目覚めを叫ぶ英雄戦歌⑧ 神秘継承
〈歌姫〉と〈黎明記〉。
二人の英雄を前に〈盟主〉は、ふう、と息を吐いた。
「『心羅万晶』」
「「——ッ!」」
開幕必殺。
対峙するエトラヴァルトとシンシアに緊張が走った。
ジークリオンの魄導が世界を侵食する。
竜の双眸に一切の慈悲はなく。
右目だけを奪う、そんな生温い思考は最早存在しない。
ジークリオンは今日、目の前の不倶戴天の敵を全力で叩き潰す。
徹底的に、完膚なきまでに勝敗を決す——この星に生きる、最後の竜として。
「『竜哭響く万色燎原——ッ!!』」
——世界が割れる。
『幻窮世界』の景色を飲み込むように、極彩色の炎が煌々と輝き燃え上がる。
天を衝く煙すらも宝石を散りばめたようにキラキラと、内に銀河を内包するように光を讃える。
空と大地は、無軌道に光を屈折する美しい結晶に覆い尽くされた。
パキパキと音を立てて成長する草木もまた、ジークリオンの体表を覆う万色の鱗のように硬く、滑らかに。
厳然と空に立つ竜人の背後に、黄昏の太陽が産声を上げる。赤々と輝く光を受け、世界は目が潰れそうなほどに美しく、そして殺人的な輝きを発した。
◆◆◆
「はぁ!? なんだアレ!?」
その空間の膨張に、オズマと斬り結んでいたラルフが絶句する。
ジークリオンの世界の創造は、世界の外側の者には宝石を膨張させたような外観の、特定範囲の空間が大きく膨らみ上がったような歪として観測される。
それは、目に映る全てを上書きするバイパーとは違い、意図的に境界を線引きする事象の上書きだ。
「ジークよ。誰にも邪魔されぬ道を選ぶか」
オズマはこの瞬間、此度の任務の成否がジークリオンの勝敗に委ねられたことを悟った。
外からの侵入すら拒絶する結晶燎原は、竜が生死を分かつ決戦の舞台。たとえ味方であろうと、立ち入ることは許されない。
「……あの中に、エトがいんのか?」
「間違いないだろう。あの銀の英雄はジークとの決戦の舞台に立った」
「え。あ、おう。……そっか」
返事があるとは思っていなかったラルフは、オズマの予想外に丁寧な回答へ戸惑いと驚きを半々に混ぜたようなリアクションを取った。
「……ジークよ。であれば我らは」
「——私たちの任務は終わりだね」
地べたに転がって辛酸を舐めるストラの横で、殺意を消したエステラは氷の椅子を生成してゆったりと腰掛けた。
「ストラちゃん、動ける?」
「……生憎。貴女にボコボコにされたので、喋るのが精一杯です」
睨みつける気力もないストラは、ほんのちょっと頑張って視線をエステラに向ける。
「殺さないのですか?」
「殺さないよ、大事な元生徒だからね」
「…………」
「と、いうのは建前半分、本気半分」
疑り深いストラの視線の追求に、エステラは小さく肩をすくめた。
「誰だって好き好んで殺しなんかしないよ」
「……『構造世界』は、滅ぼしたのに?」
「あれは特例だよ。彼らは一線を超えた。私たちの盟主の逆鱗に触れた」
その回答はつまり、ストラたちは未だ【救世の徒】の抹殺対象には入っていないことを確定させ、同時に、その一線を越えれば例外なく殺されることを意味していた。
「……運が良かった、と思っておきます」
「運なんかじゃないよ。私はキミを殺したくなかった」
「いいんですか? 私は、先生の敵になったんですよ?」
「言ったはずだよ、本気半分だって。……世界を滅ぼす悪人にだって、情のひとつやふたつあるんだよ」
ゆっくりと、立ち上がる。
エステラは、背中側に立つ新たな影を振り返った。
「そうだといいんだけどね……〈戦火余燼〉」
「あらぁ? 私、有名人の中でも有名なのね?」
青と赤の混じった長髪。喪服のような漆黒のドレスを押し上げる豊かな双丘の下で腕を組み、『始原世界』ゾーラの〈異界侵蝕〉、ラスティ・ベラは妖艶に笑って小首を傾げた。
その見覚えのある姿に、ストラは「あっ」と声をもらした。
「あなた、は……淵源城で、すれちがった……」
「覚えていてくれたのね小さな魔女さん? あの時はごめんね? 可愛らしくて、つい撫でたくなっちゃったのよ」
ストラの言葉に、ラスティは頬に手を当てて愉しげに笑う。
「面白そうなことを見ていたら、面白そうな話をしているじゃない? 魔女さん、その子と仲良いのね?」
「ストラちゃんを殺す気かい?」
「そうねぇ……。本当ならそうすべきだと私も思うわよ?」
エステラの問いに、ラスティは何が面白いのか笑みを絶やさずに悩ましげな態度をみせる。
「でも、小さな魔女さんはあの英雄さんのお仲間なのよねぇ……。嫌われるのは嫌なのよねぇ……私、あの子に興味あるものねぇ……」
戦場のど真ん中で、うーんうーんと思春期の少女のように悩みに耽ったラスティは、やがて、ポンと手を打った。
「決めたわ。小さな魔女さんには手を出さない。でも魔女さん、貴女のことは捕まえるわ。捕まえて、〈皇帝〉陛下へのお土産にするわ」
「……………へぇ?」
その瞬間、エステラの纏う空気が変わった。
ラスティの言葉のどこに地雷があったのかストラには検討がつかなかった。
しかし、確実に。
ラスティ・ベラは、〈冰禍〉エステラ・クルフロストをブチキレさせたのだと……肌をビリビリと刺激する殺意がストラに伝えていた。
「ああ……そういえば。キミは『始原世界』の所属だったね」
「ええそうよ。……あらぁ、怖い顔ね魔女さん」
わざとらしく白々しい確認を経て、拳を鳴らしたエステラが瞳いっぱいに殺意を迸らせた。
「決めたよ。キミはここで殺す。殺して、盟主の前に引きずっていってやる!」
◆◆◆
『竜谷世界』の終焉を生み出した、ジークリオンの切り札の一つが牙を剥く。
「異界主シンシアよ。俺様の世界をもって、今日。貴様の世界を打ち砕く!」
「させません!」
竜の覇気を全身から放つジークリオンに、シンシアは真っ向から啖呵を切る。
「『幻窮世界』は、私たちの思い出は決して譲らない! もう二度と、誰にも侵させない!!」
揺るぎない決意にオーロラの双眸が輝く。
「私はあの景色を語り継ぎ、未来へと……私たちの物語を繋いでいくんです! いつか訪れる終わりの日は……決して今日じゃない!!」
「交わらぬものだな……使命とは」
眦を決したジークリオンが右腕を虚空に翳し、拳を握った。
「『結晶竜殻界』ッ!」
竜の咆哮の如き詠唱に、結晶の世界が震撼する。
響き渡る凄絶な破砕音。ジークリオンの魄導という極上の肥料を受け取った結晶植物が爆発的に成長し、大瀑布となってエトラヴァルトたちを強襲した。
「『輝け、アルカ……ッ!?」
虹の魔剣で対抗せんとしたエトラヴァルトの唄が不自然に途切れる。
苦悶を喉から漏らしたエトは糸が切れた人形のようにその場に崩れ落ち、膝をついて肩で激しく息をした。
「クソッ……こんな、時に……っ!」
傷つき果てた心身の限界。《英雄叙事》との接続の維持すらままならなくなった体たらくに、エトは奥歯を噛み締めて自分を強く叱責した。
「大丈夫です、エトさん」
苦渋に歪むエトを守るように、一歩。シンシアは、結晶の大地を踏み締めて前へと。
「私はもう、大丈夫です。私たちは戦えます!」
右手を前に、左手は胸元へ。青く澄んだトルマリンに触れ——燦然と輝く。
極彩に煌めく結晶燎原に対して、ただ一色。
シンシアの流水色の艶やかな髪を引き立てるように淡く、しかし力強く宝石が輝きを帯びた。
「だからエトさん。ここからは、私たちの番です!」
シンシアを中心に大地に描かれた、巨大な空色のサークルが天へと伸びる。
迫り来る結晶植物の大瀑布に対して、シンシアは真っ直ぐ前に、伸ばした右腕を水平に振り抜いた。
「来て……っ! 〈贋作工房〉!!」
空色の結界に結晶植物が触れた刹那——複製する。
呼び覚ますは十二の神秘が一角。かつて世界に名を轟かせた〈贋作〉の御業がここに蘇る。
「贋作——『結晶竜殻界』!!」
極彩の大瀑布と拮抗するように、空色の大瀑布が荒れ狂った。
内側へと押し寄せる結晶植物に対して、贋作の結晶は同じ形、同じ材質、同じ質量を鏡合わせのようにぶつけ、相殺する!
「これは、プリシラの……!」
《英雄叙事》を通して閲覧した戦いの一部始終。〈贋作〉プリシラの神秘と全く同じ現象の発露にエトラヴァルトが息を呑んだ。
「〈贋作〉の……。なぜ使える? いや、しかし」
力の拮抗にジークリオンが瞳孔を窄める。
秘纏十二使徒……否。秘纏十三使徒の〈贋作〉プリシラの神秘。
ジークリオンもまた、とある理由でかつての戦いを知る者である。ゆえにプリシラの神秘は彼にとって既知だった。
如何なる原理でシンシアがそれを扱えるのかだけは理解できなかったが、その力が万全ではないことは、一目で分かった。
「——甘い!」
ジークリオンの一喝に万色の炎が瞬く間に燃え盛り、結晶植物の大瀑布が加速する。
拮抗はほんの一瞬。
暴力的な音を響かせ、シンシアの贋作工房を完全に上回った。
「やっぱり、プリシラみたいにはいきませんね」
質量による圧殺。
単純ゆえに対策が困難な窮地に再び襲われても、シンシアは至って冷静だった。
その右手は既に、腰の刀へと導かれている。
「〈災禍の糸〉は結ばれた」
目には目を、歯には歯を。破壊には、破壊を。
その美しい太刀筋を何度も見てきた。何度も反芻した。
不格好でも、下手くそでも……シンシアはもう、理想の描き方を知っている。
「——〈応報ノ太刀〉!」
刹那、抜刀。
組成、強度……あらゆる法則を無視し、“破壊”という行為を為したモノに対して“破壊”を強制する応報の一撃。
振り抜かれた居合の斬閃上、“応報”を刻まれた結晶植物が瓦解した。
「〈応報〉の……!?」
再びの神秘の再演にジークリオンとエトラヴァルトの両名が驚きに声を漏らした。
「チィッ……、眷属共、飛べ!」
経緯不明。しかし、シンシアが“応報”を扱うのであれば直接戦闘は極めてリスクを伴うとジークリオンは即断した。
ゆえに自らの眷属を……結晶の飛竜の大群をシンシアへと差し向ける。しかし、
「〈駒鳥の空〉よ……!」
シンシアの瞳の一瞥に、上空一帯を押し潰す規格外の重力圏が生み出された。
通常の数百……否、四桁倍率に届く、常識的な生命なら一瞬で大地のシミになるような暴圧。
結晶の飛竜たちはろくな抵抗もできずに撃墜された。
ジークリオンもまたその重力圏に晒され、全身にのしかかる馬鹿げた圧力に歯軋りをした。
「重力圏すら……! 何が起きている!?」
立て続けに裁焔される過去の神秘。いずれも本来の力には劣るが、その多彩がたった一人の女の手によるものだという事実に、ジークリオンは驚きを隠せない。
視線は下方、重力圏で叩き落とされた眷属たちへと。
「曲がりなりにも俺様の魄導で育った結晶生物を……っ!?」
瞬間、失態を悟る。
思考した。
大きな謎を前に、その謎が脅威になることを察したゆえの行動。
——だからこそ、その踏切を……〈歌姫〉の肉薄を見逃した。
「〈浮世の風〉ッ!」
「しまっ……!?」
失態に歪むジークリオンの視線は上へ。
〈浮世の風〉に背中を叩かれ、彼我の距離を一呼吸で埋めたシンシアが拳を握った。
「結晶竜牙!!」
不意を突いた。しかしそれでもなお、最速の竜人が一歩先を行く。
美しく無駄のない構築でジークリオンの周囲に生成された竜の牙が、顎を閉じるようにシンシアへと殺到した。
必殺の顎は、届かず。
「来て、〈門番の盾〉!」
「——ッ!?」
大気に対して“不壊”を付与する“門番”の神秘が竜牙のことごとくを叩き割った。
「出鱈目なっ! いったい、幾つの神秘を——」
そこまで言いかけて。
ジークリオンの双眸がふと、シンシアのオーロラ色の双眸と交錯する。
「神秘、いや……〈王冠の瞳〉……? ま、さか……! まさか、まさかまさかまさかまさかっ!!?」
脳裏をよぎった一つの可能性にジークリオンが今度こそ表情を歪めた。
「まさか、“継承”したのか!? かつての力を……十二人分の神秘を、“概念”としてっ!?」
あり得ない、そう断言できればどれほど良かったのだろうか。
しかし、ジークリオンは知っている。“概念”とは何かを。それらが、かつてどんな形をしているのかを知っている。
そしてシンシアの今の在り方は……奇跡的に、それらと一致する。
「貴様の中にある世界と共に、全てを受け継いだのか!?」
ジークリオンは確信する。
今ここに、新しい概念が誕生したのだと。その名、敢えて名付けるのであれば
「“神秘の概念保有体”……ッ!」
「——〈猟犬の牙〉よ!!」
肯定するように、シンシアの咆哮が響き渡る。
握りしめられ、引き絞られた拳に万物を貫く猟犬の神秘が宿る。
〈王冠の瞳〉が見据えるのはただひとつ、胸の中心で燦々と輝くジークリオンの魂——!
「背負うのか、過去の全てを!」
「背負ったんじゃありません! 受け取ったんです!!」
腹の底から、魂を震わせる雄叫びを上げる!
「大事なモノを、受け継いだんです! 〈贋作〉——幻想管弦楽団!!」
呼び覚ますは奏者なき管弦楽団。宴の最高潮を盛り上げんと世界に轟く演奏を奏でた。
その熱に、シンシアが握る拳に炎が宿る。極彩色の燎炎と対極を成すように、ただ純粋な輝きを湛える白炎が燃え盛った。
「〈火天の祭日〉……!!」
「『結晶竜殻』——!」
両者、渾身を振り抜く。
ほんの僅かな拮抗の果て——シンシアの拳がジークリオンの右腕を吹き飛ばす!
「〜〜〜〜ッ!!」
「ぶっ飛べ……せやあああああああああああああああああああああああああああああああああッ!!!!」
胸部に触れ——撃砕する!
エトラヴァルトとの戦闘からずっと無傷を貫き通してきた結晶外皮を突き破り、振り抜かれたシンシアの灼熱の拳がジークリオンを遥か下方の結晶の大地へ叩きつけた。
◆◆◆
「ぐっ……ガッ、かはっ……!?」
隕石の衝突と見紛うほど巨大なクレーターの中心で、全身に灼熱の火傷を負ったジークリオンが煙を吐いた。
魂の破壊こそ免れたが、肉体的には相当な重傷だった。
そも、少しではあるが意識も飛んでいた。
「……追撃、か」
立ち昇る黒煙の向こう側、観魂眼で生存を悟ったシンシアがトドメの一撃を叩き込まんと風に乗って流星の如く降下する。
このまま動かなければ、ジークリオンは死を免れない。
——だから、使う。
——もう一つの、最大の切り札を。
「…………『真体顕現』」
◆◆◆
「これは……っ!?」
膨れ上がった暴力的な気配にシンシアは反射的に追撃の手を止め、膝をつくエトラヴァルトの横まで後退した。
「エトさん、体は」
「情けないことに、まだもうちょっと動けそうにない」
「大丈夫です。ゆっくり休んでください」
二人の視線は自然と、黒煙の向こう側で翼を広げ飛翔したジークリオンへと向いた。
「——認めよう異界主……いや、〈歌姫〉シンシア。貴殿は強い。願いを背負い、戦える強き者だ。……これまでの非礼を詫びよう。どうか許せ」
「…………」
竜翼の羽ばたきが黒煙を晴らす。
焼け爛れた肌や鱗、露出した筋肉は痛々しくジークリオンの消耗を物語っていた。しかし、纏う気配は……膨張を続ける戦意は留まることを知らず、むしろ負傷する前よりも遥かに大きい。
「エトラヴァルト、シンシア。貴殿ら二人に敬意を表し……俺様の全霊を持って相手をさせてもらうぞ」
そう告げた竜人は、大きく息を吸い込んだ。
——ォォォォォォォォォ……
遠雷のような、地の底から轟くような何かが結晶の世界を震わせる。
「なんですか、これ?」
「腹の底に、響く……」
世界を反響する。
「地鳴り……じゃない。まさか、ジークリオン……!?」
——エトが一匹の竜の唸り声であると気づいたその時には、既に遅かった。
「ォォォォォォォォォォォォォォォォォォオオオオオオオオオオオオオオオオオ——」
それは、雷の如く響き渡る咆哮の予備動作。
耳にした者の臓腑を震わせ、本能的恐怖を刺激する竜の嘶き。
ジークリオンが自らを〈竜主〉と名乗る所以。
「オオオオオオオオオオオオアァアアアアアアアアアアアアアアアGaAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAA————ッッッ!!!!!」
「なっ……!?」
「きゃあっ!?」
咆哮そのものが絶大な衝撃派を生み出し、燎炎を吹き飛ばしエトラヴァルトとシンシアを強襲する。
エトを庇うように〈浮世の風〉で防御を構えたシンシアの視線の先……それは、産まれ落ちた。
人の範疇に収まっていた竜人の肉体が結晶に覆われるかの如く、瞬く間に膨張を始めた。
「エトさん、アレは……っ!」
「冗談キツいだろ……まだ上があんのかよ!?」
大地を踏み締める巨木の如き二足。
一息で山を切り崩すことすら容易い強靭な二腕。
天を覆う一対の翼。
地平線を薙ぎ払う強靭極まりない尾。
長くしなる首の先、ギラギラと輝く双眸、気勢を吐く顎。
全長100Mを優に凌ぐあまりにも馬鹿げた体躯の、全身を万色に輝く宝石のような鱗で覆われた巨竜がそこにはいた。
これこそがジークリオンの真体。
〈万晶竜主〉ジークリオン・エルツ・ヴァールハイトの本領である。
『——英雄たちよ、この姿をもって、貴殿らと雌雄を決する……!』




