第9話『彼女たちの終わらない戦争』
部屋の中に入ってきたエリーは静かな瞳でサンドレイ侯爵令嬢を見つめたまま言葉を放つ。
「無論。貴女の罪を暴く為に」
「わ、私の罪ですって!? その様なもの!」
「ではお聞きしますが、何故貴女はフロマージュさんが愛の妙薬を使った等と口にしたのですか?」
「それは……そう! その子がその薬を作っていた所を見たから!」
「おや? それは不思議な話ですねぇ」
「不思議ですって!?」
「えぇ。愛の妙薬を作る為に必要な世界樹の花は、世界の果てに行かねば手に入れられない物。それをフロマージュさんが入手する事は出来ないと思うのですが」
「その様なもの! 王都の道具屋なら手に入ります!」
「えぇ、えぇ。確かに。その通りですね」
エリーは珍しく笑顔で両手を叩きながら言葉を軽やかに遊ばせると、サンドレイ侯爵令嬢を見つめて目をスッと細めた。
「しかし、妙ですねぇ」
「妙、ですって?」
「いえ。私が調べた限り、王都の道具屋で世界樹の花という非常に高価な商品を購入したのは、ここ十年でサンドレイ侯爵様だけだと言うんですよ」
「……っ!」
「まぁ、世界樹の花なんて高価な商品を購入出来るのは選ばれた貴族だけですからね。例えば、長く国の中枢に関わり、大きな領地を持つ、サンドレイ侯爵家とか」
「その様なもの! 貴女の家も同じじゃない!」
「確かに。では別の質問をしましょうか。仮にフロマージュさんが愛の妙薬を作れたとして、それを使ったと何故、分かるのですか? それも保健室で使っただなんて」
「そ、それは、見たのよ」
「見た?」
「そう! 何やら怪しげな小瓶を持ったフロマージュさんが保健室に入っていくのを見たのよ!」
必死に叫ぶサンドレイ侯爵令嬢にエリーはさらに笑みを深める。
「それはおかしな話ですね」
「おかしいですって!?」
「えぇ。保健室で眠る殿下の周りには護衛がいる。なのに、どうやってフロマージュさんが薬を殿下の飲み物に混ぜられたのでしょう?」
「それは! その、護衛の騎士たちを眠らせて」
「それを見たと?」
「えぇ、そうよ!」
「それこそおかしな話です。殿下に近づく危険を貴女は見逃していたのですから。その時止める事が出来なかったのだとしても、ご報告はするべきですよね?」
「そ、それは」
「殿下。サンドレイ侯爵令嬢は貴方に対する害意があります」
「ちがっ! 違います! 殿下! 私は、私は貴方様の事を想って!」
「想っていたのなら、何があろうと殿下を守るべきでしょう。言葉と行動が一致してませんよ。サンドレイ侯爵令嬢」
「~~!」
「語るに落ちましたね。先ほどの香水。調べれば愛の妙薬に関係する物だと分かるでしょう。これで殿下に対する害意は……」
「うるさい! うるさいうるさいうるさい!!」
「……」
エリーに責められ、サンドレイ侯爵令嬢は子供の様に涙を流しながら、首を振る。
全てを拒絶する様に。
そして、悲しみから怒りに感情が移り変わると、立ち上がり、エリーに向かって叫んだ。
「何なのよ! 悪役令嬢のくせに! なんで私の邪魔をするのよ! 貴女の相手はヒロインでしょ!」
「悪役令嬢……?」
「そうよ! 貴女は! アル様の婚約者で! ヒロインがアル様を攻略する時に邪魔してくる悪役令嬢! そう決まってるの! そうじゃなきゃいけないの!」
混乱しているのか、訳の分からない言葉を叫んでいるサンドレイ侯爵令嬢に私は声を掛けようとした。
が、エリーやマリアベルの視線を感じ、男の私が出る場所はないかと口を閉じる。
「病院で! 一人っきりで! 誰もお見舞いにも来てくれない時に! ずっと、ずっと私を励ましてくれたのはアル様だったの! だから、この世界に転生して、運命だって、これが運命だったんだって、頑張ろうって、ずっと、ずっと努力してきたのに!」
「……」
「別にアル様の事なんて好きじゃないんでしょ! 貴女! 私にそう言ったじゃない! パーティーで会った時、私がアル様と結婚したいって言った時、自分は興味ないって言ったじゃない! なのに! なんで貴女なの!? 私はヒロインと一緒でも良いって思ったのに! アル様と一緒に居られるなら、私を見てくれないのは悲しいけど、それでも我慢しようって決めたのに!」
「私は……ごめんなさい。あの時は、まだ殿下と知り合う前だったので」
「返してよ! 私のアル様を返してよ!」
「天使様!」
「っ!」
エリーとサンドレイ侯爵令嬢の言い争いに、マリアベルが私から離れ、入り込んだ。
そして、ソファーから立ち上がると、勢いよく腕を振りかぶり、サンドレイ侯爵令嬢に向かって振り下ろし、頬を叩いた。
いきなりの事で呆然としているサンドレイ侯爵令嬢にマリアベルは笑顔で言い放つ。
「これで、全て無かったにしてあげます」
マリアベルの言葉に部屋の中は完全な静寂に包まれる。
「あげるとか。返すとか。おかしいです。アル様は物じゃない。アル様にはアル様の気持ちがあります」
「……」
ただでさえ精神的に追い詰められている令嬢にする事では無いように思うが、マリアベルは気にせず言葉を続けた。
「だから、伝えたい想いがあるのなら、言わないと駄目です。アル様は今でも天使様の事を、権力欲しさに近づこうとしている人だって考えているんですよ?」
「……そう、なのですか? アル様」
突如として全員の注目が集まり、動揺から飛び跳ねそうになったが、気合で姿勢を維持する。
そして、小さく頷いた。
王子っぽく。
「ほら、こういう人なんですよ。私だって、何度引っぱたこうと思ったか」
とっさに身構えようとした体を気合で止めて、私を真っすぐに見つめるサンドレイ侯爵令嬢へと視線を返した。
「私、アル様の事が好きです。愛しています。権力が目当てだと思われるなら、家を出ます。捨てます。私が欲しいのは王妃という地位ではなく、貴方自身なんです」
「……私は」
「駄目です。あげません」
「っ!? エリザベス……!」
「殿下はもう私の物ですから。あげません」
「いや、だから、アル様を物扱いするのは……」
「殿下! 先ほど、婚約を破棄するとおっしゃってましたよね!? では、確かな地位のある女が必要なのではないですか!? やはり国を安定させる為にも……!」
「先ほどの話は全て演技です。その程度の事も分からないのですか? そんな頭では殿下を支えるなど、とてもとても」
「さっきからイチイチうるさいわね! 貴女は!」
「常識的な話をしているだけです」
「何よ! 偉そうに言わないでよ! 私の方がよっぽどアル様のお役に立てるんだからね!」
「残念ながら私の方が知識も知能も上です」
「可愛げのない女! だからアル様に嫌われるのよ!」
「きらっ! 嫌われてなどいません! 先日だって、「エリー。君を離したくない」と仰って、その、私をベッドに押し倒してですね」
「はいはい嘘、嘘。すぐ分かるのよ。そういう嘘。アル様は無理矢理押し倒す事なんてしないから! あ、いや、そうか。貴女なら大事にしなくても良いからって手を出そうとしたんじゃないの?」
「そんな訳ないじゃないですか!」
「はいはい。そう思いたいのは自由だけどねー。現実はどうだか」
「黙りなさい! サンドレイ侯爵令嬢!」
「別に私が黙るのは良いけど、アル様の評価は変わらないんじゃないの?」
「っ! 殿下! 殿下は私の事、どう思っているのですか!? 大事にしたいと!? もしくは利用価値のある女!? 体だけの女なのですか!?」
「その貧相な体で、体だけって、あり得ないでしょ」
「殿下!!」
「アル様。エリザベスに言ってやって下さいな。私の方が魅力的だって」
「お黙りなさい! サンドレイ侯爵令嬢!」
「もう! 二人とも! そんな大騒ぎして迫ったらアル様が可哀想ですよ」
珍しく大声っで騒ぐエリーが、何だかんだサンドレイ侯爵令嬢と仲良く争っているのを見ていたら、ため息を吐いたマリアベルが二人の戦いに介入する。
そして……。
「アル様は私の事が一番好きなんですから。争うだけ無駄です」
「黙りなさい! マリアベル」
「平民が!」
「ひどい! そんな言い方をするとアル様に嫌われちゃいますよ!」
いつしか争いはマリアベルも交えて広がり、私は大きなため息を吐きながら天井を眺めるのだった。