様を立太子させるには、それをフォローできる者が必要だった。

 国のための結婚に私達の意思なんて関係なかったけれど。


「一度は臣民として国のために人生を捧げると決めた身です」


 龍をはじめとした神獣は魔物を喰らって魔力を得たという。ならきっと、龍の呪いを宿すノーレン様も他者から魔力を取り込めるのだろう。

 ノーレン様は血の入れ替わりに120日必要だといったから、きっと魔力の補給方法は血液摂取だ。

 ノーレン様が魔力を得られれば呪いを制御することができるのかもしれない。

 だというのなら。


「生贄役、喜んで拝命いたしますわ」


 それがたとえ、私の命と引き換えだとしても。


「ただあなたに食べられる前に、執行猶予を頂けませんか?」


「執行猶予? 何をする気だ?」


 それまで渋い顔でじっと私の話を聞いていたノーレン様が眉根を寄せる。


「ちょっとした、人助けですわ。ほら、気になることを抱えたままだと、せっかく育てて頂いたのに味が落ちそうでしょ?」


 ちゃんと美味しく食べてくださいなと私は願いを口にした。


**


 私とノーレン様が駆けつけた時には既に最悪の状況だった。


「わぁ、やっぱりひどいことになってますね」


 王都の一歩手前、国で一番大きなその川はゴウゴウと音を立て全てを飲み込む勢いで氾濫していた。

 毎度対策していてもぎりぎりなのに、やっぱりクラウス様は何もやってなかったか、とため息しか出てこない。

 このままでは濁流は街を飲み込み、そのまま王都に雪崩れ込むのは時間の問題だろう。

 とにかく住民を避難させる時間を稼がないと、と私はノーレン様を見る。


「さすがにこの規模はやったことないぞ」


 そう言いつつも、ここに来るまでも地図を広げたり状況を頭に叩き込んでいたのを私は知っている。

 ノーレン様にして欲しいことは事前に伝えた。

 黒龍の力で川を凍らせて欲しい、と。


「ノーレン様になら、黒龍も力を貸してくれる気がするんです」


 自身の中に眠る黒龍(呪い)に愛おしむように話しかけ、共にいる覚悟を決めているノーレン様。

 何度呪いに飲まれそうになっても、最後は人の姿に戻れるのだから、ノーレン様は黒龍に気に入られているのではないかと思う。

 あとはきっと足らない魔力を補えれば大丈夫。


「……本当にいいのか?」 


「せっかく美味しく育ててくださったんですから、ノーレン様に食べられたいですわ」


 淑女に二言はありませんと私は笑って目を瞑る。

 伝えることはできなくても、最後に恋までできたのだ。思い残すことは特にないけど、なるべく痛くないといいななんて思ったのは一瞬で。


「……ん? 〜〜ん!?」


 唇に何か柔らかいものが触れる。

 思わず目を開ければ、オリーブの瞳が間近にあった。


「力抜いて、セフィー」


 甘く耳元で囁かれ、今度は先程より深く口付けられた。

 さらりといつもとは違う手つきで撫でられ、力が抜けた私を支えるようにぎゅっと抱きしめられる。

 しがみつくように抱きしめ返せば、


「ホント、セフィーは可愛いな」


 と囁いて再び口付けられた。


「ノーレン様?」


 力が入らなくなってぐったりした私をそっと座らせた上着をかけてくれたノーレン様は、


「さて。上質な魔力も食べたことだし、やってみるか」


 手をかざしたノーレン様の身体が淡く白銀に包まれる。

 そして、堤防が決壊し今まさに街を飲み込もうとしていた濁流が一瞬にして凍りついた。

 否、川だけでなく触れる空気も冷たく、空からとめどなく落ちてきていた雨は雪に変わっていた。

 なんて神秘的で綺麗な光景かしら、と場違いなことを思っていると、


「あまり長くは持たないし、凍えさせるわけにもいかないからな。すぐ終わらせてくるから、セフィーはそこで待ってろよ」


 寒くないように、と私にだけ防寒対策を施して額にキスを落としたノーレン様は不敵に笑って駆けて行った。


 そこから先は早かった。

 王太子の公務のほとんどを代行していた私を失ってから4ヶ月余りの間に王城内は様々な業務が滞り、ボロボロで。

 勝手に娘を黒龍の生贄に捧げられた父は大激怒。ノッガー侯爵家をはじめとした主だった貴族が王家を見限る手筈を整えていたそうだ。

 最後だと思って父に丸投げする気満々で出した手紙も功を奏したらしい。

 記したのはノーレン様が冷遇されていた件やいつか告発してやろうと溜め込んでいたクラウス様の不祥事の証拠の隠し場所。

 ついでに王妃様がノーレン様の生活費横領してた疑惑も書いておいたけども。


「色々急展開過ぎません!?」


 情報過多!! とノーレン様の報告に突っ込まずにはいられない。


「そう言えば国王陛下(父上)が回復されたらしいぞ」


 王妃が取り調べられて毒を盛られなくなったから、とさらっと重たい情報を追加してくるノーレン様。

 陛下のご回復はとてもいいことだけど。


「またそうやってすぐ重要情報を追加する!」


 もうお腹いっぱいですわ! と話についていけない私は不満げにベッドをバシバシ叩く。


「すっかり回復したな」


「……おかげ様で」


 ジト目でノーレン様を睨んだ私は、


「でも、私聞いてませんでしたわ! 魔力の補給方法があんな……」


 言いかけて、ガバっと頭から毛布を被る。


「セフィーは俺に食べられる覚悟があったんじゃなかったのか?」


「そ、それはそうですが!」


 だって、と抗議した唇に指を這わす。

 ノーレン様とキスをした感触がまだ残っている気がして、じわじわと頬が熱を持つ。


「体液摂取についてはさすがに王太子妃教育には出てこなかったか」


「……てっきり血液摂取なのだと」


 紛らわしいのよ! と毛布越しに抗議すれば、


「んー血でもできなくもないが、効率悪いだろ。せっかく上質に育てたのに」


 意地悪げな声が落ちてくる。


「それに俺だって誰でもいいわけじゃない。自分の中に取り込むなら、食べてしまいたいくらい好きな相手がいいに決まっている」


 そう言うと同時にノーレン様に毛布を剥ぎ取られ、優しいオリーブの瞳と目が合った。


「な? ダンスの練習しておいてよかっただろ?」


 まるでこの事態を見透かしていたかのように、ノーレン様がそう笑う。

 私の今までが評価され、王太子の婚約者は続投だと先程聞いた。ただし、相手はクラウス様ではなくなったけれど。


「さて、王太子妃の座だけが欲しい婚約者殿を結婚までにどうやって振り向かせるか。今までで一番の難題だな」


 そう言ってノーレン様は私の額にキスをする。

 生贄改め婚約者となった私達。

 確かにこの120日で私の全部はノーレン様に作り替えられてしまった。

 ノーレン様に向ける気持ちごと。でも素直に伝えるのは癪なので。


「生温いですね、ノーレン様。コチラは食べられる覚悟でしたのに。それで私の意識を塗り替えられるとお思い?」


 と挑発してみれば、虚をつかれたようにノーレン様がオリーブの瞳を瞬かせ、


「ああ言えばこういう」


 減らず口、とノーレン様が意地悪げに笑うので。


「私、舌戦は得意分野ですわ」


 胸を張って言い返せば、吹き出すように同時に笑いだす。


「淑女に二言はありませんわ。でも、どうせなら美味しく育てて食べてくださいね?」


 始まりと同じ言葉を、あの時とは違う温かな気持ちで口にすれば、


「喜べ。俺が美味しく育ててやるよ」


 優しい口調で宣言される。

 呪いと共に生きていく。だけど、あなたとならこんな日常も悪くない。


「ところで、今日のごはんはなんですか?」


 そんなことを思いながら私はノーレン様に本日のメニューを尋ねたのだった。

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