第5話『ノーマルエンド と 二人のはじまり』
色ボケアホ王子たる私は、今日も今日とて学園の中で餌として元気に動き回っていたのだが……正直、だいぶ疲れていた。
キャアキャアとやかましい女共の相手は非常に神経を削るし、笑顔を浮かべ続けるのもストレスが溜まる。
だから、保健室で休んでいたのだが……どうやら、招かれざる客が入って来た様だった。
「……寝てる」
どうやってデックたちの監視をすり抜けて来たのか、その方法も問いたださねばならないな……。
と、私は目を閉じたままいつでも動けるように身構えた。
「えと、このお薬を飲み物に混ぜれば良いんだよね……?」
クスリ……?
毒か、幻覚剤か何かか。
何にせよ私を害そうとしている事は確かだった。
「アル様。早く良くなって下さいね」
だから、私はその犯人を捕まえようとしたのだが……。
私を呼ぶ、その呼び方に体が固まってしまった。
「じゃあ私はもう行きますね。あんまり長居してはいけないと言われているので……アル様。どうかお元気で」
少女は私の額を軽く撫でてから部屋を出て行った。
そして、扉が閉まる音と同時に私は薄く目を開き、部屋の中を確認する。
……誰もいない。
もう彼女は出て行ったようだった。
その事実に私の中で僅かな苛立ちが生まれる。
が、ここでその苛立ちをぶつけた所で意味が無いのだ。
今はやるべき事をやらねばならん。
「クスリ、と言っていたな」
私は、自分の中に生まれた感情を無視し、周囲を観察して一つの変化を見つけた。
そう。
水差しの位置が変わっているのだ。
見た目は何も変わっていないが、おそらくコレに薬を混ぜたのだろう。
「デックを呼ばねばな」
私は独り言を呟きながらベッドから立ち上がり、大きく息を吐いた。
そして、王族として相応しい顔をしてから入り口の方へ向かった。
しかし、扉に手をかけようとした瞬間、外からデックの声が聞こえ、私は扉を開けながら何事かと問うのだった。
「騒がしいぞ。デック」
「あっ! 殿下。ご無事でしたか」
「無事か、だと?」
「はい。お恥ずかしながら、俺達全員、睡眠剤の様な物で眠らされてしまいまして」
「そうか。分かった」
「え? いや、え?」
「なんだ」
「いえ。珍しいなと思いまして……普段の殿下なら、無能が! とか、さっさと証拠を集めて犯人を探せ! とか言いそうなモノなのに」
「……お前たちを眠らせた者なら既に分かっている」
「おぉ、流石殿下。では犯人は」
「知らん」
「は?」
マリアベルは利用されているだけだ。
例のクスリとやらも、睡眠剤も真犯人がマリアベルにやらせているだけだろう。
純粋な者を利用する。
そのやり方には吐き気がする。
かつて、書庫でエリーと話した理想。
願われ、選ばれた者が弱き者を守る。その為の国を作るという願いが……! 今、踏みにじられている!
それが酷く腹立たしい。
「デック。信用できる騎士を一人用意しろ」
「え? あ、はい! おい! メイル! 殿下からの命令だ。死んでも果たせ」
「はい!! お任せ下さい! どの様な命でも、必ず果たします!」
デックはメイルという男を呼び、私はメイルという男に水差しとコップを運ぶように命じた。
「この中には何かしらの薬物が混ぜられている可能性がある。王宮へ運び、調べろ」
「良いか? 誰に何を言われようと、されようと、決して渡すな。失うな」
「そういう事でしたら殿下。もう二人護衛を付けましょう」
「そこはお前に任せる」
「分かりました! では、腕に覚えのある者、足の速い者は前に出ろ!」
私はデックの声を聞きながら、近くの椅子に座り、大きく息を吐いた。
思考を巡らせながら、これからの展開を考える。
エリーを守る方法。
真犯人を捕らえる方法。
そして、罪なき民を救う方法は……。
「で、殿下!」
「なんだ。私は今、忙し「殿下」……エリー」
深く思考の海に沈んでいた私は、ここ数カ月聞いていなかった愛しい人の声に思わず顔を上げた。
そこには、普段と変わらない無表情の……いや、少し怒っているエリーが居た。
「殿下」
「あ、あぁ」
「私は殿下の何ですか?」
「何と言われても……婚約者だろう?」
「……」
何故だろう。
婚約者だと告げた瞬間、エリーからの威圧感が増した。
何だ。何を怒っているんだ! エリー!!
「あれから私、色々と考えました」
「あれから……?」
「殿下がどういう方なのか。そして私は殿下にとってどんな存在なのか」
エリーは私を見ている様で、どこか遠くを見ていた。
私はそんなエリーを見つめながら、僅かな言葉すら逃すまいと意識を集中させる。
「私は、ずっと殿下の事を冷酷な方だと思っていました」
「穏やかな笑顔を浮かべていても、瞳はいつも冷めていて」
「他者を想う言葉を放った次の瞬間には、容易く人の命を奪う」
「……っ」
「でも、それでも……殿下はいつも正しい人でした」
「いつだって殿下は、弱い人の味方でした。虐げられている人の為に戦っていた」
「教えてください。殿下。本当の貴方を……」
ジッとエリーが私を見つめていた。
ここに居る。
何一つとして、先入観の無い、私を……。
「私はずっと、君の為の王になりたかったのだ」
「……私の?」
「書庫で君と出会い、私の世界に一筋の光が差し込んだ。暗闇の世界で、ただ一人生きていた私が、ただ一つ見つけたひだまりが君だったのだ」
「何故、私なのでしょうか。フロマージュさんの方が、きっと貴方の光になれる。あの子は私と違って、真っすぐで、貴方をこんな風に疑ったりはしません」
「だろうな」
「っ!」
自分で言った言葉に自分で傷付くエリーを見ながら、愛おしさが溢れる。
君はいつだって、そういう子だった。
「だが、君も望まれて侯爵家に生まれた人間ならば分かるだろう? 彼女では王族になれん」
「……」
「私はな。タベリアと同じ過ちを繰り返すつもりはない。王族として生きる覚悟も無い少女を殺すつもりはないんだよ」
「私なら、その覚悟があると?」
「あぁ」
「躊躇う素振りも見せませんのね」
クスリと困った様に笑うエリーを見ながら、私も笑みを浮かべた。
何となく、いつかはこんな会話をすると思っていたからか、スルスルと言葉が出てきた。
「無論。躊躇などする必要は無いだろう。私が君を殺す事などあり得ないのだから」
「矛盾していますよ。殿下」
「それが『人間』という物だ。いや、信頼かな」
「信頼、ですか?」
「あぁ。君ならば、私が国を捨てて逃げ出した時に殺してくれるだろう? ならば、安心して君に国を任せられるという物だ」
「……酷い人」
「すまないな」
私は話が軽やかになって来た事で椅子から立ち上がり、エリーから顔を逸らした。
しかし、エリーが私の服を指先で掴んだ気配がして、再び視線を僅か下に落とす。
「私は、殿下が思っている程、強い女ではありませんわ」
「知ってるさ。だから君と共に歩みたい」
「殿下を殺めたら、一人で生きてゆく事など出来ません。きっと後を追ってしまう」
「なら、君が寂しくない様に子を沢山作ろう。それがきっと生きる理由になる」
「それでも、辛い時は……貴方を想ってしまう夜は、どうすれば良いのですか?」
「それなら……すぐにでも生まれ変わって、会いに来るさ」
「でも、その頃にはきっと私、年を取って、お婆ちゃんになってますわよ?」
「今のエリーが可愛いのは当然だけれど、何歳になっても君は可愛いさ。大丈夫。いつどんな時に出会っても、私は君を愛するよ」
「……しょうがない人」
「今頃気づいたのかい? 私は君が居ないとダメダメなのさ。きっと多くの命を踏みにじる冷酷な王となってしまうだろう」
エリーは目を伏せて、私に僅かに体を預けた。
トクトクと少しだけ早い鼓動の音がエリーの体を通して聞こえてくる。
この鼓動は私の物だろうか。エリーの物だろうか。
分からないが、心地よい感覚であった。
「私、殿下を愛しても……良いですか? 殿下は私を愛してくださいますか?」
「無論だ。私はあの日からずっと、君を愛しているよ。エリー」
そして、私たちの唇は重なり、確かに想いを重ね合ったのだった。