覚悟
虚空ポケットの中身
・携帯食2日分
・魔石×58
・コボルトの牙×1
・洞窟ムカデの甲殻×2
・紅蓮の食べ残しハンバーガー
「アイツとんでもねえもの入れてやがんな!」
食べかけのハンバーガーをイノリの背後に迫っていたスモールバットにぶつけ撃墜する。
本題の荷物だが、ぶっちゃけ心許ない。
「うん。いけるね!」
が、イノリは確信を持って頷いた。
「赤土の砦は内部構造が変化しない異界だから、私とエトくんの速度なら十分踏破できるよ!」
「待て待て落ち着け!」
起き上がってきたスモールバットを踏みつけて——あ、遺留物落ちた——既に異界主を討伐する気満々のイノリを宥める。
「二人でやる気か?」
「うん。ここの異界主は“ガーゴイル”。翼を持った異形の石像。危険度3の個体」
危険度3は、ギルドの参考情報によれば銅二級の冒険者が3人で倒せるとされる。
俺は銅三級、イノリは銅一級。不可能ではないが——紅蓮の言葉が脳裏を過ぎる。
異界は生き物であり、それそのものが俺たちを殺しにくると。
「さっき見て確信した。エトくんと私……ううん。エトくんの剣だけでも十分、ガーゴイルを倒し切れる」
そうなのかもしれない。
だが、俺はイノリの説得に否定的だった。
——死にたくない。
——危険を冒したくない。
——ぬるま湯に浸って、一生を平凡なままで終えたい。
俺の根本なんてこんなものだ。激動の時代は、王立学園での四年間の青春だけで十分だ。
「落ち着けイノリ。言ったろ? 俺には他にも仲間がいる。そいつらの合流を待って——」
言いかけて、止まる。
黒水晶の瞳が、まるで値踏みするように俺の全身像を捉える中。
俺の脳裏に、青春の時間が語りかけてきた。
——『……この世界を、頼んだよ。親友。あの丘に……僕は先に行く。……また、逢おう』
……悠長にしている時間は、もう、あまりない。
リステルは、弱小ゆえに他世界から見向きもされず今日まで生き延びてきた。
しかし、“財政難”という明確な「内部の危機」が迫っている。
戦争の復興支援、死亡した騎士の遺族への弔慰金。
探索省は領分を超えた無理な探索により壊滅。頼みの綱は……ああ、そうだ。俺が託された。
「……いや、倒そう。俺たち二人で」
黒水晶の瞳を見返す。
イノリの瞳の中にいる俺の表情は、覚悟を決めていた。
「……いいんですか?」
敢えての敬語。
ここで、二人で進めば。俺たちは、この先も過酷な道を選び続ける。
ここが、分岐点だ。
「俺は、俺の世界を……リステルを救う」
俺は、躊躇いなく一線を踏み越えた。
リステルの存続を唯一確定させる方法。
俺という人間を売り出し、リステルを人質にする。
「まだ、覚悟が甘かった」
世界の消滅は、その世界出身の人間を例外なく巻き込む。
だから俺は、大世界以上のいずれかの世界に、「リステルを守ってでも確保したい人材」だと認めさせなくてはならない。
ぬるま湯に浸りながらでは、弱い。
過酷な道を進んで、名を、力を。示さなくてはならない。
「エトラヴァルト・ルベリオ」の名を、遍く世界に知らしめるのだ。
「……やろう、イノリ。俺も、覚悟が決まった」
「わかった。やろう、エトくん!」
◆◆◆
——異界・赤土の砦、第六層。
その日、銅二級冒険者のザック率いる4人パーティーは、危険度2に分類されるコボルト・リーダー率いるコボルトの群れにリベンジを果たし、意気揚々と帰り道を歩んでいた。
冒険者になってから二ヶ月。
最初は皆、コボルト1匹倒すのに四苦八苦していた。何度も冒険者を辞めようと思った。それでも互いに励まし合いここまできた。
二週間前に敗走を余儀なくされた相手。
当然別個体だろうが、構成が同じ相手に勝利できたというのは4人の大きな自信に繋がっていた。
——だが、それを二度も超えろと言われたら話が別だ。
「ザック! どうする!?」
「どうもこうもねえ! 隙見て逃げ出すしかないだろ! 装備がもうボロボロだ! 戦えねえよこんな状態じゃ!」
メンバーの悲鳴じみた必死の訴えに、ザックはコボルト・リーダーの斧を盾で受け止め叫んだ。
「なんとか1匹倒して連携を崩すぞ!」
「「「おう!」」」
身長1m未満と侮ることなかれ。
4〜5歳の子供でも、凶器を持てば簡単に人を殺めることができる。加えて、コボルトたち魔物は異界から魔力を供給されている。膂力だけなら、15歳前後の子供に引けを取らない。
そんな奴らが徒党を組んで、あまつさえ連携をしてくる。
教練を積んでき戦士ならまだしも、独学で戦いを学ぶしかない万年金欠の冒険者たちにとって、複数の敵を相手取るのは非常に難易度が高い。
ジリジリと、ザックたちのパーティーは押されていく。
疲労による判断ミス。さらに、成功体験を無意識になぞろうとする成功直後特有の悪癖が劣勢に働いた。
盾が削れ、間も無く壊れる——近づく死の足音に、ザックは心臓を悪魔に鷲掴みにされたような恐怖を感じた。
「——全員伏せてくれ!」
咄嗟に反応できたのは、声が持つ強い“説得力”ゆえに。
ザックたちが伏せた直後、轟、と風を切って何かが横切った。
「邪魔したな!」
「その魔石はあげるよ!」
そして、男女一組の声と足音が嵐のように過ぎ去って行った。
「な、なんだったんだ……?」
ビクビクしながら、ザックたちは顔を上げた。
「な、なあ……これ」
そして、綺麗に首と胴を泣き別れさせられたコボルトたちの肉体を見た。肉体は間も無く塵に消え、魔石と、遺留物の牙ひとつだけが残された。
「俺、見たんだ」
一人のパーティーメンバーが、唖然とした表情で言った。
「細長い剣が一振りでコボルトたちを全部切っちまった。それに……多分、あの銀の髪。『弱小世界』の奴だ」
『…………』
一堂は、その結果である魔石を見て押し黙ることしかできなかった。
「とりあえず、拾って帰ろう」
その日のザックたちの稼ぎは冒険者を始めてから最も多く、普段より少し豪華な食事と新しい装備を得た彼らは、装いを新たに翌日から探索に励むこととなる。
◆◆◆
——異界・赤土の砦、第十一層。
立ち塞がる魔物を斬り伏せ、蹴り飛ばし、殴り潰し、俺たちは止まることなくひたすらに目的地である第十六層を目指してひた走っていた。
地上は昼を回った頃だろうか。
「少し休もう」
俺の言葉に頷いたイノリは自身にかけていた魔法を解除し、「ふう」と一息ついた。
「凄いね、エトくん。魔法使わずに私より速いなんて」
「使わないってか、使えないだけだけどな」
虚空ポケットから出した水を喉に流し込んだイノリは、不思議そうに俺の身体を眺める。
「魔力がない人なんて初めて見たよ」
「俺も、俺以外に見たことない」
魔力とは、生命であれば誰しもが持つ力の源だ。
俺は、その魔力を「一切」持っていない。
弱小世界として名高いリステルであっても、魔力を持たない者なんて俺以外にはいなかった。
「まあ、正確に言えば『魔力がない』ってわけじゃないんだけどな」
「そうなの?」
「“器”がとあるものに占領されてんだ。だから魔力が入り込む余白がない」
「それ、大丈夫なの?」
訝しむイノリに、肩をすくめて笑ってみせる。
「大丈夫だ。害はないし、俺の切り札だからな。そのうち見せるよ」
「じゃあ楽しみにしてる。進も!」
「だな。こっからはノンストップだ。道案内頼むぞ」
異界内の地形を全て頭に叩き込んでいるらしいイノリの誘導に従って、俺たちは再び高速の行軍を再開した。
◆◆◆
——異界・赤土の砦、第十六層。
そこは、今までの格子状の迷路じみた地形から打って変わって、広い円形の地下空洞だった。
魔物の姿は、中心に座す石像以外にない。
異界の最深部——“異界主”が座す間。
異界主とは、その異界が生み出す異界の心臓である。
異界主は、他の魔物とは違い、その異界に一体しか存在せず、一度討伐すれば再出現に約一週間のインターバルを要する。
その分、他の魔物とは一線を画す強さを誇る。
「ガーゴイルで間違いないな。でも……」
「うん。赤いね」
翼持つ異形の石像であるガーゴイルは、本来黒と灰色の中間のような色合いだ。
だが、俺たちの目の前にいるのは、赤茶けた……まるでこの「赤土の砦」を象徴するような肌の色をしている。
「これは……ハズレを引いちゃったね」
「何言ってんだ。俺たちにとっちゃ大当たりだろ」
獰猛に笑う俺の横顔を暫し見つめたイノリは、同じく笑う。
「……だね。アイツを倒せば、少なくともエトくんの銅一級は堅い。私も、もしかしたら銀五級に手が届くかもしれない」
稀に。
ごく稀に、異界は穿孔度に見合わない魔物を産み出す。
突発的かつ予測不能なそれはイレギュラーと恐れられ、冒険者たちからは忌み嫌われている異界の特異現象である。
だが、絶賛功名心に駆られている俺たち二人にとっては絶好の機会だ。
「行くぞ!」
「うん!」
エストックと一対の短刀を互いに抜き放ち、臆せず中央に座す赤いガーゴイル……個体危険度4、「ブラッディ・ガーゴイル」へと真正面から踏み出した。
異界主が動き出す。
赤黒く、爛々と目が光り、全身を覆うほどの大きさを誇る一対の翼が威圧するように広げられる。
同時に、黒板を爪で引っ掻いたような耳障りな絶叫が俺たちの鼓膜に突き刺さる。
『ギギギュギ……ギィイイイイイイイイィイイイイイイィイイイイ!!!』
——異界主・変異個体。ブラッディ・ガーゴイルとの戦いが始まった。