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【第一巻発売中】弱小世界の英雄叙事詩(オラトリオ)  作者: 銀髪卿
第八章 目覚めを叫ぶ英雄戦歌
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目覚めを叫ぶ英雄戦歌⑨ ここに刻む碑文

 結晶燎原にシンシアの気迫の雄叫びが響く。


「やああああああああああああああああッ!!」


 地を踏み締め泰然と立つ竜に対して、シンシアは依然、翼なきまま空中を疾る。 


「——今っ、〈猟犬の牙〉!」


 オーロラ色の瞳が輝く。

 魂の形を捉える観魂眼。対象の魄導(はくどう)の流れすら視覚的に捉えることができる規格外の魔眼は、本来発動の兆候を察知できない攻撃の()()()()()()すらシンシアに伝える。


 結晶植物の追跡を振り切った一呼吸の間。振り抜かれた刀が竜の翼を半ばから断ち切った。

 しかし、斬ったそばから再生する。


「また……!」


 抉り、貫き、潰し、断ち切った。

 〈猟犬の牙〉、〈火天の祭日〉、〈駒鳥の空〉……シンシアが持つ高火力の神秘を、更に〈忠義の魂〉によって底上げした攻撃の数々。

 並の人間なら一撃はおろか余波ですら耐えられない。体力に自信がある者だろうと、〈異界侵蝕〉の領域にいなければ勝負にならない破壊力。


 その(ことごと)くが、ジークリオンの天覆う巨体と出鱈目な再生力に封殺される。


「動きが鈍いことだけが救いですね。けど」


 その再生力もさることながら、シンシアが真に驚嘆したのはジークリオンのずば抜けた継戦能力にある。


「一体どれだけの……! エトさんと戦って、消耗しているはずなのに……!!」


 輪廻で消耗し、三人を相手取り続けたエトラヴァルトの疲労と比べれば微々たるものだろう。

 だがそれでもジークリオンはそれなりの消耗を強いられ、さらにシンシアの必殺に等しい神秘の直撃を受けた。


 にも関わらず、竜の再生も、世界の維持も、魔法のキレも翳りを見せない。むしろ、戦意は刻一刻と増すばかりだ。


「魔法も、精度が上がり続けてる!」


 地の底へと引き摺り下ろすように手を伸ばす結晶植物に対して、縦横無尽に空を翔けるシンシアは絶え間なく〈猟犬の牙〉たる両腕を振るう。

 細腕に宿る万物を貫く神秘に結晶植物は儚く砕け、しかし、成長が破壊を上回る。


「キリがない……っ!?」


 飛翔するシンシアとジークリオンの竜の瞳がかち合った。直後、少女の全身を悪寒が駆け抜けた。


「——〈門番の盾〉ッ!」


 攻撃を中断し防御に全傾したシンシアの判断は正しく、大気の盾に恐ろしい速度で振り抜かれた竜の右腕が叩きつけられた。


『いい判断だ』

「重い……っ!」


 不壊の盾を挟んでなお届く絶大な衝撃に脳を揺らされ、束の間、神秘の制御が狂う。

 重力場と風の維持を欠いたシンシアは、そのまま不壊の盾と共に結晶の大地に叩きつけられた。


「ぐう……っ!?」

『貴殿は強い。だがその力も、貴殿の技量も、未だに不完全だ』


 ジークリオンの口腔の奥が、赫赫と輝きを帯びる。

 それは、射線上の全てを問答無用で焼却する竜の吐息(ブレス)


「アルジェ、力を貸して……!」


 尊敬する〈門番〉の名前で己を鼓舞する。

 膝をつき無理やり立ち上がる。

 構築速度の精錬。盾の完成と解放は同時。放たれた極大のブレスは、しかしシンシアには届かず。射線上で成長した結晶植物に触れ、()()()した。


「ブレスが、拡散した?」


 その現象に、シンシアは束の間ほっとした。

 必殺のブレスが自分に届かなかったことに、戦いの中で安堵した——してしまったのだ。


 ——戦闘経験の不足からくる集中力の欠如だった。



 世界は、ジークリオンの手によって結晶の天地と化した。創造の主導権は竜にある。

 宝石を経由するブレスの反射角も、何もかも、ジークリオンの中にある。


『惜しいな、強き者よ』


 一見無軌道な反射は、全て、一点にシンシアを狙っていた。



◆◆◆



 ……実のところ、ジークリオンは本領を発揮できていなかった。

 本来ならば可能であった竜化状態における()()()()()は、シンシアの〈火天の祭日〉で魂に甚大なダメージを負ったことで封じられていた。


 本領には遠く、しかし、積み重ねてきた戦闘経験はシンシアとの差を如実にし、正しくジークリオンを勝利へと導いた。



◆◆◆



「え——」


 ゾクリと背筋を撫でた悪寒の正体。

 振り返った先、不規則な軌道を描いた熱閃が自分に向けて収束する光景に、シンシアの体が凍りつく。

 窮地に引き伸ばされた意識が動けと叫ぶ。

 だが、体はまるで別人のように言うことを訊かず。


「避け……」


 避けられない。

 知識も経験も、皆の力への理解度も。その一瞬にかける覚悟も何もかも、シンシアは自らの不足を悟る。


「まだ、足りない……!」


 〈門番の盾〉を前方に集中していたことも災いし、シンシアに防ぐ術はなかった。





「——俺を知ってんだろ」


 だが、ここに。


「忘れてんじゃねえぞ、ジークリオン……!!」

『エトラヴァルト——!』


 その“差”を埋めんと、誓剣の騎士(エトラヴァルト)が戦場に舞い戻る。

 傷を塞ぐ労力すら惜しんだ、鮮血を散らす捨て身の特攻。

 シンシアへと迫るブレスの射線上に身を(おど)らせたエトは抜剣、銀を纏い迎撃する。


「オオ——ッ!」


 気迫と共に斬撃を叩き込む。ブレスそのものは脅威。しかし、()()()()()()()ならば話は違う。

 総威力は変わらずとも、熱閃ひとつひとつが抱える熱量は減衰する——ならば、迎え撃てると。

 エトは底が見えてきた魄導(はくどう)を絞り出し、降り注ぐ熱閃の雨を真っ向から斬り伏せた。


「悪い、遅くなった!」

「エトさんっ!」


 今にも倒れそうな顔色で、エトはまるで自分を鼓舞するように凄絶に笑う。


 その覚悟に、シンシアは喉から出かかった謝罪を無理やり飲み込んだ。その言葉が、どれだけの侮辱になるのかをわかってしまったから。

 意思を持って覚悟を決めた人間の在り方を曲げることはできないと、二千年前から知っていたことを思い出したから。


「繋ぎにきたぞ、シンシア!」

「——はいっ!」


 だから、シンシアも覚悟を持ってエトの献身に応える。


「エトさん! あと少しだけ、私に力を貸してください!」

「当然、そのつもりで来た!」


 エトは眼前の巨竜を睨みつける。

 竜の瞳はエトの魂の燃焼に喜悦を讃え、高まる感情のままに結晶の世界が輝きを増した。


『何を見せてくれる、エトラヴァルト!』

「テメェの度肝を抜いてやるよ!!」


 勇ましい雄叫びと共に、エトは左手を真横に差し出す。


「シンシア、手を。……あと、さん付けはむず痒い」


 小っ恥ずかしげに呟いたエトに、シンシアはくすりと笑みを浮かべた。


「——わかりました、エト」


 そして今度こそ、躊躇いなくその手を掴む。

 右手を凛と差し出し、手のひらを当て、互いに指を絡め合う。

 接触した肌の隙間を埋めるように、エトラヴァルトの銀の魄導が満たされた。


「導線確保——擬似接続開始!」


 承認の瞬間、エトラヴァルトの魂の奥底から体の芯を焼き切るような壮絶な熱が迫り上がる。

 雷が全身を駆け巡るような感覚。湧き上がる力が出口を求めて荒れ狂う。


「継承者エトラヴァルトの名において! 今ここに、その覚悟を! その想いを! その信念を“記録”する!!」


 エトには一つの確信があった。

 シンシアはクラインたちの想いを繋いだ。そして世界を守ろうと、たった一つの願いを貫くために戦っている。

 その姿を、その生き様を。ーーと呼ばずしてなんと呼ぶのかと。


「できるだろ! 俺は、俺こそが“記録の概念”なら!」


 ならば、新たな群像を(ページ)に刻むことは、決して不可能ではない——!


「やれんだろ! だから繋げ、イルル——ッ!」



◆◆◆



「まったく。本当に手のかかりやがる」


 《英雄叙事(オラトリオ)》の最奥。司書イルルはエトラヴァルトからの無茶振りに応えんと、魄導という名の導線(パス)を辿る。


「何食って生きてきたらこんなこと考えつきやがるんですかね」


 いまだかつて、誰一人として考えたことのないもの。そもそも、同じ時代に二人以上が揃うことなど、性質上ありえないものだった。


 その仮定は荒唐無稽なものでも、理屈は……否、信念は一本筋が通っている。


「でもまあ、継承者の頼みなら素直にききやがるのも一興ってもんじゃねえですか」


 無数の本棚と、それを隙間なく埋める本が立ち並ぶ広大な図書館の中央。素朴な椅子に腰掛けたイルルは、手元にある一冊の簡素な本を開く。

 何度も読み返された本は背表紙が擦り切れ、ページの角は丸く削れていた。


「——《英雄叙事(オラトリオ)》現継承者エトラヴァルトからの全権委任を確認」


 大きく息を吸い込んで、小さな司書が宣誓する。


「司書イルルの名において、現継承者エトラヴァルトの提言を強制採択! 擬似継承権限付与をエトラヴァルト、イルル、及び全継承者の賛成をもって可決!!」


 蜘蛛の糸のように伸びる銀の魄導を乱暴に掴み、イルルは枯れるほど声を張り上げた。


「さあ! ぶちかましやがれ、継承者!!」



◆◆◆



「『——物語を語る!』」


 刹那、エトラヴァルトを中心に膨大な力の奔流が顕現する。


「『数多紡がれし物語たちよ、刻まれ、風化し、忘れ去られた欠片たちよ。伝え聞く無限に広がる旅路よ!』」


 数多の文字が風に吹かれた葉のように舞い踊る。


『祝詞——その死に際でか!?』

「エト……?」


 敵の目の前で詠唱を断行するエトラヴァルトの狂気にジークリオンが顎を開き、シンシアは言の葉舞い散る幻想的な景色に目を奪われた。


「『——旅立ちの歌、未完の終点、輪廻の真宵(まよい)に登る朝日!』」


 拡大する記録の聖域。エトラヴァルトの奥底から泉のように湧き出る“言葉”の円環が結晶の大地を侵食する。


『そう易々とは唄わせん!』


 結晶の竜主が咆哮する。


結晶竜殻界(ルーナ・セスタス)!!』


 とぐろを巻いて成長する結晶植物が全方位からエトラヴァルトを刺し貫かんと殺到する。

 当たれば待ち受けるのは死。だが、なおも詠唱を止めないエトラヴァルトは迎撃の一切を放棄した。



望郷を守護せし(クレイウィル・)白亜の若葉(コルアスタ)!”



 しかし、どこからともなく少女の詠唱が響き渡る。

 直後、結晶の植物に抗うように、エトラヴァルトとシンシアの周囲から白鋼の草木が生い茂り城壁を成した。


『重複……っ、魔法を待機させていたのか!?』


 ——違う、と。

 ジークリオンの驚愕を、それを見ていたシンシアは内心で否定した。

 観魂眼で覗くエトラヴァルトの内側で、眩い白の命の破片が瞬いていた。


 それは〈白鋼の乙女〉シャロンによる《英雄叙事(オラトリオ)》からの直接援護。


 白鋼と極彩の結晶が衝突する。

 優勢は結晶の濁流。しかし、シャロンが()()()()()()()()()()()()()()放った渾身の魔法は僅かとはいえ拮抗を生み、エトの詠唱時間を勝ち取った。


“行っちゃえ、エト——!”



「『——今ここに、担い手が告げる!』」


 なおも膨張する言の葉の世界。無限の広がりをみせる文字の海の中心はエトの胸から、やがて、シンシアと繋ぐ左手へと。


 エトの全身を駆け巡る銀の雷霆が、左腕を通じてシンシアに触れる。


「……暖かい」


 息を呑むシンシアは、しかしその流動を拒まない。むしろ決意するように喉を鳴らし、ギュッと、より強くエトの左手を握り込んだ。


 流れ込む銀の雷は手探るようにシンシアの肉体を駆け巡り、やがて終点に……魂に触れた。


「『十二の軌跡、夢を刻む旅路の果て! 継承の誓いは再起を歌え! 命は巡り、ここに新たな碑文を刻む!!』」


 絡まる指が解かれ、離れた二人の手の先には、命の奔流のごとき輝きが浮かぶ。


『させん……っ、結晶竜牙界(ルーナ・グリネアーレ)——!!』


 本能を刺激する危機に竜が吼えた。


 豪雨の如く降り注ぐ極彩色の竜牙。二人に避ける術はなく、しかし、もはや避ける意味はない。


「——歌え、シンシア!!」


 詠唱は…………否。

 継承は、ここに完了したのだから。


「お願い……」


 かつて自ら遠ざけたもの。

 さりとて、その可能性は今もシンシアの中に。

 ゆえに、ここに碑文は刻まれる。


 新たな紡ぎ手は今、祈るように、目覚めを叫んだ。



「私に、力を貸して! ——《英雄叙事(オラトリオ)》ッ!!」



 シンシアの右手の先に、一冊の本が開かれた。

 それは舞い散る大樹の葉のように。

 空間を席巻する無数の褪せた(ページ)が、唸りを上げる竜牙を悉く叩き落とした。


『《英雄叙事(オラトリオ)》を明け渡した……!? 違う、これは——ッ!!』


 大気を震わせる記録の発露。銀の魄導に乗って円環を描き、世界を疾る文字列たち。

 ガリガリと竜の体躯を削るようにプレッシャーを放つのは、シンシアとエトラヴァルトの両名。


 そして、両者の中間に浮かぶ《英雄叙事(オラトリオ)》の(ページ)は、等しく二人を包み込む。


『……そうか、エトラヴァルト。貴殿は、その身を“記録の概念”として! 自ら記録したのか、〈歌姫〉の物語を!!』

「それだけじゃねえぞ、ジークリオン!」

『ッ!?』


 一層凄みを増すプレッシャーに、ジークリオンの巨木の如き右足がほんの僅か退いた。

 それは生物の本能が鳴らす、天敵に遭遇した時の警鐘。


「言っただろ、テメェの度肝を抜いてやるって! 行くぞシンシア!!」

「はい!」


 シンシアとエト、互いに右手と左手を自分の胸へと押し当てる。

 浮かび上がるのは、たった一言だけ書き記された、たった一枚の(ページ)


「——我が名はシンシア! 無銘の偉業の歌い手なれば!」

「——我が名はエトラヴァルト! 無銘の偉業の語り部なれば!」


 刹那、詠唱が重なる。

 しかし、そこに伝え聞く物語は存在しない。

 ゆえに、これから起こるは逆転の軌跡。たった一頭の竜を殺すために生涯の全てを燃やし尽くした無銘の記録、その再現!


「——神秘全霊、竜滅を歌う!」

「——剣身一切、竜滅を(うた)う!」


 〈歌姫〉と〈黎明記〉が、一歩踏み込む。


『……来るか』


 オーロラと蒼銀の輝きに満ちた眼差しを受け、竜は誇り高く咆哮した。


『良いだろう、来い! この俺様が! 最後の竜、〈万晶竜主〉ジークリオン・エルツ・ヴァールハイトが!! 貴殿らを真っ向から喰らいつくす!!』


 二人の返答は、一つ。


「「『概念昇格————竜殺し(ドラゴンスレイ)』ッ!!」」


 結晶の大地を蹴り砕き、二つの流星が疾走した。

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あれ、シャロンさんこれで退場かな。
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