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第四節「浪人である理由」

 客間に静寂が流れる。

先程までの話とは打って変わり、大岡は興味深そうに清十郎を見つめていた。

「ところで、私からも質問があるのだが」

「何でございましょう?」

大岡は腕を組んだ。

「上様がお褒めになるほどの剣技を持ちながら、何故、浪人でいる?それほどの剣技なれば剣術指南役などで仕官の口はいくらでもあろう?」

昨夜の話を聞く限り、清十郎の腕前は並ではない。

吉宗自らが気に掛けるほどである。

それほどの男が何故、長屋暮らしの浪人を続けているのか。

大岡にはそれが不思議だった。

しかし清十郎は首を横に振った。

「某のは剣技などと呼べるものでは御座いません」

「ほう?」

「大岡様は赤穂事件は覚えておられますか?」

大岡は頷く。

「おお、覚えているぞ。浅野内匠頭が殿中松之大廊下にて吉良上野介に対し刃傷沙汰を起こしたのを発端に、浅野家臣の大石内蔵助ら四十七士が吉良を打ち取った事件であろう」

「その通りでございます」

清十郎は静かに語り始めた。

「某は浅野家にて百石を賜り、馬廻りをしていた橋本茂左衛門の庶子にございます」

大岡は少し驚いた。

赤穂浪士の縁者だったとは思わなかったのである。

「某は赤穂で生まれました。しかし一年後、正妻に男児が生まれましてな」

清十郎は苦笑した。

「家督争いなどが起こらぬよう、某は赤穂藩の江戸屋敷へ預けられました」

「なるほど」

「それ以来、父にも異母弟にも会うことなく江戸で育ちました」

清十郎は遠い昔を思い出すように窓の外へ視線を向ける。

「そして某が十九の時、あの事件が起こりました」

浅野内匠頭切腹。

赤穂藩改易。

江戸屋敷没収。

多くの藩士が路頭に迷った。

「赤穂へ帰っても居場所はございません。父とも異母弟とも面識がない。かと言って討ち入りに加わる気もありませんでした」

「何故だ?」

「忠義を否定するつもりはございません。しかし某には某の人生がございましたので」

大岡は何も言わず続きを待つ。

「その時に色々と面倒を見てくれたのが亡き妻のお富にございます」

清十郎の表情が少しだけ柔らかくなった。

「某はお富を守るために剣の研鑽を積みました」

だが次の言葉で、その表情が再び真剣なものへ変わる。

「しかし、腕が立つと知られれば利用しようとする者が現れます」

大岡は頷いた。

それは十分あり得る話だった。

「場合によっては妻が狙われることもございましょう」

「だから竹光か」

「左様にございます」

清十郎は腰の刀へ手を置いた。

「刀を竹光に替え、腕が立たぬ浪人を演じることにしたのです」

「なるほど」

「手近な物を得物にし、何も無ければ素手で戦う。相手が二本差しなら脇差を奪う。相手が複数なら倒した相手から得物を奪う」

大岡は感心したように聞いていた。

「妻を守るために身に着けた技術です。今は娘を守るために使っております」

「それゆえ流派が無いと」

「型も無ければ教本もございません。その場その場で最も都合の良い方法を選んでいるだけです」

清十郎は肩を竦める。

「ですので指南役など到底務まりませぬ」

そして少し笑った。

「それに浪人というのは気楽で良いもんです。お奉行様も一度お試しになることをお薦めいたします」

大岡は思わず吹き出した。

「はっはっはっ!町奉行を辞めて浪人になれと申すか」

「案外、気に入るやもしれませんぞ」

しばらく笑った後、大岡は頷いた。

「お主の亡き妻や娘を思う気持ちはよく分かった」

そして真顔になる。

「そうまでして韜晦(とうかい-才能や身分を隠すこと)するのであれば、お主の腕前は出来る限り内密にすることにしよう」

清十郎は深々と頭を下げた。

「ありがとうございます」

大岡はふと思い出したように尋ねる。

「ときに、お主の御父上と異母弟はどうなった?」

清十郎は少しだけ目を伏せた。

「父は分かりません」

そして続ける。

「異母弟は……恥ずかしながら十八の折に大坂で遊女と心中したとのことです」

「そうであったか」

大岡は申し訳なさそうに言った。

「いらぬことを聞いてしまったな。許せ」

「とんでもございません。お気になさらぬように」

しばし沈黙が流れる。

やがて大岡は小箱を取り出した。

「此度の件、真に大儀であった」

箱を開く。

中には金子が収められていた。

「上様より金子を賜っておるので有難く頂戴するがいい」

しかし清十郎は慌てて首を振る。

「とんでもございません。その様なものは受け取れません」

「上様から賜ったものを返却するなど無礼にあたる」

大岡は笑う。

「いらなくとも持って帰れ」

清十郎は観念したように頭を下げた。

「有難く頂戴いたします」

そう言って金子を受け取る。

この時、清十郎はまだ知らなかった。

これが後に数々の事件へ関わるきっかけになることを。

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