⑨ブレイダスの戦い -前線崩壊-
「ザルーネ卿! ご無事ですか?」
前線に向かう途中、デルは部下達の肩を借りて立っていた紅虎騎士団のザルーネを見つけ、思わず声をかけた。
『氷炎』の二つ名をもつ屈強な体の彼は、真紅の鎧が半壊し、剥き出しになった肌からは血が止まらずに流れ続けていた。
「デル殿か。悪いがこの様だ………僅かな隙を突かれた敵の攻勢に対応できなかった………だが77柱を名乗っていた牛頭の首は刎ねておいたぜ」
そして前線の先を悔しそうに見つめる。
「………あの若造め。大人しく後ろで偉そうにふんぞり返っていればいいものを」
「ベルフォールが通って行ったのですね?」
デルの問いに、ザルーネは険しい顔で無言のまま頷いた。
前線で戦っている騎士団の後ろから、騎馬隊が無理矢理通ろうとすればどうなるか。少しでも部隊を指揮した事がある人間ならば、分かって然るべきである。
「ベルフォールの青二才が。奴は未だに奴らの事を、枝に付いた害虫程度にしか見えていないのだろうよ」
だが実際に木の枝に乗っているのは獣であった。虫を取り除こうと手で払おうとしたが最後、手首ごと食い千切られても可笑しくない相手である事をザルーネは昨日今日の戦いで気付いていた。
「ザルーネ卿。彼らは自分が連れ戻してきます。それと………大変屈辱と思われるかもしれませんが、一度騎士団を後退させてはくれませんか?」
装備を失った片腕から血を流し、ザルーネは片目を細めながら小さく頷く。
「………分かった。だが、後退は両翼同時にだ。伝令はこちらで出すから、デル殿は奴を追いかけてくれればいい。奴自身が死ぬのは構わないが、それ以外の騎士には死んで欲しくはないからな」
「………ご心配なく。一応、彼も連れて帰りますよ」
ザルーネを安心させようと、デルは苦笑しながら馬を走らせた。
だがその表情はすぐに変わる。
紅虎騎士団の団長が戦線を離脱した事で、その統率は長くは保たない。両翼の騎士団が後退するまでの短い間に白凰騎士団を呼び戻し、自分自身も後退しなければ敵中に孤立する事になる。
―――時間がない。
デルは手綱を弾き、馬の速度を上げていく。途中、白い鎧の騎士が蛮族と共に何人も倒れていたが、彼は歯をくいしばり先へと進む。
「見えた!」
思わず叫んだ。
デルの視線の先では、白凰騎士団の多くが倒れて白と赤の絨毯を作り、それでも戦い続けている光景が広がっていた。
そしてその先頭では、剣を構えるベルフォールと爪を上下に振りかざす狼の亜人、アモンが対峙していた。
「ベルフォール!」
デルは左肩のベルトから短剣を引き抜くと、馬を走らせながらそれを横へ滑らせるように放つ。デルの手から離れた短剣は空気を切って直進し、ベルフォールの右肩の上を通り過ぎていく。
アモンは突然飛んできた短剣に反応せざるを得ず、ベルフォール目がけて振り下ろしていた右手を、短剣を打ち払う事に切り替えた。




