第7話『そして陰謀はクライマックスへ』
驚き固まっているマリアベルをそのままに、挨拶を終えたエリーは私とマリアベルの間に座り、静かな瞳でマリアベルを見つめる。
マリアベルは事態が理解できないのか、視線をさ迷わせていたが、ようやく頭が追いついてきたのか、ゴクリと唾を飲み込んでから口を開いた。
「……あの、私は、どうしてこの場に呼ばれたのでしょうか。先ほどの薬の件、でしょうか」
「えぇ。その通りですよ。フロマージュさん」
「っ!」
「あなたのした事は許される事では無いわ。殿下は先ほど冗談だと言いましたが、公になれば冗談では済まないでしょう。あなたか、あなたに類する誰かが罪を償わねばならない」
「だれか、が」
「そうです。本来であれば、貴女はただ裁きを待つだけの人間。ですが……殿下は貴女にチャンスを与えようとしているのです」
「チャンス……? でも、私、選べません。家族とか、孤児院のみんなとか! みんなを傷つけるくらいなら、私が全て償います。死ぬのは、怖いですけど……私のせいで誰かが悲しむよりは、ずっと良いです」
私は震えながらそれでも強い瞳でエリーを見つめ返すマリアベルを見て、ふむと心の中で呟く。
そして、マリアベルから見て、死角に立っているメイド長に、彼女の言葉の真偽を確認し……それが真であると合図をもらってから、私はようやくマリアベルに救いの手を差し伸べた。
いつまでも無垢な子供を虐めるのは好きになれないから助かる。
「マリアベル。いや、マリー」
「っ! アルさま」
「君と私は知り合ってからそれほど長い時間を過ごした訳では無い」
「……はい」
「しかし、君が私を害そうとして薬を盛った訳ではないと信じている。だから、真実を知りたいのだ」
「しんじつ」
「そう。真実だ」
私はここからが正念場だと気合を入れて、小さく息を吐いてから口を開いた。
「君は誰かの指示で、私に薬を盛ったのではないか?」
「……っ! どうして、そう、お考えになるのですか」
「君が私を傷つけて喜ぶような人間には思えないからだ。君は人の幸せを願う人だろう?」
マリアベルの呆然とした瞳が私に向けられる。
まるで想定もしていなかった言葉を聞いたような顔で、マリアベルは何かを口にしようとして、止め……やはり何かを喋ろうとしたが、出来ずに目を伏せた。
「……アル様。一つ約束をして下さい」
「内容にもよるが、まぁ良いだろう」
「天使様を、殺さないで下さい」
「ふむ」
「天使様は、天使様もきっと、悪い人に騙されているんです! だって、天使様はアル様の疲れが取れる薬だって言ってて! エリザベス様が、アル様を苦しめてるから、こっそりとアル様をお手伝いしないといけないって!」
やはり。という気持ちが強い。
ある程度予測していた事ではあるが、犯人はやはり天使様とやらか。
「あぁ、そうか。ならば君の天使様にも事情を聞かねばならないな」
「……はい」
「わかった。では、早急に天使様の名を教えてくれ。もしかしたら、悪しき者たちが天使様を害するかもしれないからな。君がここに呼ばれた事で、悪しき者たちも警戒するだろう」
「そ、そうですよね! はい。天使様のお名前は……」
マリアベルの言葉に、私もエリーも意識を集中する。
そして……。
「レスティナ・フィール・サンドレイ様と言います」
マリアベルの放った名前は、まぁ正直なところで言うと、ある程度予想できていた名前であった。
というよりも、状況から考えると、もはやサンドレイ侯爵令嬢しかあり得ないという方が正しいだろうか。
アマースト侯爵家にも、王家にも情報を握られず動く事が出来て、私に愛の妙薬を飲ませる事でメリットの生まれる家。
その上、突如私が心変わりしたとしても違和感の持たれない人物など、数えるほどしかいない。
しかし、こうしてマリアベルの口からその名を聞いて、逆に安心したような気にもなった。
ここで他国の介入があった等という場合、笑い話にもならないからな。
「殿下」
「あぁ。分かっている。マリアベルと約束もしたしな。ある程度は穏便にすませるさ。事態はまだ表舞台に出てはいないからな」
「……まぁ、そうですわね」
私とエリーの会話を恐る恐る聞いていたマリアベルであったが、なんとなく無事で終わるという事を察したのだろう、大きく息を吐いていた。
そんなマリアベルを見て、エリーが不思議そうな顔をする。
「貴女。どうして彼女の事をその様に心配するのですか? 彼女は貴女を使って殿下を陥れようとしたのですよ? もし万が一発覚しても、自分だけは安全な位置に置いて」
「エリー」
「止めないで下さい。殿下。ここはハッキリとしなくてはいけない所です」
「しかしな」
「大丈夫です!」
「っ! フロマージュさん」
「私だって、本気で信じてはいないです。天使様を騙している悪い人が居る。だなんて。分かってます。利用されたって。もし殿下にバレたって知られたら切り捨てられるって……分かってます」
「……なら、どうして」
「だって、助けられたから。凍えそうな雪の日に、ご飯とか、洋服とか貰ったんです。あれが無かったら、きっと小さな子は死んじゃってました」
「……」
「たぶん、こんな事を言っても、貴族様にとっては、はした金だって言うかもしれません。でも、あの時、私たちが苦しかった時、手を差し伸べてくれたのは、天使様だけだったんです。例え私たちを利用する為だったとしても、それは変わりません」
「そうか。分かったよ。マリアベル。すまなかったな」
「いえ……エリザベス様が、気を使ってくださったのも、分かってますから」
こんな事を言っては失礼かもしれないが、マリアベルもしっかりと考えているのだなと私は感心してしまった。
いや、違うか。
皆、自分の中にある想いや考えを持って生きているのだ。
ただ、私がそれを無意味だ。必要が無いと切り捨ててきただけで。
「……私は愚か者であったな」
「え!?」
「そうですわね」
「えぇ!? ちょっと! エリザベス様! アル様は愚か者なんかじゃありません!」
「だ、そうですよ。殿下」
「分かっているさ、エリー。これからは賢き王とならなければな」
「アル様! 大丈夫です! アル様はとーっても頭が良くて! 格好良くて! 優しい人なんですから!」
「……ふふ。期待には応えたいですね」
「努力するよ」
私はマリアベルの言葉に笑うエリーに応え、マリアベルのキラキラとした目にも追いつこうと心に決めるのだった。
しかし、彼女が想う私は自分で思っている以上に完璧な様であった。
いつまでも終わらないアル様とやらの完璧さは、私の未来に大きな、大きな壁を作る事となったのであった。
先が思いやられるな。
そして、私はいつまでも終わらない時間を終わらせるために、無理やり話題を変え、二人の麗しき女性方の視線を集めることにした。
「……しかし、分からないな」
「何がですか?」
「サンドレイ侯爵令嬢さ。確かに王妃の座が手に入らなかったのは悔しいだろうが、ご禁制の代物に手を付ける程では無いだろう。次の世代に任せる事も出来たはずだ」
「……殿下」
「なんだエリー。その目は」
「……アル様」
「マリアベル!? 君もか!?」
二人の女性方にため息を吐かれ、私はやや焦りながら言葉を返した。
しかし、そんな私を冷ややかな目で見ながら、エリーは彼女の想う真実を語るのだった。
「殿下。サンドレイ侯爵令嬢は貴方に恋をしているのです」
「……恋?」
「そう。恋です。そして、その恋に身を焼かれ、この様な強行に走ったのですよ」
「いや、バカな。彼女は侯爵令嬢だぞ。彼女が望めば大抵の男と結ばれる事は可能だろう」
「しかし、そこに貴方は居ません」
「……」
「殿下。おそらくは貴方の考えるような王国の存亡をかけた陰謀など動いていない。おそらくは、ただ恋に狂った女の暴走なのです」
「バカな」
「信じられないという事でしたら、ちょうど良い。証明しましょうか。マリアベルさんも味方についた事ですし。彼女の真意を見極める為の茶番を、皆の前で行いましょう」
エリーは非常に珍しい笑みを浮かべると、私にそう言い放った。
しかしその笑顔は何故か、酷く恐怖を感じるものなのであった。