第4話『彼女のはじまり』
『良いですか? 殿下。敵は暗闇に紛れ、証拠を消しながら巧妙に動いております』
『そこで殿下には囮となっていただきます。敵を釣る為の餌ですね』
『散々練習した完璧な王子様になり、是非大物を釣り上げて下さい』
等と言われ、私はエリーから離れて色ボケアホ王子として振る舞い始めた。
一応事情は父上と母上。それにアマースト侯爵、アマースト侯爵夫人にも伝えているが……ツライ。
何が悲しくてエリー以外の女に近づかねばならんのか。
「あー! アル様ー!」
「やぁ、フロマージュ男爵令嬢。待たせたかな?」
「いえいえ! 全然待ってないですよっ!」
とても貴族の令嬢には見えず、まるで幼子の様にはしゃぐフロマージュ男爵令嬢を見つつ、私は王子様スマイルを浮かべた。
もう最近はすっかりこの笑顔にも慣れて、自然と浮かべることが出来る様になり便利だ。
まぁ、自分で鏡を見た時は、なんて薄っぺらい笑顔なんだと思ったものだが、それでもキャアキャアと騒がれているし、これが正解なのだろう。
「では、行こうか。良い店を知っているんだ」
「わーい! ありがとうございます!」
私はのんきに飛び回っているフロマージュ男爵令嬢を連れて、学園にいる多くの者から視線を集めながら学園の外にある人気店へと向かった。
先に王太子である私が向かうと言っておいただけの事もあり、店の中は私たちの貸し切り状態となっていた。
これで、交わした言葉が外部に漏れる事はないだろう。
「あれ? いつもは凄い人なのに、今日はガラガラ~。ラッキーでしたね! アル様!」
「あぁ、君との時間を邪魔されたくなくてね。貸切ったんだ!」
「えぇぇー!? すごーい! アル様ってそんな事も出来るんですか!?」
「ま、まぁ。王子だからね」
「王子様ってすごーい」
フロマージュ男爵令嬢はキャッキャと喜びながら店内の装飾を見て、笑う。
そして、店員とすれ違う度に、頭を下げて、ニコニコと感謝を告げていた。
「何をやっているんだ?」
「え?」
「ほら、さっき店員に礼を言っていただろう?」
「あぁ! だって、こーんな素敵なお店なんですよ! 私、もうワクワクして、楽しくて! ここにずーっと居たいなって思うんです! でも、そういうお店にしてくれたのは、店員さんだから、ありがとー。って言いたくて!」
「……そうか」
「はい!」
フロマージュ男爵令嬢は店の中を十分に見て回ると、くるくると回り、喜びを表現しながら器用にも椅子へ座った。
そして、私も用意されていた場所へ座り、フロマージュ男爵令嬢が注文を選び終わるまで待つ。
「好きな物を注文すると良い」
「えぇー!? 良いんですか!? すごーい。お誕生日でも無いのに!」
「気にしなくてもいい」
「じゃあー! これと、これとー。あと、これも欲しい!」
「良いよ。じゃあ注文しようか」
思っていたよりも安い注文が並んだなと思いながらも、店員にフロマージュ男爵令嬢が言った物を全て注文し、私は素早く運ばれてきた紅茶を手に、ふとした疑問を向けた。
「そういえば先ほど誕生日でも無いのに。と言っていたが、フロマージュ男爵家はそれほど厳しい経済状況なのか?」
「あー。いえ。実は私、フロマージュ男爵家の人間じゃないんです」
「そうなのか?」
「はい。生まれてすぐ教会に捨てられちゃって。孤児院で生きてきたんですよね」
「そうだったのか」
「でも、ある日天使様が私の前に現れたんです」
「……天使様?」
「はい。天使様です。天使様は私の事とか、未来の事とかぜーんぶ分かってて、私の運命を教えてくれました」
「……その、天使様というのはどういう人だったんだい?」
「天使様はー、あ! そうだ! 言っちゃいけないって言われていたんでした! ごめんなさい! アル様でも教えられないです!」
目をキュッと閉じながら両手で口を塞ぎ、話さないという態度を取るフロマージュ男爵令嬢に僅かな苛立ちを覚えるが、気持ちを何とか抑えて、平静さを取り戻す。
「そうか。無理に聞こうとして悪かったね。いや、私も君を導いた天使様の話を聞きたかっただけなんだ」
「あ! そうだったんですね!」
「あぁ。私も悩みが多い人生だからね。天使様に導いてほしいと思うくらいさ」
「アル様も大変なんですね。あ! でも、大丈夫ですよ! 私は聖女ですから! アル様を助けることができます!」
「それも、天使様が言っていたのかい?」
「はい! これから世界には大きな危機がやってくるんです。でも、私が聖女として頑張ったら、世界が平和になって、私はアル様と結婚するって聞きました」
「そうか。それは素敵な夢だ」
「そうですよね~! えへへ。アル様と一緒。嬉しいなっ!」
キラキラとした笑顔で楽しそうに語るフロマージュ男爵令嬢を見ながら、私は拾った情報を頭の中で整理する。
一つ。
天使様なる存在は実在する人間である。これは私がどういう人か? と尋ねた時、素直に返したため、その様に推察できる。
二つ。
天使様なる存在はフロマージュ男爵令嬢を私に近づけた張本人であり、おそらくはフロマージュ男爵家と彼女を繋げた存在だ。
三つ。
天使様なる存在は、限られた範囲であるが未来を見ることが出来る可能性がある。無論ペテンの可能性もあるが。
しかし、これは非常に厄介だ。
未来が見える超常の存在が敵に居る可能性があるとはな。
さて、どうやって対処したものか。
「でも、本当に夢みたい。こうしてアル様と一緒に素敵なお店でお話をして、おいしいお菓子を食べて」
「……少し気になったんだが、良いかな。フロマージュ男爵令嬢」
「え? はい! 何でしょうか」
「なぜ君は私にそこまで固執する。私と君はそこまで親密な仲では無いだろう。会話をしたのだって、編入してきた日が初めて……「じゃないですよ」」
「あの時が初めてじゃないです」
今までの幼い少女の様な顔ではなく、やや落ち着いた笑顔でフロマージュ男爵令嬢は私を見つめた。
そして両手を握り合わせながら、神に祈る様に目を閉じて口を開いた。
「アル様にとっては、たぶん、大した事では無かったのですね」
「……」
「あの日。とても寒い冬の日。私、町へ買い物に行って、知らない人に襲われそうになったんです。でも、私の上に乗った人が手を振り上げた瞬間、誰かがその人の手を取っていました。そして、次の瞬間には私の上から横に転がっていて、涙で滲んだ世界に、あなたが居たんです」
私はフロマージュ男爵令嬢が語る思い出話を自分の記憶と照合させようとしたが、何も一致せず、ただ静かに頷いた。
「やっぱり。アル様にとっては、なんて事はない日常。特別でも何でもない時間だったんですね。でも、だからこそ。あの冷たい夜に、怖くて震えてしまった私に、手を差し伸べて下さったアル様が、私の全てになったんです」
「……そうか」
「ふふ。ようやくお礼が言えます。アル様。あの時、助けて下さって、ありがとうございます」
「いや。構わない。というか、すまないな。覚えていなくて」
「良いんですよ! 私は、どんな姿の私であったとしても、助けて下さったであろうアル様がす、すす……」
「す?」
「えふ、は、恥ずかしいです……その、好き、になったんですね?」
「そうか」
もじもじと体を揺らしながら、小さな声で呟いたフロマージュ男爵令嬢に私は苦笑する。
愛をささやく事すら躊躇うほどの純朴は、どうやっても貴族の世界で生きていくには難しいだろう。
どういう出会い方をしていたとしても、私と結ばれる事は難しいだろうな。
私がどれほどの愛情を彼女に向けたとしても……いや、愛情を持てば持つほどに遠ざけたいと考えてしまうだろう。
ならば、どうやっても君とは結ばれない運命という奴だったのだとわかるよ。
マリアベル。
「そういう事なら、そうだな、是非、今日は菓子を楽しんでくれ。君のために用意したものだ」
「はい!」
キラキラと輝く笑顔を向けるフロマージュ男爵令嬢に笑顔を返しながら、私は心の中で謝罪するのだった。




