あの日の言葉を取り消して
「私たち……【救世の徒】の仲間にならない?」
シーナの唐突な提案に、イノリは何度も目を瞬かせた。
「私が、シーナちゃんやエステラさんたちの仲間に?」
「そう! あと紅蓮もいるよ!」
「うぇっ!? 紅蓮さんも!?」
予想外すぎる名前にイノリがギョッと目を剥く。
「驚いた?」
「う、うん。そりゃあね? 確かに怪しさ満点だったけど……あれ? そう考えるとエステラさんの時より驚かないかも」
「ぷふーっ!」
事実上の『確かに犯罪者っぽいな』発言にシーナが堪えきれずに噴き出した。
「あ、あとで紅蓮のこと笑わなきゃ……!」
プルプルと痙攣しながら同僚を煽る決意を固める夢魔は、しかし、すぐに咳払いをして真剣な表情を作った。
「ね、お姉ちゃん。きっと今より、人探し楽になるよ」
「…………! どういう、こと?」
そのあまりにも魅力的すぎる甘言にイノリは思わず耳を貸した。
「私たちは全世界に情報網を張ってる。あの『覇天世界』にも。ついでに紅蓮は世界を跨ぐ転移の使い手。多分、お兄ちゃんといるよりずっと簡単に探し出せる」
「…………っ!」
「お兄ちゃんもお姉ちゃんも、冒険者として有名になりすぎた。状況は前とは違う。このまま帰ったら、きっと戦争の後より長いこと動けなくなっちゃうよ?」
オーロラの瞳を持つ夢魔の甘言が、優しく、したたかにイノリの心に触れる。
決して強要せず。ただほんの少し、彼女の望みに寄り添うように。
「それにお姉ちゃんはさ。結局最後まで私の夢に溺れ続けたじゃん?」
「——っ!」
「天使の介入で、無理やり終わらされちゃった。だから、起きることができた」
シーナの両手が、撫でるようにイノリの頬に触れた。
「わた、私は……」
「選べないんでしょ? だったらさ、こっちに来て……探してみない?」
甘く優しい言葉が、毒のようにイノリの体を麻痺させる。
「………………私は」
イノリの右手がゆっくりと。導かれるように、頬に触れるシーナの手を掴む。
「私、は……!」
奥歯を鳴らし、震えを堪えて——
「………………いよ」
「ん?」
「私は………………いけない、よ」
力なく、夢魔の誘惑を振り解いた。
「どうして?」
その拒絶に、シーナが怒ることはなかった。
ただ純粋に、イノリの選択を不思議がって首を傾げた。
「そうだよ。私は選べなかった。シーナちゃんが言ったように、自分で夢から醒めることができなかった」
「それだけ、大事なんでしょ?」
「うん、大事だよ。……でも、でもね」
目尻に涙を溜めながら、イノリは夢を思い出す。
「幸せだった、本当に。夢だってわかってても、都合のいい幻でも。……でもね、必ず、探してたの」
イノリは自分の首を絞めるような仕草で、自分の体を抱きすくめた。
「私は、エトくんを探してた」
「!」
——『アイスの棒当たった! エトくん、次何の味選ぶ!?』
——『兄ぃ、まーたお仕事でいないし……わかるけどさー、もうちょっとくらい家にいてくれてもいいのに。エトくんはどう思……あ』
——『あ、このアパートってエトくんが住んで……ないんだった。何回やるんだろ、これ』
思い起こす記憶の全てに、必ずと言っていいほど。イノリはエトを探していた。
「いい事、悪い事、楽しかった事……くだらないこと。夢の中の一つ一つ、私は気づいたら、エトくんの名前を呼んでた」
「……うん。知ってるよ」
「見られてたんだ、恥ずかしいなあ。……で、気づいたんだ。私の中に、エトくんがいるって。もう切り離せないくらい深いところに、いるの」
始まりは、穿孔度3の異界から。
そこから何年も旅をして、寝食を共にしてきた。ラルフとストラという仲間も早々に増えたけれど、イノリにとっての始まりはエトラヴァルトで、最も強く結びついていたのも、エトラヴァルトなのだ。
「選べないよ、私には。私はもう、大事な人を失いたくないから」
「お姉ちゃん……」
いつの間にか。気づかないうちに。
ずっと気づかないフリをしていただけで、イノリにとって、エトラヴァルトという存在は家族と同じくらい大切な相手になっていた。
「シーナちゃん。前に言った答え、訂正するね」
「……うん」
それは二人だけの秘密。
いつかの夜、『悠久世界』の宿のベランダで交わした言葉。
「私は、エトくんのことが好き。兄ぃたちと比べられないくらい。私は……エトくんの隣から離れたくないの」
「そっか」
イノリの答えに、シーナは『しょうがないなぁ』と相好を崩した。
「勧誘失敗かー。ねえ、人探しはどうするの?」
「わかんない。けどね、エトくんは約束してくれたから」
湖畔での誓い。
塔の上での再確認。
エトラヴァルトは、家族が見つかるその日まで共に居てくれると、そう約束してくれた。
「エトくんは、約束を守る人だから」
「うーん。確かに」
その一点はどうやっても否定できないと、シーナは今度こそ勧誘をキッパリ諦めた。
「盟主に怒られちゃうなぁ」
「ごめんね、シーナちゃん」
「むー。意思を尊重しろって命令だから仕方ないけど悔しー」
任務の失敗に、シーナはがっくりと肩を落とした。
「お兄ちゃん焚き付けちゃった件もあるしお説教コース確定じゃん……」
「うん?」
イノリ的になにやら凄まじく気になる単語があったが、その点は後ほどエトに直接問いただせばいいや、とイノリは追求をやめた。
“シンシア”という名前の推定女といい、聞きたいことは山積みだった。
「まあいいや、撤収撤収! 紅蓮〜、回収して〜!」
ヤケクソ気味にシーナが虚空へと叫ぶと、彼女の背後に裂け目が生まれる。
その直前、ため息のような気配を感じたのはイノリの気のせいだろうか。
「それじゃお姉ちゃん、またね! お兄ちゃんによろしく!」
「あ、うん……あ! ねえ待ってシーナちゃん! エトくんは!? ラルフくんとストラちゃんはどこに……!」
「ん、みんな無事だよ。お兄ちゃんが勝ったから」
悔しそうな声音と、安堵を感じさせる表情というチグハグでシーナは答えた。
「この道をまっすぐ行けば辿り着くよ」
「そ、そっか……よかった」
ほっと胸を撫で下ろすイノリ。
少しだけ頬を染めたその表情に、シーナも熱に当てられたように桜色を浮かべた。
「じゃあね、お姉ちゃん。今度もきっと、敵同士」
「……うん」
二人の少女は互いに手を振り合って、人知れず洞窟の中で別れた。
「…………」
イノリは裂け目が消えた空間をしばらく茫然と見つめていたが、やがて『よし!』と気合を入れて再び歩き出した。
腕を千切られたエトラヴァルトを見たイノリが卒倒しかけるまで、あと15分。
あと1話くらい更新します




