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【第一巻発売中】弱小世界の英雄叙事詩(オラトリオ)  作者: 銀髪卿
第八章 目覚めを叫ぶ英雄戦歌
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目覚めを叫ぶ英雄戦歌⑦ 今、目を開けて

 〈王冠〉の帰還に、シンシアの瞳から堰を切ったようにとめどなく涙があふれた。


「クライン、クライン……っ!」


 泥だらけの両手で白衣を汚し、みっともなく縋り付いてクラインの腹部に顔を押し付けて泣きじゃくる。


「クライン、ごめんなさい……! 私、私は……!! クライン……! 私、会いたかった。ずっと……会いたかった…………!!」

「——シンシア。君が謝ることなんて何もないよ」

「でも……でもぉ……!!」


 駄々をこねる子供のように首を振るシンシアに、クラインは慈愛に満ちた眼差しを向ける。


「——エステラ、オズマ。構えろ」


 二千年越しの再会に、しかし、最速の竜人が水を差す。

 これは互いの使命のぶつかり合い。妥協点は存在せず、【救世の徒】はどんな事情を抱えようと“無限の欠片”を回収する。


「クラインよ。できれば貴殿とは、友として語らいたかった」


 ジークリオンは、本心からクラインとの再会を喜んでいた。

 そして同時に、こんな時に出会ってしまったことを悔やんでいるようでもあった。


「——そうだね。私たちは今、どうしようもなく敵同士だ」

「ああ。ゆえに、俺様は貴殿を——っ!?」


 倒す、そう告げようとしたジークリオンの胸にエトラヴァルトの左拳がめり込んだ。


「アンタの相手は、俺だ!」


 吹き飛ばす。

 完璧な奇襲に、今日初めて有効打を受けたジークリオンの体が後方へ大きく押しやられた。


「その傷で、まだ動くか……!」

「アンタらが驚いてくれたお陰で、少しだけ治せた」


 1対3という圧倒的不利の中、エトラヴァルトは魄導の全てを迎撃行為に回す必要があった。当然、負傷の補助に回す余裕など微塵もない。

 だが、クラインの帰還にジークリオンたちが驚愕したわずかな間。ほんの少しの時間ではあったが、エトラヴァルトは魄導を治療に回すことができた。


「応急処置程度だけどな。これでまだ戦える」


 互いに距離を取り、獲物に各々の輝きを纏う。


「万全ではない貴殿一人で、俺様たち三人を抑え続けると?」

「いや」


 その問いかけに、エトラヴァルトは首を横に振った。


「俺一人じゃない」


 ——ガコン。


 遠く、天秤が傾く音がした。


「『命の()は潮騒と共にあり!』」

「——空間魔力制圧」


 遥か頭上から、オズマとエステラへと戦意を弾けさせる二人が戦場に介入する。


 具体的な状況は分からずとも、ボロボロの背中でも覇気を漲らせる仲間の意志が、二人に何をするべきかを悟らせた。


「『淵源の焦熱よ!』」

「『概念模倣——繁殖ッ!』」


 大海の如き青の焔が〈死神〉の大鎌と激突し、溢れ出す竜の軍勢が氷の大輪に喰らい付いた。


「待たせたな、エト!」

「遅れてすみません、エト様!」


「——ほんっとに、大遅刻だぞ!」


 文句を垂れるエトラヴァルトの口元は、しっかりと笑みを浮かべていた。



「……新手か」

「そういうこった! こちとら一年以上リフレッシュしてきたからな、覚悟しろよ?」


 オズマの前に立つのは、『海淵世界』アトランティスが第七王子。冒険者としての名を、ラルフ。

 ラルフは大鎌(デスサイズ)に対して、同じく身の丈を超える大戦斧を肩に担いで挑発的に笑う。


「これも、因果ってやつなのかな」

「あの日の御恩に、全力で報いさせていただきます!」


 肩をすくめるエステラの視線の先では、〈竜喰い〉ストラがとんがり帽を被り直して眦を決した。

 竜を模倣する寒気がするほど膨大な数の魔法陣に、エステラは「すっかり大きくなっちゃって」と苦笑いをした。


「これで3対3……数的有利は無くなったぞ、ジークリオン」


 蒼銀に輝く瞳から火花を散らし、エトラヴァルトは誓剣の切先を竜人の鼻先へと突きつけた。


「こっからは、俺たちが相手だ!」



◆◆◆



「遅れた分はきっちり働くぜ、エト!」


 仕切り直し、開戦の狼煙を再び上げたのはラルフ。

 焔色の魄導と海炎で大地を焼き、一直線に〈死神〉オズマへと斬りかかる。


「オラアアアアアッ!」


 大上段から振り下ろされる大戦斧に対して、オズマは大鎌を掬い上げるように振り上げた。


「ほう……」


 黒が弾け、反動に両足で地面を削ったオズマが感嘆の声を漏らす。


「膂力だけなら銀の英雄を凌ぐか」

「まだまだァ!」

「面白い」


 燃えたぎるラルフの猛攻に、オズマは真正面からのぶつかり合いを選択。

 同じ巨大な獲物を扱う者同士、オズマの中にある武人の血が騒いだ結果だった。


 大鉄塊の衝突が奏でる重音に大地が揺れる。

 獲物から両腕に伝わる相手の確かな技量と馬鹿力に両者、自然と頬を裂くように笑みを作った。


「貴様の首、このオズマが貰い受ける!」

「お断りだ! 受け取り先は可愛い女の子が良いからなっ!!」




 同時刻、エトを挟んで対岸の戦場を繁殖の模倣竜が埋め尽くす。


「うわぁ、この精度……」


 辟易と呟く。

 もう何百と魔法を喰らわれたのか、エステラは数えるなんて行為を最初から放棄していた。


 エステラが放つ魔法を余すことなく噛み砕き、咀嚼し、嚥下する。魔法の破壊と魔力の簒奪を同時に行い、残骸を贄に新たな同胞を生産する。


「よっぽど地獄を見たんだね、ストラちゃん。ここまで正確に模倣するなんて」

「それはもう……っ!」


 エステラの軽口を、ストラは全身を魔法制御に費やしながら肯定する。


「暫く虫を見ただけで鳥肌が立つくらいには見飽きましたよ!!」

「まったく難儀な経験だね」


 襲い来る繁殖の模倣竜を、かつて『魔剣世界』でエトを驚かせた身体能力ひとつで迎撃しながら空を蹴って飛翔する。


 飛行魔法とその維持。

 高度な魔法を軽々と、しかも繁殖の模倣竜に魔力を喰らわれながやってのけるエステラの規格外にストラは『相変わらずですね』と恨み節を呟いた。


「これでも結構、実力出し切ってるつもりなんですが……!」


 かつてタイムリミットだった3分は既に超過したが、いまだに概念模倣が途切れる気配はない。

 それはストラの確かな成長であり、同時にその成長をもってしてもエステラを仕留めるきれなかったという残酷な事実でもある。


「驚いたよストラちゃん。なにせ、こんなにも早く“模倣”の可能性に気づくなんて」


 エステラは、ストラの今日までの努力を強く肯定する。


「教えてないのに、ここまで来た」

「教えて? ——まさか」


 その言葉に、ストラの全身が凍りついたように強張った。


「課外授業だよ、ストラちゃん」


 天に立つエステラの背後に、大地を押し潰すほど膨大な魔法陣が大小様々に描き出される。

 ハーフエルフが有する無尽蔵の魔力供給を経て、さながら“雲”のように肥大する。


「可能性を広げよう。模倣は、なにも繁殖に限った話じゃない」


 それは他者を喰らい増殖を繰り返す繁殖とは対極の存在。空を覆い、人々の生活に否応なく干渉し、時に災いとなって牙を剥く星の生命活動。


「『概念模倣——“天候”』」


 刹那、降り注いだ幾条もの雷撃が繁殖の模倣竜たちを穿ち貫いた。


「魔力を、吸収する間すらなかった……!」


 瞬きの間に破壊された自分の魔法に、ストラの表情に険しさが宿る。

 少女の視線の先、エステラが〈冰禍〉の忌名に相応しい酷薄な眼差しを浮かべた。


「私の魔力が尽きるのが先が、ストラちゃんの制御が限界を迎えるのが先か……根比べだよ」



◆◆◆



 激化する戦いの中央。

 〈盟主〉ジークリオンと〈黎明記〉エトラヴァルトの戦いは、どうしようもないほどにジークリオンの一方的蹂躙(ワンサイドゲーム)の様相を呈していた。


「蓄積が重すぎたな、エトラヴァルト!」

「なんの……っ! 〈勇者〉ん時と比べたら屁でもねえよ!」


 反論する気概は健在。しかし、振るわれる誓剣に力はなく、魄導の放出にもムラが出始めていた。

 拮抗していたはずの竜爪との打ち合いも防御一辺倒に。

 かろうじて背中側へ抜けさせないだけの力は残っていたが、それだけ。


「この異界にいた間、どれだけ神経をすり減らした!? まともな人間性を残しているだけで奇跡と言えるその現状で、俺様たちの猛攻をたった一人で受け続けた! ——いくら貴殿と言えど限界だろう!?」



 ジークリオンの言葉は全て当たっている。

 輪廻を繰り返した八ヶ月。エトラヴァルトは同盟関係とはいえ、彼の隣には常にエステラと紅蓮がいた。

 最低でも自分以上の実力を有する者が二人、いつ同盟が破綻するかも分からない中で異界脱出のヒントを探し続けた。


 さらにジークリオンには預かり知らぬことだが、エトは《英雄叙事(オラトリオ)》を通じて流れ込んでくるかつての『幻窮世界』の物語を追体験した。


 精神にかかる負担は常人には計り知れず、かつてバイパーに『使命感お化け』、『自我の怪物』とすら称されたエトだろうと、その消耗は尋常ではない。


 そんな状態で、『電脳遷移』による無茶な移動。エステラ、オズマ、ジークリオンの三人に対してたった一人で防衛戦を繰り広げた。


 ——両足で立っていること、それ自体が奇跡の産物である。


「だから、諦めろって?」


 馬鹿を言うなと、エトラヴァルトはジークリオンの言葉を鼻で笑い飛ばした。


「二千年だ。気が遠くなる時間ずっと耐え続けてきたやつが、今、会いたかった人と会えてんだよ。伝えたかったことを伝えようとしてんだよ」


 口の中に溜まった鮮血混じりの唾を吐き捨て、エトは改めて誓う。


「邪魔は、させねえ!」


 そして、自分の左腕の動作補助に努める鎖に触れる。


「この戦いだけで良い。俺の神経を繋いでくれ。——頼む」


 エトの願いに、鎖はまるで意志を持つように逡巡を見せる。が、承認する。


 ひとりでに動いた鎖は左腕への締め付けを一層強くし、自身の両端をそれぞれ二の腕と左胸へと躊躇いなく突き刺した。


「づっ!?」


 肉を抉られ(ついば)まれるような激痛に表情を歪め、エトは、血が滲むほど強く左拳を握りしめる。

 目を見開き驚くジークリオンの前で、エトは鎖を通した神経の擬似接続を果たし、左腕を戦線へと復帰させた。


「——“収束顕現”」


 莫大な魄導を圧縮させる、自ら戦闘限界を縮める大博打。

 左腕の中に、誓剣と瓜二つの魄導剣が生み出された。


 限界なんてとっくに超えた体を動かすのは、最早、意志一つ。そして、エトラヴァルトが挫けることは決してない。

 ならば、この戦いの勝敗は——生死によってのみ決着する。


「この時間は、絶対に守り抜く!!」

「貴殿に決意があるように、俺様にも恩義がある!」


 大地を蹴り、竜人が飛翔する。

 泰然と二刀を構えるエトラヴァルトに、自身の最速の一撃を叩きつける——!


「そこを退()け、エトラヴァルト——ッ!」

「譲るわけねえだろ、ジークリオンッ!!」



◆◆◆



「クライン、クライン……ああっ、クライン……!!」

「まったく……見ない間に、ずいぶんと泣き虫になったね、シンシア」

「だってぇ〜〜〜〜!」

「——そうだね。私たちのせいだ」


 ぐずぐずに泣き散らし、くしゃくしゃに顔を歪めるシンシアを、クラインはなんども優しく抱きしめてその背中をさすった。


「君には、本当に辛い役目を押し付けてしまった」


 それだけが後悔だったと、クラインは生前の己の弱さを呪う。


「ごめんね。——そして、ありがとう」

「なんで……っ、クラインが、謝るんですか……! なんで、お礼なんて……!!」


 そんな言葉、受け取る資格なんてないとシンシアはいやいやと何度も首を横に振った。


「私が、悪いんですっ……私、弱くて……! 守れなくて……!! みんなを、頼んだよって……貴女に言われたのに……っ! 私、逃げて……!!」


 ずっとずっと抱え続けてきた懺悔を、敬愛する人にぶちまける。


「その上、異界にしてしまうなんて……! みんなが、守ろうとしたのに……! 私、わたしが、壊して……しまったん、です……! お礼なんて、私には……!!」

「——違う。それは違うよシンシア」


 自分を責め続けるシンシアに、クラインは少女の両肩を強く掴んで断固として否を突きつける。


「あの日の責苦を受けるべきは私たちだ。あの日、私たちは負けた。世界を終わらせたのはシンシア、君じゃないんだよ! 私たちの弱さだ……!」

「そんな、ことは……っ!」

「ううん。それが事実なんだよ」


 クラインは(かぶり)を振って、表情から後悔を追い出した。そんなものをシンシアに見せるために、ここにいるわけじゃないから。


「そしてね、シンシア。君は世界を滅ぼしたって言うけど、逆だよ。君は世界を救ったんだ」

「救った…………私が?」


 意味がわからないと、シンシアは困惑した表情を浮かべる。そんなの、あまりにも都合がいい話じゃないか、と。

 涙で少し洗い流された澄んだ瞳は困ったように彷徨い、やがて自分を真摯に見つめるオーロラ色の瞳と向き合った。


「あの日、魔物の軍勢が世界を飲み込んだ日。『幻窮世界』は何も残らずに滅びるはずだった。——でも、君がそうはさせなかった」


 涙を何度も拭ったせいでぐっしょりと濡れてしまった白衣をまくり、クラインは薄く透ける右手をシンシアの胸に当てた。


「君は土壇場で、世界の保持に成功した」

「嘘です、そんなの……! クライン、慰めなんて……!?」

「本当だよ。シンシア、この星の摂理を思い出すんだ」

「摂理を……」


 クラインは左手で涙がしたたる頬を撫でる。


「そう。この星ではね、世界が滅びた時、そこに連なる全てが共に消えてしまうんだ

「知っています。でも、それは私が異界主だから……!」

「なら、『ゲコ吉』は?」

「…………………ぇ?」


 クラインは乱雑にポケットに突っ込んでいたゲコ吉を引っ張り出す。

 役目を終え、抜け殻となったマスコットは黒い毛糸玉の目でシンシアを見つめていた。


「この子はもしものためのバックアップだったんだ。私たち使徒が死んだ時、その魂の破片を回収する役割を持っていた。——まあ、早い話が“生きた遺言書”だね」


 クラインはやや強引にゲコ吉をシンシアに握らせる。


「実在するだろう?」

「……はい。ここに」

「これは、私が生きていた頃に用意したものだ。つまり、『幻窮世界』のものなんだよ」

「…………………ぁ」


 その気づきに、シンシアは唇を震わせて静かに涙を流す。

 ポタポタとこぼれる涙を人形が受け止め、その実在を何度でもシンシアに伝えた。


「シンシア。君は滅びるはずだった世界を確かに守ったんだよ。形は変わったけど、『幻窮世界』は間違いなく、君の中で生きていた……いや。()()()()()()()

「わた……の……私の、中で……!!」

「そうさ。君がずっと抱えてきてくれたから。私たちのことを覚えていてくれたから、君がずっと、繋ぎ続けてくれたから……私は今、ここにいるんだよ」


 繋いでいた。

 その願いが、たとえ逃避から生まれたものなのだとしても。

 少女が間違いだと責め続けてきた選択は、決してあやまちなどではなかった。


 シンシア・エナ・クランフォールは、使徒として、今日まで確かに役目を果たし続けていたのだ。


 孤独に耐え続けてきた一人の少女を、クラインは強く、強く抱きしめる。


「あぁ……ぁぁぁ…………!」

「ありがとうシンシア。私たちの英雄。今日まで、私たちの世界を守ってくれてありがとう。想いを、繋いでくれてありがとう……!」

「うああああ……ああ、ああああああああああ——!」


 響く泣き声は、決して慟哭などではなく。

 堪え続けてきた痛みと膿を吐き出すように、心の重荷を流し切るような、暖かな涙だった。



◆◆◆



「——クライン。私、行かないと」


 ありったけの大粒の涙が途切れ、啜り泣きになってしばらく経った頃。

 唐突に。

 涙を止めたシンシアは乱暴に目元を拭って立ち上がる。


「もう、いいのかい?」

「……正直、もっと泣きたい気持ちはあります」


 そう言って曖昧にはにかんだ少女は、戦場に目を向ける。


「けど、行かないとなんです。私のために、命を賭けてくれている人たちがいるんです。『幻窮世界』は、私たちの世界だから。だから、私が戦いに行くんです」

「…………強くなったね、シンシア」

「みんなの期待に、応えたかったですから」


 その言葉に、もう、負い目はなかった。迷いはなかった。


 シンシアの中で、あの時のエトの言葉が反響する。


——『あんたにはまだ、果たせる約束が残ってる』


「凄いですね、私よりずっと若いのに。——私、少しはクラインの年齢に近づきましたね!」


 そう言って、シンシアはいたずらっ子のようにクラインに笑って見せた。

 その頬を、クラインは無言でつねって引っ張った。


「いひゃい、いひゃい、いひゃいへふ〜!」

「まったくもう。女性に年齢ネタは禁句だよ?」

「わ、わひゃひまひた〜!」


 いー、と頷くシンシアにクスリと笑みをこぼし、クラインは涙の跡が残る、つねって赤くなった頬を撫でる。


「……本当に立派になったね、シンシア」


 慈愛の眼差しを向けるクラインに、シンシアは少し、悲しそうに俯いた。


「やっぱり、お別れなんですね」

「……気づいていたんだね」

「はい。クライン、さっき遺言書って言ってたから……きっと、長くないんだろうって」


 切なさにキュッと唇を引き結ぶシンシアに、クラインは頷きを返す。


「今の私は、私の破片を核にした残響なんだ。みんなの破片が抱える記憶の中の私を反射して、シンシアの中の世界と記憶を外殻になんとか形を保ってる。……もう、2分と保たないかもしれない」

「…………会えてよかったです。本当に、もう一度こうして会えて……!」

「ああ、私もだよシンシア。悔いを、残した死に方だったからね。私たちは——っ!?」


 クラインの言葉を遮るように、轟音を立てて二人のすぐ隣の地面が何かの落下で叩き壊された。

 そして、瞬きも許されない間に上空から竜人が迫る。

 頭上に迫る極彩の爪。シンシアの右目に向かって振り抜かれるジークリオンの一撃に対して、二人は致命的に遅れを取った。


 ——しかし、不振。


 土煙を突き破り突貫したエトラヴァルトが竜人の脇腹を抉るように蹴り飛ばした。


「エトさ——」

「目ェ逸らすな!」

「——っ!?」


 気迫のこもったエトの言葉に、追いかけようとした視線が止まる。


「目に焼き付けろ! 見逃すな! ——見届けろ!!」

「……っ、はいッ!!」


 一陣の風となって追撃に駆け出すエトを、シンシアは見送らなかった。


「……いい男だね、エトは。変わってないんだね……本当に、ずっと」

「エトさんを、知っているんですか?」

「私が一方的に、ね。今の彼を知ってたわけじゃないけど……うん。すぐにわかった」

「…………?」

「気にしなくていいよ。きっといつか、シンシアも知るから」


 含みのある言い方だったが、ここをこれ以上追求するのは勿体無い気がして、シンシアは素直に頷いた。


 ——徐々に、クラインの体が透けてゆく。

 限界が訪れようとしていた。


「——シンシア」

「なんですか? クライン」

「ひとつ……ううん。十二人分の頼みを、聞いてくれるかい?」


 クラインの問いかけに、シンシアの答えはひとつだった。


「当然です! なんだって言ってください!」


 堂々と頷いたシンシアを眩しそうに見つめてから、クラインは告げる。


「私たちを、覚えていてほしい」

「——当然です。忘れるはずがありません!」


 両手の指を絡め、胸の前に。指先の輪郭すらも忘れないようにと、シンシアはその温もりを記憶に刻みつける。


「クライン。私からも一つ、お願いしていいですか?」

「もちろん。私たちの英雄の頼みだ」

「——私と一緒に、戦ってほしいんです」


 その願いに、クラインがわずかに瞼を震わせた。


「……いいのかい? 私は、世界を守れなかったんだよ?」

「そんなことありません! 二千年、私を支え続けてくれたのはみんなとの思い出でした。どれだけ辛くても、苦しくても……みんなとの記憶があったから! 私は今日まで、生きてこられたんです!」


 呪いのようだと思っていた。自分の罪を戒めるように繰り返す記憶を。けれど、違ったのだ。記憶はいつだって、シンシアを奮い立たせてくれた。死という選択肢から遠ざけてくれた。


「だから、私の中に『幻窮世界』があるなら……クライン。みんなも、世界を守れていたんです」


 鏡合わせのように。


 シンシアもまた、クラインへと想いを返す。


「一緒に戦ってください。私の憧れ……私の英雄たち」

「…………もちろんだよ、シンシア」


 返事の声は、意図せず湿ってしまった。


 シンシアのクラインは、額と額を押し当てる。

 ——溶け合ってゆく。


 繋がった場所から粒子となって。思い出が、願いが、意志が……一つになってゆく。


「愛してるよ、シンシア。これまでも、これからも、ずっと——この星が果てようとも、永遠に」


「愛してます、クライン。あの日、私を見つけてくれた日からずっと……貴女は、私の憧れです。これまでも、これからも、ずっと——私は、貴女を追いかけ続ける」


 その想いに、クラインの瞳から一筋の涙が流れ落つ。


「困ったね。泣かないつもりだったのに。……でも、そっか。私は、君の理想でいられることができたんだね」


 別れの瞬間。


 二人は互いに笑顔を浮べ——生涯忘れぬことを心に誓った。



「……………みんな、行きましょう」


 溶けるように消えた、その後に。

 シンシアの胸の前には、虹のような星が輝いていた。


「オフェリア。星は、ここにありましたよ」

“ええ、見えるわ。とっても綺麗ね”


 残響がもたらす、シンシアにだけ届く声がした。

 

「——ッ!!」


 心が、奮い立つ音がした。

 シンシアは衝動のままに、星を胸へと押し当てた。


戦い(お祭り)の時間です、エイミー!」

“よっしゃきたー! 我、盛り上げるよ!!”



 ——変革が始まる。


『————ッ!!?』


 静かに、しかし確かな変化の始まりの、『幻窮異界』に立つ全ての意識が強制的にその存在を認知させられた。

 その熱を受け、変革が加速する——!



 みすぼらしく泥に汚れていた服は、金の刺繍施された純白の装いへと。大地を強く踏み締める足に、スリットの入ったフレアスカートが大きく靡いた。


“身だしなみは生活の基本。いついかなる時も油断はなさるな”

「もう忘れませんよ、エンラ」


 続いて、腰に一振りの刀が納まる。


“正しき行いに、善き未来を。この刀は、その一助”

「ありがとうアカリ、心強いです!」


 どこからともなく拭いた浮世の風が燻んだ髪を洗い流し、美しい流水色の艶を取り戻す。

 自在の重力が漉いた髪を三つ編みに。目にかかる前髪をよけるように、駒鳥型のヘアピンが形成された。


“これで、いつもの可愛いシンシアですね”

“イカしたヘアピンはサービスだぜ!”

「スッキリしました! ありがとうございます、ヤウラス、ハーヴィー!」


 ——パキンッ! と小さく音を立てて、象徴のように首を縛っていた鎖のチョーカーが儚く割れる。


“あーもう。贈り物三番煎じとか最悪っ! ——ま、いいか”


 荒れた声と共に、首に温もり。

 チョーカーを上書きするように、淑やかなパライバトルマリンのネックレスがかけられた。


“アタシ、ちゃんとここにいるから。だから今度は……その、お揃いよ”

「……っ! 嬉しいです、プリシラ!」


“だ、大丈夫。シンシアなら、不幸だって跳ね除けられる!”

“今度こそ、世界を守ろうや!”

“うむ! 作戦は一つであるな!”


 ルーナが、アルジェが、ガルタスが。欠片に残されていた願いたちがシンシアと溶け合い、混ざり合ってゆく!



 ——手を出せない。

 ジークリオンはその変革から目を逸らせず、しかし、ここが正念場だと命を振り絞るエトラヴァルトに阻まれて決定的な瞬間をただ見ることしかできない。それは、オズマも同様に。


 ——しかし、ストラを制圧したエステラだけは違う。


 繁殖を下し、唸りを上げる天候の概念。 幾条もの雷が悠長に思い出に浸るシンシアへと打ち出された。


“いけるっしょ? シンシア”

「もちろんです、ティルティ!」


 一瞥したシンシアは、()()

 たった一度の蹴りで生み出された出鱈目な風圧が雷を余さず消し飛ばす!


「ちょっ……!?」


 その激変に、さしものエステラも驚きを隠せない。

 概念模倣によって限りなく概念にまで近づいた雷撃を、あまつさえ風圧だけで消し飛ばす蛮行。


「まさか、同種の……!?」


 驚愕の視線の先、シンシアが膝をつくエトラヴァルトの隣に並ぶ。


「ありがとうございます、エトさん。私を……私たちを、信じ続けてくれて」

「……当然だ。もう、いいのか?」


 その問いに、シンシアは首を横に振る。


「いいえ。あと、一つだけ」


 そう言って、シンシアは敵の眼前で瞼を閉じる。


“——さあ行こう、シンシア。私たちの世界を守りに”

「はい。ここからです、クライン!」


 開眼する。

 そこに輝くのは、オーロラ色の瞳。


 ——シンシアの背後で、空間が揺らぐ。

 朧げな形を得た両手が、静かに少女の頭へと王冠(ティアラ)を載せる。

 それは、(おう)の戴冠。


 ——十三人目の神秘を纏う者の誕生を祝う儀式の幕引き。


 そして、目覚めの瞬間である。


「——【救世の徒】、〈盟主〉ジークリオン」


 シンシアの堂々たる声に、ジークリオンは自然、表情を引き締める。


「あなたたちがこの世界を壊すのならば、私は使徒の名にかけて断固として抵抗します!」

「——俺様の使命に立ちはだかるのなら、名乗れ。覚悟を示せ」


 竜人の覇気を、シンシアは真っ向から受け止める。

 ——否、ねじ伏せる!


「私は、シンシア・エナ・クランフォール」


 鼓動が高鳴る。

 理性も本能も意思も魂も、シンシアを構成する何もかもががなり立てる。


 ——言え。

 ——今、胸を燃やす誓いに!

 ——その名を、ありったけで叫べ!!


「『幻窮世界』リプルレーゲンの守護者。秘纏十三使徒の一人」


 今にも破裂しそうな想いのありったけを、その一言に!!



「——〈歌姫〉シンシアだッ!!」

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師弟対決は師の圧勝。 後半をよんでいると涙で画面が霞みました。
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