003 お姫様の意図
なんで片桐さんが側にいるのだろうか。
そこで昨日のことを思い出す。
彼女の差し出す手を掴んでしまい、誘われて彼女の住むタワーマンションへ行ったんだ。
フラフラと女の子の家に入って、風呂で雨で濡れた体を温めて……そこから覚えていない。
「相当に迷惑をかけてしまったんだな。ごめん」
「風呂上がってすぐに意識が朦朧としていましたからね。相当疲れていたんだと思います」
「マジかよ。世話かけっぱなしだ。すぐ帰るから。うっ!」
立ちあがろうとしてすぐ目眩がしてしまう。
熱はないはずだ。なのに何で。
「夜ご飯食べてないからじゃないでしょうか」
「確かに……ついでに言えば葬式の準備でまる二日まともに食べてないかも」
「死んじゃいますよ!」
片桐さんははぁっと息を吐いた。
「朝ごはんできてるのでしっかり食べてください」
申し訳ないけどまた倒れるわけにはいかない。食べさせてもらおう。
そして……昨日の件の続きを話さないとな。
起きた後は片桐さんが作ってくれた朝食を口にする。
炊きたてのご飯に味噌汁、焼き鮭に彩りのあるサラダ、目玉焼きと和食の朝食フルコースであった。
金髪碧眼の片桐さんが作るにはちょっと合わない感じもあるが……単純に滅茶苦茶美味い。
「腹減ってるのもあるけどめちゃくちゃ美味い。片桐さんって料理上手なんだな。びっくりだよ」
「ふふっ、そう言われると悪い気はしませんね」
「美味しいものを美味しいと言うのが家訓だから」
申し訳ないと思いつつもおかわりまでしてしまった。
でも片桐さんは微笑みながらも嫌みも言わずそれを受け入れてくれる。
ある程度腹も満たせたし……昨日のことを聞いてみないとな。
「昨日と今日はお世話になったよ。この借りは絶対に返す。約束する」
「じゃあさっそく借りを返してもらってもいいでしょうか。昨日は詳しい話もできなかったわけですし」
出まかせのつもりはなかったがいきなりの要求に戸惑う。
名家の令嬢が俺に何の要求をするのだろう。そういえば昨日の雨の下で彼女はいったい何て言った。そうだ。
「葛西くん、私と家族になってくれませんか」
そうだ。そんなセリフを吐かれたんだ。
戸惑っていると片桐さんは暖かいお茶の入った湯呑みに手をかける。落ち着いて話をしようってことだろうか。
「私の家庭事情を話す必要がありますね」
片桐さんは広すぎるリビングを一望する。
そういえば片桐さん以外を見ていないな。まだ朝の7時だし、家族がいる時間のはずだけど。
「私、一人暮らしをしているんです。この家に中学入ってからずっと……」
「この広いタワマンに一人!?」
驚いたがそれは納得できるものであった。
これだけ広く大きなテレビや大きなソファがあるのにたくさんの人が住んでいる感じがまったくないのだ。
それに家族と住んでいるなら男の俺を家に連れ込んだりしないだろう。
「君は片桐家の令嬢じゃないのか?」
「そうですよ。幕末から続く、名家の片桐家の血を引いています。でもそんな古い家の出身のくせにこの髪色と瞳色で疑問に思ったことはないですか?」
「それは……」
「高校生なら私の出生がどういうものか何となく分かるでしょう」
正当なものであればおかしくないのかもしれないが、その言い方を思うならきっと片桐さんは理想的な生まれ方ではなかったのだろう。
漫画とかでよく見る婚外子。そんな所だろうか。
中学から一人暮らしということは半ば家から追い出されたという形なのかもしれない。
「小さい頃から片桐家の本家の離れで暮らしていました。全部血の繋がった兄弟はおらず、両親とも話した回数は数えるほどしかありません。だから……私は家族の愛というものが分からないんです。ずっと一人で疎まれて生きてきたのですから」
俺は何て勘違いをしていたんだ。
名家に生まれて、容姿も何もかもが恵まれてきた彼女を勝手に幸せだと思い込んでしまっていた。
彼女は俺よりもきつい暮らしだったというのにあんな暴言を吐いてしまうだなんて……。
「失礼ながら葛西くんの話を聞いて思いました。私だったら……絶対にその愛を受け止めるのにって!」
片桐さんは胸を押さえて訴えるように言葉を放つ。
彼女が望んで止まなかったものを俺は自分の家族に放ち続けていた。決して受けいれられることのないそれを望んでいたのだ。
「だから家族になろうって言ったのか」
それなら理解できなくもない。
それでも突拍子のない話である。もし逆の立場だったら俺は彼女にそんな提案できただろうか。
「俺じゃなくても良かったってことか」
「そういうわけではないですよ」
ポツリと呟いた言葉を片桐さんは拾って見せた。
「葛西くんは先生から評判が良いですし、女子からも悪い噂を聞いたことがなかったので良い人なんだろうなと思っていました」
「全然知らなかった」
「放課後すぐに帰ってましたからね。部活でもない何かを校外でやってるのかなって噂になってましたよ」
介護の発想にはきっとならないんだろうな。
日中はホームヘルパーの人に頼むことが多かったけど、なるべく早く帰る必要があったからすぐに家に帰ってた。
晩メシを作らなきゃいけなかったし。
「何より私に好意を持っていないのが大きいです。私が求めているのはあくまで家族愛なので」
学園のお姫様だったら彼氏を作ればすぐに家族なんてできるんじゃと思ったけど……求めてるのはそれじゃないってことか。
それなら良かった。片桐さんのことは可愛いとは思うけど、それ以上の感情は無い。
正直そんな浮ついた気持ちになるほど余裕なんてなかった。
「飛び出してきたってことは家に帰りたくないんですよね?」
「それはまぁ」
「さっきの借りを返すお話を合わせて」
片桐さんは声色を少し変化させた。
「葛西くんに家出先としてここを提供します。部屋も余ってますし、スペアキーもあります。生活費も私が出します。本家から生活費を嫌みなくらいもらってるので一人くらい問題ありません」
「俺が借りを返す立場なんだが!? 君に見返りがなさ過ぎるだろ」
「私は家族を知りません。だから葛西くんが家族愛を私に教えてください。それが見返りです」
家族愛を教えること自体は構わないけどさすがに俺にメリットがありすぎではないだろうか。
「君なら探せば家族愛を与えてくれる人がいそうだけど」
「そんな簡単なものではないと思いますよ」
「そうかぁ?」
「私は両親、兄弟が揃っているお家は皆、仲良しだと思い込んでいました。私が求めていたものを持っていたとしても……必ずしも幸せになるとは限らないってわかったので」
そうだ。それが俺だ。今朝、俺がうなされてるのを見て片桐さんは様々な家族の形を知ったのかもしれない。
現状、正直願ったり叶ったりだ。家出同然で出てきて行き場を失った状態で迎えてくれた。これほどラッキーなことはないだろう。
だがそれに甘えるのは違うと思う。
「では今日一日家族らしく過ごしましょう。そして夜、このままここで過ごすか立ち去るか決めればいいんじゃないでしょうか」
そう言ってくれるとすごく助かる。今日しっかりと借りを返して立ち去ろう。これ以上迷惑をかけるわけにはいかない。
「それで家族としてお願いがあるんですけど」
片桐さんは少し言いづらそうに声を細めて聞いてくる。
やっぱり別のお願いがあったんじゃないか。でもこれだけ破格の条件なんだ。一泊させてもらっただけでも大きい。
なるべく願いは叶えてあげたいと思う。
「葛西くん、今日誕生日なんですよね」
「え? あ……ああ」
出会った時、そんなことを言ってしまった気がする。
考えていたことと違う展開にびっくりした。力仕事関係だと勝手に思ってたわ。
「誕生日のお祝いをしたいと思います。どうでしょう?」
「……マジ?」