狂信、そして遭遇
この星のどこかで、誰かが願った。
あまねく人生の保存を。後世に届く勇姿の記録を。
この星のどこかで、誰かが願った。
世を侵す荒波の封印を。遥かな未来での再会を。
この星のどこかで、誰かが願った。
支配からの解放を。虐げられることのない明日を。
この星のどこかで、誰かが願った。
不可能の打破を。差別なき世界を。
この星のどこかで、誰かが願った。
天敵の撲滅を。降りしきる絶望の終焉を。
この星のどこかで、誰かが願った。
侵攻の迎撃を。閉ざされた地の安寧を。
この星のどこかで、誰かが願った。
同胞の勝利を。流れた血が意味を持つことを。
——物語は、誰かの願いの先にある。
壮大で、ドラマチックな物語も。ちっぽけで、些細な物語も。
全ては等しく、誰かの願いを根底に生まれるのだ。
ゆえに、朝日を。
解放の剣が、鎖を断ち切るその瞬間を。
——この星のどこかで、今日も、誰かが願っている。
◆◆◆
「……つまり、他世界の動向を待ってたら《終末挽歌》の思惑通りに事が運んじゃうから、敵同士だけど手を組んで先に動こう……ってことね?」
「あってる。さすが師匠、頭の回転が速いな」
「当然よ! なんたってあなたの師匠なんだからね!」
俺たちの紆余曲折を簡潔にまとめた師匠が鼻高々とドヤ顔をした。
「でも、こんなイロモノメンバーで動いたら嫌でも目立つわよ? その辺どうするの?」
紅蓮が虚門を開いた先は、明らかに私怨が混じってるとしか思えない砂漠のど真ん中。
ストラの結界に横殴りの砂塵と熱気を防いでもらいながら、師匠は改めて俺たちの顔を順繰りに眺めた。
「エト、イノリ、ストラ、シンシアちゃん……100歩譲って〈片天秤〉は大丈夫として」
すごく私怨がありそうな妥協が見えたな。
「私とそこの盟主はどうしたって目立つわよ? あとごめん、知名度って意味ならエトとシンシアちゃんも目立つわねすんごいタイムリーだし。これ、四人並んで歩いてたら調査どころじゃなくなるけど……」
「あ、そうそう。そこについては対策があるから大丈夫だぞ」
俺は胸に手を当て、呼びかける。
「《英雄叙事》」
拡散する淡い光の内側から、《英雄叙事》が本の形を帯びて出現した。
俺はおもむろに頁を開いて、呼びかける。
「来てくれ、システィナ」
心臓が脈打ち、頁が拡散する。
みんなに見守られながら、俺は、金の長髪を持ち、頭頂部でアホ毛を揺らす女性へと肉体を置換した。
「わ、初めて見る人だ!」
久々な俺の変身に、イノリが興奮したように目を輝かせた。そんな彼女に他己紹介をするように、俺は胸を避けるように喉元に手を置いた。
「〈百面相〉のシスティナ。最近対話できた継承時の一人だ。システィナとの親睦は、時間ないからまた今度な」
「わ、わかった」
新しい継承者と話したそうにうずうずしていたイノリに釘を刺すと、彼女はちょっとだけ残念そうに眉尻を下げた。
「……にしてもエトくん、やっぱり女の人なんだね」
「ぐふっ……!」
……そう。相変わらず女性なのだ。
ちなみに、師匠と同じくらいの、女性の中では長身なモデル体型である。
「比率絶対おかしいよな……」
なあ、《英雄叙事》。お前、明らかに性別偏ってるんだが……なあ?
イルルにこのことを聞いても『私は関与してやがりません』の一点張りだったから真相は闇の中だ。
さておき、
「まあ女性比率については今度存分に問い詰めるとして、能力は……イノリ、ちょっと俺の前に」
「? わかった」
手招きにイノリが素直に近寄ると、俺は彼女の目の前で軽く指を鳴らす。
『おお……!』
すると、イノリを見ていたほかの5人から感嘆がこぼれた。一様に、興味深そうにイノリを凝視する。
ジークリオンもみんなと同じように驚いてるのが、ちょっと痛快だった。
「え、なに? みんなしてジロジロ見てどうしたの? エ、エトくん説明!」
急に視線を集めたイノリは居心地悪そうに体を抱いて挙動不審に。
「今、みんなにはイノリの見た目が別人に見えてるんだよ」
「別人に!?」
「そうそう。そういう魔法なんだってさ」
システィナは生前、変装魔法を得意とした稀代の諜報員だった。魔法発動の兆候も、変装時の魔力の漏れ。どちらも熟達の魔法使いであっても見抜く事が出来なかったほどの使い手だ。
その魔法制御力は当然凄まじいもので、肉体の置換を行わなくても力の行使が可能となった今でも、システィナの変装魔法を万全に扱うために彼女の肉体を借りなくてはならないほどである。
ちなみに、システィナの瞳は欺瞞を見抜く、藍色に輝く“真眼”と呼ばれる類いの魔眼だ。
だから、変装魔法をかけた今でも俺はイノリをそのままの姿で捉えている。
「今のイノリはみんなから、黒光りのムキムキマッチョに見えてるぞ」
「人選っ! 他になかったの!?」
いや、わかりやすいかなって。
「相棒の扱いが雑だよ!」
イノリは変な実験台にされたことにご立腹だった。
「凄いですね。ムキムキのマッチョが女の子らしい仕草でエト様の胸をボカスカ叩いてますよ」
「当たり判定どうなってるんだろうね、これ」
女々しいマッチョは目の毒ということで、もう一度指を鳴らして変装解除。
「とまあ、こんな感じで見た目の問題でバレることはほぼないと思う。もしバレる事があれば……」
「そいつは相当な実力者ってことね。受動的な探知機にもなるなんて便利じゃない」
「そういうことだ」
師匠の言葉に頷いて、俺はおもむろに懐からメモを取り出した。
「それじゃあ全員、変装先の希望を募集するぞー」
◆◆◆
色々意見は募集したが、結局、『そんなことしたら逆に目立つんですけど!?』と内側からのツッコミが入り、その辺にいそうな一般人、という偏見マシマシなコーデで統一された。
ちなみに、変装の精度を上げるために、魔法は実質常時変装魔法な俺以外の6人に適応している。
「システィナさんはさ、他の人みたいにエトくんを乗っ取ったりしないんだね」
オアシスを中心に栄える街の酒場。
カウンター席で右隣に座ったイノリが俺の横顔をジッと見つめた。
「乗っ取りって……」
「だってほら、最初はシャロンさんだし、ルーシェちゃんとか定期的にやらかすし。ヘイルさんなんてゲームしたさにしょっちゅう割り込んでくるじゃん?」
「俺の体がフリー素材すぎる」
最近ヘイルを経由して知った単語だ。著作権がない、みんなが自由に使えるみたいな意味なんだとか。
今更すぎるけど、俺に人権というものはないのだろうか。
が、システィナは俺のことをとても尊重してくれる。というより……
「システィナ、極度の超絶人見知りでさ」
実を言うと、導線自体はヘイルと同時期に繋がっていた。が、どれだけ手繰っても逃げられまくって割と最近まで接触できていなかったという経緯があったりする。
——で、シンシアの首飾りを気にして浮上したところをなんとか捕獲したのだ。
「だからこうやって長時間置換しても意識が出てこないんだよな。むしろ出てくるのを拒否られてる」
「いろんな人がいるんだねー」
全くイノリの言うとおり、記録された奴らの生き様も何もかもが千差万別だ。
「システィナくらいしろとは言わないけど、他のメンツはもうちょい自重してほしいよホント」
『幻窮世界』から帰る時、強襲揚陸艦の艦内をルーシェが好き勝手に歩き回ったせいで軍のみんなから『女児の人』って認識されたの、いまだに許してないからな。
なあ? と心の中で圧をかけると、幼女が光の速さで奥の方に逃げ隠れる気配があった。
「動いたぞ、リオン」
それと、外でももう一つ。
左隣に座るジークリオンの偽名を呼ぶと、男は静かに席を立った。
「外で落ち合おう、システィナ」
俺はグラスの氷を鳴らして肯定する。
「残りは?」
「まだ泳がせる。ゼルとモミジに任せよう」
「りょーかい」
ジークリオンはごく自然な足取りで酒場を出る。
入り口のベルをカランと鳴らして出て行った後、街の外に向かって一つの気配が飛翔した。
「…………エトくん。これって」
「ああ、悪い方の予想が当たった」
さっきまで気にならなかった酒場の喧騒が、やけにうるさく聞こえる。
事態は、いつだって『こうなるな』って方に転がっていく。
「第二大陸は、既に《終末挽歌》の支配下にある」
隣で物憂げな表情を浮かべるイノリに、俺は自分にも言い聞かせるように言った。
「時間は、思ってたよりずっと少ないかもしれない」
◆◆◆
「——いくつかの事態を想定しておこう」
オアシスに立ち寄る前、ジークリオンはエトラヴァルトたちに向かって提案した。
「想定すべきは三つだ。まず……」
「皆まで言わなくていいよ、ジークリオン。注意すべきは一つ。《終末挽歌》の信奉者がいるかいないか、それだけだ」
ジークリオンの言葉を遮ったジゼルは、気だるげな態度で言い切った。
「いないならそれでいい。僕らが動きやすくなるからね。でも、仮に一人でもいた場合は……あー」
そこで一度区切ったジゼルは、言葉を濁すか悩み、そして諦める。
「世界の10個か20個は滅びるって試算すべきだ」
そこにいた誰もが、砂嵐が生んだ不協和音だと信じたかった小人の言葉は。
しかし、現実となって降りかかろうとしていた。
◆◆◆
「がっ……あ、ぐっ……!?」
「喚くな、弱者」
「は、離せ……! し、新世界を拒む、罪人が……!!」
街外れ。竜の足で砂の海に押し付けられる凡庸な男は、その場から脱しようと必死に手足をばたつかせる。
しかし、人化状態でも強靭に翳りのないジークリオンの爪から逃れるだけの力を、この男は持っていなかった。
「罪人か。奴に傾倒しておきながら、戯言を」
竜人の眼差しは冷たい。
以前シンシアに向けた冷徹な瞳。あれすら凌ぐ、踏みつけた相手を人とすら思わぬ眼光だった。
「……そいつが《終末挽歌》の信奉者なのか? ジークリオン」
「如何にも。奴の企みに心酔し、人形となることを心から受け入れた愚物だ」
遅れて合流した銀髪を靡かせるエトラヴァルトに、ジークリオンは私怨を存分に込めた説明をする。
彼が肉体置換を解いていることには言及しなかった。変装の意味は、最早ないのだから。
「こういう輩は各地にいる。見つけ次第、俺様たちは徹底的な排除を繰り返してきた。もっとも、有用な情報は誰一人として持っていなかったが」
「は、ハハハハ……当然だ! 俺たちがあの方を裏切ることは決してない! この身は、あの方の崇高な目的のためにあるのだから!」
竜脚と砂の海に体を圧迫されながらも男は狂気的に笑う。その瞳はどこか遠くを見つめていて、一層不気味さを駆り立てた。
「エトくん、この人おかしいよ……なんか、自分がどうでもいいみたいに」
その狂信に、イノリは息を詰まらせる。エトの背に隠れるように身を寄せ、服の裾を震える手で握った。
「自分のこと、自分で物みたいに言って……」
「…………アイツの何が、お前をそこまで」
「何が!? そんなもの、全てに決まっているだろうが!」
エトの呟きに男が目を剥いて食ってかかる。
「お前たち強者にはわかるまい! 滅びの影に怯えながら生きる不安を! 惨めを!」
「……!」
「異界の暴走に震え、七強世界の支配に屈辱を噛み締め頭を下げる! 我が物顔で暴力を振りかざす貴様ら強者に辛酸を舐めさせられる! この屈辱、決してわからないだろう!!」
「それは……っ、」
——知っている。エトはそう言おうとして、自分がそれを、真に知らないことを知った。
リステルは『弱小』と揶揄され、どの世界からも相手にされなかった。
唯一の危機は《終末挽歌》の手によって引き起こされたラドバネラの侵攻、ただ一回。
常に強者の影に怯えることを、リステルはしてこなかった。
エトは考える。
思えばリステルは、異常なまでにこの星の摂理から逸脱している、と。
エトが自らの弱さを真に自覚したのは、それこそ戦争でガルシアとアルスを喪ったあの瞬間だ。
見えない影に怯えたことは、〈勇者〉と出会うまで、一度とてなかった。
「あの方は、俺たちをその苦しみから解放してくださると約束した! だから、だから俺たちはやらねばならない!」
砂の海に爪を立て、口の中に砂が入ることを厭わず、男は衝動のままに喚き散らす。
「偽りの希望を植え付ける《英雄叙事》を、その継承者を——!」
「なんで、その名前を……!」
どこからどう見ても凡庸な、力も知識もない男から《英雄叙事》の名が飛び出したことにエトは僅かだが動揺した。
「あの方が生み出す新世界の礎に、俺たちは……っ!」
——喋りすぎだよ。少し、静かにしようか。
「「「————ッ!?」」」
その時、確かに虚空から響いた声に、エトたち三人が一斉にその場から飛び退いた。
——直後、遥か空より飛来した何かが取り残された男の真上に轟音と共に着地する。
爆風に砂が吹き荒れ、圧殺された男の血肉が飛び散った。
「イノリ、構えろ!」
「うん!」
エトの声より早く白夜と極夜を抜いたイノリは、油断なく左眼を光らせる。
エトが誓剣を抜き放ち、ジークリオンは全身を極彩の結晶で鎧う。
「…………人、か?」
「否」
砂嵐が止んだ先、鮮血の滲みた砂の大地に見えるシルエットにエトが呟くと、ジークリオンが否定した。
「アレは……混ざりモノだ」
そこに立っていたのは、少女の見た目をした竜人だった。
全身を白い鱗で覆った、無表情で、赤い眼を輝かせるアルビノの竜人。
首に鎖のようなチョーカーを巻きつけた竜人の少女。
その赤い眼差しとエトの灰の瞳が絡まり……
「…………イルル?」
見覚えがある、《英雄叙事》の司書の名を呼んだ。
——瞬間、エトの内側で一人の怒りが爆発した。
《——よくも! よくもそんなことを!》
怒りの主は、司書イルル。
「イルル、なにを……熱っつ!?」
突如胸を襲った焼けつくような痛みに、エトが思わず膝をついた。
「エトくん!?」
「エトラヴァルト、どうした!?」
エトの胸を灼熱に焦がすことを躊躇わず、冷静沈着なはずの司書が激情に叫ぶ。
《グレイ、お前はあの子を……ネメアを! 許さない、絶対に許さないっ! お前は、どこまで弄べば……っ!》
「イルル……っ、待て、頼む……!」
エトの頼みも耳に入らない。
肌身離さず持っていた本すら投げ出して。イルルは涙を散らし、世界のどこかで嗤う元凶に怒りを発した。
《……《終末挽歌》おおおおぉぉぉぉぉおおおおおおおおおおおおお!!!!》
エトが膝をつくこの状況を、アルビノの竜人は見逃さない。
砂の大地の上で翼を揺らし、超速の突貫。——狙いは、エトラヴァルト。
「——させんっ!」
それを、最速が阻む。
翼を広げた極彩の竜人がエトを守るように純白の爪を受け止めた。
「あの時葬ったつもりだったが……。《終末挽歌》、貴様はどこまでも畜生のようだな! イノリよ!」
「はい!」
竜人の少女から目を背けず、ジークリオンはその背中をもって報せる。——決して襲わせはしないと。
「エトラヴァルトを連れて街へ退け! これは、俺様が相手をする!」
「わかった!」
撤退の成否を待つ間もなく、二人の竜人は同時に飛翔——空中戦へと移行する。
超音速を軽々と凌駕する出鱈目なドッグファイトの中、極彩の軌跡を残す男もまた、隠しきれない怒りをもって叫んだ。
「イルルネメアよ! 今度こそ、俺様がこの手で眠らせてやろう!!」
第二大陸、小世界イルナにて遭遇戦勃発。
危険度15《融和竜》イルルネメア vs〈竜主〉ジークリオン・エルツ・ヴァールハイト




