それぞれの思惑
「〈異界侵蝕〉……『弱小世界』にだと!?」
その衝撃は、あらゆる世界に届いた。
「この女は誰だ!? 冒険者登録も……ない! どこから出てきた!?」
「いや待て! 今、『幻窮世界』と言ったか!? かの世界は滅びたと、そう発表があったはずだぞ!?」
「生き残りがいたとして、なぜ『弱小世界』に所属する!?」
「こんなこと、何かの間違いだろう!?」
焦り。動揺。混乱。
昨日までの確かな事実と、今日の出鱈目な現実があまりにも噛み合わない。
何かの冗談だと、タチの悪い悪戯だと誰もが信じたかった。
最弱の世界だと嘲笑われていた世界に、突然、単身で世界を相手取れるポテンシャルを持つ存在が所属を表明しただなんて。
そもそも一年前の戦争で〈勇者〉に傷を負わせその名を知らしめた、事実上の〈異界侵蝕〉という呼び声すらあるエトラヴァルトの所属も『弱小世界』であり。
『極星世界』と『海淵世界』、二つの七強世界が庇護を公表した時点で、かの世界は“弱小”と呼ぶには相応しくない戦力と後ろ盾を有している。
唯一、異界を所有しないという不利こそ存在すれど、その資源がもたらすのが結局的には『軍事力』である以上、
超級の戦力を二名保有したリステルは最早、並の世界を凌駕する強さを獲得したと言えるだろう。
この日、リステルは紛れもなく“弱小”という汚名を返上した。
同時に、各世界にとって無視のできない……潜在的な危機になってしまった瞬間でもあった。
◆◆◆
「……良かったのですか? フェレス卿」
「ンッフフ。良かったとは、なんのことでしょう?」
防衛騎士団本部の一室。赤髪の女傑シャルティアの曖昧な問いかけに、シルクハットを被った道化姿の男、フェレスが笑う。
「ボクにも全てが見えるわけではないので。ンフッ、要点はちゃんと話してください、シャルティアさん」
「詭弁を……」
どこまでが本当で、どこからが嘘なのか。
相変わらずのらりくらりと掴みどころがない宰相に、シャルティアは真剣な表情で問う。
「リステルの戦力を伸ばしてよかったのか、という話です。シンシア・エナ・クランフォールの所属で、リステルは最早『弱小世界』ではなくなった」
それ自体が、実のところ、喜ばしい話ではない。
「〈歌姫〉のあり方が、噂に聞く〈星震わせ〉と同じ……生存を世界に依存しない個体であると露見した以上……戦争は避けられません」
「ンッフフ……そうでしょうねえ」
フェレスの回答は、肯定。
体の後ろで手を組み、窓から城下を覗く愉快げな笑みはシャルティアには見えなかった。
「これから一ヶ月くらいは、各世界から刺客や間者が大量に送り込まれます」
未来を見据える“観測の魔眼”が、それは確定事項であると告げる。
普通の人間であればおかしな言い回しも、“観測の概念保有体”であるフェレスにおいてはその限りではない。
どれだけ荒唐無稽な未来の話であっても、観測したなら起こり得る。
まして、概念を持たないシャルティアですら容易に想像がつく未来など、ほぼ間違いなく訪れる未来と言っていい。
「王都以外の村や集落への増員は手配済みですが……エトラヴァルトにも動いてもらわないと処理しきれませんねぇ、ンフフ!」
「無責任な……」
これまでにもめちゃくちゃな施作を振り回してきた宰相フェレス。だが、今回の一件はシャルティアの目から見て明らかに度を超えていた。
「公表を決めたのは貴方だと王より伺っている。なぜ、自ら危険を呼び込んだのですか?」
「ふーむ……これは、ええ。言ってよさそうですね」
モノクルの下の魔眼が怪しく輝く。
「エトラヴァルトをリステルに留めておきたいんですよ。ここに脅威が来るなら、彼は動かないので」
「それはそうだろう。エトの行動原理は貴方がよく知っているはずだ」
リステルを守るために。
自らの、友の、仲間の歩んだ記録を守るために。
エトラヴァルトは、たったそれだけに自分の全身全霊を懸ける生き方を選んだ“英雄”だ。
その肩書きを、本当は望んでいなかったとしても。
「だからこそ、貴方が残れと言えば残ったはずだ。なぜわざわざ世界を危険に晒したのですか」
「——万が一にも離れてもらうわけにはいかなかったからですよ」
「——!」
その声に込められた凄みに、シャルティアは無意識に腰に手を伸ばした。帯剣していれば、間違いなく抜剣していたであろう鋭さで。
それほどまでに、普段のフェレスからは想像もできない剣幕だった。
「少し先の未来が、覆い尽くされている。ボクにも見えない何かで」
「予測もつかないのですか?」
フェレスの魔眼の存在を知る数少ない一人であるシャルティアの問いに、フェレスは力なく首を振った。
「まったくもって。……情けない話ですよ、ンフフ」
「……今回の公表は、未来視の精度を上げる狙いもあったのですね?」
「おや……気づいたのですね?」
今の一言でそこまで推察されるとは思っていなかったフェレスは、少しだけ嬉しそうに笑った。
「そういえば、キミも勘が鋭かったですね。エトラヴァルト程ではありませんが」
フェレスの茶化すような態度に、シャルティアは苦笑いを浮かべる。
「エトとは比べないで頂きたい。反則ですよ、あれは」
「ンッフフ! ボクの魔眼ほどではありませんが、アレは一種の予知になりつつありますからねえ」
——ボクに見えない危機も是非、感じ取っていただきたいものです。
冗談半分に笑ったフェレスは、静かに部屋を後にする。
「……フェレス卿。ひとつ、聞かせていただきたい」
その背に、シャルティアは真意を問う。
「貴方は、エトをどうするつもりなのですか」
「——決まっています。たった一人の迷子のために、彼を“英雄”にするんですよ」
それが、誰にとってのものなのか。
フェレスは、決して明かさなかった。
◆◆◆
「……そうか、まだ見つからないか」
シンシアの〈異界侵蝕〉到達の公表から二日。
俺は自宅の物々しい通信室で一人、『極星世界』の〈魔王〉ジルエスターと定期報告を行なっていた。
『ああ、周辺世界に足を伸ばしてみたがサッパリだ』
今日の主な議題は、イノリの兄姉の捜索だ。
俺が『羅針世界』ラクランで遭遇したという情報を元に、極星の諜報部隊の一部が俺たちの代わりに捜索へと動いてくれている。
だが、結果は芳しくないようだ。
『悪いな、エトラヴァルト。正直なところ……俺の手駒でも探せねえとは予想外だった』
「動いてくれてるだけで大助かりだよ。イノリが動けないままでも探せてるって事実だけでアイツの心労が軽減されるはずだから」
理想を言えば見つかるのが最善だが……そう上手くいかない以上、次善は捜索の継続だ。
シンとリンネの影を探し続ける。その足取りを掴む。それが大事なのだ。
俺の言葉に、ホログラムに映る白獅子の獣人、〈魔王〉ジルエスターも頷いた。
『ああ、そうだろうよ。だがな、エトラヴァルト……』
しかし、ジルエスターは苦々しい表情を浮かべる。
『お前が記憶を封じられていた一件といい、義理とはいえ妹を放置し続けているあたり……“シン”って野郎は、悪いが、俺はまともだと思えねえ』
「…………」
『確実に裏の住人だぞ。それも、俺らにすら気取らせないバケモノだ』
イノリの兄を悪く言いたくなくて俺が目を逸らしていた事実を、ジルエスターは容赦なく突きつけてきた。
……わかっていたことだ。
『はっきり言う。俺は、罠を疑ってるぞ』
そもそも、あの場でイノリに会わず俺だけに接触してきた時点で。
生きていて、動向も把握しているのに。イノリが命懸けで探していることも知っているはずなのに、決して姿を現さない。
そんな兄が……真っ当な兄であるはずが無い。
「わかってる」
ジルエスターの言葉は正しい。懸念はもっともだ。
でも、それでも……
「危険は承知だ。続けてくれ、ジルエスター」
俺は、シンを探すべきだと思ってる。
「どんな奴でも……たとえ悪人だとしても、シンは、イノリのたった一人の兄なんだ」
家族に、大切な人に会いたいという心を無視するなんて、俺にはどうしたってできない。
『……俺にリスクを呑めって要求してることくらい、理解できんだろうな?』
ジルエスターは俺を威嚇するように犬歯を覗かせる。
『エトラヴァルト、お前にはそれなりに義理がある。だが……お前の連れはその枠に入らねえぞ』
「わかってる。でも……」」
俺は、無理やり不敵に笑った。
「シンが仮に裏の人間だったとして。その動向を掴めずに放置する方が、極星にとって不利益だと思わないか?」
『………………』
精一杯の啖呵。ジルエスターの金色の双眸がまるで値踏みでもするかのように俺の灰の瞳を覗き込んだ。
……実際の数十倍にも感じられる数秒ののち、〈魔王〉の口角が『ニッ』と上がった。
『カカッ! 上手い詭弁を使うじゃねえか。良いぜ、乗ってやるよ』
余裕の笑みで口角を上げる白獅子。
対して、俺は頬の引き攣りを隠すので必死だった。
虚勢を張ったが……冷や汗がすごい。
修羅場や死線は何度も潜ってきたけど、こういう、ある種政治的な交渉はほぼ未経験な俺にとって、中々肝が冷える瞬間だった。
「……ありがとう」
『ガハハ! そこで礼を言っちまったら台無しだぜ? 交渉ってのは腹を割るのも大事だが、腹の底は基本隠すもんだからな』
「俺には向いてねえな……本当に」
単身で『行ってこーい』と放り出された鉄砲玉だったわけだし。今更ながらぶっ飛んだ命令だったと言わざるを得ない。
当時の俺の力量で、よくもまあ生き延びたものだ。
『そろそろ切るぞ、エトラヴァルト』
「ああ。【救世の徒】については師匠がこっちにきた時にでも話しておく。いつ来るんだ?
『………………今日の午前に着いてるはずだぞ?』
……えっ?
『その顔……まだ着いてねえみたいだな』
多分凄い間抜け面を晒す俺と、片眉を上げるジルエスター。
二人揃ってそれぞれの部屋の時計を見てみれば、午後二時を回っている。
「王都内にも……師匠の気配はないぞ」
王都内であれば、たとえ師匠が気配を消していようと俺なら気づけるはずだから……うん、来てないな!
そもそも師匠、まず俺の家に来るとか言ってたし……あれ? これ、もしかしなくても俺の家を探そうとして迷ったな?
しかもおそらく、世界単位で。
「どんな迷い方したんだよ師匠……!」
『………………あんのクソボケ方向音痴がぁ!!」
二人揃って頭を抱える。
普通あり得ないような状況でも迷子になるのが師匠……カルラ・コーエンという生き物なのだ。
『幻窮世界』を目指してリステルに行ったり、そもそも初対面の時も『悠久世界』内で絶賛迷子になってたし。
……改めて、意味わからん迷い方してるな俺の師匠。
『……エトラヴァルト。あの馬鹿が着いたらボコボコにしろ。〈魔王〉が許す』
「り、リステルが壊れない程度になら……」
そもそも、今の俺で師匠をボコボコにするのは難しい気もするが。
ジークリオンとの死闘で左腕を失って、未だに重心を掴むのに苦労してるんだから。
『さて、あの馬鹿は帰ってきたらシバくとして……』
確定事項なのか……。
『悪いなエトラヴァルト。そろそろ切るぞ』
まあ、俺の状態と師匠の未来はさておき、そろそろ時間だ。
「わかった。時間とってくれてありがとう、ジルエスター」
『気にすんな! お前が思ってる以上に、“繁殖”を、大地を蝕む病を根絶した恩はデカい』
そう言ってもらえると、命を懸けた甲斐があったというものだ。
『じゃあな、坊主』
「最後の最後に坊主呼びかよ……ああ、また」
ホログラムを切った部屋に静寂が訪れる。
機器の排熱音や電子音だけが響く薄暗い部屋で、俺は一人ため息をついた。
「シン、リンネ……アンタたちは今、どこで何をしてるんだ?」
『幻窮世界』で、俺は彼らの痕跡を見つけられなかった。或いは、気づけていないのか。
どちらにせよ、進展がなかったことに変わりはない。
……でも、弱音を吐く時間なんてない。
「約束したもんな。見つけるって」
俺の目的はほぼ果たされた。なら次は、イノリの願いを叶える時間だ。
【ご報告】
弱小世界の英雄叙事詩、いよいよ7/7の明日、SQEXノベル様より発売されます!
書籍化にあたり、第一章部分に加筆修正+「断章」を加えたボリュームのある一冊となっております!
……ここだけの話(小声)、「断章」はweb最新話まで読んだ方ならあっと声が出るような仕込みがあったりします(超小声)。
早いところではもう店頭に並んでいるそうなので、お近くに書店がある方はそれとなーく覗いてみて頂けると、そしてあわよくばお手にとって頂けると幸いです!
また、電子版とメロンブックス様にてSSを一本ずつ書かせて頂きました!
・電子版「大解剖! エトラヴァルトの性別判定!」
グレーターデーモンとの死闘の後、ひと足先に目覚めたイノリがエトの性別を確認しようと奮闘するお話。
・メロンブックス様「冒険者ラルフの悲惨なパーティー勧誘事情」
ラルフがエトたちと出会う前にどんな不幸な目に遭っていたのか、酒場で涙ながらに語るお話。
以上の二本になります!
ラルフ推しの方にはメロンブックス様、オススメです(小声)。
また、SQEXノベル様の公式サイトでも書き下ろしのSS「しりとりはたまに本音が漏れる」が公開されています。護衛任務中のエトとイノリがしりとりする話、興味がある方は是非、下記のX(旧Twitter)リンクから飛べるので覗いてみてください!
下記リンクから、フェア情報(SS)の確認や試し読みも可能です!
https://x.com/sqexnovel/status/1939972242571727082?s=46&t=kYeDekmwlP20JJ1NAtv-Ww
長めの宣伝になってしまいました。最後に感謝の言葉で締めさせていただきます。
本日まで読み支えて頂き、誠にありがとうございます!
今後とも弱小世界の英雄叙事詩をよろしくお願いいたします!




