↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
1/2

1話・たき火の音

 とても長い夢を見ていた。そんな気がした。

 とても、とても、長い夢。


 ──誰かの声を聞いた気がした。

 言い聞かせるような声だった。

 優しくも厳しく、そして温かな声だった。


 ──誰かの声を聞いた気がした。

 何かを願い、祈るような声だった。

 紡がれるその声は、微かに震えていた。


 ──誰かの声を聞いた気がした。

 非難する声だった。怒りに震え、我を忘れ、罵詈雑言を吐いている。

 その罵声は、私に向けられていた。

 その時、私は何を感じていたのだろうか。

 悲壮ではなかった。怒りではなかった。

 そうだ、あの時の感情の名前を私は知っている。


 あれは、──憐れみ、だった。


 ◯●◯


 ぱちぱちと、心地の良い音が聞こえた。

 それが薪の弾ける音だと、遅れて気づく。

 冷たい風が頬を撫で、湿った土の匂いがした。どうやら、屋外にいるらしい。

 ゆっくり目を開けると、濃紺の星空が視界に広がった。

 視界の端の火のゆらめきに惹かれて、音のする方へ顔を向ける。

 すると、たき火の中に枯れ木を投げ入れる少女の姿が目に入った。

 湿った土の上で屈み込み、火に息を吹きかけていた。

 ボロ布のような服を纏った、白髪の少女。

 整った顔立ちをしていて、月明かりを受けた白髪は淡く輝いていた。


(綺麗な顔だなぁ。私なんかと違って──あれ?)


 視線をたき火に向けたまま、私の動きに気づいたのだろうか、彼女はこちらに声をかけてきた。


「ひー、起きたの? いつもより早いね。そんな早起きをしたひーに申し訳ないけど、バッドニュースがございますっ」


 彼女は、私の方に勢いよく振り向き、力強くたき火を指さした。


「今焼いてるお肉でストック切れです! また調達しないといけません! 」


 (おど)けるように、よよよと泣き真似をする少女。

 彼女が指を差した()()()の中には、薄く切られた肉が錆びた金網の上で焼かれていた。少し離れた位置には、2枚の薄いパンが置かれている。

 私は、「あの〜」と愛想笑いを浮かべながら彼女に声をかけた。


「ん、どうしたの? いつもなら肉がなくなったら、ひー意味もなく泣きわめくじゃん」


(そうなんだ。私って、そんなワガママな奴だったのか…… )


「嘘だけど」

「嘘かい!」


 思わず叫んでしまった。

 私としたことが、はしたない、はしたない。

 気を取り直して、おそるおそる手を挙げながら尋ねた。


「ここは、その……どこなんでしょうか?」

「え? どこって、そりゃあ──」


 意図がうまく伝わらなかったことを察して、慌てて言葉を続けた。


「そ、そうではなくてですね。その、あなたは、誰なんでしょうか? いや、そもそも……」


 ──私は誰なんですか。


 そんな陳腐な言葉が、私の口から漏れ出た。


 □■□


「え〜っと、つまりは何? 私は記憶喪失なんですって言いたいわけ? 」

「ま、まぁ、そうなりますね、へへへ」

「何笑ってんの? 」

「よく分かんないけど、ごめんなさい! 」


 私が、自分の置かれている状況を伝えると、目の前の少女は露骨に態度を変えた。

 彼女が言うには、どうやら私はヒナタという名前らしい。そして、彼女の名前はハルだと教えてくれた。

 ほんの数分前までは、私に親しげに話しかけていた彼女はどこへやら、なんだかツンツンしていた。


「ね、ねぇ? 一応確認なんだけど、ハルって──」

「呼び捨てやめて。ちゃんorさんで。と言うか、記憶失ってるなら実質初対面なんじゃないの? ちょっと気安くない?」

「ごめんなさい! 距離感が分からなくて……」

「──チッ」


(舌打ちやめてよ! )


 思わず心の中で叫んでしまった。

 おかしい、ついさっきまで私のことを、"ひー"とあだ名で呼んでいたはずなのに。

 かなり親しい仲だったのかな、と思って、気を遣って呼び捨てをしたのに、失敗だったみたいだ。

 何も分からない私は、心が折れそうだった。


「アンタ、本当に何も覚えてないの? 昨日何食べたとか、何をしたとか」

「……ごめんね。本当に何も覚えていなくて」

「…………そう」


 ハルちゃんは、視線を落とすと大きくため息をついた。


「……一応、確認なんだけど、ふざけてるわけじゃないんだよね? 」


 ぽつりと、そんな言葉が聞こえた。


「どうして、そんな無意味なことを……」

「いや、アンタならやりかねないからさ」


 そう言って、ハルちゃんは私の顔をじっと見つめる。

 その目には、疑うような色があった。

 だけど、それだけではなかった。


「本当に、あたしのことも覚えてないんだよね」


 黙って頷くと、彼女は視線を逸らした。


「──なんで、また……」


 その言葉が、妙に寂しく聞こえた。

 そんな彼女の姿を見ていると、言葉にできない罪悪感が込み上げてくる。

 何を言えばいいのだろうか、そんなことを考えていた私に、彼女はたき火で焼いていた肉をパンで挟んで渡してきた。

 口元に持っていくと、食欲を刺激する香ばしい匂いが鼻腔をくすぐり、反射的にかぶりつく。

 野菜が欲しくないといえば嘘になるが、これだけでも充分過ぎる。


「これって何のお肉なの? 美味しいね」

「確か鹿だったかな? 前に狩りした群れの子だよー」

「……狩り?」


 聞き流しかけた言葉に引っかかった。


「ハルちゃんは、狩りとかするの?」

「え? 」


 今度は、彼女が困惑したような声を漏らした。


「アンタ、いつからいつまでの記憶がないの?」

「いつからって言われても……」


 少し考えるが何も思い出せない。

 自分の名前も、年齢も、誕生日も、家族のことも、何もかもが分からなかった。

 唸りながら考え込んでいると、気付かない内にかなり考え込んでいたようで、「もういいよ」というハルちゃんの諦めたような声で現実に戻ってくる。


「じゃあさ、あたしのこととか、今の状況についてはどう思う? 」

「ハルちゃんのことと、今の状況……ですか? 」


 彼女はサンドイッチを咥えながら頷いた。


(そんなこと言われてもなぁ……)


 改めてハルちゃんのことを眺めながら、周りの景色にも目をやる。

 そこで、一つの可能性が思い浮かんだ。


「もしかして、私たちって、実は遭難してたり、サバイバル中だったりしますか? けっこう緊急事態な感じだったり? 」


 一瞬、(ほう)けたような表情をしたが、ハルちゃんは納得したように膝を打った。


「そういうことね」

「え、何が?」


 理解が追いついていない私を横目で見ながら、彼女は勢いよく立ち上がった。

 そして、私にサンダルを履くように言うと、手を差し伸べてきた。


「ついてきて。凄いもの見せてあげる」


 私がその手を取ると、彼女は力強く握って私を引っ張り、そのまま走り出した。

 気がつくと周囲の景色が徐々に明るくなってきていた。

 どうやら私が目覚めたのは早朝だったらしい。

 陽が昇れば暖かくなるかと思ったが、逆だった。朝露のせいか、肌寒さが一層強く感じられる。

 まだ薄暗い中、私はハルちゃんに引っ張られて山の中を駆けていた。


「ちょ、ちょっと待ってよ。このサンダルぶかぶかすぎない? そんなに早く走れないよ」

「あんたがそのサンダルを選んだんでしょ!」


 そう言って、こちらを振り返りもせず、ぐいぐいと私を引っ張るハルちゃん。

 記憶を失う前の自分を呪いながら、転ばないように、サンダルが脱げないように、必死で彼女についていく。


「もうそろそろ見えるかな」


 どれほどの距離を走っただろうか。

 ハルちゃんが突然立ち止まった。

 引っ張られていた私は勢いが止まらず、前のめりに倒れそうになったが、彼女に支えられてなんとか耐えた。


「あ、ありがとう」

「どういたしまして」


 そう言うと彼女は手を離し、奥の方を指さした。


「もう少し奥に行ったら見えると思うよ」


 そう言って、先に進む彼女。追いつこうと、小走りで後を追う。

 獣道を通っていると思っていたが、進むにつれて人工的な道であることが分かった。

 足元の砂利が周囲のものと異なり、朽ちてはいるが木製の柵のようなものもちらほら見えた。

 やがて、コンクリート打ち放しの建造物が目の前に現れた。

 展望台か何かだろうか。横の錆びた階段から屋上に上がれそうだ。

 ハルちゃんはすでに屋上にいたので、私も急いで階段に足をかけた。

 途端に、ガタンと大きな音を立てて、階段の床が抜けた。

 まだ一段目だったからよかったものの、もっと高いところだったらと思うと、顔が青ざめた。


「大丈夫ー? その階段、かなり錆びてるから、走ったら床が抜けて死ぬよ?」


 頭上からそんな声が聞こえてきた。

 先に言いなさいよ。

 おそるおそる一段ずつ慎重に足をかけ、展望台の屋上にたどり着くまでかなり時間がかかった。


「遅かったね」

「生きるか死ぬかの状況だったんだから、これくらい時間かけても許してよ」

「裏側にコンクリートの丈夫な階段があったよ。あたしはそっちを使った」

「先に言って!? 」


 一瞬、本当に殴ってやろうかと思ったが、けらけらと笑う彼女の顔を見ると、怒るに怒れなかった。

 ハルちゃんはすっと私の背後に回り、両手で私の目を覆って目隠しをした。


「な、なに!? 」

「いーから、いーから」


 そう言うと、彼女は後ろから私を押してどこかへ移動させた。

 数歩進んだところで立ち止まり、私の肩に顔を乗せて耳元で囁く。


「あんたさ、学校について記憶はある?」

「うーん、通ってたような気はするけど、どこのどんな学校に通ってたかは思い出せないな」

「……そっか。ならさ、今日、学校はあると思う?」

「え、何それ? どういう意味?」

「いーから答えて」


 彼女に促されて、少し考える。

 質問の意図は分からないが、現状、私たちは学校に行けない状態だということは何となく分かる。

 つまり、他の人たち、世間一般の日常を送っている人たちについての質問だろうか。

 なら、答えは──


「普通にあるんじゃないの? 土日や休日とかじゃなければ」

「なるほどね……」


 弱々しい声が返ってきた。

 何か間違ったことを言ってしまったのだろうか。

 私が焦っているのを彼女が知ってか知らずか、目隠しが解かれ、眩しい光が目に入ってきた。

 おそるおそる目を開ける。

 そして、私は見た。


「…………え?」


 言葉を失った。


 眼前に広がるのは、荒廃した世界だった。


 倒れた高層ビル。朽ち果てた車。崩れた家屋。


 遠くで風が唸り、崩れたコンクリートの埃っぽい匂いが漂う。

 人類の栄華は消え失せ、殺風景な光景がどこまでも続いている。

 大勢の人々が生活していたであろう街に、文明の輝きは感じられない。

 色鮮やかだったはずの世界は、無彩色に塗りつぶされていた。


「……なに、これ? 」


 これは、まるで──

 そうだ。かつて似た光景を見たことがある。

 実際に見たわけではない、ただ知っていた。

 遠い世界の、遠い過去の話だと、そう思っていた。

 ──戦争、という単語が脳裏をよぎった。


「やっぱり、そうなんだね」


 ハルちゃんは納得したように呟いた。

 私の前に進み出て、荒廃した世界を背景に語りだす。


「君は5年前に起こった事件と、その後に起こった戦争を覚えてないんだね」

「戦争が、あったの? 」


 ハルちゃんは自嘲するかのように笑い、背後に視線を向けた。


「あれは戦争とは呼べないものだったよ。他国の大義名分のためにそう呼ばれているだけ。何もできない無抵抗な人々の平穏を終わらせたあの戦争は、──虐殺と言った方が正しいかもね」


 何も言えずにいる私を見て、彼女は何を思ったのだろうか。無理に笑顔を浮かべて両手を広げる。


「さっきは意地悪なことを聞いちゃったね、──この国はね、とっくの前に滅んでいるんだ」


 目の前の少女は、細い声でそう続けた。


「……原因は?」

「話すと長くなるから、また後で教えるけどね、簡単に言うと他の国のために犠牲にさせられたんだよ」


 何が何だか分からなかった。

 混乱する頭を落ち着かせようと、一度目を閉じた。

 すると、誰かの声が聞こえた気がした。

 言い聞かせるような声だった。優しくも厳しく、そして温かな声だった。

 ──君が導くんだ。君の大切な人を守るために。だから、……すまない。後は任せた、と。

 記憶に無い声だった。

 だけど不思議と使命感が湧いてきた。


「私は、何を忘れているんだ……」

「しょうがないよ、変に気負う必要はないと思う」


 ぽつりと呟いた言葉を、ハルちゃんに聞こえていたらしい。

 だけど、私の意図した言葉とは別の意味で捉えてしまったようだ。

 彼女はそれに気付かずに話を続ける。


「なんか、思い出がごっそり無くなった感じがするでしょ? あたしはてっきりそういうエピソード記憶に欠陥があるのかと思ってたんだけどね」


 エピソード記憶についての知識は残っていた。

 要は今の私のように、"知識" はあるが、思い出が無い。こういったのを、エピソード記憶の喪失というらしい。

 皮肉が利き過ぎて、思わず笑ってしまう。

 自分だけが何も知らないであろうこの状況に、逃げ去りたい衝動に駆られる。

 目的も行く当ても無い。ただ、襲いかかる途方もない無力感を忘れる、何かが必要だった。

 思わず顔を下げた私に、ハルちゃんはゆっくりと近づき、大丈夫だよと声をかけてくれる。


「記憶はね、きっと取り戻せる」


 優しい声に釣られて、顔を上げた。

 慈愛に満ちた表情で、彼女は続ける。


「世の中には、たくさんの記憶を失った人たちの物語があるけれど、大抵は記憶を取り戻してハッピーエンドを迎える。だから、あんたも──いや、ヒナタも大丈夫」


 力強く言い、私の手に触れた。

 向かい合って、彼女の右手が私の左手を持ち上げる。胸の高さにまでくると、器用に指を絡めて握りしめた。

 優しく微笑む彼女の表情は、どこか寂しさを孕んでいた。


「実は、ヒナタの記憶喪失の原因には心当たりがあるし、エピソード記憶の方についてもできることがあるかも知れない」

「え、そうなの?」

「うん、私はね、頭が良いからね」

「えぇ〜 本当に頭が良い人が自分で言うかな? 」

「……事実だからね。私が頭が良いことは、絶対に忘れないでね」


 逆の手に触れ、同じように指を絡めるハルちゃん。今度は手を持ち上げず、腰辺りの高さで握り合う。


「エピソード記憶はね、忘れてしまった記憶に関する物事を追体験することで、記憶を取り戻したという事例があるの」


 そう言って、不意に手を引かれた。

 身体がバランスを崩し、彼女の方へと倒れかける。


「───!」


 引き寄せられた私の唇に、ハルちゃんの唇が触れた。

 事故かと思い、慌てて離れようとしたが、握りしめた彼女の手がそれを許さない。

 ただ唇を重ねる、静かなキス。

 少し乾いた唇の感触に一瞬たじろいだが、すぐにその奥の柔らかさに引き込まれた。

 喉の奥から静かに熱を感じ、艶めかしい吐息が漏れた。

 どれくらいの時間、唇を重ねていただろうか、顔の火照りが限界近くになったタイミングで、私の唇は解放された。

 閉じられていた瞳と目が合う。

 妖しくゆらめく瞳に、意識が吸い込まれそうになる。


「──あたしにとって、ひーはね、特別な存在だったの……」

「……そ、それは、どういう意味で? 」

「分からないの? 」


 そう言うと、私の唇に人差し指を押しつけた。

 刹那的に、唇に残った感触が思い返される。


「ドキドキした? 」

「ま、まぁ、そりゃ……」

「あたしもしたよ」


 彼女は快活にそう言うと、踊るように私の背中側に回り、抱きついてきた。

 そして、再び肩に顎を乗せて、耳元で囁く。


「好きな人との思い出。追体験したら思い出してくれるかなー、って」

「──────」


 今、自分自身がどんな顔をしているのか、考えたくなかった。


 □■□


「ヒナタとあたしはね、この1年、旅をしていたの」


 山を降りながら、ハルちゃんは語った。


「だからさ、その旅路を辿っていったら何か思い出せたりしないかなって」

「なるほどね」


 悪くないと思った。

 はたから見ても合理的で、可能性のある選択だと思う。

 彼女はその場で私の方に振り向くと、手を差し出した。


「改めてになるけど、よろしくねヒナタ」

「うん、こちらこそよろしくねハルちゃん」


 その手を握り返し、また歩みを進める。

 正直、戸惑いの感情が強い。

 記憶喪失の件もそうだが、彼女が私に向けてくれている感情についてもだ。

 悪い人ではないことは分かる。キスをされてドキドキもした。

 これが恋愛感情だと考える人もいるだろうが、私にはできない。

 少なくとも、彼女が私に向けてくれている感情とは不相応な感情だと思う。

 けど、それに応えられる努力はしてもいい。

 その程度は思っていた。

 私と彼女の旅路。その復路。

 この旅の果てに私は、記憶を取り戻せるのだろうか。

 彼女の気持ちに応えられるのだろうか。

 今は何も分からない。

 ただ、これから始まる旅に、不安ばかり抱いていても仕方がない。

 気持ちを切り替えて、彼女の横顔を見た。

 その瞳の奥の感情の名前を、私はまだ知らない。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。