第2話『ヒロイン様! 参☆上』
世の中には『適材適所』という言葉がある。
パン屋にはパンを作らせ、財政担当には財政に関わる仕事をさせるべきだ。
そして、国の未来を担う王太子には……それ相応の仕事をさせるべきである。
間違っても時季外れの編入生を迎えに行かせるなどさせるべきでは無いだろう。
「……時間の無駄だな」
「そう仰らないで下さいよ。殿下。こーんな広い学園なら案内する必要はあるでしょう?」
「ならば貴様がやれ。私がこの様な雑務を行う理由が分からん」
「そりゃ。貴族派閥の嫌がらせって奴ですよ。殿下を顎で使える機会は今しか無いですからね。ここぞとばかりに面倒な仕事を押し付けているんでしょう」
「チッ」
「はいはい。殿下。笑顔を忘れてますよ。せっかくお母上によく似た顔立ちでらっしゃるというのに、これでは悪魔の様だ。多くの貴族令嬢を惑わせた笑顔はどこに置いてきたのですか?」
「下らん」
「こりゃ駄目だ。相当に怒ってらっしゃる」
護衛の騎士として付き添っているデックの言葉に、私は足を止め、振り返りながら小さな声で怒りをぶつける。
「良いか? よく聞け。こんな仕事が無ければ今頃私はエリーと茶会をしていたんだぞ」
「分かってます。分かってますって」
「いいや、貴様は分かっていない。いかに私が今回の茶会を楽しみにしていたか……!」
「あ! 殿下! 殿下! 見て下さい。エリザベス嬢です。エリザベス嬢が門の所にいますよ」
「そんな事で私が騙されると思っているのか」
「いや、本当なんですって! 見て下さい! ほら、一瞬で良いですから」
私は必死に訴えるデックに舌打ちしたい気持ちを抑えながら振り返り、全ての不満が吹き飛ぶのを感じた。
エリーだ。
エリーが居る。
校門の所で何やら見知らぬ女生徒と話をしている様だった。
「んっ、んんっ! では行こうか? デック」
「急に笑顔が溢れたな。いつもながら気色が悪い」
「なんだ。デック。そんなに死刑を望んでいたのか? 言ってくれれば。明日にでも貴様の首を落としてやったのに」
「大変失礼いたしました! 殿下! 私は殿下に生涯忠誠を誓っております!」
「よろしい」
私はいつもの王子スマイルを顔に貼り付け、エリーの元へと向かった。
しかし、何やら様子がおかしい。
「何か言い争ってるみたいっスね。トラブルですかね」
「……の様だな。では相手方の女を連れていけ。罪はそうだな……まぁ、反逆罪かその辺りで良いだろう」
「いやいやいや。喧嘩か何かでしょ。いきなり私情丸出しの結論出すの止めて下さい」
「何を言っている。エリーに手を出しているんだぞ。この場で首を落とさぬだけ温情があると思え」
「エリザベス嬢が絡むとこれだもんなぁ……とにかく事情を聞きましょう。エリザベス嬢だってただ話してた相手が死刑とかになったら目覚めが悪いでしょ」
「当然エリーの知らぬ所で全てを終わらせるつもりだ」
「そういう話じゃ無いですよ。良いんですか? もし気づかれたら嫌われちゃいますよ。ほら。公正で公平な王子殿下。ちゃんと話を聞きに行きますよ」
「……まぁ、良いだろう。エリーが間違える訳が無いからな」
私はデックと共に、エリー達の元へ向かい事情を聞く事にした。
まぁ、無駄な行為だとは思うが。
「こんな公衆の場で何をやっている」
「っ! 殿下……!」
「アル様! アル様だ! 本物だ!」
「貴女! 先ほども言ったでしょう! 殿下をその様に馴れ馴れしく……!」
「良い。エリザベス嬢」
「っ! 申し訳ございません。出過ぎた真似をしました」
「いや、構わないとも」
まぁ、良いよ。
エリーが私の名を気安く呼ぶ女に怒るのは非常に良い。
そんな気持ちは多分無いだろうけど、嫉妬してるかもって思うと気分が良いから良い。
問題なし。
それに、無知で低俗な輩に対しても、平等に接する素晴らしい王子を演じる事が出来たのだ。
エリーの中での評価もさぞや上がっている事だろう。
よくやった。見知らぬ下賎な女。
何か褒美をやっても良いくらいだぞ。
「君は?」
「あ! あたし。マリアベルって言います!」
「マリアベル……?」
「はい! マリーって呼んでください」
嫌だよ。エリーと似た呼び方するのは、嫌だよ。
というか、名前だけじゃなくて家名を名乗れよ。家名を。
頭平民か?
「殿下。こちらの方はマリアベル・フロマージュ男爵令嬢です」
「ふむ。フロマージュ男爵令嬢か」
「はい」
「ちょっとー! 変な事言わないでよー! せっかくアル様にマリーって呼んでもらえる所だったのにー!」
呼ぶワケ無いだろ。
「その様な呼び方をする訳が無いでしょう」
はい! その通り!
エリーが正しい。
エリーはいつも正しい。
「な、何よ。私はヒロインなんだからね。そうやって怖い顔してるのも、今の内なんだからっ!」
「……ロマンス小説を読むのは個人の自由ですが、それを現実の事だと思い込むのは危険ですよ」
「そうやって自分が正しいと思い込んでいれば良いよ! アル様は貴女の事を面倒でうるさい女って思ってるんだからっ!」
「なっ、わ、わたくしは……」
「ほら! 何も言い返せないんでしょ? 情報通りじゃない!」
この女……今この場で首を落としてやろうか……!
「……殿下、殿下」
「分かっている……!」
私が怒りを殺意に変えようとした瞬間、背後に立っていたデックに忠告され、私は感情を抑える。
何とか溢れそうな怒りを扉の向こうに押し込むのだった。
「言い争いは止め、貴族としての立場を考えろ」
「怒られてやんのー! 貴族様のくせにー!」
お前に言ってるんだがな。お前に。
「……っ、申し訳ございません。殿下、フロマージュさん」
「いいよ! 許してあげる!」
いや、君はいったい何様なの?
ここに居るのは王太子と侯爵令嬢ですけど。
あなたはただの男爵令嬢だったと記憶してるんですけど。
別に今の身分を誇って傲慢になる気は無いが、社会の構成くらいは意識しろよと思ってしまうな。
私は!
しかし、ここでエリーを庇い、この男爵令嬢を追いやれば必要のない波紋を作る事になるし。
そうなればせっかく手に入れたエリーの婚約者という立場が失われるかもしれん。
今は飲み込め。飲み込むのだ……!
完璧なる王子! アルフレッド!
「まぁ良い。私はこれからフロマージュ嬢を案内しなくてはならん」
「お願いしまーす」
「……エリザベス嬢はどうする?」
「えぇ!? 二人っきりじゃないのー?」
「私は、ご遠慮させていただきます」
「そうか」
「うんうん。やっぱり愛し合う運命の二人なんだから、こうならないとねー! さ、アル様。一緒に行きましょ?」
「……あぁ」
擦り寄ってくるフロマージュ嬢に苛立ち、どこか寂し気な瞳でこの場を去って行くエリーの背中を見送りながら、私は生まれて初めてこの身が王太子である事を憎んだ。
ただの男と女であれば、今すぐエリーを抱きしめて愛を囁けたというのに。
周囲から向けられる目が、私に王太子として姿を、そしてエリーに侯爵令嬢としての姿を押し付けていた。
「デート! デート! アル様とデート!」
能天気に笑いながらスキップしているフロマージュ嬢を見ると、一周回って羨ましさすら覚えてくる。
この様に、何も考えず、頭の中にパン生地でも詰めて置ければ幸せだったかもしれないと。
「ままならないな」
「うん? アル様、何か悩み事があるの?」
「まぁ、な」
主に君のせいだが。
「ふふん。それなら心配は要らないですよ! 私が居ますから! そう! 私こそ、運命に選ばれた聖女なのです!」
「そうか。それは頼もしいな」
「はい!」
満面の笑みで自信満々に頷くフロマージュ嬢を見て、こんな風に頭空っぽで生きられたらどれほど楽だっただろうかと私は天を仰ぐのだった。