表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
6/7

第六節「空の千両箱」

 越後屋を後にした清十郎は、上機嫌で長谷川町へ戻ってきた。

右手には立派な千両箱。

もっとも、中身は空である。

だが本人はまるで宝物でも手に入れたかのように嬉しそうだった。

「これは良い箱だ」

歩きながら何度も眺める。

「頑丈そうだし、傘張りの道具を入れるには丁度良い」

すれ違う町人たちは不思議そうな顔で見ていた。

 やがて甚兵衛長屋へ着く。

しかし清十郎は真っ直ぐ自宅へ帰らなかった。

向かった先は同じ長屋に住む大工、熊吉の家だった。

「おーい、熊吉!いるか?」

しばらくすると戸が開く。

「おう!竹光の先生!どうしたんでぇ?」

熊吉は威勢よく顔を出した。

その後ろから妻の妙も顔を覗かせる。

清十郎は待ってましたとばかりに千両箱を掲げた。

「用心棒の依頼の報酬としてもらったんだ」

熊吉は目を丸くした。

「な、何だって!?」

千両箱を見る。

見る。

もう一度見る。

「ちょ、ちょっと持たせてくれねえか?」

「別に構わんぞ」

「こんな大金、一生拝めそうにねえからな!せめて千両の重みってやつを味わってみてえ!」

その言葉に妙も飛び出してきた。

「千両!?」

熊吉は興奮しながら箱を受け取る。

しかし。

「あれ?」

首を傾げた。

「軽くねえか?」

箱を揺する。

音がしない。

嫌な予感がした。

熊吉は恐る恐る蓋を開ける。

中は見事なまでに空っぽだった。

「何でえ!空じゃねえか!」

清十郎は平然と答える。

「用心棒の仕事で千両ももらえるわけあるまい。報酬は箱だけだ」

一瞬の沈黙。

そして。

「ぶははははは!」

熊吉が腹を抱えて笑い出した。

「そりゃそうか!竹光の先生が用心棒で千両ももらえるわけねえわな!」

妙も大笑いしている。

「もう!びっくりさせないでよ!」

清十郎は満足そうに頷いた。

「ちゃんと金子で報酬をもらったら、近いうちに飲みにでも行こう」

「そいつは楽しみだ!」

熊吉は笑いながら手を振った。

清十郎も手を振り返し、自宅へ戻る。

 もっとも、このやり取りには別の意味もあった。

もし千両箱をそのまま家へ持ち帰れば、長屋の者たちは当然こう思うだろう。

橋本先生の家には千両がある。

そうなれば押し込み強盗を呼び込む原因になりかねない。

そこで清十郎は、あえて熊吉と妙に見せたのである。

特に妙は長屋一のおしゃべりとして有名だった。

今日の話など夕方までには長屋中へ広まる。

そして明日には近所中へ知れ渡る。

その結果、

橋本先生は千両箱を持って帰ったが中身は空。

という噂だけが残る。

実際、これまでも同じ方法で様々な噂を流してきた。

腰の刀が竹光であることもその一つである。

熊吉に見せる。

熊吉が妙へ話す。

妙が世間へ広める。

それだけで良かった。

案の定、妙は早速長屋中へ話し始めていた。

 清十郎が自宅へ戻ると、千代が出迎えた。

「おかえりなさい」

「今戻ったぞ」

千代は父の抱えている千両箱を見るなり目を見開いた。

「その千両箱、どうしたの!?まさか盗んだんじゃ……!?」

清十郎は呆れた顔になる。

「盗んだものをこんなに堂々と持って帰ってくるわけなかろう」

そして箱を床へ置く。

「そもそも俺が盗みなどするわけなかろう。これは用心棒の報酬だし、そもそも箱だけだ」

そう言って蓋を開ける。

千代は中を覗き込んだ。

「本当に空っぽ……」

「だから言っただろう」

「報酬が箱だけなの?」

「そうだ」

清十郎は満足そうに頷く。

「傘張りの道具を入れるのに前々から欲しかったのだ」

そう言うなり、早速道具を詰め始めた。

千代は半ば呆れている。

「今度の仕事はどんな仕事なの?」

「蕨の宿場から日本橋までの荷物の護衛だ」

「危なくない?」

「他に腕利きの用心棒が二十人程いるらしい。たいして難しい仕事ではない」

清十郎は気楽そうに答えた。

千代は少し安心したようだった。

「危険な仕事じゃないなら良いけど……」

そう言いながら夕飯の支度を始める。

台所から包丁の音が聞こえてくる。

清十郎は新しく手に入れた千両箱を眺めながら満足そうに頷いた。

「やはり良い箱だ」

その姿は、これから盗賊団との戦いへ向かう男には到底見えなかった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ