お金は欲しいが、いきなり大金を渡されても結構困る
第十一層の安全地帯で仮眠をとった俺たちが異界を出たのは、翌日の昼過ぎだった。
「時間感覚が狂うのは致命的だなマジで」
「携帯時計は必須だね。でもあれ高いからなー」
「今回の稼ぎはまずイノリの防具に消えるの確定だからな……あと武器幾つか」
そういえば、と俺は横を歩くイノリを見た。
「お前、あの時変な動きしてたよな。あれも魔法か?」
「ん? あ、ああ、アレのこと?」
イノリは周囲を見回して、少し声を落とした。
「後でね。人が多いところじゃ話しづらい」
「おう、わかった」
まあ、切り札的なものなんだろうことは容易に想像がつく。俺だって最後のアレは切り札だし、できれば使いたくないものだ。
「本命は昇級だけど、金も欲しいなあ」
「だねー」
なんて話をしながら二人揃って冒険者ギルドに入った。
◆◆◆
「全部合わせて28万3000ガロですね!」
「「何事!?!!?」」
二人揃ってカウンターに両手を叩きつけ受付の女性に詰め寄った。
「後、お二人はこれから昇級会議にかけられます。結果は3日後にはわかると思いますのでお待ちくださいね。次のお方どうぞー!」
あしらわれてしまった俺たち二人は、なんかとても重くなった財布を持ってギルドの隅に無言で移動した。
「…………」
「…………」
「…………」
「…………」
二人揃って、暫く放心していた。
◆◆◆
「なんか、俺たち話題になってたな」
「なってたねー」
なんとか正気を取り戻した俺たちは、逃げ帰るように宿へ入り、人のいない一階食堂でとても重くなった財布を前に大きなため息をついた。
新人なぶりのパーティーをボコった。変異個体をたった二人で討伐した。石心臓は所謂希少遺留物で高値で買い取って貰えた。
要約:俺たちの注目度は鰻登りだった。
激動すぎてガーゴイル戦並みに疲れたと項垂れる俺たちに、女将が1日ぶりのまともな食事を運んできてくれた。
「全く呆れたもんだよ! 銅級がたった二人で危険度4に挑むなんて命知らずもいいとこじゃないか!」
昨日俺たちが帰ってこなかったことを心配してくれていた女将は事の次第を聞いて呆れ返っていた。
「それで生きて帰ってきて、あまつさえ討伐してるってんだからあたしゃ呆れ果てたよ! 特に坊主! あんた冒険者3日目だろう!? 全く蛮勇にも程がある! あとイノリも! 一ヶ月慎重に進んでたと思ったらこれだよ!」
「ぐうの音も出ねえ」
「反省はしてます。後悔はしてません!」
「全く命知らずだよほんと……生きてて何よりだ」
女将は俺たちの頭に手を置き、強引にぐしぐしと撫で回した。
「心配かけました」
「ほんとだよ! ほらたんとお食べ! どうせ腹を空かせてるんだろう!?」
「「いただきまーす!」」
女将の温かい言葉に迎えられ、俺たちは温かい食事に齧り付いた。
◆◆◆
食後、俺たちは部屋に集まり今後の計画を練っていた。
「結局のところ、イノリが昇級出来るかできないかで決まるんだよな」
「だね。私が銀五級になれたら穿孔度4に潜れるようになる」
「ああ。行き先はリズベンドかフォーラルの二択だな」
小世界リズベンドは、アルダートの北に位置するアルダートと同規模の世界だ。ここには穿孔度2と3の異界が一つずつ存在する。
対するフォーラルはこれまたアルダートの北東〜東部に位置する小世界だが、アルダート、リズベンドより一回りほど世界の規模が大きい。そして、ここには穿孔度4の異界が存在する。
「順調にステップアップできるのが理想だけど、昇級できなかった場合はリズベンドを経由して異界を踏破。文句なしの実績を作り上げてフォーラルに殴り込みだな」
「だね。昇級発表まで3日くらいあるらしいけど、明日はどうする? 武器防具揃えちゃう?」
「そーだな……」
言われて、俺はイノリの全身を頭のてっぺんからつま先まで観察する。
「……あんまりジロジロ見ないで」
「すまん」
少し顔を赤らめたイノリは「もう」と頬を膨らませた。
「まず、お前の胸当ては明日絶対に買おう。というか、なんなら防具は一新してもいい」
俺の防具は、倉庫から引っ張り出された物とはいえれっきとした騎士団の装備だ。弱小世界ではあるが、流石に駆け出し冒険者の装備よりは上質である。
が、対するイノリの防具類は使い古され、留金なんかは無理やり魔法で溶接した痕すら窺える。
「死んだら元も子もないからな。買えるものは買っておこう」
「いいの? せっかくのお金、私のものばかりに使って」
「当たり前だろ、パーティーなんだから。お前の命はもう、俺にとっちゃ自分の命と同等に重いんだよ」
二人で駆け上がる、そう決めたのだから脱落してもらっては困るのだ。
そう言い切った俺を暫くじっと見つめたイノリは不器用に笑った。
「わかった。エトくんが言うなら。武器の方はどうする?」
「それが悩みどころなんだよなー」
ブラッディ・ガーゴイル戦で、手数……選択肢の多さは戦略を大きく広げることを実感した。ハンマーの一つでも持っていたらもっと楽に防御を崩せていただろうことを思うと、少なくとも今あるエストック以外にも数種類武器は用意したい。
「せっかく紅蓮から貰った虚空ポケットがあるからなー」
重量とある程度の大きさを無視して運べる巾着サイズの魔道具。多分店売りしたら数百、数千……下手したら億単位の額が動くであろう超高級品だ。全冒険者垂涎の逸品である。
もうこれ売って隠居したいとすら思える。やらないけど。
「あの人、本当に躊躇いなく渡したんだね」
「ゴミ入ってたけどな」
驚いたことに、お節介吸血鬼こと紅蓮とイノリは顔見知りだった。
初日の俺のように無茶をやらかそうとしたイノリを止めに現れたらしく、以降、粘着気味ながらも気をかけてくれていたそうだ。
そしてその際、紅蓮はイノリに『俺がアンタに相応しいパートナーを見つけてやるよ。良いのがいたら、この袋を渡すから声かけてみろ』と言ってあったらしい。
「あのお節介野郎め……結果色々助かってるから文句言いづれえ」
銀一級は伊達ではないということだろうか。知らんけど。
「イノリはどう思う? 武器の方は」
「そうだね。私は、ひとまず後回しでいいと思う」
「その心は?」
「武器を買うのは戦略の幅を広げるためでしょ? だったら、世界を渡った後に現地で情報を集めてから買っても遅くないと思う」
全くもって正論であり、俺も文句はなかった。
「よし、それで行こう。……で、昨日使ってた“アレ”のことなんだが」
「……うん。ちゃんと話すよ」
一気に。
俺とイノリの真剣味が増した。
「あれは『時間魔法』。普通の魔法体系からは外れた、所謂稀少魔法だよ」
◆◆◆
そもそも、魔法とは何か。
簡単に説明すれば、魔力を用いて世界の摂理・法則を塗り替えるのが魔法である。
例えば、炎の槍。
炎が生まれる過程を無視し、炎が本来持たない質量を与え、本来あり得ない形状変化を引き起こす。
これら全てを可能にするのが魔法だ。万能は流石に言い過ぎだが、そう錯覚させてしまうほどの力を魔法は有する。
限りなく万能に近い魔法だが、しかし、万人が万全に使えるわけではない。
魔力の扱いは才能に大きく左右されるし、使える魔法も体質により大きく異なる。
全ての魔法を十全に使える者は存在しない。
そして、種々様々な魔法の中で、特に使い手が少ない魔法のことを『稀少魔法』と呼ぶ。
◆◆◆
「時間魔法……実物を見るのは初めてだ」
道理で、人通りの多い外で話すのを憚ったわけである。
稀少魔法は使い手が少なく、またいずれの魔法も強力なものが多いことから嫉妬の対象になることが多く、また最悪の場合は実験動物にされるケースもあると聞く。
「昨日使ったのは、『単一加速』っていう、世界の時間から私を切り離して、私の時間だけを早める魔法」
「…………いや、滅茶苦茶すぎるだろ」
冗談みたいな魔法効果に、俺は思わず頬を引き攣らせた。
「なんだその出鱈目みたいな力」
魔法の出鱈目さは王立学園にいた頃から日々痛感していたが、イノリの『時間魔法』は群を抜いてヤバい。
「一度使うだけでごっそり魔力と体力を持ってかれちゃうから、そこまで万能ってわけじゃないよ」
イノリは謙遜しているが、逆にいえばそれ以外のデメリットがないと言っているも同然だ。
「なるほどな……そりゃ隠すわけだ」
そして、これを俺に打ち明けたというのは、つまりはそう言うことだった。
「秘密の共有か。これで本当に一蓮托生になったわけだ」
「エトくんの切り札、まだ教えてもらってないなー」
「うぐっ……」
じとー、とイノリに半眼を向けられ、俺は思わず目を逸らした。
「俺のは……まだ、秘密だ」
「えー?」
断固として口を閉ざした俺の頬を「いー」と引っ張るイノリに、俺は涙を流しながら懇願した。
「頼む! 俺の尊厳を守らせてくれ……!」
「そこまで……?」
「できれば使いたくない! アレを使わずに一生を過ごしたかった……!」
「ほ、本気で嫌がってる……」
19にもなる男が歳下の女の子に泣き縋るというあまりにも情けない行動だったが、それがどうした。
俺はこの力を……“叙事詩”を使うくらいなら舌を噛み切って死を選ぶ!!
「わ、わかった。わかったから離れて!」
「……よし! 泣き落とし成功!」
ぶん殴られた。
「ぶん殴るよ?」
「殴る前に言って欲しかった」
イノリの拳を顔面にめり込ませたまま両手を上げて降参を示し、俺は昇級の可否がわかる3日後までのスケジュールを提案した。
「とりあえず今日は休んで、明日朝イチで防具を見繕いに行こう。あと買わなくても武器も種類とか特性は調べて損はないと思うんだが、どう思う?」
「うん。異論なし!」
「なら、今日は湯浴みしてさっさと休もう」
「おー!」
なんだかんだ碌に眠れていないから、体にはそれなりに疲労が溜まっている。イノリなんか、作戦会議中に何度も欠伸をしていた。
「湯船が恋しいなー」
なんてことを呟きながらフラフラと湯浴み場へ向かっていったイノリの背を目で追う。
「アイツ、結構いいところの出のお嬢様だったりするのかな」
詮索は野暮である。いつかもっと深い話をできるようになったら、その時にでも聞くとしよう。
「——ああそうだ、エトくん」
などと考えていたら、伝え忘れていたことでもあったらしく、イノリが踵を返して戻ってきた。
「どうした?」
「今日から節約のために宿は一部屋しか取ってないから、ベッド占領しないでね! それだけ! 湯浴み行ってくるねー!」
「…………………………………………」
一人部屋に残された俺は椅子に腰掛け、足を組み、肘をつき、口元に手を当て熟考の姿勢に入った。
「つまり…………どういうことなんだ?」
A.同衾。
「……とりあえず、身体しっかり洗っとくか」