第3話『校舎裏の策謀』
私は第一王子。王太子である。
いずれはこの国を継ぎ、王となる者だ。
ならば、今の私の行動も王として正しいものでなくてはならない。
では王としての正しさとは何だろうか。
それは全ての功罪を、正しく等しく適切に裁き、全ての民を、幸福へ導くことである。
それが王という存在。王の正しさだ。
しかし、私は王である以前にアルフレッドという一人の人間でもある。
どうしようもなく、歯がゆい瞬間というのは存在するのだ。
「アマースト侯爵令嬢。まさかこの様な事を貴女がしているだなんて、私、言葉もありませんわ! 複数人で、低位貴族の令嬢を虐めるだなんて!」
言葉もないという割にはよく回る舌だなと思いながら、私は手に持った手紙を見つめてため息を吐く。
私も落ちたものだ。
こんな罠に引っかかるとは……。
「サンドレイ侯爵令嬢。これは誤解です」
「何が誤解なものですか! 私が来なければ、可哀想にフロマージュ男爵令嬢は高位貴族の言葉に何も言い返すことができず、この様な人の来ない場所で、罵られ、心に大きな傷を負っていたことでしょう!」
「私は、その様な……」
「私は確かに目撃しましたよ! 貴女の『ご友人』が! フロマージュ男爵令嬢に酷い言葉を向けていたのを!」
「それは確かに真実ですが、私は」
「まさか貴女! 切り捨てるつもり!? 『ご友人』にこの様な真似をさせて、自分は関係ないと、直接手を下してはいないと、そうやって白を切るつもりなのね!? なんて、非道な!」
「そんな! エリザベス様。私たちは確かにエリザベス様のお願いを聞いて、こうして……言いたくもない言葉を」
「……っ」
いよいよ茶番も佳境のようだ。
女性の社会は怖いと母上も言っていたが、実にその通りだと私は思う。
この状況で私が出て行ったとしても、エリーを庇えば、あらぬ噂を流されるだけだ。
最悪は数年前のように、アルフレッド王子はアマースト家に弱みを握られている。なんて言われかねない。
厄介なことだ。
私はただ愛する人と共にありたいと願っているだけなのに。
そんな小さな願いすら、多くの悪意に踏みにじられようとしている。
「……殿下。ここは俺が」
「あぁ。悪いな」
「いえ。殿下はエリザベス嬢を」
「言われるまでもない」
私の側近の一人であるセドリックは宰相である父の様に厳格な顔つきになると、真っすぐに現場へと向かった。
「こんな所で何をやっている」
「っ! ザール様!? 殿下は……」
「たまには私一人で出歩く事もある。それが不思議か? サンドレイ侯爵令嬢」
「い、いえ……その、殿下は今どちらに」
「殿下ならいつも通り生徒会室にいる。何か殿下に用事か? であれば明日以降にしろ。殿下は急ぎの要件があり、今日はお会い出来ん」
「そ、そうですか。それは残念です。であれば! ザール様、実はご相談したいことがございます!」
「なんだ」
「この状況を殿下に正しくお伝えしていただきたいのです!」
「この状況? あぁ、そういう事か。それならば問題ない。先ほどから話は聞こえていたからな。余すことなく、殿下にお伝えすると約束しよう」
「ありがとうございます」
薄汚い、喜びに満ちたサンドレイ侯爵令嬢の声を聴きながら、私は茂みに身を隠しながら頭を抱えた。
無力だ。
なんという情けない姿だ。
そして、詳しい話を聞きたいと上手く連中を誘い出し、自然な形でエリーを残したセドリックに感謝しながら、私は茂みから先ほどまで汚らしい陰謀が行われていた現場へと向かった。
余計な邪魔が入らない様、デックには通り道を封鎖して貰って。
「エリザベス嬢」
「っ! 殿下……!? ザック様のお話では生徒会室にいると」
「あれは嘘だ」
「そう、ですか……では先ほどのお話は」
「あぁ、悪いがすべて聞いていた」
「……そうですか」
「しかし、驚いたよ。君からの手紙を受け、ここへ来てみれば、ちょうど茶番が始まったものでな」
「私からの手紙……」
私は懐からエリーの名が刻まれた手紙を見せる。
どうやら頭の中にケーキが入っていたらしい私は、エリーの封蝋印もないというのに、恥ずかしがっているのかもしれないなどと甘い考えをしていた。
いや、しかし逆に考えれば、こうして私がここに来ることでエリーと話が出来たのだから、問題はないか。
「殿下、この様な事を言っても信じていただけるか分かりませんが……私は」
「……」
「私は……!」
エリーは苦しそうに胸を押さえながら、何度も言葉を紡ごうとして、出来ず、一筋の涙を流した。
瞬間、私は誰も見ていないからとエリーを抱きしめようとした。
しかし、視界の端にアマースト侯爵家の者が見え、手を強く握りながら踏みとどまる。
アマースト侯爵との約束。結婚するまではエリーに触れないという約束を守る為に。
「……申し訳ございません。殿下、私は」
「信じている!」
「っ!」
「今、あえて、昔の呼び方をしよう!」
「……」
「エリー!」
「……!」
「私はいつ何時も、君のことを信じている。君の言葉を、君の想いを!」
「はい……!」
「あの日、君に初めて会った時から、この想いに揺るぎはない。たとえ、世界の全てが敵になろうとも。私は君の剣となり、君を害する全てと戦う事を誓おう」
エリーは言葉もなくただ静かに涙を流した。
私はこれくらいは許されるだろうと、ハンカチを渡し空を仰いだ。
アマースト侯爵に心の中で恨み言をぶつけながら、エリーの心が、この雲一つない青空の様に透き通ることをただ、祈った。
しかし、どうやら私とエリーの時間はもう終わりが近づいているらしい。
「殿下」
「わかった。すまないな。デック」
デックの言葉を合図として、私はエリーに背を向け歩き始めた。
「殿下……!」
だが、背後から聞こえてきたエリーの声に足を止めて、振り返る。
「殿下。もうお時間が」
「僅かな時だ。持たせろ」
「……しょうがないな」
「すまんな」
「……申し訳ございません。その私、また余計なことを」
「構わない。君の言葉より重要な物など何もない」
「……!」
「何か私に伝えたい事があるのなら、聞かせてくれ。エリー」
「……いえ」
エリーはハンカチで丁寧に涙を拭うと、婚約をした時の様な柔らかい笑みを私に向けた。
「今はそのお言葉だけで十分です。いつか……また、お話して下さい」
「無論だとも」
私は、僅かだろうが、エリーから好意を向けられて嬉しく思いつつ、溢れ出る感情をエリーに見せない様に背を向けた。
やや離れた場所で待っていたデックと共に生徒会室へ向けて足を進める。
「……殿下」
「皆まで言うな。デック」
怒りか。憎しみか。
沸き上がる感情は、今までに感じたことのないものだ。
「私はどうやら優しすぎた様だ。エリーに気に入られようと理想の王子様とやらを演じたのが原因かな」
「まぁ可能性はありますね」
「そうか。ならば誤解は解かねばならんだろう……! 私が本来どういう人間かという事をな」
「では?」
「あぁ。エリーをあの様に泣かせた者。全てを潰す。徹底的にだ。二度と、私たちに逆らわぬ様にな」
「承知いたしました」
私は激しい怒りに身を震わせたまま、足を進めてゆく。
そして、誰ともすれ違う事なく生徒会室まで来た私は、いつもの会長席に座ると、雰囲気だけで状況を察した将来の優秀な手足達に告げるのだった。
「私を本気で怒らせた愚か者がいる。情報を集めろ。手段は問わない」
どこのどいつか知らないが。
誰に手を出したのか、思い知らせてやる。
私は、燃え上がる様な怒りをそのままに、エリーを泣かせた憎き敵を頭の中で想像し、強く睨みつけるのだった。