⑦黒い液体
部屋に戻されたカエデは、窓から見える光景を無意識に近い思考で眺めていた。
「どうしたらいいのかな」
蛮族の目的が分からない。
彼らと話す前は、蛮族がかつて昔に滅ぼしたカデリア王国の所有権を求めて攻めて来たという認識だったが、そういった話は全くあの姉妹の口からは出なかった。
窓の下ではオークやゴブリンが大通りを行き交い、荷物を運び、何かしらの仕事に従事している。商売こそ行っていないが、まるで自分が魔物の街に飛び込んだかのような錯覚に陥りそうだった。
いや実際に陥りかけている。カエデは、彼女達と食事をし、何気ない会話まで済ませていた事に、今になってようやく身震いが始まっていた。
立っていても仕方なく、考えてもすべき事が見つからず、逃げる事も出来ない。カエデはベッドに倒れ込むと、拗ねるように体を丸めた。
カエデが天井を見つめていると、次第に空気が冷えてきた事に気付く。
だが、太陽は昇り始めたばかり。雲もなく、日差しが窓から入ってきている。そのような状況で、空気が冷える訳がない。カエデは急いで体を起こした。
「………しまった、今日だったか」
カエデが額をぴしゃりと手の平で叩き、急ぎベッドから立ち上がる。
二階だというのに、床の木目から黒い何かが漏れだし始めた。カエデの三歩前の床の隙間から黒い霧のようなものが染み出し、やがて浮き出し、やがて霧は液体のように流動的に変化する。
そして黒い水溜りが完成する。
窓が閉まっているにもかかわらず、水溜りの表面が揺らいでいるが、広がる事はない。計算されたかのような美しい円を描き、カエデの前で待っていた。
カエデは息を飲み、口を堅く閉じると腰を落とし、右足の靴底から中敷きを剥がし、指を入れる。そして指を引くと、一枚の金貨が挟まっていた。
「良かった………まだ残ってた」
カエデは金貨を摘まみ直し、それを黒い水溜りの上に落とす。
金貨はまるで深い海に落ちるかのように低い音を立て、水たまりの中へと沈んでいった。
「今日はこれだけだよ」
カエデが小さく呟く。
黒い水溜りはカエデの声に反応したのか、時間を戻すように床の木目に戻っていく。
そして最後に残った僅かな黒い液体は虫が這うように曲線を描き始める。
―――897。
それは三桁の数字だった。
「時間がないよ………兄貴」
to be continued 第五部 人形の紐は誰の手に に続く




